第140話「日和見のザワーハルト」

 ドット男爵領。イエ山脈のちょうど西の真横。北の王領と東のエスト侯爵領。そして、南のブルグンド侯爵領に挟まれた、三角形の猫の額ほどの土地である。

 街といえるほど人も住んでおらず、農村が幾つかあるだけの小領地。


 それでも南部貴族連合が、シレジエ王国のはらわたであるエスト侯爵領を侵略しようと考えると、必ず通らなければならない道だった。

 そこに、『ゲイルの三日天下』と言われたクーデター軍の長であった男が、手ずから築き上げたドットの城が立っていることで、一気にこの戦いでの重要な戦術拠点へと変わった。


「こんな田舎まで来て、またキャスティングボードを握ってしまうとは、俺はつくづくと悪運の強い男と見えるな」


 石城の窓から、のどかな領地の風景を見下ろすと、ザワーハルト男爵は嘆息した。

 この城と、第三兵団の千人ほどの兵士。どちらに売りつけるかと悩んだ末に、南部貴族連合に内応しようとようやく決めた。


 なんてことはない、反旗を翻した南部貴族連合の方が、先にこのドットの城まで攻め寄せようとしているからだ。

 たった千人の兵で、その三倍を超える地方貴族軍の相手はしたくない。それに、地方貴族軍を率いるピピン侯爵は、味方すれば俺を伯爵にしてくれると言ってくれている。悪くない話だ。


 見たところ、王軍の方の展開は遅く、集結に時間がかかっているらしい。

 この場は、叛乱軍に味方したほうが得と言うものだろう。


 ザワーハルト男爵は、くすんだ銀色の総髪にさっと櫛を通した。きちんと甲冑を身にまとっている。それなりに、戦を前に身奇麗にしようという騎士の美意識もある壮年の男だった。

 鋼鉄の甲冑を身に着けて、騎士隊長として立てば威厳のある風采の男だ。


「もし王国軍の方が優勢になれば、今度はまた白旗を上げて降伏すれば良いのさ」


 にもかかわらず、そんな都合の良いことを考えている姑息さをザワーハルトは、騎士の恥とは思っていない。

 そこそこ有能なだけではなく、程よく欲深く、狡い性格であるからこそ、彼はこれまでの騒乱を生き残ってこれたのだ。


「卑怯だと謗るなら謗れ、俺は強い方の味方なんだ」


 誰も聞いていないのに、そんなことを語っているのは、やはり男爵にまでしてもらった女王陛下を裏切るのが多少後ろめたいからであろうか。

 無理にでも調子づけようと、クックックと笑ってみせたところで、大砲の音が響いてザワーハルトはそのまま腰を抜かした。


「なっ、なんだ。王軍はまだのはずだが……」


 地方貴族軍の方が、先に到着するはずだ。

 しかし、地方貴族軍が大砲を手に入れているなんて話は聞いたことがない。


「もし王軍が先に来たなら、話は違うぞ!」


 ザワーハルトは、シレジエの勇者に砲撃を受けた経験からか、大砲の音が苦手だった。

 いきなり聞くと、恐ろしくて腰が抜けてしまうほどになったのだ。悲しいトラウマである。


 そこに、部下が入ってきたのでザワーハルトは慌てて、腰を上げる……が、鎧が重いのでストンとまた腰からずり落ちてしまった。

 入ってきた文官は、ドット領の代官であり、この城の城代でもあるズール民政官だった。


 ズールは地元の顔役でもある。地方官僚として有能な男であったから、ドット領を支配するのに引き続き雇ったのだが、彼はゲイル男爵が失脚したときに裏切った男でもあるので、ザワーハルトは信用してなかった。


 そんな信用のおけない部下を前に、情けないところを見せてしまい、ザワーハルトは顔を暗くする。

 ズールは、それに気が付かない振りをして、平然とした顔で報告する。


「ご領主様、王国軍の尖兵が到着しました。城を叛徒からの防衛に使うから、入れろとのことです」


「さっ、先ほどの大砲の音は?」

「大砲は、景気づけの意味も込めた試し撃ちだと言ってましたな」


 絶対に嘘だ、ザワーハルトに対する威嚇射撃に違いない。

 過去からのトラウマか、半ば強迫観念で、彼はそう思った。


「王国軍の兵はどの程度だ」

「見たところ、銃士が五十人ほどですかな……」


「少ないな。大砲の数は、どの程度だった」

「四門はあるように見えました。それと、率いているのは女の子でしたね」


「女の子、ただの小娘だというのか」


 ザワーハルトは、ようやく立ち上がり、膝を叩いた。

 たかだか五十名の兵士なら、たとえ大砲があったとしても、驚くことはない。


「ただの小娘と言えますかどうか、王将軍の代理将軍サラ・ロッドであると名乗っております」

「将軍だと? サラ……。もしかして、シレジエの勇者様の愛妾とかいう小娘か」


 農民出の小娘を、王将軍が愛でて地元の代官までにしたという噂は、ザワーハルトも耳にしている。

 しかも、その小娘が意外に強いとか。どこまで本当かわからないが、様々な噂がある。


「そのようです。エスト領では、かなり有名ですね。シレジエ会戦においては、ゲルマニア帝国最強の飛竜騎士団を打ち破り、敵将の首を挙げたとか。その功績も考えると、将軍というのもあながち嘘とも思えません」

「そうか、とりあえずお通ししてくれ」


 これは困ったことになったと、ザワーハルトは悩む。

 もう、地方貴族軍の味方をすると決めてしまっているのに、そうすると先にやってきてしまった王国軍の尖兵は、殺さねばならなくなる。


 ザワーハルトとて兵団を任せられるほどの騎士だ。

 たかだか小娘一人を恐れているのでも、五十人の銃士隊が恐ろしいわけでも、大砲が恐ろしいわけでもない。

 味方か敵かもわからない相手を、いきなり砲撃して平然と殺そうとしてくる、あのシレジエの勇者の恨みを買うことが怖いのだ。


 ゲイルとの戦いで、ザワーハルトはシレジエの勇者に後ろから追いかけまわされて、無理やり突撃させられたのだ。

 あの時のトラウマは、今でも夢に見る。


 もし王国軍が勝ったら、大事な愛妾を殺された、シレジエの勇者はどうするだろう。

 地の果てまでザワーハルトを追いかけて、殺すのではないだろうか。彼は、ブルっと身震いした。


 これは、とんでもない虎の尾を、城に抱え込んでしまうことになる。

 そうやって唸っているうちに、当のご本人が城に上がってきてしまう。副官らしい若い美青年を連れてきた、サラは本当に小さな少女だった。


 代理将軍を名乗る少女は、サラサラとした金髪で、エメラルドグリーンの瞳の女の子だった。

 なるほど、まだ歳若いがなかなかの美貌ではある。王将軍が愛妾として愛でるのも、わからなくはない。


「ザワーハルト男爵、お初にお目にかかるわね。私は、義勇兵団のサラ・ロッドよ。王将軍閣下の代理として、賊軍の鎮圧のためにやってきたわ。第三兵団も、もちろん王軍として戦ってくれるわよね」

「あっ、ああ」


 小さいが、口がよく回る。背の高い金髪の青年を連れて、丈夫そうな黒光りする鎧を着けた少女は、いきなり王軍側であることを確認して、ザワーハルトに釘を刺してきた。

 言質を取られた、いやそれよりも気を呑まれた。


 後ろの痩せた副官が、じっとこちらを観察するように眺めている。

 サラ代将が『動』だとすれば、その半歩後ろに控える青年は『静』か。よくバランスの取れた主従だと、ザワーハルトは見た。


 農民の小倅どもと、バカにできない何かがある。

 それになんだろう、とても懐かしいのだ。


 齢四十を迎える騎士ザワーハルトも、元をたどれば成り上がり者だ。いまでこそ男爵だ兵団長だともてはやされても、その出自は兵卒の息子であったに過ぎない。

 この土にまみれた農村の少年少女と、似たようなものだ。


 ザワーハルトだって、眼の前の若者と同い年の頃に一兵卒から始めて、騎士団の幹部であったゲイルに才覚を認められて騎士へと成り上がったのだ。

 その希望に耀く瞳は、かつてのザワーハルトの瞳だった。濁った眼が洗われるような気がして、この若者たちに命を預けてみようかという気になった。


「俺としたことが、柄にも無いな」

「なにか言った、ザワーハルト男爵?」


「いや、サラ代将と言ったな。城も領土も使ってもらっても構わない。できることならば、何でも協力しよう。ザワーハルト・ドット・モクスは、これでも王国の誇りある騎士だからな」

「殊勝な心がけね男爵。タケルには、良いように伝えておいてあげるわ」


 よろしくお願いすると、ザワーハルトは小さい金髪の少女に頭を下げた。

 我ながら、似合わなぬ真似をやっていると思いながらも、悪い気分はしなかった。時代が変わりつつあることを、ザワーハルトだって感じている。


 そして、ザワーハルトだって、かつては変革の側に立った男なのである。

 若者たちの気に当てられて、齢を重ねた身体の若さをかき集めて、もう一度戦ってみようと思った。


「ご領主様、領地で義勇兵を集めてはいかがでしょうか」


 領地を預かるズール民生官は、サラ代将軍の顔色を窺うように、そんな提案をする。

 これにはいい気分になってたザワーハルトも鼻白んだ。


「あっ、ズール。俺が徴募兵を集めると言ったら、誰も応じないって言ったよな?」

「ご領主様、まことに言いにくいことなれど、王将軍閣下のご声望で集めるとなると、また違います」


「じゃあ、こうしましょう。こっちに味方したら、みんな一年間税金免除!」

「はぁ!」


 これはさすがに、領主のザワーハルトは戸惑い、怖気づいた。

 領主の自分を無視して、いきなり何を言ってくれてるのだと驚く。


「それは良いお考え、喜び勇んで皆駆けつけましょう」


 ズール民生官は、小さいサラよりも背を屈めてゴマをすっている。

 お前どっちの部下なんだよ、いい加減にしろとザワーハルトは叫びそうになった。


「おい、勝手なことを」

「ザワーハルト男爵! 協力できることはなんでもするって言ったじゃない」


「グッ、それは……しかし、いくらなんでも」

「よく考えなさい、この戦いで勝てば、地方貴族から領土を奪いまくれるわよ。領地なんていくらでも増やしてもらえるのよ。子爵、いや伯爵も夢じゃないわ。それを考えれば、一年間の税金免除なんてリーズナブル! いや、むしろ安すぎるぐらいでしょ」


 言われてみればその通りだった。

 これが、兵卒出身のザワーハルトと、農民出身であるサラやミルコの発想の違いなのだ。


「わかった……」

「これからの戦いはね、民衆を味方につけたほうが勝つのよ。こっちが戦争に勝ったら、南部貴族の領地はみんな一年間税金免除! これはみんなたぎるわよ」


 何と恐ろしいことを考えるのだと、ザワーハルトは戦慄した。

 領地から上がる税金は、貴族にとってのライフラインなのだ。それを、勝つために切り捨てよと言うのである。


 しかも戦争の準備で、出費に出費を重ねた貴族に向かって言うのだ。収入を捨てよ、さもなくば死ねと!

 南方の地方貴族どもはわかっているのだろうか、我ら貴族はとんでもない戦いに巻き込まれている。


 時代が変わったとは、このことかとザワーハルトは嘆息した。

 兵卒だった男が、騎士となり、男爵にまで成り上がったと思ったら、時代はすでに農民の娘が大将軍になる時代に入っていた。


「まあ、任せておきなさい。私の味方ならば、ザワーハルト男爵も出世間違いなし!」

「はぁ、わかった。もうこうなったら腹を括るから、よろしく頼む……」


 サラの指摘は、まさに的確だった。

 租税免除の話を聞いて、領主のザワーハルト自身がどこに居たのかというほど多数の徴募兵が、ドットの城に集結した。


 これはもはや、貴族同士の諍いではない。

 領地の総力戦となった。


 ザワーハルト率いる第三兵団千人、義勇兵五十人、領地からの徴募兵が五百人。計千五百五十人が、難攻不落のドット城に集結して、叛乱軍の軍勢を迎え撃つ。

 城に拠る兵士は経験不足だが、士気だけは意気軒昂である。


 叛乱軍を率いて、意気揚々とドット男爵領に向かう地方貴族の首魁ピピン侯爵は、まさかこんな状態になっているとは知る由もなかったのであった。

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