第210話「サバイバル」

 ポッと、暗闇の中に灯りがついた。

 鬼火のようなものが、ふわふわと浮いて辺りを照らす。


「魔法?」

「うん、簡単な魔法なら使えるから」


 魔族の魔法であるようだ。

 人間の魔法に比べると、子供に使えるほど簡単で無詠唱なところに特徴がある。


 ぽちゃぽちゃと、まるで底の浅い池の中にいるようだ。

 どうしようかと周りを見回すと。


 微妙に生暖かい水たまりの真ん中に、古いボートが浮かんでいるのが見えた。

 ララちゃんを抱かえたまま、俺はそこまで泳ぐ。


「ふうっ……」

「なんか、ネチョネチョするね」


 うん全体的に、ネチョネチョする。

 さっきまで嵐だったのに、その感じがぜんぜんないということはこれはやっぱり。


「大海竜のお腹の中」

「それしかないよなあ、そんな感じはしてたけど」


 大海竜は海の果てに落ちたものを飲み込む。まさにドレイクの言っていた船乗りの伝説通りなのだが。

 これはむしろ昔読んだ小説だったか絵本だったかに出てきた、『白鯨』だっけ。いや違うな、『ピノッキオの冒険』だ。


 大きな魚の中に飲み込まれた話のイメージに近い。こっちは大海竜だけどね。

 どうやらいきなり消化されるということはないらしいが、灯りで周りをよく見てみると動物の骨なども浮かんでいるので、あんまりのんびりはしていられない。


 ここは化物の胃の中なので、消化液かなにかが出てくる可能性もある。


「タケルさん、どうしよう?」

「長居は無用だな、すぐに脱出しよう」


 俺は、近くにあった長い骨をオール代わりにして、ボートをピンク色の胃壁のところまで漕ぎ寄せる。


「どうするの?」

「ちょっと乱暴だけど、こうする!」


 俺は、腰から魔法剣を抜くと最大出力で『中立の剣』の力を通す。

 ユーラ大陸から遠く離れると、やはりアーサマの神聖魔法力が弱まるようで、『光の剣』の力は、ほとんど発揮できない。


 その分だけ混沌母神からもらった『中立の剣』の力のほうが強まっている様に思えるから問題ない。

 最大出力で、激しく銀色に燃え盛る剣を振るって、ピンク色の胃壁を斬り刻んで穴を掘り始めた。


「うわぁ、またグラグラするよぉ……」

「俺からはぐれるなよ。あと頼むから、船酔いで吐かないでね!」


 大海竜にとっては、胃の中で悪質な寄生虫が暴れて内臓を食い破るようなものだ。

 大海竜が暴れているのか、その巨体が地震のように大きく揺れた。


 しかし、俺は構わずに胃壁の壁を超えて、さらに大きく穴を掘り進める。

 大海竜の身体の外に向かって、赤に染まった肉を斬り刻んで進む。


 どこかの動脈を断ち切ってしまったのか、ドシャァと大量の血を浴びるが、一度やりだしたら止めるわけにはいかない。

 身体の外に出るまで乱暴に叩き斬り続ける。さらに大きな揺れとともに、大海竜の苦しげな雄叫びが響き渡ったが、それでも続ける。


 やがて、斬り進んだ先から、海水がブシャアと溢れてきた。

 まるで潜水艦の外壁が壊れたときみたいと思って、ハッと気がついた。


「ララちゃん、海の中に出る。息を止めて!」


 そうか、大海竜は潜水状態だったのかと思ったときには、大海竜の身体のなかから外に。海中へと、投げ出されていた。

 あとは、大海竜がそれほど深く潜っていないことを祈るしか無い。


 ブクブクと、海の中を必死に泳いで上の光に向かっていく。

 やがて、水面に出た。


「ぷふぁー」


 大海竜に飲まれたときは深夜だったのだが、どうやらすでに朝日が昇り始める時刻のようだ。

 ララちゃんは大丈夫だろうかと、辺りを見回すとボートが逆向きに浮かんでいた。


「ボートあるよ」

「おおっ、ララちゃんお手柄!」


 俺が大海竜の腹に大穴を開けているあいだ、ララちゃんは大海竜のお腹の中で浮かんでいた胃液まみれのボートをそのまま引っ張ってきていたようだ。

 アフリ大陸の魔族の血を色濃く受け継いでいるララちゃんは、俺なんかよりもよっぽど丈夫なのかもしれない。


 海に溺れるどころか、大きなボートを持っていたので、俺よりも早く浮き上がってこれたわけだ。

 それにしてもボートは助かる。大荒れの海に投げ出されずに済む。


 いや、大荒れというか……もう荒れてない。

 嵐が静まって、静かな海に戻って朝日まで登っている。


 転覆したボートをまた、仰向けに直して乗っ掛かるとようやく一息つけた。

 陽の光が登っているということは、先ほどまでの雷雨もどこかに行ってしまったということで。


 朝焼けの空は、どこまでも晴れ渡っている。

 さっきまで、暴れまわっていた大海竜のほうも、そのままどこかに逃げ去ってしまって影も形もなかった。


「なんだ、また戦闘になると思ったんだけどな」


 逃げ去ったというより、苦痛でのたうち回るうちに、どこかに泳いで行ってしまったのだろう。

 腹を割かれて海中でもがいていた大海竜からしたら、豆粒程度の俺達などに気がつく余裕もなかったのかもしれない。


「タケルさん、船無いね……」

「ああ、見当たらないなあ」


 船とは、俺達が乗っているボートのことではない。

 俺達がここまでやってきた黒杉軍船の姿がどこにも見当たらない。


 どうやら、完全にはぐれてしまったようだ。


「どうしよう」

「心配しなくてもいいよ、カアラは飛べるからきっと俺達を探してくれているはずだよ。とりあえず救援を待とう」


 黒杉軍船の二隻が無事という保障もないのだが、あの程度の嵐や攻撃で沈むことはあるまい。

 遭難して救助を待つときは、慌てちゃいけない。そう考えたら、体力の温存を考えてあとは腰を据えて待つだけだ。


「ねえ、タケルさん。あれ、陸じゃない?」

「えっ……本当だ!」


 地平線の遙か向こうに、ぼんやりと島影のようなものが見える。

 予定変更、俺は魔法剣をオール換わりに使って、遥か遠方に見える島まで向かうことにした。


 漕いでも漕いでもなかなかたどり着かないが、それでも小さかった島影はどんどん大きくなってくる。

 いや、島にしては、あまりにも大きい。


 半島のようにも見える。もしかしたら、あれは俺達が目指す新大陸かもしれない!

 そういう興奮をモチベーションに延々と漕ぎ続けて、陽の光が頭の上に来る頃に俺達を乗せたボートはようやく砂浜へとたどり着いた。


「うう、へとへと……」


 夜明けまで戦闘したあげく大海竜の腹の中から脱出するのに、『中立の剣』の力を使い過ぎたからなあ。

 ようやく安心できるところまで漕ぎ着けると、疲れがどっと出た。


「お疲れ様」


 どこから見つけてきたのか、椰子の葉っぱで俺を仰いでくれるララちゃん。

 椰子の葉があるということは、椰子の実もあるってことだな。


「喉乾いたから、なんか飲めるものを探そうか」

「それなら、あれなんかどう?」


 砂浜の向こうに生えている椰子には、実がたくさん連なっている。


「おー、いきなりサバイバル生活でどうしようかと思ったけど、これは最初から楽勝モードだな」

「じゃあ、取ってくるね」


 石でも投げて落とそうと思ったら、ララちゃんは椰子の木をヨイショヨイショっとよじ登って行ってしまう。

 なるほど、半分だけ爬虫類人レプティリアンであるララちゃんは、木登りも上手であるようだ。


 すぐに投げ落としてくれる。

 石で割ってみると、甘いジュースが沢山出てきた。一口啜ってみると、疲れた五臓六腑に染み渡る。果実もイケる味だ。


「ぷふぁ―、これは犯罪的に美味い。ただの椰子の実で、毒もないみたいだぞ」

「美味しいねー」


 サバイバル生活においては、いきなり採れたよく分からないものを飲食するのは、かなり危険な行為である。毒性があるものだってある。

 良い子は真似してはいけない。


 勇者になっている俺は、生半可な毒は通用しない体質になってしまっているので、毒見役には持って来いの人材だったりする。

 一応、身に着けてるポーチのなかには解毒ポーションと霊薬エリクサーもあるので保険もばっちり。


 ボートを引っ張れるような高い身体能力を持つララちゃんと、大工道具にも使える『中立の剣』を使える俺に限っていえば、サバイバル生活に伴う悲喜こもごもみたいな話とは無縁である。

 ここが無人島だとしても、救援を待つ間でランゴ・ランド島の竜宮より立派な豪邸が建てられることだろう。


「しかし、『ピノッキオの冒険』から『ロビンソン・クルーソー』とはな」

「それはなんなの?」


「無人島に漂流した人の話だよ。無人島だと思ってたら、実は無人島ではなかったりもするんだけどね」

「へー、面白い。私達みたいだね」


「そうだね。辺りに人家はないようだけど、ここでも実は人が住んでた展開だったら嬉しいんだけどなあ」


 シェバ村から出てきたララちゃんは、何にでも興味を示す好奇心旺盛な女の子だ。

 年齢の割にとても落ち着いているらしく、大海竜に飲み込まれた後に無人島に漂流するという憂き目にあってもケロッとした顔をしている。


 まあ、よく考えるとそれもそうだ。

 ララちゃんが住んでいたシェバ村のあたりというのは、人が住めない高温の砂漠を人喰い砂走サンドスネークの群れが蠢いている地獄のような環境である。


 今とあまり変わらないというか、飲み物や食べ物が取れるだけ無人島のほうがはるかに過ごしやすいとも言える。

 そりゃ、何事にも動じなくなるわ。


「ねえ、ベトベトする」

「あーそうか、胃液まみれのあとに海中水泳だもんなあ」


 胃液や潮が乾いてベトベトする気持ち悪さには、さすがのララちゃんも気になるらしい。

 身体にも良くないような気がする。


「こういうときって、まずシェルターから作るのが先なんだろうけど。お風呂から作っちゃうか」

「わーい、お風呂! ……お風呂ってなに?」


 よく分らないで喜んでたのか。

 まあ、風呂に入らない地域は結構多いからなあ。


「とりあえず、身体を洗う場所かな。海水だときついので、綺麗な湧き水がないか探そう」

「はーい!」


 飲水に適さない水であったとしても、お風呂ぐらいには使える。

 椰子の実ジュースで元気が出た俺達は、砂浜から陸地の奥へと分け入っていった。

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