優しさの発信源

情熱大楽

優しさの発信源

          1



 人生、何が起こるか分からない。

 猿が木から落ちることもあれば、河童が川に流されることもあるし、バイト先のファミレスで、たまたま絶対会いたくない借金取りと鉢合わせすることもある――!

 それくらいのこと、とっくに知っていた。

 だから花の女子高生、五代温子・一六才は、鉢合わせの起こった瞬間、誰よりも早くアクションを起こしていた。

「店長! 早引けします!」

 レジで会計をしていた店長に怒鳴るように温子。

「な、何? おい、待て――」

 店長が困惑したようにいうが、

「待て! 五代のとこのガキだ!」

 待っているヒマはなかった。

 一瞬遅れて、自分が誰と出会ったのか思い至った二人組の借金取りが追いかけてくる。しかし温子はこと借金取りからの逃走において百戦錬磨だった。

 念の為、普段から場所を把握しておいた厨房奥の裏口へ向かう。突然飛び込んできた温子の乱入に厨房に悲鳴と怒号が飛び交う。

「に、逃がすな! アイツの親父の居所を絶対掴むんだ!」

 その喧騒に巻き込まれ、借金取りの動きがほんの少し鈍った隙を温子は見逃さなかった。裏口を飛び出し、そのままウェイトレスの制服のまま全速力で大通りを爆走。

「またクビか……」

 もはや涙も流れなかった。

 人生、何が起こるか分からない。

 けどこれだけは分かる。

 自分は不幸な人間だ。

 吐き捨てるような気持ちでその結論を再認識した温子は、慣れた動きで追っ手を撒き、そのまま街の中へ消えた。


            2


『絢爛荘』

 温子の住む街の郊外も郊外、迷路のような路地裏を蚊取り線香のようにグルグル周り、その中心部にそのアパートはある。

「ゼェ、ゼェ、ゼェ…………!」

 どこぞの街路樹や草むらに隠れでもしていたのか、ボロボロになったウェイトレスの制服に、夥しい数の葉っぱを纏わせながら温子はその絢爛荘の前にようやくたどり着いていた。

「さすがに疲れたわ……まさか途中で、別の借金取りと遭遇するとはね……!」

 ガックリうな垂れながら温子。

 どこの世界に、一日二グループの借金取りに追いかけられる女子高生がいるのだろう……そしてどこの世界に、その二グループの借金取りから冷静に逃げ、普通に自分、そして家族が隠れ住む家を隠し通すことに成功する女子高生が……!

「私、別に将来CIA勤務希望とかじゃないのよ……! 普通の会社勤めて、普通に優しいダンナさん候補に出会い、普通に結婚する……普通大好き人間なのよ……!」

 何故そんな私が、こんな目にあっているのか……!?

 カン、カン、カンとボロボロのアパートの階段を登りながら、温子はその元凶が何なのか考える。

 もちろん、そんなものは考えるまでもないのだった。

 温子をこんな目にあわせている元凶、それは、

「…………ただいま」

 強引に引っ張れば簡単に壊れてしまいそうな薄い扉を開け、アパートの一室に入る温子。すると、

「あ、あっちゃん、おかえり」

 台所から、どこか遠慮するような声。温子の母、望だった。

 望は温子の姿を見た途端、表情を悲しそうにゆがめる。

「……今日も大変だった?」

「……別に。借金取り二組撒いただけだからいつも通り」 

「そ、そう……いつもごめんね……。ご飯、食べる?」

「いい。……疲れてるんだからほっといてよ」

 つっけんどんにいう温子。

 疲れているのは事実だった。何せ温子は、バイトや借金取りからの逃走だけではなく、学校、そして将来の為の勉強もキチンとこなしている。異常にタフな温子なので何とか破綻せず回っているが、それでも、一日の終わりにはぐったりとなる。こんな日は何も食べず誰とも喋らず早く眠ってしまいたい。

 そう考える温子だったが、しかしそんな温子の前に、最悪のタイミングで、もう一人の家族……弱々しそうな男が現れた。

「温子……あのな」

「何よ……!?」

 露骨に温子に嫌な顔をされたのは、父、明だった。

 人の良い明は、他人の借金を肩代わりし、結果五代家の生活を散々なものにしてしまった。一度犯した過ちを、最低三度は繰り返してしまうこの父親を見ていると、温子は腹が立って仕方がなかった。

「実はな……その、あれだ」

 口ごもる明。

「いいから早く言ってよ、うっとうしい!」

「……家族がもう一人増えることになったんだ」

「――は?」

 スッ、とふすまを開けて、奥の部屋を見せる明。部屋の真ん中には、小さな布団で寝ている男の子がいた。

 温子はロをパクパクさせて、なんとか怒りのボルテージを普通に喋れる程度に下げる。

「何考えてんのよ、あれだけ借金があって、あたし達が毎日食べるお金にも困ってるっていうのに! ふざけるんじゃないわよ!  何とか言ってよお母さん!」

「お父さん、優しい人だから……」

 絶句する温子。

「バカッ、そういう問題じゃないでしょ!? だいたいどこの子供なの?」

「お父さんのお友達のお子さんなんですって。そのお友達が亡くなられたから、ウチでひきとるって」

 温子はこの夫婦には何を言っても無駄だと悟ると、同時に脱力し、床に膝から崩れ落ちた。

「……もう勝手にしてよ。お母さん達と話してると疲れるよ」

 温子はなんとか立ち上がり、ふらふらと自分の部屋へ帰っていった。


           3


「お姉ちゃん、牛乳こぼれた」

「だぁあ、このバカッ!」

 パコッ、と温子は容赦なく男の子――進吾の頭をはたいた。

「痛っ? 何すんだよ、このブス!」

「うるさい!  さっさとふきなさいよ」

「ぼ、僕はまだ五歳なんだぞ!」

「ウチでは年齢なんて関係ないのよ」

「お母さんは優しくしてくれるぞ!」

「うるさいわね、男の子なら一人で逞しく生きな!」

「チクショウ……」

 泣きながら自分でなんとかしようとする進吾。進吾を一人にしておけないとのことで、温子はアルバイトを辞めて、進吾の面倒を見る事になっていた。

(……恨むんなら、お父さんを恨んでよね)

 進吾を引きとってから三ヶ月。

 温子は優しくなれない自分を咎め、進吾に申し訳ないと思う気持ちも多少はあった。

 しかし、どうしても温子は、進吾に対して優しく接する事が出来なかった。


『他人に優しくされている人間だけが、他人に優しくできる』


温子の持論である。借金取り、アルバイト、友達。ここ数年間、他人に優しくされた覚えが無かった温子は、自分が他人に対して優しく出来ないのは当然、そう思い込んでいた。

 そんな温子に毎日面倒を見られた進吾は、次第に温子を頼らないようになっていった。


           4


「よ、ほっ、それ」

 進吾が危なっかしい手つきでねぎを切っていた。ことごとく指にあと数ミリ、というところに包丁が落ちる。

「ただいま……きゃあああ、進ちゃん!」

 母、望が台所の進吾のその姿を見て、慌てて駆け寄った。包丁を手から取りあげ、進吾の肩をゆする。

「な、何やってるの! 進ちゃんは包丁なんて使っちやダメでしょ!?」

「だ、だって、味噌汁が飲みたかったんだもん」

 怒っている母に焦り、必死に弁解する進吾。

「あっちゃんはどうしたの? あっちゃんに言えばいいでしょ?」

「お、お姉ちゃん? お姉ちゃんはダメだよ」

「え?」

 進吾は落ち着き、さらに今度は落ち込んで望に言った。

「何やっても怒って、優しくしてくれないんだもん。きっと何もしてくれないよ」

 それを聞いた望は、かつてみせた事のないような鋭い目つきを見せた。次の瞬間には早足で温子の部屋に向い、軽くノックする。

「あっちゃん、ちょっと出てきなさい」

「何? 私、忙しいんだけど」

 うっとうしそうに答える温子。

「……あなた、進ちゃんに何を教えてるの? 進ちゃん、一人で包丁使っておねぎを切ってたのよ?」

「! ……知らない、私のせいじゃないわ。勉強してるんだから、あっち行ってよね」

 望の心に青白い炎が燃え上がった。表情は消え、威圧感がにじみでる。望はドアを開け、勢いよく温子に近寄った。

「な、何――?」

 パァン、驚く温子の右の頬に望の平手打ちが飛んだ。

 一瞬何が起こったか分からなかった温子だが、痛みで頭に血が昇り、普段溜まっていた怒りをいっきに吐き出した。

「何よ、進吾に優しくできないのは、お母さん達のせいよ!?  私だって進吾に優しくしてやりたい、でも、こんな生活にしたのはお母さんとお父さんじゃない! 進吾に優しくできるほど、私は優しくされてないわ!」

 シーンとなる室内。望は短くため息をつくと、少し穏やかな顔になった。

「確かに、あっちゃんには苦しい思いばっかりさせてるわね。それは、私とお父さんの責任だわ」

「.…………」

「でもね、あっちゃん。温子っていう名前は、みんなをあったかい気持ちにしてくれる、そういう風になって欲しくてつけた名前なの」

 予期せぬ場面で、生まれて初めて名前の由来を聞いた温子は、いっきに怒りを風化させてしまった。かろうじて反論する。

「……無理だよ、そんなの勝手だよ。優しくされてない私が、皆をあったかくするなんて、出来っこないよ」

ぼそぼそと言う温子を見て、望はふと呟いた。

「誰かに優しくされた人だけが、誰かに優しく出来る……」

「え!?」

 あまりに自分の持論に似た母の咳きに、温子は素直に驚いた。

「これ、お母さんの昔の持論。あっちゃんも、こういう風に考えてるんじゃない?」

 黙って、何度も何度もうなづく温子

「じゃあ、あっちゃんだって気づくはずよ、人に優しくする意味が」

「え……?」

 意味?  温子は怪許な顔を浮かべ、望の次の言葉を待った。

「例えば。あっちゃんに優しくしてくれる人は、誰に優しくされて、あっちゃんに優しくしてくれるの?」

「そりゃ、誰かが……」

「そう、誰か。でもその誰かも、また別の誰かに優しくされなきゃ、優しくできない。そうやってずーっと辿っていくと……」

「誰にも優しくされてないのに、優しくできる人に辿り着くって事……?」

 自分の意図した答えを口にした温子を、望はいつもの優しい顔で抱きしめた。

「正解。いつか誰かが、人に優しくできる第一歩を踏み出さなくちゃ、優しさはみんなに伝わらない……そう思わない?」

 抱きしめられた温子は、張り詰めていたものが切れ、次には感極まって、ボロボロと涙を流し始めた。

「ゴメンナサイ、お母さん。私、分かってた、でも、分からないフリしてた」

 泣きながら訴えかけてくる温子の頭を、望は優しく撫でた。

「謝るのはお母さんの方。あっちゃんにそんなつらい第一歩を踏み出させるなんて、母親失格ね」

「……」

 温子は見た、望の頬に涙が流れていることを。

 二人は手を取り合って、一晩中わあわあ泣いた。


             5


「進吾~、今度お姉ちゃんとディズニーランド行かない?」

「やだ。お姉ちゃん、怖いもん」

「な」

 走り去っていく進吾を見て、温子はため息をついた。

(今までが今までだからね……前途多難だな)

 ふすまの陰から見守る望の視線に気づいた温子は、右手でガッツポーズを作り、任せとけ、ということをアピールした。

「進吾~、待ってよ!」

温子は進吾にもう一度アタックをかけようとした。

温子は今、本当の『温子』になろうとしていた。

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