第86話「大洞穴籠城戦」

 当然ながら、ハーフニンフのヴィオラとライル先生による井戸に毒を発生させて、毒草を生やすトラップは今回の戦争でも行われている。

 ロレーン騎士団領から、スパイクの街に至るまで兵も馬も毒を喰らいまくっているはずなのだが、脱落者は出ない。


「どうやら、帝国は解毒ポーションの補給重視に切り替えたみたいですね」

「帝国にも物の分かる人はいるってことですか」


 謎の疫病の原因が、『ニンフの毒』であるとはまだバレていない。

 何せこれまでも毒であることが分からず、ニンフ特有の呪いとして忌み嫌われるのが現状なのだから。


 しかし、原因が分からずとも解毒ポーションで治療できることは前の戦いの経験則でわかっている。

 物の分かった兵站官が、帝国にも居るのだ。


「さすがに七万の兵馬です。馬に飲ませるまでには行き渡らないでしょうし、その分だけ回復ポーションの補給が行き渡らなくなるから、意味はあります」


 しかし、足止めできないのは痛い。

 帝国も、本来なら本国の抑えに残しておく兵力も結集しての総攻撃なのだ。早く兵を進めようと躍起になっている。


 そこで、スパイクの街まで歩を進めた帝国軍の足を止めたのは、オラクル大洞穴から発生する大量のモンスターだった。

 痛手となるほどではないが、無視できるわけでもない。


 大洞穴の近隣に居た帝国軍の兵団は、帝国の三大領邦国家の一つ、北東の果てラストア王国からかき集められた、騎士隊と傭兵で構成された五千人の混成大隊であった。

 ラストア人の将軍、ライ・ラカンは帝国軍本営から、オラクル大洞穴を速やかに沈めよという命令に渋い顔をする。


 西のシレジエくんだりまできて、栄誉あるラストア氏族クランの騎士が、輜重隊や投石機の護衛などつまらない仕事をさせられたかと思えば。

 今度は、冒険者の真似事をさせられるのかと不快だったのだ。

 しかし、命令とあらば仕方がない。


「勇敢なるラストアの戦士たちよ! まずはこの邪魔な魔物どもを片づけるぞ」


 鍔のある鉄の兜カバリンをかぶり、チェイン・メイルの上にラメラー式の胸甲をつけたライ将軍は、馬上で大振りの蛮刀を振るって、旗下の大隊に洞穴の討伐を命じた。

 人類世界の辺境に住まうラストア人は、魔物との戦いに慣れているし、平時は冒険者稼業の傭兵も似たようなものだ。

 ダンジョンの地階を制覇するなど、いともたやすいことだと思っていた。


     ※※※


 しばらく休業中だった『オラクル大洞穴』は、貯めた地中からの魔素をフル動員してモンスターを活性化させている。

 それをダンジョンを守るため使うのではなく、外に向けて攻撃に使っているのだ。


 ダンジョンマスターのオラクルちゃんが居れば「邪道じゃ」と嘆くところだろうが、いまは自動管理になっている。

 オーガ種やゴブリン種のモンスターが、雪崩を打ってダンジョンの外に出ていくのを、隠し部屋に潜んでいる義勇兵団とオラクル子爵領の騎士が眺めている。


「おい、へっぽこ隊長。本当にこんなところまで帝国軍はくるのか?」


 オルトレット子爵に仕えるフルプレートの鎧を着た、女騎士ドロス・トコードが、隣でダンジョンの覗き窓から外を偵察している、革鎧を着た茶髪の兄ちゃんに尋ねる。


「ドロスの姉ちゃん。へっぽこは止めてくれよ、俺はマルスって名前があるの!」


 このガラの悪いチンピラにしか見えない茶髪の兄ちゃんが、千人足らずのオラクル大洞穴籠城軍の大将なのだ。

 義勇兵団一番隊長という役職を与えられているが、元は義勇軍のベースキャンプのあるオナ村の村長の息子だ。


 銃を使わせても、槍を使わせてもてんでダメで、みんなにへっぽこ呼ばわりされているマルスだが、明るくて大きな声を持っているからという変わった理由で、ベテラン揃いになっている元オナ村自警団の面々のリーダーになっている。

 元々が村長の息子ということもあり、隊長になっても気さくで威張ることがない素直な性格なので、周りに押し立てられて将士としては意外に有能だったりする。


「お前こそ姉ちゃんはやめろ、私は誇りある騎士なのだぞ」

「じゃあ、俺だって誇りある隊長だよ。勇者タケル様から直接お言葉をかけてもらったことだってあるんだぞ」


 そう自慢げに胸を張って笑う茶髪のチンピラを見て、黒髪の女騎士はため息をつく。

 彼女たち、まともな騎士から見ると、若い義勇兵の戦い振りは農民の子供が遊んでいるようにしか見えない。


 それなのに、彼らが使う銃や大砲は、長い鍛錬を積んだ騎士の剣よりも強いのだから、時にやるせなくなる。

 騎士ドロスの主であるオルトレット子爵閣下が「時代が変わった」とおっしゃっていたのはこのことだろう。


「ああ分かった、そんなことはどうでもいい、へっぽこ。帝国軍はくるのかこないのかと聞いてるんだ」

「そりゃくるでしょ、うちの無敗の軍師様がそうおっしゃってましたから」


「ライル国務卿か、有能なのは分かるが、あの御人はどこか得体が知れなくて好きになれんのだがな……」

「あっ、敵がきたよ、お姉ちゃん!」


 揃いの鍔のある鉄の兜カバリンを被ったラストアの騎士達が、オーガやゴブリンを駆逐しながら、大洞穴の入り口までやってくる。

 馬上で大きな蛮刀を振り回す騎士の後ろから、徒歩で随伴している槍を担いだ傭兵たちもやってくる。


 これから、大洞穴の中へと突入しようとするのだろう。

 洞穴の隠し部屋に篭る籠城軍も、迎撃の準備を始めなければならない。


「私は、お前の姉ではないと言ってるだろ!」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、姉ちゃん。ほら、みんなも準備!」


 マルスの指示で、義勇兵たちは各自の持ち場へと散る。

 オラクル大洞穴には、メンテナンスのための隠し部屋と、それらを繋ぐ隠し通路がきちんと用意されている。


 そこから奇襲すれば、ほぼ一方的にダンジョンに入ってくる敵を迎撃できるのだ。

 通常のダンジョン運営では、絶対にやってはいけない禁じ手の一つだが、戦争なので仕方がない。

 オラクルの「世も末じゃ」という嘆きが聞こえてきそうではある。


 ちなみに、これはオラクルから聞いた余談だが、メンテナンス用の隠し部屋や通路を攻撃に使用してはいけないのは、その存在が冒険者にバレて塞がれてしまうと、ダンジョン運営に致命的な打撃を受けるからであるそうだ。


 隠し部屋は、隠れているからこそ意味がある。

 したがって、今回の作戦はあくまでも非常手段だ。


 さて、問題は敵がノコノコとダンジョンにまで誘い込まれてくれるかどうかだが、その問題はいまクリアされたようだ。

 馬から降りた騎士と、槍を担いだ傭兵たちが、何の警戒もなくずんずんと大洞穴に入り込んでくる。


 元々モンスター相手の戦闘に習熟している彼らからすれば、日常茶飯事の行為をここでも行おうとしていただけで。

 まさか雑兵と侮った敵が、ダンジョンを使って籠城していようなどと思っては居なかった。


 だから、大洞穴の地階の奥の大部屋まで誘い込まれたラストアの氏族騎士は、突然壁だと思っていたところから現れた義勇軍銃士隊に、ほとんど抵抗することもできずメッタ撃ちにされた。


「いやー、接近戦はやっぱり散弾銃ショットガンだね」


 得物の火縄銃をさすりながら、マルス隊長は得意げに笑う。

 一番隊は、激戦が予想されたので、新兵器の散弾を与えられた。

 それが、隊長の彼には誇らしいのだ。


 通常は一発だけのところが、散弾は薬莢に六つから九つの小さな弾が詰まっている。

 飛距離は落ちるが、面に対しての攻撃になるため、接近戦での殺傷能力は格段にアップする。


「隊長の弾だけは、ほとんど当たってなかったッス」


 そう部下に指摘されて「うるせえよ!」とマルスは、顔を真っ赤にした。

 それで、若い義勇兵たちは腹を抱えて笑っている。戦場でも和気あいあいと楽しい、彼らのいつもの光景だった。


「栄誉ある騎士が、哀れなものだな」


 騎士ドロスはそんな歓談には加わらず、沈痛な面持ちで、まだ辛うじて生きていた敵の騎士の首を掻き切った。

 わけの分からぬままに鉄の玉を浴びせられて死ぬよりは、剣で死ぬほうがまだ騎士らしい最後であろう。


「ほら、遊んでる場合ではない、次が来てるぞへっぽこ!」

「姉さん酷いなあ」


 新しい敵の騎士と傭兵からなる小隊が、大部屋に乗り込んできた。

 マルスたちは、さっと壁にしか見えない隠し扉を潜り抜けて、敵の背後に回る。


 帝国軍の騎士たちが、義勇兵達が消えた壁を不思議そうにさすっていると、違う隠し扉から別働隊が現れて、散弾を浴びせて始末するのである。

 狭い大洞穴では、大軍を小隊に分けて投入するしかなく、隠し通路を知り尽くしている籠城軍の方に圧倒的な地の利がある。


 これはもう戦闘ではなく、帝国軍が戦力投入を諦めるまで続く、一方的な射殺の繰り返しだった。


     ※※※


「何なのだ、これは……。中で何が起こっている」


 次々と、送り込んでは消えていく旗下の騎士や傭兵たち。

 まったく報告が帰ってこない。大事な兵たちが、暗闇の底に引きずり込まれていくようだ。


 ジリジリと焦る気持ちを抑えこんで、静粛たる表情で腕組みして朗報を待っていたラストア人の将軍ライ・ラカンも。

 ついに行方不明者が千人を超えたところで、しびれを切らせた。


「ええい、俺が行く」

「ライ将軍、危のうございます!」


 ここで、危ないと将軍を止めるのではなく、自分が将軍の肉壁となって前に進もうというのが、勇猛たるラストア氏族の戦士の気概である。

 ライ将軍を守れと、将軍旗下の誇りある騎士たちが怒涛の群となってダンジョンに押し入ってきた。


「うあっ、多すぎ」


 マルス隊長は、焦りのあまり叫んだ。

 蛮刀とラメラーアーマーで武装した騎士の群れが、叫び声を上げながら大部屋に乗り込んできたので、散弾を食らわせたまではよかった。


 余りにその数が多くて、殺しきれなかったのだ。

 一度撃ってしまえば、弾込めに時間がかかるのが火縄銃の悲しいところである。


 慌てて、隠し部屋に逃げ込もうとするも、最後尾のマルスが隠し扉に挟まってしまった。


「隊長なにやってんすか!」

「いやぁー助けてー!」


 隠し扉に挟まってジタバタしているマルスを、義勇兵たちが慌てて隠し部屋に引きずり込む。

 無骨な蛮刀をきらめかせて、マルスの下半身に斬りつけようとラストア騎士が飛びかかる。すんでのところで引きずり込んで、隠し扉を押さえつけた。


「ほんとにドン臭いなあ。おし、へっぽこ隊長セーフだ。別働隊、回り込め!」

「へっぽこって、言うなよぉ……」


 マルス隊長が頼りにならないので、もはや指揮も他の兵士が勝手にやっている。

 隠し扉で足止めを食らっている騎士たちめがけて、また別の隠し扉から銃士隊が現れて死体の山を築く。


「貴様らァ!」


 ライ将軍は、怒声を上げながら銃士隊に斬りつけた。


「ひいっ!」


 慌てて義勇兵が散弾を撃ちこむも、ライ将軍の空気を震わせる怒声の迫力で、狙いがそれて深々と斬りつけられた。

 騎士ドロスは自分の出番だと、斬られた義勇兵をかばって、直刀サーベルを抜いた。


「馬鹿者、これが騎士たるものの戦いかァ!」

「私だって好きでやってるわけではないわ!」


 一閃、将軍の斬りこみを受けただけでビリビリと手がしびれるが、それでもドロスはなんとか二閃、三閃と重い斬撃をいなした。

 倒さなくていい、時間を稼ぐだけでいいのだ。


 冷静さを取り戻した義勇兵が散弾を詰めた銃を、怒声を上げながら斬りこんでいるライ将軍に向ける。


「将軍危ない!」


 隣で蛮刀を振るっていた護衛のラストア騎士は、自らの身体を盾として銃撃をその身に受けた。

 銃撃で、吹き飛ばされてくる味方の身体を受け止めると、ライ将軍はそのまま勇敢ある氏族騎士の身体を抱え持って撤退命令をくだした。


「引け!」


 近衛の騎士たちはライ将軍を守りながら、ダンジョンの通路を退却していく。

 義勇軍銃士隊は、敵の将軍を倒せば勝ちだと盛んに弾を撃ちかけるが、敵の捨て身の防御に阻まれて討ち果たせなかった。


「大丈夫か、飲め。ポーションだ」


 騎士ドロスは、斬られた若い義勇兵の男に回復ポーションを飲ませて介抱している。

 隊長のマルスも、おっかなびっくり様子を見に来た。


「なあ、ドロスの姉さん。あのでっかいおっかない奴、将軍とか言ってたけど、また来るかな」

「わからんな、警戒は怠るべきではないが。意外に冷静な判断ができる将のようだったから、もう無闇には攻めて来ぬかもしれん」


 騎士ドロスの予想通り。

 オラクル大洞穴が、シレジエ王国側の要塞になっていることがこれで知れ渡り、帝国軍は無闇に手を出さなくなっていく。


     ※※※


 大洞穴の外まで、這々の体で逃げ出してきたライ将軍は、自分が抱えてきた誇り高きラストア氏族の戦士が、胸の中で息絶えていることに気がつくと。

 うおーと、獣のような叫び声を上げて泣いた。


 ライ将軍は、もうやってられないと、兵馬をまとめて陣を引く準備を始めた。

 これ以上理不尽な戦を強いられるなら、このまま祖国へと帰還するつもりだった。そこにさらに伝令の兵が入ってくる。


「将軍、本営のフリード皇太子様から『早くオラクル大洞穴を沈めよ』と、矢のような催促が来ておりますが……」

「金獅子皇が直接ここに来いと言ってやれ、こんな無茶苦茶な戦いで、これ以上俺の大事な兵が殺されてたまるか!」


 結局、オラクル大洞穴のシレジエ王国側の籠城軍は、寡兵でよく戦い。戦争が終わるまで、ここで持ちこたえることになる。

 帝国軍が引けば攻勢をかけたり、さらにモンスターを吐き出してみたりしては、帝国軍の後背を脅かして、多くの兵を足止めすることに成功したのだった。

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