第19話 裏切り
夜明け直後に、眠っているシェーラを揺すり起こした。
「まだこんなじかんじゃない……」
むにゃむにゃと二度寝を貪ろうとする彼女を無理矢理に起き上がらせて、頬をペチペチと叩いた。瑞々しく柔らかなそれは聞き心地の良い音を立てる。もちろん、こちらは一睡もできなかったのにという不満を込めてなどいない。
「このままだと処刑されるよ?」
「しょけい……しょ、刑……っ!?」
カッと目を見開いて、シェーラは大慌てで周囲に視線を巡らせる。部屋の中だとわかると、ホッと息をついた。
「酷いわ。嘘をついて起こすなんて」
不満を露わにするシェーラに決して大声を出さないように念押ししてから、カーテンの隙間を見るように言う。
「――っ!? どうして悪魔が?」
「いいから早く着替えて。裏から逃げるよ」
シェーラは迷わず服を脱ぎ捨てた。切迫した状況を理解しているようで、アリスが部屋の中にいても手を止めることはなかった。だからアリスはせめてもと彼女に背を向ける。
「マリアさんには教えたの?」
「いいや」
「どうして? いくら昨日の一件があったとはいえ、見捨てていいはずがないわ」
非難の視線がアリスを射る。妙に居心地が悪くてアリスは口早にまくし立てた。
「その必要がないんだよ。だってマリアさんが密告したんだから。物音がして目が覚めたんだ。外で話し声がして、気になって見てみたらマリアさんと悪魔が話してた。その後すぐ、この家を包囲するように悪魔が集まってきたんだ」
まだ全員が揃っていないのか、悪魔側に動きはない。だがそれも時間の問題だ。
「どうして……」
理解できないという表情でシェーラが震えた息を漏らす。
「さあ。自分が反逆者でないと証明するために僕たちを売ったか、昨日のことの腹いせか。あるいは最初からこれが目的だったのか」
「最初からって」
「僕たちに声をかけてきたときから、ってことだよ」
反逆者を密告することでなんらかの報酬が出るということも考えられる。それになんの意味があるかはわからないが、マリアにとって魅力的なものだったのだろう。
シェーラの荷物をまとめ終え、二人は部屋を出ようとする。そこで扉が向こう側から開かれた。マリアだ。
「もう、起きたの。……どこかへ行くの? 朝食はまだ――」
「アリス、駄目!」
首の薄皮一枚を裂いたところで刃が止まる。シェーラが止めなければ彼女の首を刎ねていただろう。
遅れて悲鳴を上げようとしたマリアの口を塞ぐ。壁に押し当てて顔のすぐ横に刀を突き刺した。
「僕たちを売った理由を話せ。大声を出したら殺す」
本気で言っているのが伝わったのだろう。マリアは涙を流し、その場に崩れ落ちた。こくこくと頷いて静かに語り始める。
「この街の長は献上品を殺すのが好き。だからこの時期になると命令が下される。運び屋を引き留めて罠にはめろ、って」
「過激派か」
人間はすべて滅ぶべきだという悪魔。それが人間のいる街を治めていることに驚きを隠せない。ただ、考えてみれば効率がいいかもしれない。献上品を始末すれば街一つが滅ぶ。漏れなく悪魔も消されるのだが、過激派からしてみれば穏健派など人間と同等なのだろう。
つまり、この街の人間は運び屋をおびき寄せるための餌。他の人間をすべて殺し尽くしたら、最後はここの番だ。マリアたちのしている行為はただの延命措置でしかなく、結末は変わらない。
マリアは凶悪な笑みを浮かべた。狂ったように歪んだ唇が恐怖すら感じさせる。
「処刑されたあのオッサンは馬鹿。運び屋たちを逃がそうとして憲兵に見つかった。だから一緒に殺された。……私は違う。あなたたちももう終わり。絶対に逃げられない」
「そんな……同じ人間なのに。罪の意識はないのですか?」
マリアは自嘲と憂いの混じる表情でシェーラから目を逸らした。
「だって仕方がない。私たちも逃げられない。この街を出ることはできない。生きるためには仕方がない」
街の状況は理解できた。マリアの助けは望めない。両者の利害は一致しない。アリスたちが逃げれば反逆者を助けたとみなされてマリアが処刑される。かといってアリスにはマリアを連れて逃げるほどの余裕はない。
「アリスだけは助けてあげようとしたのに。それなのに私を拒むから……。今からでも私のものになるなら助けてあげてもいい」
その言葉にシェーラが息をのんだのがわかった。不安げな眼差しがこちらへ向けられる。アリスがマリアを選ぶかもしれないと思っているのだろう。
だからハッキリと宣言してやる。
「お断りだよ。僕はシェーラと一緒にこの街を出る」
「そう」
外が騒がしくなってきた。マリアが歪んだ笑みを浮かべる。
「じゃあ、もうおしまい」
アリスは彼女を突き飛ばしてシェーラの手を引いた。部屋を出て一階へ駆け下りる。マリアの叫び声が聞こえた。逃げようとしていると、悪魔に告げたのだ。
玄関の方にいくつもの足音が近づいてくる。それとは反対方向へ向かう。この家に裏口はないが、大きな窓はある。開けている暇はない。シェーラを抱え上げた。
「しっかり捕まってて」
「え、ちょ、ちょっと、まっ――」
有無を言わせず、アリスは窓へ飛び込んだ。ガラスの割れる盛大な音が響き、陽光を反射する破片が散らばる。空中で身体をよじって綺麗に着地。遠心力を利用してシェーラを宙へ放り投げた。悲鳴を噛み殺した呻き声が上から漏れるが無視する。アリスは抜刀して裏に控えていた二人の悪魔を絶命させ、空から降ってきた彼女をキャッチして走り出す。
涙を湛えた恨みがましい視線を曖昧な笑みでやり過ごして、胸に叩き込まれた重い拳を甘んじて受け入れる。
馬車は捨てることにした。悪魔が見張っており、取り返すのに時間がかかりそうだった。今は一刻の猶予もない。仮に奪取できたとしても、馬車では機動力が失われる。街をでなければならないことを考えれば最善からはほど遠い。
失った物はまた調達すればいい。なによりも命が優先だ。こればかりは取り返しがつかないのだから。
アリスは門へ走る。問題は出る方法だ。当然ながら門番がいて、門は閉ざされているはず。高い壁はロープを使えばよじ登れるだろうが、その間に攻撃されればひとたまりもない。正面突破以外に選択肢はなかった。
人間区画は狭く、追っ手はすぐにやってきた。
アリスは襲いかかる悪魔を次々に切り捨てる。できるだけ瞬劫は温存した。追っ手は下級悪魔ばかりなので刀一つで処理できる。
だが、数の暴力を前にそれだけでは限界があるのも事実。切っても切っても湧いてくる悪魔の集団を相手に、疲労ばかりが蓄積されていく。
「こっちも駄目だわ」
ついに進行ルートを先回りされた。背後からも耐えることなく悪魔が殺到する。仕方なく横道に逸れる。嫌な予感がした。まるで誘導されているような。
果たしてそれは的中した。
「行き止まりだわ……」
袋小路に入ってしまった。もはや逃げ場はない。背後からいくつもの足音が聞こえ、振り返る。
『ケッケッケ、これで終わりだ反逆者どもめ』
「違います! 私たちは旅の途中で……」
『ならば何故逃げた。反逆者でないならば逃げる必要はない』
「それは……」
アリスはシェーラを背に庇って前に進み出た。
「なにを言っても無駄だよ。僕たちを殺す筋書きは決して変わらないんだからね」
『よくわかってるじゃないか』
言ったのは小人の悪魔だ。肉がなく、皮膚が骨に張りついている。鼻先が尖っていて、長い耳が両側に垂れ下がっていた。
肌が粟立つ。直感が告げていた。危険な相手だと。
「……上級悪魔か」
『ほう。運び屋にもまともなのがいるか』
上級悪魔はアリスでも骨が折れる相手だ。シェーラを庇いながら戦うとなると手に余るレベル。分が悪すぎた。
『ならば諦めろ。人間は悪魔に勝てない』
「それは、どうかな?」
強がりだと見抜かれているようで、小人の悪魔は嘲るように高笑いした。
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