第99話「公女への求婚」
ライル先生に焚き付けられたままの勢いで、カロリーン公女の部屋の前まで来てしまった。
「勇者様、公女殿下に御用ですか?」
「ああ、取り次いでくれると助かる」
扉の前に立っている、公女付きの壮年の騎士が応対してくれた。
ブリューニュの公女誘拐事件で、若い騎士が斬り殺されてから、トランシュバニア公国は護衛騎士を増員して、五人態勢で見張っている。
物々しい感じなのだが、こちらのミスで公女を危険に晒してしまった結果なので仕方がない。
むしろ、そのことに対して一言も非難がなかった配慮が身に染みるぐらいだ。
ちなみにゲルマニアとの戦争中は、巻き込む危険性を避けるために、エストの街まで避難してもらっていた。
公女は国賓なのだから、当然の対処だ。
しかし、公女を狙っていたブリューニュも死に、俺の庇護下に置く必要がなくなったのに、まだ帰らずに滞在しているところを見ると。
ヴァルラム公王が公女を、俺と結婚させたがっているというのは本当なのだろう。
部屋に入ると、レースで花をあしらった青いドレスを着て、この世界では珍しいメガネをかけたカロリーン公女が、窓の側の椅子に腰掛けていた。
机に向かって、何か書き物をしていたらしい。シレジエに比べると小国とはいえ、彼女も一国の公女だ。隣国に居ても、公務があるのだろう。
「勇者様が私の部屋を訪ねてくださるとは、珍しいですね」
「不躾にお邪魔しました」
綺麗に梳かしつけた亜麻色の長い髪の少女は、「いえ、とんでもない」と書き物の手を止めて立ち上がると、俺にも座るように椅子に出してから、自らの手でお茶を淹れてくれる。
このような雑事、本来ならば公女がするようなことではないのだが、カロリーンはむしろなんでも自分でできる今の環境を楽しんでいるらしい。
「どうぞ、本国から送ってきた茶葉です。勇者様は、コーヒーのほうがお好きなのでしたよね」
「いえ、紅茶も好きですよ。苺のいい香りがしますね」
「わかりますか、トランシュバニア特産のストロベリー・リーフがブレンドしてあるお茶なんです。健康にもいいんです、お口に合うとよろしいのですが」
カロリーンは、祖国の話をすると、とても嬉しそうに微笑む。この娘は、かなりの愛国者なのだ。小国の公家だからこそ、そういう気持ちが強いのだろう。
だからこそ、国を任せる夫には自国民の男がいいと言っていたのだ。そんな娘に、他国者の俺が求婚するなんて気が重たい。
しばらくお茶をいただきながら、トランシュバニアの話を聞き入った。
トランシュバニアは低地国で、あまり豊かな土地とは言えないが、交易に適した港と河川がある。
このストロベリー・リーフのお茶もそうだし、バラ、カーネイション、ユリ、チューリップ、ガーベラなどの花を育てて、ジャムや香水の原料ともしている。
また酪農も盛んで、トランシュバニア産のチーズは国際的に有名だ。
そして、近年ではガラス産業にも力を入れている。カロリーンもかけているメガネのレンズの研磨技術は、トランシュバニアが一番と言われるまでになっている。
風車が立ち並び、様々な花が咲き誇るトランシュバニア公国。
俺は本当にちょっと行って帰ってきただけだが、カロリーンの話を聞いているとゆっくりと訪れたくなる気分にさせられる。
「ぜひもう一度、勇者様も公国にいらしてください。父も喜びます」
「そうさせてもらうよ」
もし結婚ともなれば、公王にも挨拶しないといけない。
いや、そうなると決まったわけではないのだが。
「ところで今日はどのようなご用事でしょうか」
「えっとね、言いにくいんだけど」
「その……、結婚の申し込みでしたら、謹んでお受けいたしますけど」
「えっ」
いや、なんで予期してるんだよ。
もしかして、先生があらかじめ、言っといたのか。
「いえ、そのシルエット女王陛下との婚約があったときに、もしかしたら私もかなと思って、お待ちいたしておりました」
「うーんそうか……、いやいや、待ってよ。カロリーン公女は結婚するなら自国民がいいって言ってたよね」
「国のことを考えればそうするべきかと考えていましたが、シルエット女王陛下が起たれたのを見て、私も考えを変えました」
「うん」
カロリーンは澄んだ声で、意志の強そうなブラウンの瞳を輝かせて言う。
「もし勇者様が結婚を申し込んでくださるのでしたら、交換条件としてトランシュバニア公国の自治独立の維持をお願いします。そして公家の家督は、いずれ父から私に継がせていただきたいと思います」
「おお、カロリーンも公女王になるのか」
カロリーンは、その通りですと、力強く頷いた。
「そしていずれは、勇者様と設けたお子に継がせていけば、トランシュバニア公国は生き残れます。それが、ベストだと判断しました」
「そうか……」
素晴らしい考えだ、しかし、こうもすんなりと求婚を受け入れられてしまうと、今度はこっちが考えてしまう。
カロリーンは、俺の顔色を窺うように、覗きこんで聞いてくる。
「どうしました、何か私はおかしなことを申しましたでしょうか」
「うんと、外交的な話は分かった。それがベストだって言うのも良いけど、カロリーン個人としてはどうなの」
いくら先生に頼まれたからとはいえ、政略結婚はゴメンだ。
冷めた家族関係を作るぐらいなら、たとえ政治的にベストの判断だとしても避けたほうがいい。
「ひとりの女としては、もとより勇者様をお慕いしております」
「そうなのか」
カロリーンは一見すると物静かだが、本当は直情的だ。
じっと大きな瞳を見ていると、吸い込まれそうな気持ちになる。目を合わせたら、その言葉に嘘偽りがないとは感じる。
「勇者様は、私をブリューニュ伯爵の手から救い、震える私の手を握って落ち着くまでずっと一緒に居て下さいました。この身をお任せするには、それだけで十分すぎるほどです」
「そうかなあ」
あんまりいい思い出じゃない。
俺は、調子に乗って防犯意識に欠けていたし、公女の手を握った時も周りに他の女性がたくさんいて、リア辺りに言わせると「是非もない」感じで、とてもロマンティックなものじゃなかった。
「逆にお聞きしますが、私は勇者様のご好意をいただけるに足りますでしょうか」
椅子から身を乗り出すようにして、さらに俺を見つめると、カロリーンは言葉を待っている。
こういう時に、気の利いた言葉が出てくればいいんだけどな。
カロリーン公女って、結構胸があるんだよな。
慎ましやかに隠された胸元を、覗きこみたい欲望はある。すごく愛らしいし、メガネっ子ってチャーミングだ。
お嫁さんにしたいかと言われたらそりゃしたい。
「うん、とても魅力的だと思うよ」
それは、性欲も込みでなんだろうけど。それも女性を選ぶ要素の一つだと思う。
話していて楽しいし、素直で優しくて物静かで、真面目でいざというときに決断できる意志が強さがある。
そういう公女の内面を好ましく思っているのも確かだ。
「そうですか、では出来ましたら、勇者様のお言葉で改めてプロポーズしていただけると嬉しく思います。私も、乙女ですから」
カロリーンは、椅子からさっと立ち上がる。
俺も立って、意を決して気持ちを言葉にした。
「えっとじゃあ、カロリーン。好きだから、結婚してほしい」
「はい、喜んで……。私の序列は、シルエット女王陛下の次で結構ですので」
カロリーンは、頬を仄かに紅潮させて、花の咲き誇るような微笑みを浮かべた。
それは綺麗で素敵なんだけど、序列と言われると、現実に引き戻されてしまう。
「あの、いまさら聞くのもなんだけど、カロリーンの他にも、たくさん奥さんがいるってどうなの」
俺はライル先生にも求婚してるのだ。
本当に今さらだけど、大丈夫なのかって少し怖い気がする。
「もちろんかまいませんよ、貴族で側室がいるのはよくあることですし、百五十年前にトランシュバニアを救った勇者様は、たいへん慎ましやかな人物であったと伝えられていますが、それでも公式に十六人の妻を娶ったと聞きます」
「そうなのか」
慎ましやかで、十六人のお嫁さん。この世界の勇者事情はどうなってるんだ。
カロリーンは、それぐらいならよくあることですから、気にしなくていいんですと語った。
他ならぬ常識人のカロリーンが言うんだからマジなのだろう。
結婚の約束を取り付けて、ホッとしたけど、なんだか立ち上がったままだと少し気まずい。
「えっと、どうしました?」
「えっと、その一応それらしいことをしたほうがいいのかなと、迷ったりしている」
「ああ、デートしなきゃ結婚できないでしたっけ」
「その話、まだ引きずられてるのか」
リアが言い出したことだ、もうすっかり忘れてたよ。この期に及んで、そんなことは気にしない。
でも、せっかくだから結婚前に、恋人らしいことをしといたほうがいいんじゃないかなと思う。
「じゃあ、抱きしめてもらっても?」
「喜んで」
俺は、手を広げたカロリーンの豊かな胸に飛び込んだ。
ああドレスがなんか、思ったよりフカフカする、カロリーンの肉付きはとても柔らかくて気持ち良い。
何となくそういう雰囲気かなと思って、キスしようとしたら唇を指先でチョンと押さえられた。
「勇者様そっちは、結婚してからでお願いします」
「ごめん」
そういうとこは、やっぱり真面目なのか。
まあともかくも、これで俺の伴侶は三人となった。
※※※
カロリーンへの求婚も上手く行って、俺はホッとして寝床につく。
いつものように、オラクルちゃんを抱きまくらにして、後ろからシャロンがくっついてくる。
結婚式も、本当に間近だ。
何か忘れてることはないかなと、うつらうつらしながら考えていると、何となく違和感がある。何かが引っかかってる。
「なあ、オラクル。お前ちょっと大きくなってないか」
「ん、そりゃ食べ盛りじゃからな」
いや、お前は違うだろう。
確かに最近はいつにも増して、たくさん食べているようだけど。
オラクルは身なりこそ小さいが、三百歳のエンシェント・サキュバスで成長しないはずだったのに。
なんかちょっと背が伸びて、胸が出てきたように思う。
いつも抱いて寝てるから気がつける、細かい変化だ。
「なんか、不穏なものを感じるんだが」
「うーんとまあ、正直に言うとじゃな。子供を作るのに、子供の体型じゃといろいろと差し障りがあるじゃろ」
この会話自体が、差し障りがあるんだけどな。
そうか待てよ。そういうことか、俺はオラクルとも子供ができるようなことをしちゃってるもんな。
猫のように丸まって、俺の腕の中に収まっているオラクルちゃんを手で持ち上げる。
「なあオラクル、俺と結婚しないか」
ビクッと背中にくっついてるシャロンの手が震えた。
まあ、魔族と結婚なんてビックリするよな。正直、いい顔されないかもしれない。
「ワシは別に形式にこだわってないんじゃが、結婚なんぞせんでも子はできる」
「いや、子の方にあんまりこだわってほしくないんだが、俺の気持ちの問題でな」
結婚に抵抗があったころなら十年ぐらい悩んでただろうけど、もう重婚の約束をしまくってる状況なので、いまさら何をか言わんやだ。
「タケルがしてくれと泣いて頼むなら、結婚してやっても良いぞ」
オラクルはそう言って、真っ赤な薄い唇をニヤッと歪めた。
無限に近い時を生きるオラクルちゃんにとっては、俺といる間など一瞬の出来事にすぎない。
こだわらないのはよく分かる。
ちゃんと責任を取りたいと思うのは、俺のエゴだからな。
「泣きはしないけど、両手をついて頼むよ」
「両手はワシを抱くのに使うが良いぞ。フフッ、こだわってはおらんが、好いた男に求婚されるのは、思ったより気分が良いものじゃ」
オラクルはゴキゲンで、バタバタと足をばたつかせながら俺の胸に小さい顔を埋めた。
俺はそっと、オラクルのツインテールを解いてやって、指でさっと髪を梳いてやる。大きくなるんなら、きっとそのうち、ストレートの長い髪のほうが似合うようになるのだろう。
「あっ、そうだシャロン。まだ起きてるか」
「はい!」
バサッとベッドから身体を上げる。
夜なのに元気だな。
「結婚のことで思い出したんだが」
「ふぁい!」
どうしたシャロン、なんか耳の毛が逆立って凄いことになってるぞ。
「実は、式のドレスなんだが、どうも王都の官僚はセンスが悪いらしくてな。こう、うちの商会で用意できないかと思うんだ。エストの街には、買収した服飾ギルドもあったから、シャロンのセンスで用意してくれないかなと」
「なんだ、そういうことですか……」
なんか、犬耳がヘナっとなったが、本当に大丈夫か。
「あと、オラクルのドレスも見繕ってやってくれ」
俺の肩を抱いて、オラクルちゃんが「頼むのじゃ」と、ニヤッと笑った。
シャロンは、ふあぁぁと、ものすごいため息をついて、そのままガクンとうなだれた。
「ええそれはもう頼まれれば、ウエディングドレスの百着でも二百着でもご用意しますけどね」
「いや、一人一着でいいんだけど……」
なんだかシャロンは、機嫌が悪そうだ、あるいは具合が良くないのか。
今日は、そっとしておいたほうがいいと判断した。
「ご主人様、私にも何か、言い忘れたこととかございませんでしょうか」
「いや、これで全部だ、寝てるところを起こしてすまなかった」
さっさと寝ていたら、シャロンの手足がやけに強く何度もぶつかってきて、夜中に何度も眼を覚ましてしまった。
うーんまあ、誰だって機嫌が悪い日もあるよなあ。
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