第141話「ピピン侯爵の誤算」
「バカな、この期に及んでザワーハルト男爵が鞍替えを断っただと!」
おのれおのれと、ピピン侯爵は長い顎から生えた、長い長い顎髭を振り回して怒り狂った。
緒戦でつまずきたくはないからこそ、ザワーハルトには戦後に伯爵の地位すら約束してやったのだ。
これほどの好条件を与えてやったのに開城を拒むとは。
ザワーハルトは、利に聡い男だと見たのに、この私が見誤ったとでも言うのかと、ピピンは信じられない思いだった。
「一度は内応の約束まで交わしておきながら、裏切るとは信じられん!」
「いえ、裏切ったのは我々では?」
ピピン侯爵の隣にいてツッコんだのは、この戦いのために雇われた傭兵団長ゼフィランサス・シルバである。
ゼフィランサスは、ローランド王国出身の二十八歳の美丈夫で、癖のある長い黒髪に半球形のバイザーのついたサーリットの兜を被っている。
黒い外套の下には、丈夫な
傭兵というよりは、スマートで気品のある貴族のような面持ちの男だが、上級貴族に対しても口さがないのがピピンの気に入らない。
二千人の大傭兵団の団長でなければ、まっさきに解雇しているところだ。
ギラッと眼で睨みつけるだけで、無視する。気位の高い貴族は、いちいち下賤の者のツッコミなど相手にしない。
「フンッ、敵の兵はせいぜいが千五百程度だと言うのだろう。それが小城に寄って、我が軍の行く手を遮るとは、愚かとしか言いようがない」
ピピン侯爵とてバカではない。
地方貴族軍の騎士団五百騎に加えて、地方貴族側に付いた、第一兵団、第二兵団の計二千五百。徴募兵が三千人、ゼフィランサス傭兵団が二千人。
計、八千人の兵士なのだ。
いくら城で守っているとはいえ、五倍以上の兵力を前に何が出来るものかと思う。
そう言いつつも、ピピン侯爵にも誤算があったことを認めざるをえない。
自らの策士としての有能さに自信があったピピン侯爵は、ザワーハルト男爵への『内応の策』が失敗することなど、想定もしていなかったのだ。
だから、進軍の速度を優先して攻城兵器を随伴させなかった。
いまから、前線に運んでは、かなり時間がかかる。
もしかしたら、内応すると見せかけての籠城が、ザワーハルトの策だったのかもしれない。
思いの外、強敵なのかもしれないと考えると、気が気でなかった。
おちおちしていれば、籠城している王軍の元に援軍が到着するであろう。
女王に対して反旗を翻したからには、一分一秒も惜しいのが現状。
なまじ有能なだけに戦略眼のあるピピン侯爵は、八千もの大軍を率いながら、前途に暗雲が立ち込めていることを自覚せざるを得なかったのである。
しかし、第一、第二兵団長や、外様の傭兵団長の前で弱音は吐けない。
「どうされますか、侯爵閣下」
「とりあえず城を囲め、もう一度私が直々に開城の申し入れをしてみる」
本当は、一気に攻め落とせと言いたいところだが、星型になっているドットの城は五つの側塔が守りを固める堅牢な城だ。
こちらは大軍、攻撃して落とせぬとは言わない。
だがドットの城の堀は深く、塀も高い。一気に攻め寄せて、どれほどの被害が出るかもわからず、また落すのにどれほどの時間がかかるかもわからなかった。
兵、時間、これからエスト侯領の領地へと攻め入り、王城へと迫ろうというピピン侯爵にとってはどちらも失うことのできぬものであった。
ピピン侯爵は自ら馬を駆って、城を囲む兵の前に出ると大声で叫んだ。
「正統シレジエ王国軍の総大将、ピピン・ナント・ブルグンド侯爵だ。どうか、今一度開城をご検討いただきたい。このままでは、無益な犠牲が出ることになるぞ!」
ピピン侯爵の叫びを聞いて、外に貼りだした外郭塔に、見覚えのあるくすんだ銀髪の男が顔を出した。ドット城主、ザワーハルト男爵だ。
「ピピン侯爵、残念だったな。俺はこう見えても女王の忠臣だ。お前のような裏切り者の味方をしない」
一度は裏切りに応じた男が、戯言を言うかとピピンは苛立った。これまでのザワーハルト男爵の経歴は裏切りの連続だ。
そんな男が、忠義を口にするとは当てこすりとしか思えない。
「女王の忠臣だと! では貴君はハーフエルフ風情が、女王になることを認めるというのか。名門ブラン家のボンジュール様こそ、シレジエ王国の正統なる王となるに相応しいお方なのだぞ」
「傍系も傍系の、しかも十二歳の子供を担ぎだして、正統なる王とは良くも言ったもんだな」
ザワーハルト男爵は、ピピンを見下ろして皮肉な笑いを浮かべるだけだった。
「よし分かった、ではザワーハルト男爵。その方に、エスト侯爵領を丸ごとくれてやるぞ。それなら文句あるまい!」
「ほう、侯爵領を全部か。それは豪気だな……」
顎をさすり、首を傾げて思案げな表情を見せるザワーハルト男爵。
よし、やはりこの男は報奨で動く。あと一歩で落とせる。そう思った時、隣にいる黒い鎧を着た金髪の女の子が口を開いた。
「あら、男爵。あんな男の言うことを信じちゃダメよ。まだ取ってもいない領地をくれるなんて、子供でも騙されないわよ」
「ハハハッ、サラ代将が言うと説得力がある。その通り、先にエスト侯領を落としてから言えというものだ」
「何だ貴様は、子供は引っ込んでろ。私は城主に話をしているのだぞ!」
「あら、子供とはご挨拶ね。私だって、こっちの軍の総大将なのよ」
金髪の少女は、薄い胸を居丈高に張ると、そう言い放った。
隣にいる少年が、シレジエ王国の青い旗を持って、こちらを見下ろしている。ザワーハルト男爵も、何も言わない。
「ハァ、ふざけるな! 小娘が戯言を言うか」
「総大将の名乗りを上げておこうかしら。佐渡タケルの
「バカな、子供を代将に据えたというのか……」
そう言いながらも、あり得ると思ってしまう。
ピピンは、ようやく金髪の小娘の顔を思い出したからだ。
たしか、シレジエ会戦で王都の連隊長として、農民出身の下賤な兵を連れて暴れまわっていた子供だ。
それだけでも忌まわしく思うのに、それが自分と同じ総大将だと!
「バカはそっちよ、私はシレジエの勇者の代将、率いる軍は義勇兵団の精兵中の精兵である近衛銃士隊。軟弱なる貴族が、私たちに勝てると思わないことね」
農民の子供が、貴族であるピピンを愚弄するか。
老練なるピピン侯爵とはいえ、これには苛立ちを禁じ得なかった。
彼とて元をたどれば、建国王レンスの重臣であったブルグンド家の当主だ。
あのシレジエの勇者が権力をほしいままにしてからと言うもの、この国はおかしくなってしまった。
由緒正しき貴族の末裔であるピピン侯爵は、建国以来の上級貴族として国の乱れを正したいとの思いもあって蜂起したのだ。
私利私欲がないとはいわない。だが、いまの王統の乱脈をどうにかしたい使命感もあった。
「ハーフエルフを女王とした次は、農民の子供が総大将だと! お前たちは、何を考えているのだ。二百四十余年のシレジエの伝統と格式をどこまで愚弄すれば」
ピピン侯爵は、みなまで言えなかった。
バキュンと、激しい発砲音が鳴って、弾が長い顎髭を撃ちぬいた。
「チッ、外したか」
サラちゃんが構えた、火縄銃の銃口から煙が上がっていた。
それを、信じられないと見上げるピピン。
「ひいっ! 卑怯だぞ、まだ話してる途中ぅぅうわああ!」
さらに、新しい鉄砲から火花が散る。
サラたちに狙撃されたピピン侯爵は、必死で逃げた。
「話は終わり、うっさいからもう死んでいいわよ」
「ぎゃあっ!」
後ろから、パシュンパシュンと軽い音を立てて弾が飛んでくる。
意外にも器用に、ジグザグに逃げ惑うピピン侯爵のお尻に弾がかすって、弾と鎧が摩擦で激しい火花を散らせた。
「うーん、まあいいか。雑魚だもんね」
そんなサラの声が、這々の体で味方の兵のところまで逃げ帰ったピピン侯爵の耳に届いた。
(雑魚だと、このブルグンド家当主ピピン・ナント・ブルグンドを雑魚だとぉぉ!)
「大丈夫ですか、ピピン侯爵」
「ハァハァ……、ええい触るな!」
倒れこんだピピン侯爵は、助け起こそうとした傭兵団長ゼフィランサスの手を跳ね除けると、顔を真赤にして頭から湯気が立つほどの怒りに燃えて立ち上がった。
「それで、いかがなさいます侯爵閣下」
「聞くまでもなかろう、籠城する敵は寡兵。一気に攻め落として、城の中の者を一人残らず根絶やしにしろ!」
ピピンは、そう命じると憤懣やるかたないといった態度で、本陣まで戻り床机に座った。
「おのれ見ておれよ、身分いやしき者どもが、このピピンを怒らせればどうなるか、その身で思い知るが良い」
もうこうなれば、兵を惜しんでいる時ではない。
八千対千五百の戦いなのだ、どのようになっても負けるはずのない戦いであった。
※※※
「どうしてだ、五倍もの兵で囲みながら、なぜ落ちん!」
「さすがは堅牢なドット城、側塔に備え付けられた四門の大砲に、あの鉄砲とやらですな。まとまって攻め寄せれば大砲に吹き飛ばされて、バラけて壁に張り付いて登ろうとすれば、鉄の弾に狙撃されます。これではお手上げですな」
ピピン侯爵は、他人ごとのように冷静に語る傭兵団長が忌々しかった。
こんなことで時間を食っている余裕はないのだ、敵だって前線に増援を送ってくるだろう。
そうなれば、数の有利はいつまでも続かない。
こんなところで、躓いている余裕はないのだ。
「鉄砲とやらなら、こちらにも配備してあるだろう」
「農民の徴募兵に使わせているようですが、向こうとこちらでは数も条件も違います」
シレジエ王国がゲルマニア帝国に勝ったのは、新兵器の威力が大きかった。
それを目の当たりにしたピピンは、こっそりとイエ山脈の鍛冶屋から仕入れて、ちゃんと配備しておいたのだ。
ピピン侯爵だって、やることはやっているのである。
だがやらせているだけで、その性質を理解してはいなかった。
「数と言っても、兵数ではこちらのほうが多いではないか」
「鉄砲は飛び道具ですから、機械弓とそう変わりません。城に篭っている側が上から撃つのと、下から撃ち上げるのでは条件が違いすぎます」
シレジエの王軍は、地方貴族軍に加えて、カスティリア王国軍に、新ゲルマニア帝国軍を敵に回しているのだ。
負けるとは思わないが、せっかく反旗を翻したというのに、何もできないまま膠着状態に陥るのは避けたかった。
ピピン侯爵としては、外国に取られる前に、シレジエ王国の領地をできる限り吸収しておきたかったのに。
これでは単に、カスティリアの尖兵を果たすだけで終わってしまう。
「言い訳は聞きたくない、何のために、傭兵団に高い金を払ったと思っているのだ」
「しかしですな、攻城があるなら攻城兵器を用意すべきでしたぞ。ハシゴだけで堅牢な城を相手にしろとは、あまりにもご無体な」
黙れとは言えなかった。
敵の籠城を想定しておらず、その備えを怠ったのはたしかにピピンの責任だ。
「それでもやるのだ!」
「そりゃ、やれと言われれば私ども傭兵はやりますがね」
ドット城での激しい攻防戦は延々と続く。
さすがに五倍の兵力は大きい。ようやく、外堀を埋めて側塔の一つが落とせようとなった頃のことだった。
深夜、地方貴族軍の幕舎から火の手が上がった。
深夜に突然発生した騒乱に、「すわ敵の夜襲か!」とベッドから慌てて飛び起きたピピン侯爵の元に、配下の騎士隊長がやってきて跪いた。
「なんだ、何が起こっているのか」
「申し訳ございません、我軍の徴募兵が、次々と敵側に寝返ってます。幕舎は焼かれ、農民兵は反旗を翻しました」
ピピン侯爵は、徴募兵団三千人を指揮していた騎士隊長の言葉に、耳を疑った。
今回の戦争は、信じられないことが次々に起こっている。
「なんだと、裏切りなどまさか……。他ならぬ、我が領地の民だろうが!」
そうだ、たかが農民の徴募兵とはいえ、長年ブルグンド家が治めてきた地元の領民による兵団なのだ。
それが、敵に寝返るなどあり得ない。いや、許されぬことだ!
「それが、攻城で厳しい戦いを強いられて、不満が溜まっていた徴募兵の間に、おかしな噂が流れまして……」
「なんだ、早く言え」
「それが、シレジエの王軍が勝てば、一年間租税を免除するというのです」
「なんだと、そんな下らぬ噂で、領地の農民が裏切ったというのか」
そんなことで……と、もう一度ピピン侯爵は力なくつぶやく。
ブルグンド家が二百四十年統治してきた領民が、たった一年の租税免除で裏切ることなどあり得るのだろうか。
「乱を治めるには、我が方も租税免除を約束するほかなく」
「バカを言うな、今回の戦費にどれだけかかったと思っている、ブルグンド家が破産してしまうわ!」
ピピン侯爵の天幕に、傭兵団長ゼフィランサスが入ってきた。
「侯爵閣下のおっしゃるとおりですな。いまさら租税免除などを約束して慰撫しても、一度起こってしまった領民軍の叛乱は治まりますまい」
「ゼフィランサス、何をしておるさっさと鎮圧してこい!」
ピピン侯爵は、つい怒鳴ってしまった。
傭兵団長ゼフィランサスの言葉が、皮肉に聞こえたのだ。叛乱の兵を上げたのはピピン侯爵たち地方貴族だ。それが、領民の徴募兵に叛乱されるとはと笑われているように感じた。
「御大将のご命令とあらば、私どもはやるだけですが、提案に参りました」
「なんだ、提案とは……」
ピピン侯爵は、苛立っている。
ピピンは、ゼフィランサスを傭兵として雇ったのだ、参謀として雇った覚えはない。
「私は撤退を進言します」
「撤退だと、ふざけるな!」
「ピピン侯爵閣下! 貴方は、現状を理解できないほど愚かな将ではないはずです。包囲されているのは敵の城兵ではなく、もはや我らの方です。徴募兵三千と、城兵の一千五百に囲まれたのですぞ」
「私とて、それはわかっている。だが……」
「では、いますぐ撤退の命を下すべきです。私どもは金を貰えばなんでもやる傭兵だが、金で命まで失いたくはない。いまなら、侯爵閣下のお命も、共に参戦されているご一族のお命も保証しましょう。我が傭兵団は、閣下の兵の損害を最小に抑えて撤退させることができます」
ゼフィランサスの指摘は、妥当だった。
ピピン侯爵とて、策士を気取る男だ。状況は理解している。だが、それでも気持ちとしては攻城を諦めたくはない。
ここで何もできないまま引くとしたら。
何のために、他国の助けまで借りて蜂起したというのだ。
「駄目だ、引くわけにはいかない」
「……さようですか。ここに敵の増援が到着すれば、もはや侯爵閣下のお命も保証しかねますが、それでもですか?」
「ゼフィランサス、それまでになんとか城を落としてくれ。徴募兵は、我が領民だ。領主たる私が話して、なんとかなだめてみる」
「……」
傭兵団長ゼフィランサスは、無言で頭を下げると。
サーリットの兜のバイザーをカチャリと落として、また戦場へと向かった。
そしてその後程なくして、ゼフィランサスが危惧したとおり。
敵の増援が、ドットの城に到着することになる。
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