【悪魔は微睡み、夢を見やる】『第一部・第零章』

黒染めの淋し夢

第1話「廃棄されしもの~プロローグ~」

 ふわふわと漂うように、暗い地を赤い角と赤い羽根の生えた少年が進んでいく。髪先でひとつに縛った長い緑の髪は、歩みに合わせてゆらゆらと揺らめき続ける。

 周囲にはぼんやりと黒い何かが乱雑に立ち並び、空には月のような真円がポッカリと開いた地を、たった一人で少年は歩く。

 その表情は憔悴しきったように痩せこけ、瞳には光など無い。それでもキョロキョロと周囲を見回し、震えながらもその足はどこかへ行こうと進み続けていく。

 コツッ、と足がもつれてその身体はぐるりと前に向けて……回転する。叩きつけられる大地はそこにはなく、慌てて広げられた羽根は空気を掴むこともない。

 「うぅ……」

 小さく泣きそうな声が漏れ出る。回転しながらも踏み出した足は軽い音と共に何もない場所を踏みしめて勢いを殺す。

 少年はそのまま蹲り、少しすると誰も居ない場所に小さな声が溢れ始める。


 ――元いた世界から、ボクが弾き出されてどれだけの時が経ったのかなぁ。

 ぼんやりと、そんなことを思う。思い返せば遥か遠い過去だった気もするけれど、ついさっきだったような感覚もする。

 ――足、重たいのに軽いなぁ。それにここ、とても淋しくて、すっごく寒い。

 身体を包み込む寒さに、蹲りながらぶるぶる震える。

 ――あぁ、とても……寒い、寒い、寒い! 歩かなきゃ凍えちゃう。歩かなきゃ、歩かなきゃ……歩か、なきゃ。

 慌てて立ち上がり、行く宛なんてないのにフラフラと……否、ふわふわとまた歩き始める。

 足場をイメージする。世界の外側に地面などあるわけもない。だからイメージを描いて、そこに足場を顕現させる。

 「夢を現実に具現化出来るからこんなふうに歩いていられるけれど……ここ、本当に淋しいところだなぁ」

 ――もう何度目かな、この独り言?

 頭の中で、自問自答をしながらまた泣きそうになる。首を振って涙を払おうとし……最早見慣れた、この地に立ち並ぶ何かが視界に入った。

 「……ぁ」

 弱音を吐いたからだろうか。今までは抑え込んでいた眼に宿る、故郷である世界で担っていた役割を果たすための権能が、ソレが何なのかを自分の意識とは別に“視る”。


 ――「君を、助けに来た! もう大丈夫だ、一緒に……帰ろう?」――

 ――傷を負いながらも、折れない意思で進んできた者が手を伸ばす――

 ――「……うん!」――

 ――囚われていた者が、手を伸ばし返し、抱き寄せられる――

 その光景は救われた物語の一片と呼ぶべきものであり、幸福な結末へと繋がる経緯を映したもの。

 だが、それを視た少年の表情は青ざめていく。その先に何が待つのかを予見したかのように。

 ――『あぁ。そんな結末に、なればよかったのに……』――

 視えた光景の最後に、諦めきったような声音で何かがそう呟き、光景が崩れ落ちて途絶えた。

 「……やっぱり、これも選ばれなくて捨てられた、廃棄可能性なんだ」

 震える声で、少年はそう呟いて目を伏せる。

 ……その眼に宿るのは、“観測"の権能。本来は世界の内部で何が起きているかを世界が知る為の機構。永い放浪の中で成長を遂げていった、あまりに多くの情報を見通す機能。

 少年の周囲には、今までと変わらず無数の黒い何かが立ち並んでいた。


 ……今となっては喪われた世界がある。そこではかつて意思持つもの達の思いによって、世界の機構が神格という形を与えられ、幾つも切り取られていった。

 神格は機構だった頃の役割を権能として保有し、あるものは生命に寄り添い、あるものは生命に試練を与えるなど、それぞれの向き合い方をしながら多く散らばっていったという。

 少年も、そのうちの一柱だった。そして永い時の中で幾度の零落を重ねていったものでもある。

 機構から神格へ落ち、あらゆるものの存在を見守り続けた。

 神格から精霊へ落ち、多くの存在の在り方を認め、助言した。

 精霊から悪魔へ落ち、対価と引き換えに請われた願いを叶えていった。

 そして、悪魔から妖怪に落ち、誰かと寄り添うことを喜ぶ感情を得た。

 新たな規定を押し付けられる度に、時に形を変え、時に別の力を担い、時に零落も経験しながら在り続け、されど“観るもの“という在り方を揺らがせたことは一度たりともない。

 それは、元いた世界から弾き出されて世界の外を放浪し続けている今でも変わっていない、観測体としての在り方。


 再び観測の権能を抑え込み、立ち並ぶ廃棄可能性の柱……墓標とも言える「声を上げることすら諦めてしまった可能性達」を見ないように歩き続ける。

 どれほど希望に溢れた可能性でも、どんなに絶望に塗れた可能性でも、この世界の外にある廃棄領域とでも言うべき場所では、等しく誰からも認められない塵芥に過ぎない。

 「……分かってる。……分かってる……!」

 助けてあげたい、という思いが込み上げるのを歯を食いしばって飲み込む。今の自分が当てはめられている在り方は、妖怪のなかでも悪魔と呼ばれるモノ。

 ……願われたのならば叶えられる。対価なんて願いを叶えた後に、後払いでゆっくりと要求もできる。自分はそういうモノなのだから。

 けれど、この廃棄領域で墓標となってしまっている可能性達は、誰かに願うことすらできない。

 今のままでは助けられないから、目を背ける。視えてしまうが故に、この墓標となっているものがどんな可能性だったのかを知ってしまえるがために。それらが紡ぎ出せたであろう未来が喪われてしまっているのが悲しすぎるがために。

 もう幾度となく繰り返した苦痛に、死んでしまいたくなる。でも、仮にも世界の運営機構であった器が、二度と目覚めない死という終わりを許してはくれないのも知っていた。すぐに再構成が始まって同じことの繰り返しとなるというのも、幾度となく死と生の輪転を続けてきた経験から嫌になるほどに理解している。

 故郷の世界で元が世界運営機構だったモノ全てが保有する「無限命」という輪廻転生能力は……世界から弾き出された後もその能力を発揮し続けて、呪いのように自分を苦しめ続けていた。


 周囲から目を背けながら歩く中で、ヒュゥゥ、と微かな音が耳に届く。

 「……音?」

 思わず空を仰ぐと、空の穴……自分は廃棄孔と呼んでいる……から人が落ちてくるのが見えた。

 「え……なぁ!?」

 とっさに羽根を広げ、足場を蹴って飛翔するイメージを思い描く。突然過ぎて頭の中が真っ白になっていたため、無意識に受け止めに動いていた。

 羽ばたきながら地面が此処にはないことを思い出す。でも、地面が無いならば落ちてきた人が何処まで行ってしまうかは分からない。ずっとずっと歩き続けてきた中で、初めての自分以外に形を保っている誰かを見つけて、見逃したくないとそう思った。

 今までろくに使っていなかったはずなのに、驚くほど素早く飛べて。落ちてきた人の服を掴んで羽ばたき、勢いを殺す。

 足場をイメージして、その上に着地して掴んでいた人を横たえる。

 伸びた髪、ボロけた服、傷ついた身体……みすぼらしいとも表現できそうなのに、それでも何処か「頑張りすぎた」という印象を受ける、そんな人間。

 「だ、大丈夫?」

 「……ぅ、ぐぅ……がふっ!」

 「げっ、まさか外傷よりも内傷の方がヤバいのかな?」

 咳と同時に血が口から溢れてきたのを見て、一瞬焦る。顔色も悪く、存在強度も恐らく只人のそれが基礎でしかなさそうと言うことを含めて、その人間の体調などを見通した眼が知らせてくる。

 喋ることも、意思を向けることも現状困難だろう、と言うほどの状態で辛うじて生きているだけ。けれど、墓標と異なる点として“物理的な器を基礎として保有している“点があった。

 「だったら……」

 自分の頭にある角を掴む。かつて故郷の世界で聞いた話を思い出す。

 曰く、「人外の身体の一部は、高効果の薬になる」という話。後にそれは事実であることも確認していた。

 そのために必要な調薬技術も、かつてこっそりと教えを乞うて習得してある。だから調薬用の道具を夢想の中に置いておく。

 ……逡巡。瞼を落とし、強く閉じながら腕に力をこめる。

 痛みが走った。……無視する。

 角にヒビが入るのを感じる。……漏れ出そうになる悲鳴を飲み込む。

 ――ボギィッ!――

 全力を以て、角を圧し折る。

 角があった場所が根本から痛むのを無視して、夢想を空間として具現化する。折った角をもったまま手を突っ込み、意識の一部を夢想側に送り込む。夢想内とこちらでの時間経過速度にはズレを生じさせておく。

 すぐに夢想空間から反応。送り込んだ意識を戻し、手を引き抜くとそこには丸薬が一つ握られていた。

 「よし……ちょっと苦いかもだけど、これ飲み込んでね?」

 「ぁ、あぁ……」

 体内生成の魔力を使って水生成の魔法を行使する。重力がないために水球となったのを見て、人間に声をかける。弱々しい返事の後、小さく口が開いた。

 しかし、先に水を口元にやるも、うまく吸えないのか減る様子がない。

 「む……飲み込めない?」

 虚ろになりかけている目が、かすかに動く。

 此処に迷い着くよりも以前に確かめたことが脳裏を過り、どうするか迷う。

 ――だからといって、放置もできない。

 「……なら、ごめん。一時的に少し苦痛が増えると思うけど我慢してね」

 一言謝罪してから、分厚い手袋を夢想の中から具現化して手にはめ、あちらの頭を優しく掴んで抱き寄せる。

 水球と丸薬を一度自分の口に含み、人間の口に自分の口をあわせる。ビクリ、とあちらの身体が跳ねるのを感じたが、ぽんぽんと服の上から優しくさすってあげて落ち着かせる。

 そのまま薬と水をあちらの口内に移すと、ごくん、と飲む音が聞こえた。

 「ぷはっ。……少ししたら多分苦しいのも収まると思うから、そしたら少しお話しよっか?」

 口を離して、そう問いかける。青ざめかけた顔で、人間は小さく頷いた。


 「あぁ……楽になってきた。ありがとう」

 「ふふ、どういたしまして。役に立てたなら何よりだよ」

 時間の流れも分からない場所で、落ちてきた人間は体調も戻ってきたのか身体を起こす。

 「私はアラスト。アラスト・ルヴィネスという者だ。種族としては人間、というやつだよ。……貴方は?」

 「ボク? ボクは……」

 名乗ろうとして、気付く。

 「ボク、は……」

 無数に与えられたはずの自分の名前が、遠く擦り切れていることに。

 「……どうかしたのかい?」

 「……ご、ごめん。あんまりにも永いこと彷徨ってたせいなのかな。自分の名前が、思い出せない。永いこと生きてたから、幾つも名前があったはずなんだけど……」

 「なんだって?」

 そんなわけはない、と頭の中で警鐘が鳴る。今まで溜め込んできた知識などは全部思い出せるのだから。

 謝りながら、便宜上の名前を考えようとする。

 「と、とりあえずそうだね、ええと。……ええ、と……」

 ……一つも、思いつかない。

 否。

 「……あ、悪魔って種族だから、悪魔とでも……」

 「いや、流石にその呼び方は気がひけるんだけど?」

 「だ、だよねぇ。……ええと、なら願いを叶える力があるから、願望器とか!」

 「せめて人名にする努力はしよう!?」

 固有の名前を考えようとしても、出てこない。役割としての名前しか、出力できない。

 永い放浪の中、元の世界があった場所に辿り着くまでに近くを通った世界は幾つも存在した。その時は名乗ることができていたのは確かな事実。

 「あー、えっと。なら私から便宜上の名前をつけても良いかな?」

 「そうしてくれると助かるかなぁ……あ、代わりにこの辺りにあるものについて、知ってることは教えてあげるね。対価として」

 「それは助かるなぁ」

 困惑を主軸に様々な感情が入り混じった表情で、アラストはううむと悩みこむ。

 「……そうだね。なら綺麗な紫色の眼をしているし、ユーストマ、とかどうかな? 花の名前なんだけれど」

 「ユーストマ……あ、それ良いかも。トルコキキョウとかリシアンサスって名前もあるやつだよね? 花言葉は――」

 「「――希望」」

 重なった言葉に、どちらからともなく笑う。意外とロマンチストなのか、と問うと、悪いかな、と返される。

 花の種別名だからなのか、口に繰り返し出してみても掠れていきそうな気配は今の所感じない。


 「じゃ、改めまして。ボクはユーストマ。さっきも言ったけれど種族は悪魔に分類される、夢魔の妖怪だよ」

 「あぁ。よろしく、ユーストマ」

 サッと差し出された手に、苦笑を返す。

 「えっと、実は握手の前に言っておかなきゃいけないことがありまして」

 「うん?」

 握り返したいという思いを抑え込み、口を開く。

 「ボク、元いた世界から弾き出された時に呪われてるんだよね。本当に欲しいものは決して手に入れられないって呪い」

 「呪いだって?」

 戸惑いを隠せないでいるアラストに、諦めを隠さずに伝える。

 「……世界の機構、システムだったものなのに、世界を滅ぼしかねないほどに成長していこうとする人類を庇い立てしたからね。害悪として追放されつつ、呪いをかけられたってわけ」

 そんな……と、目を伏せる彼の前で空を見上げる。

 思い起こすはかつての記憶。無数の未来を求めて人々は発展を続けていこうとし、世界に歯向かうことすら企てた。世界を破壊しようとすることによって、世界の外を得ようと画策した結果、世界側から敵性認定を受けるという結末を迎えている。。

 「ボクの欲しいものは、誰かと触れ合える時をもう一度得たい、ってものだから。さっきみたいに手袋とかのクッションが無ければ、ボクは誰とも手を繋ぐことすらできない」

 「……そうか、だからさっき丸薬を飲ませてくれたときにあんなことを……」

 深刻な顔をする彼に、再び苦笑する。

 「まぁ、うっかり覆われてないところまで触らないようにしてね? ってお話だよ」

 「……分かった、気をつけるよ」

 「うん。そして此処なんだけど――」

 そういって目を閉じる。信じてもらえるかどうか、少し不安に思う。

 けれど、伝えないといけないことでもあると、覚悟を決める。

 「――此処は、色んな世界から廃棄されてきたものが集まる吹き溜まり。世界の外にある……まぁ、廃棄領域とでも呼ぶべき地、かな」

 「廃棄……領域」

 驚きを隠せないらしく、アラストが目を丸くする。その反応が何故か楽しく思えてくることに、チクリと胸の奥が痛む。

 ……あまりにも久しぶりすぎる誰かとのやり取りが、錆びつきかけていた胸の奥を軋ませて、辛かった。

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