Say Goodbye to Mr.World
@NatsumeHiromoto
1. God's truth is on the top of mountain.
今日、世界は終わりを迎える。
真っ赤に染まった朝焼けを見ながら、俺は確認するようにもう一度、呟いた。
「今日、世界は終わる」
恐怖感が全くないといえば嘘になるけど、もう百五十年近く前から判っていることだ。 当時はずいぶんと混乱して、政府のお偉い方も色々と試行錯誤したらしいが、大して意味はなかった。 何しろ、神のお告げだ。
百五十年前、神さまは告げた。
2030年7月27日。世界は滅ぶであろう。
やけに中途半端な日付だ。もしかしたら神さまにとっては何か、思い入れの深い数字なのかもしれないけど。
かつて似たようなことがあったらしい前回と違って今回、神さまは方舟造りの許可を与えてはくれなかった。何しろ洪水なのか隕石なのか、はたまた巨大亀の襲来なのか、誰も世界がどう終わるのかを知らないのだ。
政府は表向きその事実を否定してきたが、それも今日という日を正式に休日とした事でおじゃんだ。世界がその機能を意思的に停止した、最初で最後であろう日。
俺はというと、大してすることもなかった。孤児だった俺は市の施設で育てられたし、その施設も国の一存で二年前に閉鎖していた。
寮の連中のほとんどは、自宅へと戻っていた。
いつもは賑やかなダイニングルームに下りても、そこには誰もおらず静まり返っている。俺と同じく他に行き場所のないクラスメイトと一個上の先輩が残っているはずだが、まだ起きてはいないらしい。時計を見ると、五時半を僅かに過ぎたところだった。
朝食を作りに隣のキッチンに行き、冷蔵庫を開く。こんな日でも腹は減る。
フライパンを熱しながらネットTVを見ると、どのチャンネルも神に祈りを捧げている中継が流れているだけで、すぐに消した。
神道、仏教、キリスト教、ヒンズー、イスラム、エトセトラ……。一体どの宗教の神さまが俺たちに滅亡の意思を告げたんだろう。それとも神さまってのはやはり一人(と呼べるのかはわからないが)なのだろうか。
ベーコンと卵を落としたところで、クラスメイトがあくびながらに起きてきた。黒のジャージにオレンジのパーカー。少し長めの茶髪は寝癖ではねている。
「おはよー彰文」
「早いな、拓郎。いつも遅刻ぎりぎりのくせに」
「寝たまま死にたかったんだけど、目が覚めちまった」
冷蔵庫から牛乳を出して、コップに注ぎながら飄々と言う。
べつに強がりでも何でもないのだろう。こいつはいつもこうだ。それこそ世界の終わりの日さえ。鈍いくせに大陸的にすこんと突き抜けたこの性格を、時々うらやましくも思う。
俺はベーコンと卵をひとつずつ足し、トースターに食パンをセットした。拓郎はコップに注いだ牛乳を一気飲みしている。
こいつってたしか、牛乳嫌いじゃなかったっけ。
そう疑問に思って訊ねようとしたが、連続ゲップに挑戦している奴を見てたらどうでもいい気分になってやめた。
「あー…しかし何だね。今日で俺の短い人生も終わりか」
「やけにアッサリしてるな、お前」
呆れて呟いた俺の言葉に拓郎は口を手の甲で拭いながら肩をすくめた。
「だって、皆そんなもんだろ。生まれてきたときからずっとそう教わってきたんだからさ」
「不思議なもんだよな。学校で教わるわけでもないのに、どこで皆知ってくるんだろうな」
「そりゃネットでしょ。あとは親とか」
興味がなさそうにピアスを弄っている拓郎に同じく適当に相槌を打って、俺はフライパンを火から下ろした。テーブルではなくソファに座って、いつもよりかなり早めの朝食を取る。
俺と同じくネットTVを見た拓郎は、なんだこりゃと言って笑った。
「なぁ、一体どの神様が正しいんだろうな。やっぱり突き詰めたら同じなのかな?」
先ほどの考えを問うてみると、そりゃそうだろうと、打って響くように答えが返って来た。
「でも、例えば仏教とかヒンズー教とかにはたくさん神様がいるだろ?」
「そういう難しいことは判んないけど、結局のところは一つなんじゃないのか?」
「なのかなあ。全知全能の神、みたいな?」
「ちなみに俺はこう考えてる」
たっぷりのバターといちごジャムを塗った、見てるだけで胸焼けしそうな食パンの最後の一欠けらを飲み込むと、拓郎はソファの上に胡坐をかいて両手で三角を作った。
「これが山だとするだろ? そんでここが山頂」
そう言って三角のてっぺんを顎で指す。
「要はこの人生という名の山を、人は登っていくわけだよ。スタートは皆ふもとからなんだ。でも登る道や、到達方法が違う。なだらかに螺旋を描きながら上を目指す者もあれば、一直線にロッククライミングするやつもいる。けど、一人じゃやっぱ難しいだろ?」
「一人がいいって奴もいるけどな」
「ああ、自分で攻略法を考えるタイプだろ。ま、でも普通は誰か先人の知恵を人は求めたくなるわけだ。そのガイド役が宗教ってわけ。それぞれ自分にあった到達方法とルートを選ぶ。長く苦難の道のりには慰めと杖が必要だ。それでも目指すところは皆同じ。てっぺんを目指してそこにたどり着こうとする」
「てっぺんには何があるんだ?」
「そうだなあ。真理じゃないか?」
「真理ねぇ……なるほどな」
きっとてっぺんに何があるかだなんて、知っている人間はいないんだろう。けれど、みんな山を登りたがる。 何があるかなんて分からないのに。そんなプログラムが生まれたときから遺伝子に組み込まれている。
なぜだろう。何のために? そういえば好奇心は人間の本能の一つだって、誰かが言ってたっけ。
「ところでさ、神さまってやっぱり全能なわけだよな」
拓郎の疑問に首を傾げてみせる。
「ユダヤ教やキリスト教では、全知全能ってのが常識じゃないか?」
「じゃあさ、もし神様に、神様ですら見たことのない極上の美女を創ってくださいって頼んだらどうなるんだろう」
「お前、そんな夢もってたのか」
「違うって。それって創れんのかってこと」
「そりゃ楽勝だろ?」
「でもさ、神様が見たことの無い極上の美女、だぜ?」
「んー?」
一体、何がおかしいというのだろう。言っている意味がよく理解できずに、腕を組む。拓郎は更に首を傾げて、目線を上にあげたまま唸った。
「だって変じゃん。全知全能なのに知らないことなんてあんのか?」
「……なるほど。つまり、“神さまですら見たことのない”極上の美女なんて創れるはずがない」
「けど、全知全能の存在に創れないものなんてない。それってとんだパラドックスじゃないか?」
こいつは本当にたまに変な具合に頭の回転を回すな、と半ば感心しながら顎を掻いた。
「そうなると、神さま=全知全能説って半信半疑だな。何となくそう思い込んでたけど」
「たくさん神様がいるってのも、こうなると理に適ってるかもよ」
「面白いな。こりゃ佐倉先輩の意見も聞きたい。どう思うかな」
「いやーあの人は切り捨てるだろ」
「神なんているわけないじゃない、って?」
「まぁ、そうね」
唐突に後ろからハスキーな声がして、俺たちはぴきりと固まった。
「……お、おはようございます、センパイ」
「まだパン余ってる?」
「あ、はい。作りましょうか」
「いいよ、自分でするし」
にべもない言葉に、浮かせかけた腰をまた下ろす。
寝起きの気だるさを漂わせ、 彼女は耳が見えるほどに短い黒髪を軽くかき混ぜた。赤いキャミソールに白い二の腕。あまりに細い。それでも背が高いせいか決してか弱くは見えず、ネコ科の野生動物のようなしなやかさがある。
あまり表情が表に出ないところも何となく、ネコ科の野生動物のような印象がある。
「ねぇ、先輩はやっぱ神さまなんて居ないって思ってます?」
ミネラルウォーターのペットボトルをラッパ飲みしている彼女に拓郎が尋ねた。
「まあ、そうね。正確には、居るかどうか判らないって思ってるけど」
さっきの言葉に付け足した答えを返し、先輩はペットボトルを冷蔵庫に戻した。しかし拓郎は納得できないような表情で更に言い募る。
「でも、そうしたら百五十年前にあったお告げは?」
「そうそう、全世界同時中継ですよ」
参戦するように言葉を重ねた俺をちらりと見て、彼女は食パンをトースターに入れた。そして縁が少し欠けたマグカップに、インスタントコーヒーを、スプーンを使わずにばさばさと入れる。
「人類の最高発明って、なんだと思う?」
「は?」
俺たちは口を開けた。それでも少し悩んで答える。
「電気?」
「飛行機、かな」
拓郎と俺が順番に答えると、先輩はいつもどおりのちょっと澄ましたような、退屈そうな表情で答えた。
「神さまだよ。神さまという存在の発明」
むかし読んだ小説の受け売りだけどね、と先輩は言い足してお湯をマグカップに注いだ。何だか毒気を抜かれた気分になって俺たちは口を噤んだ。そんな後輩どもを気にすることなく、先輩は言葉を続ける。
「God is Whiteって言葉、聞いた事ある?」
「あ、俺ある。神は白人だって意味でしょ?」
昔、黒人への人種差別をテーマにした映画のデモのシーンで、そんなのを見た記憶があった俺は、さながら授業のときのように片手をあげて答えた。
お湯を注いだマグカップにたっぷりと牛乳を入れながら、先輩は頷く。
「惨いセリフだと思わない? これほど皮肉で残酷な言葉ってないよ。 無宗教のわたしですらそう思うんだから、クリスチャンの人にとってはすごい責め苦だったと思う。 まあ、本当の意味ではよく理解できないけど。信仰心って」
彼女はマグカップに息を吹きかけ、そっとカフェオレを啜った。
「なんにせよこの言葉って神が人間に創造されたっていう象徴みたいなものだと思うんだよね。 無理やりな言い方をすれば、人間による自己中心的な願望と思い込みが生んだ神さまっていうか。 時を経るごとに神の名だけが増えていく。昔から、世の中が乱れると笑いと宗教が流行るっていうしね。 これからも形を変えたりして増え続けていくんじゃない? 今日、世界が終わらなければ、だけど」
俺は何となくそれで納得してしまったけど、拓郎はまだ諦めなかった。マルチーズのようにキャンキャンと先輩に食って掛かる。
「でも、じゃあ百五十年前にあったことは?」
百五十年前。
記録によると、同時期に地球上で何千人もの人間がそのお告げを聞いたという。
とはいえ、彼らが見たもの聞いたものは驚くほど一致していなかったらしいのだが。 ベッドで一センチの隙間もなしに抱き合っていた男女ですら、当時の証言によると女は眩くて直視できないほどの光を見たといい、男は雄々しい獅子だったと言い張ったらしい。
全ての証言の中で共通していることはただひとつ、その未知の存在が世界滅亡の予言を日にちまで正確に告げた、ということのみだ。
「さあ。“何か”が起きたのは確かだろうけど。ただそれが神のお告げだって、どうして断定できる?」
「だって、色々と証拠があるし、」
「何の証拠? 政府が否定している以上、正式な記録はないでしょ」
「でも、証言は山ほど残ってるじゃないですか!」
「ほんの何千人でしょ? 当時、何億の人間がいたと思ってんの。 超常現象に対する目撃証言のあいまいさなんて論議され尽くしてるよ。それに、わたしはあんた達が聞いたから自分の考えを述べただけ。悪いけど、討論は好きじゃないの。熱く語りたいならネット上ですれば」
ぐうの音もでない、とはこのことだ。KO勝ち。
拓郎は黙り、先輩は何事もなかったかのようにマグカップを口元に運んだ。
「あの、じゃあ最後にひとつだけ」
懲りないヤツだ。人差し指を一本立てて、拝むようにしている拓郎の襟首を掴む。もう止めとけと言いたかったのだ。
しかしその言葉を口にするより先に、拓郎は問いかけた。
「先輩は今日、世界が終わると思います?」
「終わると思う」
彼女は即答した。それは淡々としていながらも、まさしくお告げのように俺の耳に――おそらく拓郎の耳にも同じように――届いた。それ程、あまりにもきっぱりとした物言いだった。
「お告げは信じていないのに? 矛盾してません?」
思わず俺がそう尋ねると、彼女は笑った。
そう、笑ったのだ。滅多にあることじゃない。ふわりとした笑い顔は、思いのほか柔らかかった。それは無駄のないシャープな顔の輪郭が、緩やかになったせいかもしれない。
「そう、矛盾してる。わたしはね、矛盾って言葉がそんなに嫌いじゃないの」
「へぇ意外だ」
拓郎が驚いたように言ったが、それを気にすることもなく先輩は、少し焦げた食パンの表面をバターナイフで擦り落とした。俺は密かに、こいつは今の先輩の笑顔に、動じなかったのだろうかと考えていた。
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