第168話「極限の地のサバイバル」

「また、ゴブリンの群れか」


 たった十数匹のゴブリンの群れごとき、俺一人でも蹴散らせるぐらいだ。

 増してこちらは、地上最強生物たる竜乙女に『万剣』のルイーズ、上級魔術師カアラに百名を超える海兵隊(五門の青銅砲付き)を引き連れているのである。戦闘自体に、問題はまったくない。


 先ほどからエンカウントするモンスターと言えば、食料資源とならないゴブリンばかりでウンザリする。もう緑の小鬼は顔も見たくない。オークとは言わないから、せめてワーウルフかコボルトでも出てきてくれれば、ゴブリン肉よりはだいぶとマシなのに。

 まあ、オークの群れが居ないのは当然なのだ。いかに魔素の影響力が強い北限の魔界とはいえ、豊かな肉質を誇るモンスターは温暖な地でしか繁殖できない。


 結果として、煮ても焼いても食えない(ことはないが、硬くてマズくて栄養価も低い)ゴブリンなどの下級モンスターしか生息していない地域が出来上がるわけである。

 おまけに海賊砦バッカニアーズ・フォートを内陸部に向けて出発してから、程なくして降りかかった雪は、すぐに吹雪となり岩肌に降り積もり氷原に姿を変えた。


「ああっ……。寒いしゴブリンしか出ねぇし、寒いしゴブリンしか出ねぇし……」


 それなりに肉体が強化されてる俺でも寒くてたまらないのだから、こんな強行軍が長引くと兵士たちが持たない。

 降り止まぬ雪と凍てつく大地は、慣れていない一行の体力を容赦なく削っていく。


 もちろん、今回の北海行きに対してはできる限りの防寒対策はしてきた。

 兵士はみんな毛皮の帽子と分厚いコートと長靴で身を固めている。手袋と足袋も大量に用意した。野営も考慮にいれて、防寒対策を施した皮の厚いテントと毛布もこれでもかとばかりにソリに積み上げて運んでいる。


 海賊の頭目、メアリードは大きなソリを十台も貸してくれた。おそらく、このソリ一杯に食糧を狩ってきて見せろという挑戦である。

 これでソリを引っ張る犬でもいれば馬車の代わりにでもなるのだが、人間が寄ってたかって押したり引いたりして運ぶのである。


 もちろん俺も引っ張るのに参加した。肩に食い込む縄はキツイが、こうやって身体を動かしていたほうが何かと気が紛れる。

 不毛地帯ツンドラは体力的にも過酷だが、何よりも精神的にキツイ。


 なんと言ったらいいのかな。

 どこまでも灰色に曇った空から放射状に吹き付ける雪を受け、ゴツゴツした黒い岩と白い雪が入り混じった灰色の大地が延々と続く道を歩き続けていると、永久ループにハマったような徒労感に襲われる。

 端的に言えば、かなり気が滅入ってくるのだ。


「なあ、カアラ。本当にこっちであってるのか」


 魔界の地に足を踏み入れるに当って、我々の水先案内人は魔族のカアラしかいない。

 魔素の流れが感じられる彼女は、必ず食糧資源を見つけると豪語した。その言葉を信じるしかないのである。


「ここは、魔族にとっては豊かな土地なんです。食糧になり得るモンスターは、強い魔素が出ている先に必ず居ます」

「あとどのくらいか分かると、助かるんだがなあ」


 まだ旅立ってから一日目だが、平坦だった道の傾斜がだんだんとキツくなり山路に入ったとなると、黙って看過はできない。平地用のソリであるため、山道となると引っ張るにも人員を増やす必要がある。

 あまり長く無理な行進を続けると、遭難して『八甲田山死の彷徨』のようになってしまう可能性もある。


 八甲田雪中行軍遭難事件は、俺が生まれるより百年も昔の明治の頃の話だが、世界最大級の山岳遭難事故として有名だ。

 こうしてツンドラが続く山道をソリを引いて登っていると、その戦訓が想起されてならない。雪道に慣れない部隊が、冬季訓練を行い全滅に近い被害を出したのだ。


 足の指を油紙で巻き、唐辛子をまぶし、靴下を三枚重ねて履く。吹雪が強くなれば、はぐれないように身体を麻縄でくくりつけて行進する。こういう対策を怠った部隊は全滅したと聞けば、必死にもなる。

 しかも、こんなコンディション下でも、ゴブリンの群れは容赦なく襲いかかってくるのだからある意味ではこっちのほうが厳しいかもしれない。


 雪山でも平然と暴れ回るアレやルイーズがいなかったら、どうなっていたか分からない。

 そういえば、汗をかくのも身体が冷えるからマズイのだったと思い出す。濡れても、予備の下着、手袋、足袋は用意してあるので早めに交換させよう。


 慣れない雪道だから休憩は多めに取るべきだ。

 俺は、早めにみんなに声をかけて、休ませるようにした。


「国父様、この先に天然の洞窟がありますから、そこで休憩されてはいかがですか」

「助かった……」


 飛べるために斥候に出ていてくれた、カアラの案内で洞窟に駆け込む。寒さに強い魔族の彼女は、黒ローブの下は水着のような下着を付けているだけなのにピンピンしている。むしろ、魔素の影響か青い肌は艶やかさを増しているほどだ。

 本当に、魔族って元気で羨ましい。


 洞窟が見つかったのは幸運だった。

 雪が降っているといっても、たいして積もってもいないツンドラの地面は凍てついた岩肌である。雪深いよりはアイスバーンのほうが、まだ歩きやすくはあるが、深く雪壕を掘って露営地にできる雪山よりツンドラの大地のほうが厳しい面もあるのだ。


 吹雪く中で、凍てつく岩の上でテントを張ることを考えれば、屋根のある洞窟は絶好の野営場である。

 入ってみるとかなり奥が深く、百人を超える部隊も十分に収容可能。天然の洞穴といっても、しっかりしていて落盤の危険もなさそうだった。


「ちょっと早いが、見知らぬ土地で無理をしてもしょうがない。今日はここでキャンプを張るぞ」

「なあ、タケル。この奥……どこまで行っても洞穴がずっと続いているんだが、ここってダンジョンじゃないのか?」


 念のために洞窟の奥を見てくると松明を片手に持って斥候に立ったルイーズが、引き返して来て俺にそう報告した。

 俺に訊かれても、この洞窟のことなんか知らないからなんとも言えない。


「どうなんだカアラ」

「そうですね、ダンジョンと言っても、人工物であるとはとても思えませんが……」


 ゴツゴツとした岩穴がずっと奥まで続いている。洞窟といえば鍾乳洞しょうにゅうどうをまず想像するが、これは溶岩洞ようがんどうだと思う。

 噴火で、灼熱に焼けた溶岩が通った後がこうして大穴となって残るのだ。この山も火山活動で出来たのだろう。


 魔素溜りがあるポイントは、なぜか山が多く火山活動が活発な地帯であることが多い。地中から吹き出す魔素とマグマ、何らかの因果関係があるのかないのか、前にライル先生に聞いたことがあったがわからないと言っていた。

 地中から吹き出すという意味で似ているから、何かは関連があるのかもしれない。


「天然の洞穴に、モンスターが住み着いてダンジョン化することはあるよな」

「うーん、そうですねそういうこともあります。普通は自然の洞窟って、虫とかコウモリとかが生息しているものです。モンスターが住んでいる場合も多いですが、国父様がおっしゃるのとは逆に、ここには生息する生き物の気配がまったくありませんよ」


「生き物がまったく居ないって、それはそれで怖いじゃないか」

「タケル、やっぱり私がもう一度調べて来ようか」


「人間の騎士は頼りにならないのダ、今度は私が行ってみるゾ」

「誰が頼りにならないだってっ!」


 またアレとルイーズが性懲りもなく言い争っているが、むしろ日常的でホッとする。

 生き物が死に絶えている穴……あからさまに不気味だ。極寒の地でホラーとか、どんだけ凍えさせたいんだよ。


 吹雪いている外に比べれば、格段と過ごしやすい環境なのになぜこの洞穴には生き物がいないのだろう。これは、洒落にならんよな。

 ゴブリンでも住んでいてくれたほうが、まだ安心できる。


「まあ二人とも待て、兵士に休憩をさせるほうが先だ。十分に休憩を取らせてから、みんなで一番奥まで確認してみよう」


 俺の心のフラグ探知機が、けたたましい警戒音を鳴らしている。このパターンは、レッドに近いイエロー、おそらく何かが起こる。

 確認しないことには怖くて眠れないが、かと言ってすぐに騒いで調べると、藪をつついて蛇を出すことになりかねない。タイミングが大事だ。


 十分に休憩を取らせてから、兵士たちには警戒を促して、灯りを絶やさず、洞穴の内側に向かって大砲を撃てる準備をさせておく。しかるのち、俺とアレとルイーズとカアラの精鋭パーティーで洞窟の最奥に向かって突入する。

 よし、この段取りでいこう。


 じっくりと準備を整えてから、俺たちは洞穴の奥へと降りていく。

 横型の洞穴かと思ったらドンドンと勾配がキツくなって斜め下へと延々と続いているのだ。おそらく、それが噴きだした溶岩が流れたルートだから自然ではあるのだが、地の底までも続くような縦穴に変化しつつあるのは、これも危険信号だ。


「ちょっと、竜乙女あんまりこっちにくるな、先頭は私だ」

「なんだ、人間の騎士。そっちが通行の邪魔なんだゾ」


 先頭を争って肩肘を張り合い、寄ると触ると小突き合っているアレとルイーズは元気なものだが、和んでいる場合でもない。

 十キロほども行った辺りで、この洞穴は永久に続いているのではないかと不安になってきた。


 酷幻想の地の底といえば、ヤバイ連中がウヨウヨしている危険地帯であったことを思い出してしまった。

 もうだいぶ前のことだが、カアラが『魔界の門』封印のときに言っていたじゃないか。地下百階層にある伝説の『想像を絶する異界』とやらにでもこの穴がぶち当たったら大変なことになるぞ。


 そんな危惧を抱いていると、当のカアラが俺の手をギュッと掴んで耳元に唇を寄せて囁きかけてきた。

 フザケて誘惑してきているのなら笑えるのだが、カアラの目は真剣だ。


「あの国父様、緊急に申し述べておきたいことがあるんですが」

「なんだ鬼が出るか蛇が出るかってときに……悪い話なら聞きたくないんだが」


「あのですね、私は前にこの地は北の魔王様が治める魔界の地だと言いましたが、それは正確な言い方ではありません」

「どういうことだ」


「北の魔王様は、北極の氷河城クロウカシスシュロスに居られるだけで、ほとんど表には出てこないんです」

「なんだ、引きこもりなのか」


 どこぞのカスティリアの書斎王と一緒だな。


「そうではなくて、この北限の地でまともに領地経営をしてみようと努力した先代の魔王様が散々と嫌な目にあって亡くなられたそうで、当代の魔王様はもう北限の統治を完全に諦めて居られるそうです。それで、外界のことに関わりたくなくて、居留守を使うようになってるんですよ」

「どういうことだ、ここは魔族が住んでる土地なんだろう。無法地帯になってるってことなのか?」


 俺がそう尋ねると、カアラが首を傾げる。


「どう言ったらいいのか、たしかに魔族は住んでおります。敵対してる人間に向けては、ここは魔界だということになっております。しかし、事実上今の北の大地の大部分が、魔族が治める魔界ではなく……異界になってるんです」

「異界って、嫌な言葉が出てきたな。あれか異界ってのは、地下深くからやって来る『古き者』がウヨウヨしてる世界か」


「その通りです。『古き者』様方がお住まいになっているのはあくまで地中深くですが、ここは噴きだす魔素に乗って、たまにご出現遊ばされるのです。そうなると、古龍エンシェントドラゴンでも尻尾を巻いて逃げ出します」

「自然災害みたいだな……」


「スウェー半島はまだ魔素溜りの影響は弱くて、危険はないかと思ったのですが、この洞窟に入ったのはマズかったかもしれません。いざとなったら、国父様だけでも逃げてくださいと、先に断っておきたいと思いました」

「それは、嫌な予感がするってことなんだな」


 コクンと頷く。

 カアラは冗談で言ってるわけではなく、マジな顔でそう言ったのだった。心なしか青い顔が、さらに白くなっている。それでも血の気のない薄桃色の唇は、儚げに微笑む。


「魔素の流れをたどってここまでやって来ましたが、この先から感じる力は大きすぎます。魔素溜りがないのに、魔素溜りに匹敵するほどのプレッシャーです」

「それだけの何かが、この先に居るってことか」


「国父様は、お強くなられて気が大きくなっておられると思うのですが、神の加護を受けた勇者であろうが、半竜神たる竜乙女だろうが、どうにもできない存在が異界にはおわします。もしそんな強敵が現れたら、アタシは国父様を連れて全力で逃げます」

「逃げられない場合も、考えておいたほうがいいぞ」


 俺が知っている『古き者』といえば、あの触手女だが。

 逃げようとして、逃がしてくれるような甘っちょろい相手ではなかった。あの意図というものがはなっから存在しない触手の群れに一度絡め取られてしまったら、抜け出せる人間はいない。気が済むまで、嬲り続けられるのが落ちだ。


「国父様のお命が危機に晒された場合は、アタシが全力で盾になります。もともと国父様に助けられた命です。たとえご命令に背くことになろうとも『魔王呪隷契約』破りで爆散して死んでも守ります。だからアタシの犠牲を無駄にしないでくださいと、あらかじめ申し述べておきます」

「なあカアラ、こういういかにもな場所で、悲壮な覚悟を宣言してしまうとな……『噂をすれば影が射す』ってことわざを知ってるか」


 ほら見ろ、出てきちゃったじゃないか。フラグについて、カアラによく教えておくべきだった。

 ここを生き延びたら、そうすることにしよう。


 カアラが飛ばしている、灯りの魔法が照らす洞窟の奥底。

 その突き当りに忽然こつぜんと姿を現したのは、見まごうこと無く『古き者』だった。


 しかも、俺が以前から見知った顔だった。

 つまり、触手お姉さん再び、である……。

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