第105話「前日譚『酷現実を生き抜く 結』」

「ねえ、やっぱり私が死んだらよかったでしょう」

「うるさい!」


 新たなゾンビの群れに囲まれたのは、臨時の避難場所に指定された、中央病院に俺たちが足を踏み入れた途端だった。

 避難所には、警官や警備員もいたのですぐに入り口が突破されることはなかったが、完全に閉じ込められてしまった。


「私がいるから、こうなるんだよ」

「黙ってろよ」


 影絵かげえがゾンビ発生の原因になってるなんて与太話、誰も信じないと思うが万が一、誰かに信じられたら彼女を殺そうとするかもしれない。

 パニックになってるから、何が起こるか分からない。幸いなことに怒声と悲鳴が飛び交い、影絵の声なんて誰も聞いていないが。


 付けっぱなしになっている病院のテレビでは、ようやくゾンビ騒ぎが報じられている。

 やっぱりうちの学校を中心とした局地的な事件だったらしく、ゾンビ化の疫病が進んでいるが接触感染のみなので、感染爆発アウトブレイクにはならず、自体は収束に向かっていると報道されている。


 まだ、この中央病院でのゾンビ再発生は報道されていない。

 そこで、ガラスの割れる音が聞こえた。


 入り口は固く閉鎖されていたが、庭のサッシ窓にまで手が回らなかったらしく、そこからゾンビが侵入してきてしまった。

 これで、地階で食い止めることもできなくなり、俺たちは多くの逃げ惑う人の群れとともに上階へと逃げていく。


 最初に殺られたのはサッカー部の佐々木だった。

 勇敢なアイツは、警察や警備員と一緒になって食い止めようと戦ったのだ。


 ゾンビの頭はわりあいと脆い、モップの柄などで遠心力を利用してフルスイングで叩けば脳幹を潰して動きを止めることができる。

 しかし、それにも限度がある。


 確かに動きは単調だが、やたら力が強く、一度頭を潰すのをミスって抑えこまれたらもうダメだ。

 複数のゾンビに囲まれて、押し倒された佐々木は野太い叫び声を上げながら、暴れまわったがそのまま断末魔の叫びを上げながら事切れた。


 気に食わないやつだったけど、立派な最後だった。

 もう他人ごとじゃない、俺もそのうち、あんなふうになるのかと思うと身の毛がよだつ。


「助けて、佐々木くんを助けてよぉ!」


 三つ編みの級長がボロボロ涙を流しながら叫んでいるが、俺に言われても無理だ。

 そんなに言うなら、お前が助けに行け。


 帰宅部の俺ですらモップを振るって戦っているというのに、仙谷は泣いてるだけでなんの役にも立たないじゃないか。

 そのでかい乳は何のためについている、乳ビンタで攻撃してこいよ!


 いやまあ、攻撃とか言ってる場合じゃなくて、逃げるしかないんだけど。


 エレベータを待ってる暇はなかったので、階段を駆け上がりながら必死に上を目指した。

 みんな考えることは一緒だ、屋上につながる出口は、すぐに人でいっぱいに埋まる。


 人の群れに阻まれて、それ以上は登れなくなる。完全に追い詰められてしまった。


 そのうちに、仙谷は長い三つ編みをゾンビに掴まれて、引きずり下ろされるとその大きな乳房から喰い荒らされるハメになった。

 グチャグチャと、仙谷の肉を噛む嫌な音が聞こえる。聞くだけで、身体が身震いする。


「きゃあああ、いだいいだい、ぎぃぃやぁぁああぁぁ」


 もちろん助けられない、少しでも油断すると自分が殺られるってときに、誰が人を助けるというのか。

 それなのに、町田は競技用洋弓リカーブボウの最後の一矢を放つと、決死の形相でゾンビに囲まれている小さい女の子を助けに行った。


 英雄ヒーローにでもなったつもりなのか、なんて言ったりはしない。

 子供を助けにいったんだから、その時点で立派な英雄だろ。震えが来るほどカッコいい行為だった。


 ゾンビの中に突っ込んで女の子を助けに行くなんて、少なくとも俺には出来ない。

 あれほどクールを気取っていた俺なのに、自分が喰われる番がもうすぐ来るかと思うと、発狂しそうなのだ。


 弓でゾンビの頭を殴りつけるなんて無謀すぎる、でも臆病な俺にも、町田の気持ちは少しだけ分かった。ゾンビに襲われてる子供を助けるのは生存フラグだよな。

 分かるよ、町田は正しい。それが正しい選択なんだ。


 最後の土壇場で怖気づいている情けない俺と違って、アイツは最後まで主人公であることを選んだんだ、これがゾンビ映画だったら絶対に助かる。

 残念なことに現実はそうは上手くできてない、リアル幼女は泣き喚くばかりで、町田の足を引っ張った。それでも、女の子を逃がすためにゾンビに飛びついていった、飛び道具に頼っていた男が最後に身を張ったのだ。


「行こう、影絵!」


 勇敢な英雄の最後など、見たくはない。

 後ろから響いてくる町田のくぐもった悲鳴に振り返らず、俺は影絵の手を引っ張って人の居ないほうに逃げた。


 本音を言えば、町田の遠距離攻撃が頼りだったのだ、アイツが殺られた段階で、もう持ちこたえられない。

 俺一人の戦闘力だけでは、到底影絵を守れないと気がついて、自分の無力さに愕然とした。


 それでも、影絵の手を引いているから、まだ俺は歩いていられる。

 学校に居た時の高揚感と万能感は一時的なものだったらしい。


 いまごろになって、恐怖に足がすくむ。さっきから怖くてたまらないのだ。

 俺たちにも、終わりが近づいている。


 屋上に避難するのを諦めて、最上階近くの突き当りの部屋に籠城することにした。他に選択肢はない。

 リハビリ用の部屋なのだろうか、運動器具のついた、ベッドやマットがたくさんおいてある。


「だから、タケルくん! 私が死ねば終わりなんだって言ってるじゃない」

「うるさい、いい加減にしろよ」


 俺は必死に、ベッドや重そうなロッカーを引っ張って二つある入り口を押さえつけた。

 影絵は、もう諦めているのか必死になってバリケードを作っている俺を黙ってみていた。


 ゾンビは怪力だから、いつまで持つか知れないけど、これで多少は時間が稼げる。


 窓を開けて外を見たが、この高さから飛び降りるのは無理だ。

 安全に降りるための消防器具もないし、あったとしても病院の周りはゾンビの群れで囲まれている。


 病院を囲むゾンビの数は、学校で発生したときよりも多い。

 おそらくだが警察や警備員が居た中央病院の防衛力に合わせて、ゾンビも数が増えているのだ。


 まるで、ゲームだなと思った。そうだ、これはゲームだ。そうとでも思わないと、やってられない。

 だとしたら袋小路デッドエンドに救護アイテムがないとか、ゲームバランス悪すぎだろ、気が狂いそうになる。


「頭から落ちたら、苦しまずに死ねるよね」


 影絵は、窓から身を乗り出すと薄い唇を歪めた。

 やめてくれよ。


 本当は死にたくないんだろ。だから死ぬって言ってるだけで、死ななかったんだよな。


 俺はそのまま影絵が、窓から落ちてしまうんじゃないかと怖くて、その身体を強く押さえつけた。あまりに強く掴み過ぎたのか、手が引っかかって影絵のブラウスのボタンが幾つか飛んだ。


「あっ、ごめん」


 ちらりと胸元から、ピンク色のブラジャーが見えてしまって、目をそらす。

 窓の外の曇り空は、重くどんよりとしてきて薄暗くなってきた。暗雲立ち込めるってやつだ。


「いいんだよ、もう手を離して。私が死んだらゾンビも消えるよ」

「良くない、何か助かる方法を考えるからちょっと待てよ」


 俺は、とにかく影絵がこのまま落ちてしまわないように抱きしめた。

 抱きしめた身体は、とても痩せていた。本当に貧乳で胸がないけど、それでも女の子の胸は柔らかいんだなとか、こんな絶体絶命の時にも感動してしまう俺は本当にどうしようもない。


「タケルくんごめんね、こんなことに巻き込んじゃって」

「いまさらそんなこと言われても」


 しょうがないじゃないか……。

 いや、しょうがなくない!


 もう俺しか居ないんだから、俺が何とかしないと。


「ありがとう最後まで守ってくれて」

「待て、待て待て待て。今考える、俺が何とかするから!」


 影絵は、俺の頭を両手で抱くと唇を重ねた。

 驚いたことに、そのまま舌まで入れてきやがった。


 初めてだったから俺は少し怯んで、抱きしめていた腕の力が抜けてしまう。

 それでも離れようとする影絵の腕をかろうじて掴んだ。この手を離したら、影絵はそのまま飛ぶ予感がした。


 最後になんてさせるものか。


「最後までしてる時間は、ないね」

「影絵……」


 そう言って、影絵はおかしそうに笑う。もちろん冗談だって分かってるけど。

 こんな時まで期待して勃ってるとか、俺はバカ過ぎるだろ。


 後ろの扉が、ミシミシと嫌な音を立てて、破られようとしている。

 ゾンビは、やはり影絵を目がけて来ているのだ。


「願いの宝珠オーブちゃんと持ってる?」

「ちゃんと持ってるよ!」


 俺は、影絵からもらったビー玉がズボンのポケットにあるのを確かめた。


「それ無くしちゃいやだよ、じゃあね」


 影絵は、イタズラッぽく微笑むと、トンと開いてる方の手で俺の胸を軽く押した。

 それだけで、彼女の細い腕を掴んでいたはずの俺の指が、つるりと滑って離れた。


 あれほどしっかりと、絶対に離さないように掴んでいたのに、どうして離れてしまったのか今でも分からない。

 本当にあっけなく、何の前触れもなく影絵は窓の外に飛んで消えた。


 そのまま世界から消失してしまったみたいだった。

 さっきまで、俺と手を繋いでいた女の子はどこに行ったのだ。


 影絵がどうなったのか、窓の外から下を眺めれば、一目瞭然だろう。確かめてみればいい。

 そう思うのに、俺は窓枠にしがみついたままで、どうしても地面を見ることができなかった。


「ううううっああああああぁぁぁ!」


 誰が叫んでいるんだろう、凄まじい絶叫だなと思って。それが、自分の口から出ている悲鳴だと気がついたのは、喉の奥が痛んで血の味がしたからだ。

 その後のことは、記憶ない。


 救護隊とともに、病院のリハビリ室で縮こまっていた俺を助けだしてくれたのは水城先生だったらしい。

 無事に学校から逃げ延びたのは、彼女や俺を含めても百人にも満たず、死亡率は九割を超えたそうだ。


 病院で精密検査を受けてから、俺は自宅に帰された。

 街に住んでいた家族も死んでいたし、学校も継続は無理だろう。戻ったら、俺の日常はぶっ壊れていた。


 警察と自衛隊の介入で事件が収束していたという報道も嘘で、あの段階で学校どころか街を越境して感染爆発アウトブレイクが進んでいたと、後でネットで見たがまあどっちでもいいことだろう。


 あとから調べると、ゾンビを招いた影絵自体が死んだ瞬間に、発生していたゾンビは消えて、ゾンビになっていた死者も単なる死体に戻ったのだと分かる。

 ゾンビ発生の事件は世界的な大ニュースになり、原因は諸説囁かれたが、ウイルスも見つからず、やがて沙汰止みになり人々は日常に回帰した。


 あれほどの人が死んだのに、一ヶ月もしないうちに違うニュースが新聞を賑わすようになる。

 あとはネットのサイトの片隅に、不確かな噂だけが痕跡として残るだけだ。


 全ては、もうどうでもいいことだけど。

 俺は無気力になり、自宅に篭りがちになった。しきりに様子を見にやってくる水城先生や、カウンセラーさんの相手をするのも億劫で、ほとんど無視した。


 かといって、自宅にいてもやることはないのだ、自慰すらできない。

 不思議な事に、あれから性欲が一切湧かなくなった。


 自宅の窓を眺めると、今日もどんよりと曇って、シトシトと雨が降っていた。

 俺の気持ちもそんな感じ、暗雲立ち込めるってやつだ。


 他の記憶はみんなあいまいになって、思い出すのは影絵のことばかりだ。

 彼女がくれた『願いの宝珠オーブ』を手で遊ばせながら、俺はずっとあの日のことばかり考えている。

 思い出すたびに辛いのに、それでも何度もあの瞬間をリピートする。そして何度でも泣く。


 願いを叶えてくれるなら、影絵を蘇らせて欲しい。

 女々しく泣いている自分を、もう一人の俺がまるで映画に出てくる悲劇のヒーローだなと、あざ笑う。


 皮肉はよせ、俺はそんなカッコいいもんじゃない。

 偉そうなことばかり言って、肝心なときに役立たずで、女一人自分の手で守れないクズだったじゃないか。


 俺は何も分かってない、愚かなピエロだった。俺が小馬鹿にしてたクラスメイトには、立派な最後を迎えた英雄がたくさんいた。

 惨劇を引き起こした影絵ですら、俺を生き延びさせるために死んだんだぞ。俺が生き残ったのは、臆病で何も出来ないガキだったからだ。


 なあ、考えてみろよ。

 あの時。もう一度あの時に戻って、俺が別のルートを取れば、静寂影絵を助けられるだろうか。


 いや……無理だ。何度シミュレーションしても、俺にそんな力はない。

 飛び降りて、地面に叩きつけられて死んだ影絵の最後すら、見る勇気がなかった。見てやることができなかった。


 だから、影絵を蘇らせても、きっとまた同じように死んでしまう。多くの人を巻き添えにして殺した罪を、あの死の恐怖と痛みを、彼女にまた繰り返させるつもりなのか。

 もう一人の俺が、そう怒鳴りつけてくる。


 俺はただ自分が苦しいから、元通りにしたいって言ってるだけなんだろ、それじゃダメだ。誰も救われない。

 弱くてどうしようもない俺のまま時間を戻しても、きっと全ては無駄なのだ。壊れるものは壊れる、運命は変えられない。


 握り締める『願いの宝珠オーブ』が、俺にできる自信を与えてくれたり、このどうしようもなく弱い自分をどうにかしてくれないかと思うが、それは無理らしい。

 あの時からずっと、澱のように胸に降り積もる後悔の痛みすら、癒してくれないのだ。


 何がなんでも叶える『願いの宝珠オーブ』だ。


 たとえこのビー玉に、世界を変える力があったとしても。

 たった一人の女の子すら救えないんじゃ、意味が無いだろう。


 役に立たないビー玉を握りしめた俺は、過去にタイムリープして影絵を救う妄想を諦めて。

 それでも辛い現実に立ち返ること無く、新しい妄想へと移行する。


 たとえば、俺のホームである異世界ファンタジーならどうだ。

 遠いどこかの異世界で、影絵と再び出会えたらどうだろう。その世界の影絵も困っているかもしれないけど、そこでなら俺には彼女を救ってやれる十分な力があるかもしれない。


 そうだ、影絵シルエットは美しいエルフのお姫様で、俺は魔剣の勇者なんてのはどうだろう。

 そして、二人は冒険の果てに再び出会う。それまでに、俺は必死に頑張ってみんなを助けられる立派な英雄になるよ、そしたら影絵かげえも助けてやれるだろ。


 ……ハッピーエンドだ。


 アハハッと俺は、久しぶりに声を上げて笑う。

 バカらしくなったのだ。


 ちょっと都合が良すぎてズルイよな。チートだなこりゃ。

 でも異世界の果てまで行けば、どうしようもない俺でも、あの時言いたかった言葉を言える。

 もう一度彼女の小さな手を握って、ずっと前に手遅れになってしまった言葉を伝えられる。


「頼むから死なないでくれ、俺とずっと一緒に居てくれ……」


 その時その場所でなら、この世界では永遠に離れてしまった手を、俺は今度こそ握りしめて絶対に離さない。

 大事に思える人を守ることができる。


 俺をうるさく罵倒し続けるもう一人の俺が、ようやく押し黙った。

 つかの間、静かになって、ベッドに丸まっている自分の輪郭が世界から浮遊した。


 取り戻せない後悔の涙、胸をずっと絞め続ける悔恨の痛み。

 空から降り続く雨音は、ずっと止まない。


 それでも、都合のいい妄想をひとしきり繰り広げた俺は少し救われた気になって、『願いの宝珠オーブ』を握りしめて、眠った。


 やがて、酷現実が終わりを告げて、酷幻想が始まる。

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