オカルト

 昼休みが終わり、五時間目の授業が始まった。この学校は、朝に玄人が言っていたように、毎日の授業時間が他所よりも一時間だけ短く、五時間目が最後になる。それは、いろいろな年齢の子どもが集まっているからというのもあったが、主たる理由としては、やはり体への負担を減らせるからというのがあるようだった。 

 ――それにしても。 

 休み時間に話題となった、この学校の名前。盈虧園という言葉の響きは、私に遠い過去の記憶を揺り戻させるものだった。元々の意味は、月の満ち欠けだとか、物事の流行り廃りとかそういったことだけれど、私にとって盈虧というワードは、それとは違った特別な意味を持っていた。 

 子どもたちの成長は山あり谷あり、色々経験することが大事……双太さんはこの学校に盈虧という名称がつけられた理由をそう説明していた。そしてそれは、偶然にも昔耳にしたフレーズにそっくりだったのだ。だから、双太さんのそんな台詞に、私は少し驚いていた。 

 ……まあ、単語の持つ意味からして、同じようなフレーズが出来上がるのは自然なことなんだろうけれど。 

 盈虧。それは人生の満ち欠けだ。 

 なら今、私はようやく深い谷から抜け出せたところなのだろうか。 

 後は満ちるだけ。そんな生き方が、出来るだろうか。 

 この、満ち足りた暮らしを掲げる街で。 

 色々と考えを巡らせていると、いつのまにか黒板に書かれた文章が、三行ほど増えている。いくら内容を覚えているからといっても、期末試験直前なのだし、ぼうっとしていると痛い目を見てしまいそうだ。……それでもなんとなく、今日は授業に集中できるような気分にはなれなかった。 

 ノートは持ってきていないし、ペンは握っているけれど、重要な部分には既に線が引かれていてこれ以上書くものはない。双太さんの話を耳に入れているだけで、多分なんとかなるだろう。 

 ……こうして意識が遠くへいってしまっていても、昨夜のように手が勝手に動いていた、なんてことはない。あの現象に襲われるのには、一定の条件みたいなものがあるようだ。まあ、そう言い切れるほどの回数を経験しているわけではないけれど。 

 自動筆記は静かな夜に、頭痛を伴って顕現する。今のところ共通しているのは、そんなところだった。

 退屈を紛らわせるために、教科書をパラパラとめくったり、ペンを転がしたりと馬鹿なことをしていたらチャイムが鳴った。五時間目、今日の授業が全て終了したという合図だった。 


「皆、今日も一日おつかれさま。ほらほら、虎牙くん。もう終わりだから起きて」 


 横を見ると、ちょうど虎牙が夢から覚めるところだった。惜しいことをしたな。もっと前から見ていれば、虎牙の面白い顔が見れていたのに。 


「おーっす……オハヨウゴザイマス」 


 ガラガラの声で、虎牙は双太さんに向かって言う。双太さんは呆れ笑い、教室はくすくす笑いに包まれた。 


「それじゃあ、来週から期末テストだから、皆頑張ってね。試験の日程は、この前配ったプリントの通り。掲示板にも貼ってるから、失くした人はそれを見ればいいよ。というわけで日直さん」 


 双太さんの掛け声で、日直の子が号令をかけ、全員が起立する。そして、一斉に礼をし終わると、皆思い思いに散っていった。 


 双太さんはそこで小さく一息吐くと、すぐに満雀ちゃんのところまでやって来て、彼女の手を取り教室を出て行く。私は、双太さんに昨夜の出来事について意見を聞きたくなって、するりと教室を抜け出して二人の後に続いた。 


「双太さん」 

「うわっ」 


 ちょうど扉を閉めようと振り向いたタイミングで、私の声と姿を認めたからだろう、双太さんは大きく仰け反った。 


「あ、龍美ちゃん」 

「はは……驚かせないでよ、龍美ちゃん」 

「えへへ、すいません」 


 何となく、チャンスがあるとこういうことがしたくなるのだ。真面目一貫だった反動かな、と諦めている。というか、楽しんでいる。……自分がされるのは絶対に嫌だけどね。 


「ちょっと、お話がしたくて」 

「うん? 昨日も結構お話はしたけども」 

「うゆ。仲良しだね」 

「こらこら」 


 満雀ちゃんの口調には、どことなく嫉妬のような感情が伺える。それは多分、本人も気付いていない気持ちなのかもしれない……などと私は勝手な妄想をしてしまう。本当は全然、嫉妬なんかしてないかもしれないし。 


「それにしても、朝の休み時間はちょっと驚きました。双太さん、盈虧園の由来を誰かから聞いたことがあるんですか?」 

「ああ、そのこと。盈虧園って言う名前は永射さんが付けたんだよ。理由は説明した通りだね」 

「永射さんが……」 


 永射孝史郎さん。この街の行政を担う責任者だ。少なくとも私たちはそう聞かされている。……しかし、あの人が盈虧園の名付け親だったとは、意外だった。 

 確か、永射さんは都会の方からこの街へやってきたはずだ。左遷に近いような気もするが……その辺はどうなんだろう。 

 まあ、その辺はさておき、あの人が都会からやってきたというのなら、ひょっとすると盈虧園という名称は、あの施設を真似した可能性もありそうだ。……さらに言えば、あの人はその施設に何らかの形で関わっていたのかも。単なる想像に過ぎないけれど。 


「やっぱり、頭のいい人だからね。色々な言葉を知ってるんだなあ」 


 双太さんは何も知らないような感じで、いつもながら純粋な目を窓の外へ向けながらそう言う。 


「……ねえねえ、双太さん」 

「うん?」 

「双太さんって、幽霊とか、オカルトとかって信じてます?」 

「……んん?」 


 突飛な質問なのは分かっていた。だから、双太さんがこんな風に目をぱちくりさせるのも、予想通りの反応だった。 


「突然不思議な話だね。……幽霊にオカルト、か」 

「お化けがいるかいないか、みたいなことですね」 

「うん。……そうだなあ、僕はいると思うよ」 

「……んん?」 


 今度はこっちが驚いた。てっきり双太さんともなれば、この目で見たもの以外は信じられないとでも言うかと思っていたからだ。というか、大抵の大人はそう言うだろうと考えていたのだが。 

 幽霊はいると思う。そう話す双太さんの目は、変わらず真っ直ぐで、嘘偽りを口にしているとは思えなかった。 


「ま、僕がそんなこと言ってるなんてことは内緒で」 

「あ、はい。でも意外でした」 

「そう思いたいっていう気持ちもあるけどね。人は死んで終わりじゃないと思えた方が、救われることもあるから」 

「……なるほど」 


 どうやら双太さんは、悪霊とか恐怖体験とかそう言う類ではなく、純粋に人が死んだあとどうなるかについて言っているようだった。質問の回答としては、確かに間違いではない。 


「悪い霊なんかも、きっといますよね」 

「だろうね……。人にも善悪があるんだから、霊にもあるんだろう。それは人格か、或いは遺伝子か」 

「遺伝子ですか……」 


 理系の人みたいなことを言うなあ、と思ったが、そういえば双太さんはお医者さんだった。 


「そんな風に考えたこともなかったです。なんか、ありがとうございます」 

「いやいや、お礼を言われるのはおかしいよ。変なこと言ってごめんね」 

「変じゃないですよ?」 


 私はそんなフォローをしながら、双太さんがチラチラと腕時計を見ていることに気づく。時間を気にしているようだ。……もう病院へ行かなくちゃいけないんだよね。足止めさせてしまった。  


「じゃ、そろそろ帰ります。突然すいませんでした」 

「ううん、気をつけて帰るんだよ」 

「はい!」 


 素直な返事をして、私はくるりと身を翻し、扉を開いて職員室から出た。 

 正確には、出ようとした。 


「きゃあっ」 


 思わず上ずった声が出てしまった。 

 ちょうど扉の向こうには、玄人が直立不動の体制でいたからだ。 


「の、覗きだー!」 


 反射的にそう言うと、玄人は呆気にとられた表情で反論してきた。 


「いやいや……僕、双太さんと行かないといけない日だから」 


 双太さんと行かないといけない……ああ、今日は玄人が定期健診の日というわけか。それで職員室の前に立っていたわけだ。合点がいった。彼の性格上、先客がいたから入ってこれなかったんだろう。聞き耳をたてるような度胸も、多分ないはずだ。うん。 


「あ。……ああ、そう。ちょ、ちょっとびっくりしただけだからね。じゃ、私帰るわ」 

「えと、龍美。明日の昼、集合ね」 


 明日の昼と言えば……そうそう、私が皆を誘っていたのだ。なんだか幽霊のことに気を取られて、色々ド忘れしてしまっているな。 


「忘れてないわよ! じゃあね」 


 どう考えても嘘臭い台詞になってしまったが、そう言い残して私はさっさと玄人と別れた。声は聞こえなかったので、多分呆れ顔でこちらを見ていたことだろう。……そんなのも、全然恥ずかしいわけではないのだ。これが私なのだし。 

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