第150話「王都奇襲のために」

 シレジエの王領を、王都シレジエに向かって進軍しながら、魔術師将軍レブナント・アリマーは悪魔的な笑みを浮かべていた。

 いつもは紳士然として、垂らした前髪をかき上げて澄ましている彼だが、今日はもう地が出てしまっている。


 心の底からの笑いを堪えられないと、ニタニタしている。

 シレジエ王軍の動きに隙ができているのだ。


 おそらく西岸の岸壁から陽動部隊が攻勢を仕掛けた先で、シレジエの軍師ライル・ラエルティオスが倒れたせいだろう。

 そのライルを見舞いに、王都から王将軍佐渡タケルが飛んだと、先行して王都に潜ませておいた密偵からの報告があった。


 好機である。

 これで、王都を攻める準備は整った。


 シレジエ王軍はあらかた陽動に引っかかって散ったし、王将軍まで居なくなったとなれば、空になった王都を襲撃するのは容易い。


 魔術師将軍レブナントの旗下には、人間の騎士隊が千人、爬虫類人の傭兵が千匹。計二千の兵。一国の王都を攻めるには、寡兵と言える。

 この数では王都を攻め落として占領するのは無理だ。シレジエの名軍師の布陣を相手に、陽動作戦を重ねたために、兵力の分散は致し方ない。


 いや、むしろ襲撃なら少数精鋭の方が迅速に動けて良いと判断して、レブナントはあえて強襲に、この少数精鋭の編成を選んだ。

 王都を攻め落とす必要はない。


 シレジエの勇者、佐渡タケルを殺害する。

 あるいはシレジエの女王とゲルマニアの旧皇族を上手く捕縛してから引き返し、カスティリアの艦隊までたどり着けば、この戦争はこちらの勝利。


 王都の眼前までいくまでは、貴重な兵力を無駄に減らさずに済む。

 何故なら、我々を先導しているのは、カスティリアの王宮魔術師である『魅惑』のセレスティナ・セイレーンなのだ。


 眼前に立ちふさがる敵軍は、セレスティナが繰り出す魅惑ファンネーションの魔法で骨抜きにされている。

 王都シレジエまで行けば、おそらくディスペル・マジックを得意な上級魔術師が出てくるので、無効化されてしまうだろうが、そこまでは無人の野を行くがごとき進軍である。


 この王都襲撃の特別部隊には、カスティリア王国が誇る三人の上級魔術師の内、二人が居るわけだ。

 先のセイレーン海戦で、壊滅的打撃を受けてもなお、牽制攻撃を仕掛けてくるブリタニアン海軍への対応に上級魔術師一人を無敵艦隊に残しているが、残りの力は全てこちらに注いでいる。


 そうして、拳奴皇軍からは皇帝であり、地上最強の拳闘士であるダイソン自らが参加している。側近の兵も多少連れているが、彼の圧倒的な個の力の前には居るも居ないも同じだ。

 ダイソンの目的はゲルマニア旧皇族の奪還であろうが、せっかくだからシレジエの勇者を倒してもらえればありがたい。


 なにせこっちの手駒である最強の武闘家は、勇者崇拝者。勇者とは直接戦いたくないと駄々をこねているからしょうがない。

 最強の種族である竜乙女ドラゴンメイドの王女とはいえ、所詮は十六の小娘。扱いには苦労させられる。


 勇者崇拝者をシレジエの勇者と会わせるのはやや危険かとも思うが、ここが決戦だ。扱いにくいピースでも使わないことには、完全性に欠ける。

 味方に多大な犠牲を払って、ユーラ大陸の各地で戦争を巻き起こしたのは、この王都シレジエへの奇襲作戦のためだったのだから、この戦いだけは絶対に負けられない。


 あのシレジエの勇者を罠にかけて殺せれば、魔術師将軍レブナントの名は、ユーラ大陸中に響き渡る伝説となるだろう。

 レブナントとは違い、作戦自体を立案した書斎王フィルディナント陛下は、必ずしも作戦目標にシレジエの勇者、佐渡タケルの殺害を置いていない。


 置いては居ないが、シレジエの勇者をおびき出して殺したいとレブナントは望んだ。そこら辺は、前線指揮官の自由裁量である。

 人質を利用する卑怯なやり方でシレジエの勇者を殺した、なんて悪名がとどろくのも愉快ではないか。


「クックッ……皆に誹謗され、罵られるのを想像するだに萌えるぞ。勇者殺しのレブナント、たまらないなあ」


 不在なのはチャンスと思ったが、そうであれば王将軍には王都に戻ってもらわなければ面白くないなあと、レブナントは思う。

 そうでなければ、人質を利用するチャンスがないかもしれない。愛妾を人質に取られて、あのシレジエの勇者がどんな対応をするか、ぜひ見てみたいのだ。


 とりあえず、人質は皇孫女の交換を提案する。これは、そう言っておかないとダイソンが人質作戦に納得しないからで本当の目的は違う。

 まさか、皇孫女をよこしはしまい。断ってくるだろうから、それなら勇者が一人で受け取りにこいと言ってやるのだ。


 女を見捨てるか、それとも本当に一人で来て助けようとするか。

 まんまとおびき出されて来たら、そのときは勇者を惨たらしく殺してやろう。サラを見捨てたら、それもよし。勇者の目の前で、自らの愛妾がもだえ苦しみながら死ぬさまを、たっぷりと見せつけてやる。


 サラが悶え苦しんで死ぬさまを想像しながら、縛られている彼女の顔をじっくりと視姦していると、ペッと唾をレブナントの顔に向かって吐いてきた。

 おそらくレブナントに吐きかけてやろうと、サラは口の中で唾を溜めて準備していたのだろう。粘り気も量も十分な唾液を顔に浴びても、レブナントは拭こうともせずニタニタ笑いも止めなかった。


「レブナント……。あいかわらず、死ぬほど不愉快で気持ち悪い顔ね。あんたみたいなの生理的に大嫌いだわ」

「クックックッ、お褒めにあずかり光栄ですなあ、サラ代将閣下」


 大きな馬車の中で、ロープで腰をグルグル巻きにされて手鎖までかけられても、サラは目の前の敵将レブナントに罵倒して、唾まで飛ばしてくる。

 格を重んじる騎士や貴族であれば、こんな農民の娘っ子が代将などと呼ばれているのはそれこそ唾棄すべきだろうが、レブナントにとってはどうでもいいことだ。


 なにせ、今や書斎王直属の謀将であり、今回の王都強襲作戦の指揮を執るレブナントも、貴族ではなく上級魔術師である。

 魔術師や農民の娘が、能力さえあれば簡単に将軍に成れてしまう。面白い時代が来たと思うだけだ。


「褒めてなんか居ないわよ、女の子を人質なんかにとって、恥ずかしくないのかって言ってるのよ!」

「ああっ、たまりませんなあ」


「何よこいつ、罵倒されて喜んでるの? ……キモッ」

「アハハハハッ、何とでもおっしゃい」


 気丈なサラも、罵倒されて喜ぶレブナントにかかっては、愛らしい子供にすぎない。

 むしろ、罵りならどんと来いである。唾棄まで飛ばしてくれるなんてご褒美だ。


 人質に取った娘っ子に、卑怯者と罵倒される。レブナントが抱いていた理想のシチュエーションであり、ちょっとイッてしまいそうだ。

 この折れることを知らぬ、サラという少女の気の強さは本当に良い。この子の目の前で、卑劣な手段を用いてシレジエの勇者を殺せば、どんな面罵が待っているか、想像するだけでたまらない。


「うあーもう!」と、レブナントは叫んだ。嬉しくて、嬉しくて。

 楽しくて、楽しくて、楽しくて。踊りだしたい気分だった。いやもうこれは、感極まって踊ってしまう。


     ※※※


「そんなに、はしゃいでると、また馬車から落ちるゾ」


 馬車に揺られながら、言葉少なに鋭い爪をヤスリで磨いている竜乙女ドラゴンメイドのアレが、呆れたように声をかけた。

 実際に、さっきサラに罵倒され続けたレブナントが、はしゃぎすぎて馬車から落ちたのだ。後続の馬車の車輪に、思いっきり轢かれてしまった。


 ボロボロになって戻ってきたレブナントは、やけに嬉しそうだったので、もう放っとけとも思うのだが。

 この変態に使う回復ポーションがもったいないので、仕方なく声をかけてやる。


「これはこれは、私としたことが我を忘れて申し訳ありません」

「……バカが」


 レブナントは、アレにまで軽く罵倒されたことに喜んで、またはしゃいでいる。本当にこいつはどうしようもない。いい大人の癖に、構って欲しい子供のようなものなのだろうかと、被虐癖という厄介なものを知らないアレは思う。

 もちろん、レブナントは子供ではないので、構って欲しがっているのだとしても可愛くはない。アレは、ウザい男だと思って呆れるだけだ。味方で無ければ、一思いに殺しているかもしれない。


 そうだ、味方で無ければと言えば、同じ馬車に乗り込んでいる男。拳奴皇ダイソンと言ったか、身の丈二メートル五十センチもある筋骨隆々とした大男だ。

 一目見ただけで、こいつは別格だと分かった。ゲルマニアの皇帝であり、拳闘士なのだという。


 人間でありながら、いや人間だからこそか。ここまでの闘気を漂わせているのは凄まじい。ただの人間が、どんな修行をして、どれほどの敵を屠ってくればこうなるのか。

 むしろ、同族に近い凶暴な練気オーラを感じる。それでいて、アレの同族以上に静かで隙がない。


 アレがアフリ大陸のランゴ島を出て、遥々とユーラ大陸まで来たのは、広い世界を見てみたいという理由もあったが、強い婿を探すのも理由だ。

 同質の練気を漂わせる、このダイソンならばつがっても強い子が産まれるだろう。


 婿に持って来いの男だとも思うのだが、何となくそんな気にはなれない。

 むしろ、一人の武闘家として手合わせしてみたいと感じるタイプの男だった。


 味方として出会ってしまったのが残念だ。安易に手合わせしようなど言える相手ではない。

 もし、空気が揺らめいて見えるほど凶暴な殺気を発しているこの男と戦いになれば、向こうは必ずや殺しにかかってくる。


 アレも手加減できず、確実に殺しあいになる。一度でも拳を合わせてしまったら、もう殺すしかなくなる。だから残念。

 殺気にも似たアレの熱い視線を浴びても、ダイソンはフンッと鼻で笑うだけだ。


 女としても、格闘家としても、ダイソンはアレに興味が無いらしい。

 だから余計に残念に思う。


「しかし、アレ客将。大丈夫なのでしょうな」

「なんだ、大丈夫とは」


 急にレブナントが、真面目な顔でそういう。

 ふざけて子供のように笑い転げていたかと思えば、急に気を研ぎ澄ませて鋭い質問を投げかけてくるので、油断ならぬ男だとは思う。


 上級魔術師というのは、こういう生き物なのか。

 格闘家であるアレやダイソンとは、生き物としてのジャンルが違うが、狡知に長け強大な魔法力を誇るレブナントもまた強者であり、その能力自体は認めている。


「今度は、シレジエの勇者との戦いとなります。まさか、土壇場で裏切るような真似は致しますまいな」

「シツコイ。私は勇者とは戦わない。だがそれ以外の奴らとなら、戦っても良いと言っている」


 ランゴ島とは友好的な関係を結び、アレをここまで連れてきてくれたカスティリア王国には恩がある。だが、かつてランゴ島を救ってくれた勇者にも恩義があるのだ。

 もちろんシレジエの勇者と、古の時代にランゴ島を救った勇者とは、全く別人なのは知っている。しかし、アレたち竜乙女ドラゴンメイドは、女王と古の勇者との子孫でもある。


 半分は古の竜神の血を、半分はアーサマに作られた人間の血を引いている竜乙女たちにとって、アーサマ信仰よりも勇者伝説のほうが、彼女たちを人間世界の側に引き止めている理由であったりする。

 伝説の勇者と聞けば、竜乙女にとっては心躍る、憧れの対象なのだ。


 伝説の勇者とは違うと分かっていても、直接戦おうとは思えなかった。いや戦えるとは思わない。きっと攻撃する気にはならないだろう。勇者に逆らわぬのは、竜乙女の本能である。

 しかし、その姿を見てみたいという欲望を抑え切れない。


 敵の立場でもかまうものか、伝説の勇者のいくさを見てみたい。

 だってすごく面白いから。例えばと、そこの金髪の少女に目を向ける。


「あんた達なんか、タケルに全員ぶっ殺されるわよ、あんたたちは全員死ぬのよ!」

「そうか、楽しみダナ」


 勇者の愛妾という、ちびっこい金髪の少女が叫んだので、アレはせせら笑った。

 身体の自由を奪われて、拳奴皇ダイソンやアレなどの格闘家の殺気に当てられて、レブナントのようなイヤラシイ男に散々嫌味を言われて、それでもなおか細い声で、吠えてみせる。


 大の大人でも、なかなかできることではない。

 アレの爪の先で弾いてやっただけで、簡単に死ぬような小さくて弱い少女が、これほどの気を吐くのだ。しかも、捕らわれてから今までずっと叫び続けている。


 意志が強くて弁がよく立つ。たとえ、か弱い少女の身に宿った魂でも、これも一つの強さの形であろうと、しばらく一緒に旅をして、認める気になっていた。

 ランゴ島を出てきて、本当に良かった。いろんな形の強さが見られる、アレの見聞は広まっていく。


 愛妾の少女ごときが、これほど強い気を持っているのだ。シレジエの勇者と、それに従う猛者たちの力は、どれほどのものだろう。

 今からワクワクして、アレは浮き立つ気持ちを抑え切れないでいた。

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