第199話「高貴なる休息」

 空はどこまでも青く澄み渡っていて、テラスを吹き抜ける風は心地よかった。

 季節は秋、天高く馬肥ゆる秋。


 読書の秋でもあるかな。

 俺が今抱えているのは羊皮紙の絵地図や仕事の資料なのだけど、これもそんなに急いで読む必要もないのだ。


 たまには物語の本でも読んでみるかと思うのだが、どうもこの時代の本は硬くて面白くない。

 俺がこれまでの活躍を小説にでもすれば売れるかもしれない。


 長らく続いた戦争も、戦後外交も終わった。

 そうして、一切の脅威がなくなると俺は途端に暇となった。


 しかし、さすがにライトノベルを書いている暇はないだろう。

 俺にやることがなくなったわけではない。


 シレジエ王国の王配として、王国の軍権を取り仕切る立場にある。

 また、新しい国造りの設計も立てないといけない。


 頭を振り絞って現代の歴史を思い出して、まっさらな図面に新しい国の有り様、産業構造の絵地図を描く。

 多額の賠償金を得て、国際港としての整備が進んでいるナントの街は、活況に沸いている。


 戦勝ムードが後押ししたのだろう、株式市場も銀行業も軌道に乗っている。起業ブームと投資ブームが、同時に起こって活況に湧いている。

 この発展をそのままにしておくと、バブル景気になってやがて崩壊してしまうので、活況の間に実体経済を発展させなければならない。


 貿易を活発化させるには、売る商品がなくてはならない。

 シレジエの主要産業は典型的な農業国だが、そこから食品加工や紡績などの軽工業。やがては、鉄鋼などの重工業の発展につなげていく。


「やることは山積みだな」


 幸いなことに、賠償金代わりにカスティリア王国から交易に使う船舶や海外の植民施設の権益のほとんどを譲り受けることには成功した。

 海洋覇権国家カスティリアの力を奪い取り、国の富は溢れんばかりだ。


 この流れに乗って、来るべき大航海時代へと歴史の針を進めなくてはならない。

 そのための準備を、腰を落ち着けたこの機会にやってしまう。


 実務面でサポートしてくれる優秀な幕僚はいるものの。

 北へ、南へ、そして見果てぬ新大陸へと、未来地図が描けるのは俺だけなのだ。


 生きている人間の歴史は、歩みを止めることはない。

 そんな勢いで、新しい計画書をいくつか書いてみたが、不意に手を止める。


「まあでも、今日ぐらいは休んでもいいかな」


 たまには、少し足を止めて休んでも良いのではないかと思えた。

 今日は日差しが柔らかく、風も心地よい良い日である。


 束の間の平時の休息を、王都で腰を落ち着けて楽しんでみてもいいのではないか。

 なにも焦る必要はないだろう。今日ぐらいと言わず、数日休んでもバチは当たらないはずだ。


 むしろ、妻達の出産も近いので、旅立つのは少なくともそれらが落ち着いてからにしたい。

 オラケルのときのように、子供が産まれるときに父親がいないのでは寂しい。


 良し、今日は休もうと決めて。

 羊皮紙に描かれたユーラ大陸の絵地図を見ながら、俺は緑の豊かな後宮の庭が見えるテラスに腰掛けて寛いでみる。


「うん、この地形は……アフリ大陸の植民市の報告書はどこだったっけ。いや、いかん……」


 今日は休むと決めたのに、また仕事の話を考えてしまう。

 これまでいろんな事態に急かされて来たので、地図を見ていても腰が浮かんで落ち着かない気分になる。


 俺はサイドテーブルに羊皮紙の地図を置くと、絹張りの座椅子に腰を深く落ち着けて深呼吸した。

 うん、落ち着かない。職業病だな。ワーカーホリックのロールを笑ってられない。


「コーヒーが入りましたよ」

「ああ……ありがとう。女王が手ずから淹れてもらうとは贅沢だ」


 そこにシルエットが、お盆にコーヒーとお菓子を持ってやってきた。一連の外交も終わったので、シルエットも今日はお休みだ。

 黒い液体が波なみと注がれたカップを受け取って、口をつける。うん、濃厚だ。


 シルエットは、細い腰を俺に押し付けるようにして横に座った。

 この座椅子は二人で座るにはやや狭いが、まあ良いか。


「私もお休みをいただいてのんびりさせていただいております」

「そうだな、シルエットもここのところ忙しかったから、体調の具合はどうだ」


 華奢な身体だから忘れそうになるのだが、シルエットも妊娠しているのだ。

 俺の問いかけにクスリと笑うと、俺の手を取った。


「一時期は、つわりが結構大変でしたが、今は具合が良いです」

「そうか。安定期というやつなのかな?」


 シルエットと二人で小さいソファーに身を寄せ合って座って、他愛もない話をする。

 俺は戦争に、シルエットは内政にと、忙しかったときはこんなゆっくりとした時間が持てなかった。


 シルエットと二人で過ごせるなんて、久しぶりだ。

 これはこれで貴重な休日といえるかもしれないな。


「そういや、シルエットはもうすぐ誕生日だったんだっけ」

「ふぇぇ? そうですね、妾ももうすぐ十八歳になります。」


 ついこの間、シルエットが十五歳でもう成人だとか言ってたのに、もうそんなになるのか。

 シルエットは小柄なので、この子と俺が結婚していてそのうち母親にもなるとかちょっと想像がつかない。


 しかし、時間は気がつくと経ってしまうものなのだ。

 俺とかかわって今も城に住んで様々な仕事をこなしている奴隷少女達も、子供だ子供だと思っていたら、もうちらほらと成人の祝いだとか言う話になっている。


 十五歳で成人とか言われると未だに慣れないんだけど、この国はそういう風習なので慣れるしか無い。

 振り返ると、俺はもう何歳になってるのかな。誕生日が転移でわけわからなくなってるのだが、この世界に来てまるっと三年以上は経っているので二十一歳ぐらいかなと思う。


「そうか、早いものだな。お祝いしないといけないな」

「そんな大掛かりにはしなくていいんですけど、タケル様に祝っていただければ幸いです」


 琥珀をラストア王国から大量に買い付けて宝飾品を作っているし。

 カスティリア王国から金銀財宝の類がたくさん届いているので、プレゼントする品には困らないのだが……ふむ。


 コーヒーの苦さに続けて、お茶菓子の白いマカロンの甘さを楽しんだときに誕生日ならケーキを作ってみるかと思いついた。

 誕生日といえば、ケーキだろう。料理長のコレットと相談して大きなケーキでも作ってみるか。


 いっそ、ウエディングケーキみたいな大きいやつ。

 うちは女の子が多いので、たくさん作っても食べられないことはないだろう。


 大きなスポンジを作って、クリームを塗ってその上から果物をふんだんに盛り込んで。

 頭の中で、塔のように高いケーキを作る計画を立てると、それは楽しかった。


「何か面白いことを思いついたんですか?」


 俺が楽しそうな顔をしていたからか、シルエットに尋ねられた。


「フフッ、まあな」


 ケーキのことはできるまで秘密にしておこう。同じ計画書なら、大きなケーキを作る設計図を描くほうが楽しい。

 良い息抜きになりそうだ。こんなことが考えられるのが、つまり平和になったということなのかもしれない。


     ※


「おっ、できてきたな」

「ご主人様、ケーキってこんなに高くていいんですか。初めて作るので、こわごわなんですが」


 王宮の調理室で、大きな銀のお皿上にケーキのスポンジが四段重なってタワーになっている。

 ケーキの高さは一メートルにも及ぶ。これ以上の高さにすると、自重でケーキが潰れてしまいそうだからここらが限界だろう。


 ユーラ大陸の歴史でも初めてかもしれないタワーケーキが出来上がっていく。

 その過程を見ているだけで、ワクワクする。


 白いコック帽をかぶった料理長のコレットが監督するなか、奴隷少女が総出でガチャガチャと牛乳を冷やして分離したクリームをボウルでかき混ぜて、ホイップクリームを作っているところだ。


 これだけの高さのケーキを作るのだから、スポンジもそうだがホイップクリームもたくさんいる。

 全てがお手製になるので、人出がいくらいても足りない。


 他のことはシャロンが統括しているが、料理のこととなるとやはりコレット達奴隷少女お料理班が中心で計画が進む。

 すでに土台となるスポンジは次々と焼きあがり、俺の計画書通りにことは進んでいるようだ。


 俺もホイップクリーム作りを手伝おうと、ボウルのクリームをかき混ぜていると。

 青い髪に青い瞳の水妖精ハーフニンフの小さな少女が、果物を大きな籠にどっさりと抱えてやってきたので、駆け寄って運ぶのを手伝う。


 ケーキにはつきものの甘いイチゴに、ちょっと酸味のある柑橘類、皮ごと食べられそうな香り高いマスカットもある。

 いろいろ持ってきてくれと言ったせいか、変わったところでは、シャテニエの実とシレジエでは呼ばれているイガに包まれた実まで入っている。いわゆるマロン、栗の実だな。


 これも、砂糖漬けにしてマロングラッセにしたらケーキの材料にもなるのだが、砂糖で煮詰めるのに時間がかかりすぎるので今回は使わない。

 作りおきしておいて、今度食べればいい。


 すぐ食べるなら、栗ごはんにしても美味しそうだ。

 いや、いまはケーキ作りが先だけどね。


「果物……もってきました」

「おお、ありがとうヴィオラ。助かるよ!」


 俺に作物の出来栄えを褒められて、得意気に笑っているヴィオラは、魔の山から湧きだす魔素を利用した薬草園だけではなく、沼地で米を育ててる試験農園の他に、最近では果樹園まで作っている。

 俺が設計したガラス張りの温室の効果もあるのだろうが、ヴィオラの果樹園では本来シレジエでは育たないはずの南方の果物までが季節にかかわりなく生い茂る。


 水精霊の加護を持つヴィオラが、「よく育てー」と撫でてやると、稲は豊かな実りを付けるし、果物の木も大きく甘い実を付けるのだ。

 他の子にも手伝いはさせているが、魔の山の試験農園が豊作なのはヴィオラ個人の植物育成能力によるところが大きい。


 そのため大規模な生産は難しいのだが、王都の近くで多彩な食材を育てて楽しめるのはありがたいことだった。

 シレジエにはない食材も輸入すればいいわけで、料理の研究には持って来いの環境であると言える。


 王城の大きなキッチンで黙々と果物を並べて、栗の皮を剥いているヴィオラに、俺はご褒美のつもりでホイップクリームをスプーンにひとすくいし与えた。


「ちょっと味見してみるか?」

「美味しい……」


 ぺろりとクリームを舐めるヴィオラの仕草は愛らしい。

 女の子はみんな甘いモノが好きだ。


「そうか、ヴィオラにはもっと美味しいものを作ってやるからな」

「うん、待ってる」


 甘いものを食べて喜んでいる子供の顔を見ていると心が安らぐ。

 ヴィオラはアイスクリームが好きだったから、あとでオヤツに作ってやろう。


 アイスクリームと、ホイップクリームに、蜂蜜をたっぷりかけたパンケーキなんてどうだろう。そうだ、アイスケーキなんてのも面白いかも。

 ヴィオラは初級の水魔法が使えるので、その場で氷を作ることも冷やすことも自由自在だ。


 おかげで作れるケーキのレパートリーが増える。

 奴隷少女達と和気あいあいと、ホイップクリーム作りに勤しんでいると扉をバンと音を立てて開けてリアがやってきた。


「なんだ、どうしたリア?」

「中に人が入れるぐらい大きなケーキを作ってると聞きました! わたくしも是非ともお手伝いします」


 リアはやけに得意げに、嬉しそうな顔をしている。俺に向かってイエーイと言いたげな、ダブルピースまでしだした。

 そういう派手な振りをした段階で、リアが何を言い出すかだいたい分かってしまう。危険なテンションだ。


 どうせ天使の羽を生やした自分が、ケーキの中から出現するとかアホなことを提案するつもりだろう。

 俺は、リアの肩をポンと叩く。


「そろそろ出産を控えてるんだから、お前も無茶をするなって言ったよな」

「えっ、あっと、じゃあ。わたくしのミルクを……あんっ」


 俺はため息をついて、ホイップクリームを作っていたボウルを置いて、純白のドレス姿のリアを抱きしめてやる。

 黙っていれば金髪碧眼の美しき聖母なのに、しゃべるとなんて残念な女なのだ。


 そのまま黙ってくれという意味で、軽く口付けした。リアを黙らせるにはこれが一番いい、そして大きくなってきたお腹をさすってやる。

 少しお腹が動いたような気がする。ちゃんと腹の中で、赤ん坊は育っているのだ。


 とりあえずこうして抱いてやれば、リアは落ち着くわけだが、そのうちにまたソワソワし出す。

 最近ずっとこんなテンションだ。


 リアも、自分のお産を控えて、気持ちが落ち着かないのかもしれない。

 いつも変なリアだが、最近さらに変な行動をするようになっている。作業を邪魔するのは、まるで猫のようなものだ。俺に構って欲しいのか?


「なあ、リア。無理に話を面白くしようとしなくていいからな。毎回思ってるんだが、お前はどこの芸人なんだよ。そろそろお前も母親になるんだろう?」

「ううっ……そうタケルにそう言われると、是非もないですね」


 頼むから、もうちょっと母親らしく落ち着いてくれ。

 これも毎回思うのだが、なんでこんな調子のリアが聖女として尊崇されているのか全く分からない。とにかく、リアは暇にさせておくと危ないな。


「……そうだ手持ち無沙汰なら、ホイップクリーム作りを手伝ってくれないか」

「そうですか、じゃあ是非もなくお手伝いします」


 リアにクリームの入ったボールと泡立て器を渡してやったのに、なぜかそこで当然のように身にまとっていたドレスを脱ごうとする。


「うおーい、脱ぐな。なんで脱ぐ! お前のミルクは要らないっていってるだろ!」

「いえ、ミルクではありません。せっかくのホイップクリームだから、胸に塗ってみようかなと……そういう展開ですよねこれ?」


 なにがせっかくなんだ……リアなりに考えがあってのことなのだろうが、まったく意味が分からない。どういう展開だよ。

 せっかく奴隷少女達と和んでいたのにーと思うが、情緒不安定なリアを放おっておくわけにもいかないか。


「ちょっとこっちに来いリア。悪いなみんな、作業を続けておいてくれ」

「はい……」


 ケーキの制作をコレット達に任せて、俺はリアをなだめることにした。

 しばらく一緒にいて腹でもさすってやれば落ち着くのだ。


 妊娠中の女は、情緒不安定になることがある。リアの場合、創聖女神の加護があるので体調が悪くなりようがないのだが。

 それでも、リアなりに心がいろいろ不安なのかもしれない。


 俺だってこんなに早く父親になるとは思ってもいなかったが、シスターだったリアだって母親になるとも思っていなかったのだろう。

 落ち着かなくてもしょうがないが、母親がこんな調子で、どんな子が産まれてくるのだろうなあ。


     ※※※


 後宮の広間は、ちょっとしたパーティー会場になっていた。

 大きなケーキを真ん中に置いて、他の料理を並べて立食形式で食べられるようにしてある。


 ちゃんと小さいケーキには、シルエットの年齢の数だけロウソクが並んでいる。

 誕生日の定番だが、こっちにはこの風習はなかったらしいので、説明にちょっと手間取った。


「これを全て妾のために作って下さったのですか?」

「これまで一緒にいてやれなかったし、それのお詫びも兼ねて盛大に祝ってやろうと思ってな、さあケーキの蝋燭を吹き消してくれ」


 喜色満面のシルエットはケーキの上のロウソクの炎ふうっと一息に吹き消すと。

 はしゃいだ様子で「タケル様の故郷は面白い風習ですね」と語った。こうしていれば、シルエットは妖精的な美しさと背丈の小ささも相まって幼い少女のようだ。


「うん、喜んでもらえてこっちも嬉しい。準備した甲斐があった。あとはこれだ」


 琥珀で作ったブレスレットを渡す。

 シルエットは女王としての公式行事があるので、宝飾品のたぐいはいくらあってもいいのだ。


「ううっ……」

「どうした、何で泣く」


「もう妾にはいただけないものかとばっかり思ってましたから、すみません。嬉しくて感極まってしまって……」

「他の妻には先に渡したけど、シルエットには誕生日に渡そうと思って念入りにブレスレットを特注させておいたんだよ……」


 確かに、ラストア王国土産を渡すのがシルエットには最後になってしまったが、いわゆる「オオトリを飾る」というやつだ。

 ビックリさせようと思って、シルエットの誕生日まで内緒にしておいたのだが、それが却って自分だけもらえないのではないかと不安にさせてしまったようだ。


 サプライズプレゼントにしても、サプライズが効きすぎてしまった。

 立派な女王様になったシルエットだが、まだどこか日陰者の姫様だった頃のネガティブさが残ってるんだな。


 俺が、シルエットの分だけプレゼントし忘れるなんてことがあるわけないのに。

 泣き笑いをしているシルエットをなだめて、俺はほっそりとした白い腕に琥珀のブレスレットを嵌めてやった。


 精緻に作られた琥珀のブレスレットは美しいが。

 シルエットの細腕は、それよりも美しい。


「プレゼントは綺麗だし、ケーキはとても美味しいです。ありがとうございます!」

「気に入ってもらえたならよかったよ。見栄えも、もちろんだが味だってしっかりと工夫したからな」


 ヴィオラが育ててくれた果物はみんな甘くて美味しいので、かなり砂糖を控えめにしても味わえる。

 まだ砂糖が貴重なので、一般的には砂糖が多いお菓子のほうが高級品とされている。


 しかし、クリームと果物の多彩な甘みが口の中で交じり合う複雑な味わいのほうが、ずっと美味しいに違いない。

 むしろ、イチゴやオレンジやマスカットをふんだんに使ったケーキなら、甘さ控えめのほうが上品であろう。


「最高のプレゼントをありがとうございます!」

「うん、喜んでくれてよかったよ。これから、誕生日はみんなで祝うことにしよう」


 あと砂糖をかなり控えめにしたのは、もうひとつ理由がある。

 妊娠中は味覚が変わるというので、俺が美味しいと感じるものをシルエット達が美味しいと感じてくれるのかちょっと不安だったのだ。


 人間の祖先は、木の上に住んでいる猿のような動物で、果実食であったという。

 だから、体調の芳しくない時はリンゴをすりおろして食べたりする。


 果物は栄養価も高く、身体に良いのだ。妊婦のお腹にも優しいはず。

 どうやら、味覚が変化したシルエットにも、果物の自然な甘みというのはそのまま通用するようだったので良かった。


 シルエットだけではなく、ライル先生やリアもシャロンも妊娠しているのでそこらへんは気を使う。

 キツそうなら止めておけとは言っておいたのだが、リアもシャロンもバクバク食べているので大丈夫そうだ。


 ライル先生も控えめには食べている。

 もともとあまり甘いものが好きではないようなのだが、先生はむしろ妊娠してからは甘いものを食べるようになったほうだな。


 味覚の変化のせいか食べ物の好みは微妙に変わっているようだが、妊婦というのは基本的にお腹は空くようなのだ。

 酸っぱいものが欲しくなるらしいので、柑橘類を常に切らさないようにはしている。


 俺はみんなが楽しんで食べているのを見まわってからケーキを皿に取り分けてフォークを添えると、中庭の方に出ていった。


「ネネカいるか」

「はい、ここに……」


 国際情勢が逼迫しているときは、密偵としてカスティリア王国で活躍してくれた密偵スカウト達も、王都に戻ってきている。

 城の歩哨の数は十分のはずだが、どうもうちの後宮の防衛体制は緩いので、影戦や特殊任務の経験が深いネネカ達が巡回してくれていると安心できる。


 純粋な防衛戦力としては、優れた女騎士であるルイーズや上級魔術師のカアラがいてくれれば十分なのだが、適材適所というものがある。

 万が一、敵の刺客や密偵が潜んできた場合などに関しては、ネネカ達プロに任せたほう上手く防衛してくれるのだ。


 あと、ネネカの密偵部隊は女性ばかりというのも、後宮の防衛に使うには都合がよかった。

 都合よく使いすぎて、ネネカ達の仕事が過重労働になり過ぎないか心配になるほどだ。俺の渡してる給金で適度に増員はしているそうだが。


「ケーキを作ったんだけど、お前達も食べてくれ」

「私達は、警備がありますから……」


「うん、警備は交代でやればいいんじゃないか。今日はせっかくの女王の誕生のお祝いだ。なんならネネカが食べている間は、俺が警備を代わってやってもいい」


 そういうとネネカが堪えきれないと言った様子で、クスクスと笑い出した。


「どうした」

「いえ、私達に警護の仕事を代わると言われる警護対象者というのはどうかなと思いまして」


「そんなにおかしいかな。確かに今は守ってもらう立場だし、本職になったネネカ達には適わないが、元々密偵のやり方を教えたのは俺だったと思うぞ?」

「いえ、貴方らしい振る舞いだと思ったらおかしくて、すみません。でもそういう気安い勇者様のほうが、私も好きですね」


 そう言うと、ネネカは俺が差し出した皿を取ってケーキを食べ始めた。

 俺の好意を素直に受けるということだろう。ネネカ達は兵士とは違うから、柔軟性があることが美点だ。


「甘くて美味しいですね」

「そうか、料理と飲み物もあとで差し入れてやろう」


「それにしても、こうしていると嘘みたいですね」

「なにがだ?」


 俺が持って行ってやった紅茶を飲んで、ネネカが不意にそんなことを口にした。


「私が盗賊団をやっていて、そこに勇者様がやってきたのがついこの間のように感じます。それがたった数年で、この勇者様はこの国の主で、私達元盗賊がお城の警護をやっているなんて想像もしてませんでした」

「そうだな、お互いに遠くまで来てしまったものだ」


 あれからたった二年だ。

 本当にいろんなことがあって、大きな戦争を二度も乗り越えて、みんなと一緒にここまできた。


「私達は勇者様に救われました。お礼申し上げます」

「いや、俺の方こそ礼を言うべきだな。今も助けてもらっているのだから」


 こうして、王宮の中庭で虫の音を聞いて美しい月を見上げていると、昔のことを思い出す。

 静かな夜には、そういうしんみりとした気持ちになる。


「じゃあ、お互い様ですかね」

「そうだな。でも俺が主人なのだから褒美を受け取るのはお前のほうだ。今回のカスティリア王国での仕事もよくやってくれた。これは、礼と言うにはささやかなんだが……」


 俺は懐に入れてあった袋から、大粒の琥珀が付いた指輪を取り出した。

 どのような加減でそのような色がついたのか、なぜか紫色をしたとても珍しい琥珀だった。


 ネネカの紫の髪色に似ていると思ったので、最初は髪飾りにしようかとも思ったのだが。

 そんなものを付けて密偵の仕事はできないから、指輪にしてみたのだ。


「えっ……あっ、指輪ですか。あの、本気にしますよ?」


「本気? ああっ、もちろん遠慮せずもらってくれ」

「もらったら、もう返しませんからね」


 ネネカは手を伸ばして、俺の手からヒョイッと指輪を奪い取って左手の指にハメた。

 よく似合っている。指輪なら、そう邪魔にはならないだろうし。


 隠密の仕事だと不意にお金が入り用になるということもありえるので、換金性の高い指輪に加工したのだが。

 しかし、なんか妙な雰囲気になってないか。


 指輪をもらったのがよっぽど嬉しかったのか、月の光に輝ける琥珀を照らして、いつになくはしゃぎ回っている。

 いつもは、落ち着いたお姉さんって感じなのに今日のネネカはちょっと印象が違う。


 なんとなく居心地悪く感じて、追加の料理と飲み物を持ってくると伝えると。

「じゃあお酒にしてください、今晩は一緒に付き合ってくださいね」と妙に艶っぽく言われた。


「ネネカ、お酒って警備の仕事があるんじゃかったんか」

「そんなのいいじゃありませんか。今日ぐらいは特別なんでしょう。もうすぐ交代ですし、頼んだら代わってくれます」


 さっきと言ってることが違うなと思ったが、料理とともに上等なワインをボトルごと持って行ってやることにした。

 酒と料理を持って行ったら持って行ったで、引き止められて一緒に料理を食べることになった。


 たまにはネネカ達、裏方の慰安も必要だとは思ったので、いい機会だと樽ごと酒と料理を運ばせて、中庭のテラスの方でも宴会が始まった。

 城勤めの密偵でもめったに口に入らない上等な酒が振舞われて、つまみのハムやソーセージは瞬く間に消えていった。


 確かに、たまにはこんな日もあっていい。

 中庭のテラスで一緒に食べたのだが、ネネカが酔ってしなだれかかってくる。


 俺も昔話を肴にして気分良く酔いすぎたが、ネネカはもっとのようだ。

 とても一人では立ち上がれない。


「ネネカは、意外に酒に弱かったんだな……」

「弱い女はお嫌いですか」


 そうでもないさと答えて、寄ったネネカを抱き上げて後宮の控え室に連れて行く。

 そっちのほうは、ネネカ達も休めるように寝台も用意されている。


「すこし楽にさせるぞ」


 ネネカの履いているブーツの靴紐を緩めて、スポッと脱がせる。

 靴を履いて寝るというわけにはいかないだろうからな。艶かしい太ももにちょっと躊躇したが、そっちのほうが楽だろうと靴下も脱がせてやる。


「勇者様、どうぞ服も脱がせてください……」

「それはちょっと……ああでも上着だけは楽にするか」


 あまりに苦しそうなので胸元のボタンを緩めていると、その隙に剥き出しの足を腰に絡められてベッドに引きずり込まれた。

 その力が思ったよりも強くて、俺はそのままベッドの中で抱きすくめられてしまう。


「おいネネカ……?」

「どうしました」


「いや、どうしましたかじゃなくて……冗談か?」

「冗談じゃないですよ。女に指輪を送るなんて冗談ではすみません。それで、酔わせてベッドに寝かせたりしたら決め打ちです」


「そうなのか。そういうつもりは、なかったんだが……」

「なくても、もう観念してください。だいたいこの部屋には誰も来ないでしょう?」


「そういえばそうだな、やけに静かだ」

「私の部下がこうなるように気を利かせて人払いしてくれたんですよ」


 密偵部隊怖い。計算ずくだったのか。

 ビックリしていると、あまり女に恥をかかせないでくださいと耳元で囁かれる。


 最近、そんなパターンばっかりなような気がする。

 でも、これほど近い立場だからこそ、ネネカとなし崩し的にねんごろになってしまうのは、いかにもマズい気がする。俺は直属の上司だぞ。


「なあネネカ、密偵は依頼人と関係を持たないとか、そういうあれはないのか」


 プロ意識的なのが、あるはずだろ。


「何言ってるんですか、私はただの元盗賊ですよ。そんなのあるわけないじゃないですか。いい男が相手なら、抱いてみたいと思うだけですよ」


 笑われてしまった。


「しかし、浮気はちょっとなあ……」


 ネネカは、さすがにシレジエ王国の影働きを統括する長だけのことはある。

 この細腕にどこにそんな力があるのかというほど、首に絡み付いたネネカの手は解けない。


 完全に寝技にかけられてしまったようだ。

 もちろん勇者である俺が本気で逆らえば跳ね除けられるはずなのだが、それが不思議とできない。


「浮気じゃなくて、本気だったらいいんですよね? だいたい年頃の女の首にこんなものをつけて、本気にならないほうがどうかしてます」

「ああ、奴隷の首輪か……」


 もう役割を終えたから付けなくていいと言っているのに、ネネカ達はそっちのほうが通りが良いからと、未だに俺の奴隷であるとの刻印が入った白い首輪をつけている。

 ネネカは自らの首を締め付けていた奴隷の首輪を外すと、俺の上に覆いかぶさってきた。


「こんなものを女に付けた勇者様の責任ですよ。こんなことをされたら、もう私は勇者様のお手つきですよ。少なくとも周りからはそう思われます。男としては、その責任は取らないとイケませんわね?」

「うーん、それはな……」


 そう言われると弱い。ネネカ達をそうさせたのは、俺の都合だったからだ。

 でもその理屈で来られると困ってしまう。俺が奴隷の首輪を付けた女の子全員を相手にしてたら、俺が何人いても足りないんだけどね。


「なんだかんだ言って女が甘えてみせれば流されてくれるところは、昔と変わらずにお優しいですね」

「いや、甘えるというか、逃げられないようにされているんだけどな」


「フフッ、お慕いしてますわ、勇者様……」

「ネネカ……」


 ベッドの上に押し倒されて、ネネカの顔を近づけてくる。その吐息は甘く、興奮しているらしく耳たぶまで赤くなっていた。

 俺は、ネネカの熱意に押し切られて、そのまま唇を重ねる。さっき飲んだワインの味がした。


「勇者様にはふさわしくない女かもしれませんが、及ばずながら命をかけてお仕えしてきたのです」

「いや、ふさわしくないなんてことはないぞ」


「だったら、私だって一晩ぐらいご褒美をいただいてもいいのではないですか?」

「それはネネカが望むなら、構わないが……うん」


 不意にそう言ってしまってから、俺は構わないとここで言ってしまうのかと自分でも意外だった。

 オーケーを出してしまったようなものだ。


「嬉しい……ご褒美をいただいても、良いってことですね」

「ああ、それは、ネネカならうん……良いかな」


 浮気はいけないといいながら、ネネカの思いに応えて朝まで同衾してしまったのは、飲みなれぬ酒の勢いというわけでもない。

 きっと自分の中で、それを認める気持ちがあったからに違いない。


 長い付き合いでもあるし、ネネカならいいかなと思ってしまった。

 これまで、冗談めかして誘惑されることはあったが、単にからかっているだけかと思っていた。


 本気で迫られるほどネネカに好かれていたとは思わなかったが、自分でもどこかでこうなるような気もしていたのかもしれない。


 しかし、この世界の勇者というのはモテるのだな。

 これは、歴代の勇者にたくさん妻がいたというのは、当然かもしれない。

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