自動筆記
今日の夜空は、いつもより暗い気がした。新月だと聞いた後だからだろうか。それとも、本当に暗いのが分かるほどなのだろうか。
部屋のカーテンを閉めると、私は勉強机の前に座った。机上には、今日学校で習った科目の教科書が置かれている。中のページには、重要そうな部分に線が引かれ、左上には勉強をした日付が拙い字で書いてあった。
私は、勉強をするときにノートをとらない人間だ。だからその分、繰り返すことでしっかりと内容を頭に叩き込むようにしている。昔はノートに何度も書き殴ることで覚えたこともあったが、それは非効率だと結論を出したし、何より今の私には到底無理なことだった。
家に帰って復習をする、と言うこと自体は幼い頃から変わらない。そこは、染み付いた日常の一つになっているし、別段嫌なことではなかった。強制されているわけでもないのだから。
勉強机の上に乗っている本棚に目を向ける。そこには、参考書や普段よく使う辞書などが見栄え良く整列している。そんな中に一冊だけ、場違いな本があった。古今東西のオカルト現象について事細かに記された、薄い雑誌だ。
その昔、親友と呼んでいた子に、もらったもの。
いや、もらったというよりは、引き取ったもの……か。
もう、二年が経つ。始めの頃は開くことすらどうしてもできなかったけれど、時間が経つにつれその拒絶反応は消えていき、むしろオカルトに興味を持つようになっていった。
それはまるで、彼女の跡を辿るようでもあった。
優等生で通っていた私には、縁遠かったもの。そして、親友との離別によって、さらに遠のいてしまったもの。それが今は手の中にあって、私の心を疼かせていた。
……そして。
私は今、そのオカルト現象とやらに取り憑かれているのかもしれない。
そう思わせるような出来事が、近頃起きているのだった。
「……」
教科書の復習は、後回しにする。過去を思い出したのは、何かの暗示かもしれない。そう考えて、私はペン立てから適当に一本、ボールペンを抜き取り、使っていないノートも引っ張り出して、目の前に広げた。
ペンの先をそっと、ページに付ける。それから、目を閉じてゆっくりと呼吸を繰り返した。
……息を吐くたび、頭がぼうっとしてくる感覚。瞼を閉じているのに、視界が薄ぼんやりと、赤色に染まっていくような気がして。
軽い頭痛が襲う。そう、この感じだ。俗に言うトランス状態というものなのかもしれない。この眩暈と痛みがやってきたときに、私は超常現象の体験者になるのだ。
やがて、ほんの一瞬だけ。意識が飛んだような空白とともに、倦怠感が押し寄せてくる。そこで私は、自分が息を止めていたことに気づいた。慌てて酸素を取り込みながら、目を開く。……するとそこには、予想していた光景があった。
ノートの上に、文字が書かれている。
もちろん、私は手を動かした覚えなどない。にも関わらず、ペンを持った手はいつのまにかぎこちなく動いて、ノートに文字を残していたのだ。
決して寝ぼけて書いたような、判読不能なものではない。それは確かに意味を持った一つの字だった。
――鬼。
「鬼……」
自動筆記(オートマティスム)、という現象なのだと、雑誌には書かれていた。初めてこの現象に見舞われたとき、私は食い入るように雑誌の特集記事を読んだものだ。この街へ引っ越してきてからこれまでに二度、こんな状態になったことがあって、これで三度目の経験だった。
しかし……鬼か。
今までは、読めるような読めないような、読めても数字とか、簡単なものしか書かれなかった。それが、今日は鬼という、どこか不吉な文字をはっきりと残したのだ。流石に少し、良からぬなにかをを感じとってしまう。
鬼……。
この街には、古くから残る伝承があった。それは、三匹の鬼の話である。
かつてこの地には三匹の鬼がいて、悪いことをした人に罰を与えたのだとか。
満生台で鬼と言えば、その伝承が嫌でも浮かんできてしまう。時代の移り変わりによって、言い伝えを詳しく知る者はもう殆どいないらしいが、それでも。
……鬼が現れるなら、それは誰かが悪さをしたときなのだろうか。それは誰かが、罰を受けるときなのだろうか。
私は、以前行われた電波塔の住民説明会を思い出す。そこでこの街一番の地主であり、一番古くから住んでいる瓶井文さんという人が、こんなことを口にしていた。
鬼に祟られるぞ、と。
もしもあのとき瓶井さんが告げたように、電波塔が悪しきもので、それを計画した者に祟りがあるとするならば。
永射さんの顔が一瞬だけ私の頭の中に浮かんで、そしてすぐに消えた。
……大丈夫、きっとこれは、ただの偶然だ。何の意味も、根拠もないもの。
きっと、前回の説明会で聞いた瓶井さんの言葉を、私は心の奥底で怖がっていたんじゃないだろうか。だから、こうして自動筆記として現れてしまったのだ。
……オカルトを期待する反面、いざ不可思議なことが起きると否定してしまいたくなるのは都合が良すぎるかもしれない。だけど、とりあえずはそう否定して、気持ちに折り合いをつけなければ収まらなかった。人間なんて、得てしてそういうものだ、きっと。
頭の痛みは未だにひかない。夜風に当たろうと、私はさっき閉めたカーテンをもう一度開けて、窓を全開にした。頭だけを外に出せば、涼しい風が心地よく撫でていってくれる。ようやく落ち着いた感じがして、私は溜息を吐き、静かに山の方へ目を向けた。
その薄闇の中に、電波塔がそびえ立っていた。
……鬼の祟りなんて、あるわけない。
だからあの電波塔は立派に使命を果たすだろうし、街の人たちもちゃんと満ち足りた暮らしができるのだ。
八月二日まで、あと二週間ほど。
どうか何事も起きませんようにと、私は空へ祈った。
……祈ったのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます