第167話「海賊砦」

 黒杉軍船の舳先に立つ俺の眼前には、白く濁った曇り空と黒く濁った海。

 どこまでも続く陰鬱なモノトーンの世界。


 大きく波打つ海原は、北に行けば行くほどに荒れ狂っている。

 吹き付ける冷たい潮風も、荒々しさをどんどんと増していく。


「王将、そんなところにいつまでも突っ立ってると風邪を引くぜ」

「ドレイク、海賊砦バッカーニアーズ・フォートというのは、まだ遠いのか」


 もう出港してから六日目だ。これでも北海の海路を熟知しているドレイクの指示に従っているから早いはずなんだが、いい加減うんざりとしてきた。

 たまに陸が見えたと思ったら、コケがまばらに生えた剥き出しの岩肌。海岸線に流木が転がっているだけの不毛地帯ツンドラである。世界の果てという言葉が、しっくりくる。


 バッカニアの海賊が隠れ住む貧しい土地は、樹木限界線を超えた寒冷地で、支配しようとする国家すら存在しない未開地だ。

 いや、正確にいえば『北の魔王』が治める魔族の土地である。ここはもはや人類世界ではない。無数にあるという魔素溜りから盛んに魔素が噴き出し、強大なモンスターが跳梁跋扈する魔界なのだ。


 カアラによると北の魔族は、人間にあまり関心を持っていないそうなので、スウェー半島の海岸線に植民地を作っても積極的に討伐される心配はないらしいが、それでも魔物の多い領域だ。

 スウェー半島の南の尖端、貴重な木材が取れる自治都市アスロのあたりならば、植民を試みる人たちも多く居るが、わざわざ北限の過酷な大地に住もうとする人間は存在しない。


 様々な理由で祖国から追われたならず者たちを除けば、である。

 ドレイクは、頬の白髭に手を当てて答える。


「距離的にはもう近くのはずだが、ここから先は暗礁海域だ。ぐるっと回り道をしなきゃフォートには近づけないぜ」

「そうなのか……」


 今回はシレジエ艦隊を連れてきていない。傷ついた艦隊は母港のドックで補修中である。

 迅速なる海賊砦バッカーニアーズ・フォート攻略を検討した結果、他の船を伴わず応急修理した黒杉軍船一隻で向かうことにしたのだ。


 俺は、ブリタニアンの『キングアーサー』がやったみたいに、格下の海賊相手に艦隊戦をやって平伏させればいいだろうというイメージを持っていたのだが、話はそうは簡単にはいかないらしい。


 北限の暗礁海域に潜むバッカニアの海賊は手強く、大きな船を主体にした艦隊で攻め寄せても、複雑な入江と立ちふさがる暗礁に守られている海賊砦に逃げ込まれたら近づけない。

 暗礁海域を熟知するドレイクなら、大型船舶でも海賊砦バッカーニアーズ・フォートの港に入港させてみせるとは言ったが、戦えるとは言わない。


 暗礁の狭い海路の中に引きずり込まれて座礁させられたら、いかに無敵の軍船といっても一巻の終わりである。

 暗礁海域の外で海賊を襲い続けて弱らせるという戦術もあるが、カスティリア海軍との戦争がある今、海賊と持久戦をやっている暇はない。


 砲艦外交以外の方法で、海賊を圧倒して服属させなければならないというわけだ。

 もちろん、誰がやるかと言えば俺がやるのである。


「難儀なことだなドレイク」

「ハハッ、期待してるぜぇ王将」


 戦う前から暗礁に乗り上げた感がある。潰しやすい海賊団は、ドレイクが無敵艦隊に敗北したあとで、すでにブリタニアン海軍に狩られてしまったと言えるかもしれない。

 後発組はいつも苦労させられるってわけだ。


 ここが思案のしどころだな。

 そう思って、海を眺めていると向こうから小型のガレー船団が現れた。


「おっ、ドレイクあれ海賊じゃないか。ようやく戦闘か」


 敵から動いてくれるとはありがたい。

 ずっと船の上で退屈していたのだ、腕が鳴る!


「待て待て、よく見ろ。あれは違う!」

「んっ、でもここいら辺に居る船って、海賊以外はありえないんじゃないか」


 近づいてくるガレー船は三隻だが、帆先にドクロマークの海賊旗ではなく、白旗が上がっている。

 白旗が降伏の合図であることは、世界共通である。


「もしかしたら、俺の元部下かもしれねぇ」

「なるほど、どちらにしても小型のガレー船なんて潰してもしょうがないか。コンタクトを取ってみよう」


 海賊砦の情報は欲しいところだ。

 なんだ戦闘じゃないのかとは思うけどな。俺はいいとしても、ルイーズとアレが力を持て余して、格闘をやりだして船を壊しそうな勢いで困っているのだ。


 接舷してみると、小型のガレー船はやけにオンボロだった。船体にもガタがきているし、小さな帆もボロボロである。

 乗り込んできた海賊たちは、この寒いのに粗末なボロボロの布をまとって、麻の袋を羽織って防寒具の代わりにしている。海賊というより漂流者の群れだ。しかも、皆痩せ衰えた白髪交じりの皺だらけの水夫である。


「ドレイク船長ぉぉ!」

「おおっ、お前らぁぁ!」


 甲板で、六年ぶりの感動の再会。

 このみすぼらしい海賊たちは、ドレイクの部下だった人たちらしい。


「それにしても酷い有様だなオメェら」

「砦にはもう、ろくに食べるものも着るものもないんでさぁ……」


「ドレイク、何はともあれ飯にしようぜ。みんなに食わせてやらんと」

「おおそうだな……」


 船の保存食と言えば、鉄のように硬くなったパンやビスケット。カチカチのチーズに塩漬けの肉と、キャベツぐらいのものだが、飢えてる連中にせめて温かい食い物を与えてやろうとスープを作ってやることにした。

 あとまともに使える具材といえば釣ったニシンぐらいか、これだけは上等品だ。


 魚も切身にして、みんな鍋にぶち込む。

 配膳されたあまり上等とは言えない食事でも、ドレイクの元部下たちは眼の色を変えて食べている。ボリュームさえあれば、何でもいいらしい。


 食事も済み、ようやく落ち着いたところで事情を聞くと、水夫たちは口々に海賊砦バッカーニアーズ・フォートの物資がすでに枯渇していることを訴えた。

 船の補修に使う材料がない、着るものも燃料にも事欠き、そして何よりも食べるものがない。


「なるほど、そういうことか」


 ゲルマニア帝国が敗北して崩壊した余波が、ここにも来ているのだ。北海に船が往来せず、スウェー半島の自治都市は飢餓状態に陥っていた。

 ということは、その輸送船を襲って生計を立てていた海賊たちも飢えていて当然だ。


 海賊砦バッカーニアーズ・フォートは、籠城戦をやるまえに、完全に干上がってしまってる。

 さてと、ここでこの状況をどう利用するかだな。


「海賊の頭が、ドレイク船長とシレジエの勇者様に会いたいと言っておりやす」

「そうか、じゃあ会おうか」


 何気なく俺がそう応じると、ドレイクは「直接、敵地に乗り込むのか?」とギョッとした。どうせ味方に付けたい相手なのだから、会わずにはおれまいよ。ドレイクも一蓮托生だ。

 なあに海賊と戦闘になっても、俺たちには頼もしい護衛がいるからな。


 俺は、後ろで言い争いをしながら取っ組み合いを続けているルイーズとアレに向かって微笑んだ。おいおい、でかい尻尾を振り回してマストを壊すな!

 むしろ早く戦闘になってくれないと、仲間内で潰し合いになってしまう。


     ※※※


 ドレイクの元部下の案内で、無事海賊砦に入港する。

 危険な暗礁海域を越えて、仄かに水平線の向こうに見える灯台の灯に誘われるように湾に入ると、そこは切り立った岸壁を繰り抜いたような洞穴だった。


 岩の洞穴の中に港がある。全体が大きな岩盤に囲まれて、天然の要塞となっている。そそり立ついわおが、まるで豊かな髭を蓄えた老海賊の顔のようにも見える。


「ドレイク、砦というよりは奇岩城って佇まいだな」

「ああ、帰ってきたんだなあぁ。全てが懐かしい……」


 実に六年ぶりの帰郷に、ドレイク提督は声を震わせていた。涙が溢れたのか、提督服の袖で盛んに片目を擦っていた。

 最果ての僻地だが、蛇行した入り江の内側にある海賊砦はかなりの良港である。鏡のように静まった水面に、百隻近い海賊船が停泊している。


 小型のコッグ船やガレー船が中心だが、大砲を載せて使えそうなバス級、キャラック級などの大型船舶もある。

 これだけの数の艦隊を全部味方に引き込むことができれば、無敵艦隊を相手にしても十分戦えるだろう。


 入港して街の中に入ると、俺は少し驚いた。海賊の要塞と見えたのは外見だけで、洞穴の中に入ってみるとやけに生活感にあふれている。

 建物の路地には一面に、洗濯物が干されたロープが張り巡らされて、疲れきった女たちが家事労働に従事している。ボロ着を身につけた痩せ衰えた子供たちが、石組みの小さな焚き火を囲んで震えている。


 およそ北海最強の海賊本拠地とは思えない。

 港に女子供が多く、海賊が少ないのはどうしてかと尋ねると、男たちは海に漁に行ったり肉を手に入れようとモンスターを狩って、少しでも食糧を手に入れようと懸命になっているそうだ。


 シレジエ保護領の輸送船は、大砲を載せた軍船で護衛されているし、ブリタニアン側などはブリタニアン海軍とカスティリア海軍が戦争状態にある。

 彼らの主要産業である海賊稼業は、とても出来ない状態なのだろう。


 彼らの蔑称は、燻製肉野郎バッカニアである。北海の岸壁に張り付くように住み、モンスターの肉を食ってでも生き残ろうとする強さを持った連中。いや、サバイバーであることを強いられている海賊といえる。

 俺も、ルイーズも、モンスターを食う。新鮮なら内臓まで食らうほどだが、子供がひもじげにしゃぶっている燻製肉を見てため息が出た。緑色のゴブリンの肉をそのまま食っているのだ。


 モンスターを食うと言っても、筋が多く硬いゴブリンの肉など食えたものではない。毒はないから食えないことはないが、ゴブリンの肉などうちでは石鹸の材料に僅かな脂を絞ってあとは畑の肥料に撒くもので、家畜ですら見向きもしないマズイ肉なのだ。

 美味い肉となるモンスターが取れないのだろう。土地が痩せているのだから肥えたモンスターも家畜も居ないのも道理だった。あらゆる意味で、この北の大地は厳しい。


「炊き出しが必要だな」


 こちらの食糧だって潤沢とは言わないが、俺の船はいざとなれば空も飛べるアレが怪力を振るい、カアラが魔法を使って魚を獲ってきてくれるから、母港に戻るぐらいの航海なら飢える心配はないだろう。

 港で大鍋を借りて、船の食糧を使って炊き出しをすることにした。


 みんなお腹が空いていたのだろう。立ち上る美味しそうな匂いにすぐに群がってきた。いきなり来た見知らぬ俺たちが作るスープでも、喜んで食べている。

 少しでも心象を良くしようという打算もあったが、たとえ海賊とはいえ飢えてる子供を放っておけない。


 炊き出しのスープもあらかた行き渡り、俺も一杯もらおうかと鍋のところまで行くと。

 鍋を囲んでいる下働きの女の中から、一人の女性が進み出た。


 下女を代表して、炊き出しのお礼でも言ってくれるのかなと思えば。

 顰めっ面で「クソマズイ飯だなぁ、おい!」と、いきなり吐き捨てられたのでびっくりさせられる。


 俺が目を丸くしていると、赤や黄色のボロ布を身にまとった薄汚くみすぼらしい下女は薄汚れた頭巾を外して酷薄そうな笑みを浮かべた。

 尖った八重歯を剥き出しにして、俺にいきなり手を差し伸べてくる。


「あたしはメアリード・リバタニア。ここの海賊の頭目だ!」

「えっ、どういうことだ」


 港の下女にいきなり頭目とか言われても……俺は、意表を突かれて言葉に詰まった。


 ああっ握手かと思って、慌てて差し出された手を握ると、思ったよりも温かく肌は柔らかい。なるほど、水仕事でザラザラとなった下働きの女の手ではない。

 海賊の頭目メアリードの、この薄汚れた身なりは変装だったということなのだ。傍らの子供たちが、濡らした布巾でメアリードの顔の泥を丁寧に落とした。


 薄汚れた泥化粧が落ちて、綺麗になったメアリードは少しウエーブのかかった黒髪で蒼い瞳のとても美しい顔立ちであったが、左右の頬にまるで鉤爪で引っ掻いたような三本の大きな傷があった。青く走る痛々しい傷跡は、刺青タトゥーのようにも見える。

 子供たちが赤い天鵞絨ビロードの外套を恭しく掲げて、メアリードの背中に被せた。


 美しく端正な相貌に、それを台無しにする醜い刺青。なるほど、こうして改めて見ると海賊の頭目らしい風貌である。

 なぜ先ほどまで、下女に紛れてメアリードが居ることに気が付かないかったのかと思うほどの存在感。


 気配を殺して相手に近づく術を持っている、ということなのだろう。


「あんたたちが、上陸して何をやらかすのか監視してたんだよ。まさか、炊き出しとはね。勇者ってのはそういうものなのかい……」


 油断なく睨みつけてくる眼を細めて、メアリードはそうつぶやく。

 一瞬だけ俺から目を伏せて、フンッと鼻で笑ってから続ける。


「変な真似でもしたら、すぐにでも囲んで打ち殺してやろうかと思ったが、子供に飯を食わせてくれる人間に悪いことはできないね」


 囲んで打ち殺してやろうとは、ブラフではないと示すように。

 メアリードの合図で、砂袋や木材など武器になりそうなものを下女や子供たちが持ち上げた。

 全くの無防備というわけではなかったらしい。

 脅威というよりは、むしろ痛々しい感じだが、女子供に攻撃されたら厄介なことにはなっていただろう。


「俺は、海賊と争う気はない」

「分かってるよ、あたしたちを仲間にしたいとは聞いているが、協力するつもりは毛頭ない。あたしは、王族貴族って連中が大嫌いなんだっ!」


「ふむ、俺も嫌われてるのか」

「シレジエの勇者さんよ、あんただって変わらない! あたしたちと争う気がなくても、どうせあたしたちを戦争に駆り出そうとするつもりだろう。困ったところを助けてくれるのは見せかけの優しさだ。安い恩を売った代わりに、命まで捧げて殺し合えと命じる、王様なんてクソ野郎どもはどこに行ったってそんなもんさ」


 そう言われて、俺は肩をすくめた。平静を装ったが、内心で激しく動揺して心が揺れた。

 メアリードの指摘は、まさに図星だったからだ。


 海賊なんて血の気の有り余った物騒な無法者なのだから、そのまま戦争に使い潰せればいいとすら思っていた。それは俺の本音だ。

 しかし、実際にこうして海賊砦バッカーニアーズ・フォートに来てみれば、居るのは痩せ衰えた子供や薄汚れた女、そうしてドレイクの元部下たちのような老いた船員たちである。


 燻製肉野郎バッカニアの民は、貧しい土地に生きる不幸な人々なのだ。

 そのあまりにも過酷な環境から、モンスターの血肉を喰らい、奪うことでしか生きられないだけで、自ら戦に身を投じる好戦的な傭兵のように争い殺し合うことを望んでいるわけではない。


 いや、それを言えば俺だって、本当は好んで戦争をしているわけではないと言い訳したくなる。

 国家の外交上の目的を達するために、戦争に勝たなければならないのだ。攻め寄せてきたカスティリアの海軍を北海から追い返し、セイレーン海の制海権を手に入れる。それは何も、個人的欲望のためではない。


 そうしなければ、民の貧しさは解消されないからだ。国を治める王様も、海賊の頭目となったメアリードも、本当に目指すところは同じのはずだ。

 それを説明しても、おそらく聞いてはもらえまい。


 様々な理由で国から弾き飛ばされてこんな不毛の地に追いやられた彼らにそれを言っても、言葉の無力さを知るだけだろう。

 言葉だけでは、このツンドラの大地のように凍てついた心は溶けない。


「わかった、メアリード・リバタニア。とりあえず、困窮しているから俺を迎え入れてくれたのだろう。ここの食糧問題、俺が解決してみせようじゃないか! 協力してくれるかどうかは、その後に聞かせてくれればいい」


 そう宣言する俺を、メアリードは訝しげに見つめていた。いきなり来た男が何を言うかと思われてもしかたがないだろう。

 塗炭の苦しみを経験して、頑なになっている人々に理を説いても意味はない。言葉ではなく、腹を満たしてやらなければ。そのためには、船一隻の食糧ではとても足りない。


 まずは、獲物を狩ることだ。ユーラ大陸から悠長に食糧を運んでいる暇はないから、この場で、食糧資源となる獲物を見つけて、彼らの生活を早急に改善する。

 そうして、まずは俺の為政者としての力を見せる。


 そうしなければ、話すら聞いてもらえまい。

 戦争をやるつもりが、モンスター狩りになってしまったが、こちらのほうがずっと勇者らしいではないか。俺はそう思い、腰の魔法剣を確かめた。


 人類世界の向こう側、北限の魔界。どのようなモンスターが出るのか、恐ろしい気はするが血がたぎりもする。

 敵とはいえ人間同士が殺し合う戦争より、俺はこっちのほうが性に合ってるとすら思うのだ。

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