第10話 寄り道

 翌日。街で食糧を調達し、すぐに出発した。


 街の外で悪魔が死んだことは大したニュースにはならなかった。あまり珍しくはないからだ。


 シェーラは暗い顔をしている。移動中も口を閉ざしたままで、かなり落ち込んでいるようだ。買い物中にあの親子に出会わなかったことは幸いだった。


 話しかけても一言二言ボソボソ呟くだけで、その声は簡単に風でかき消される。


 献上品として選ばれた少女としてはこちらが本来の姿だろう。今まで運んできた少女たちも、みな絶望の中に身を置いていた。


 このまま魔王城まで運んでしまえばどれほど楽だろう。そんな考えとは裏腹に向かう先は最短ルートからどんどん逸れていく。


 日が沈み始め、雨の匂いがしたため途中の洞窟で野営をする。そこは知っている場所だった。


 魔王討伐の旅から三年が経ち、彼らがいた残滓はそこにない。だが、記憶が勝手に思い起こされる。


 初めての野営は大失敗だった。アレックスが洞窟の中で火を焚いたせいで窒息死しそうになった。今からすれば笑い話だが、当時は大騒ぎだった。


 ただ、その一件のおかげでぎこちなかったパーティーの距離が縮まったように思う。アレックスはわざとやったのだろうか。いや、彼は馬鹿正直だから謀なんてできやしない。顔にでるからすぐにバレる。


 懐かしいと思った。同時に忌ま忌ましいとも思った。どうしても彼らの最後を思い出してしまうから。


 シェーラは食べ物をほとんど口にしなかった。いつもなら無理矢理にでも食べさせるが、今日はそっとしておくことにした。


 小雨が軽い音を立てる。そのせいかシェーラは船を漕ぎ始めた。昨日、彼女はすぐに眠ったものの、うなされて何度も起きていた。心身ともに疲れているはずだ。


 アリスは馬車から布を取り出して、彼女の肩にかけてやる。


「……ありがとう」


 起こしてしまったかと心苦しくなったが、彼女は布にくるまるとすぐに寝息を立てた。よほど眠かったのだろう。


 無防備な寝顔はとても綺麗で思わず見入ってしまいそうになる。だが、彼女の知らぬところでマジマジと見るのは気が引けて、身体ごと彼女から視線を逸らした。


 夜明けとともに洞窟を出た。森の中に入り、奥へと進んでいく。


 シェーラはやはり寝不足だった。先の一件のせいもあるだろうが、慣れない野営のせいで十分な休息と取れていないのだろう。


 できることなら街で休ませてやりたい。だが、この先に街などなかった。それどころか魔物が出没するために人が寄りつかない場所だ。


 ある程度まで進むと馬車の通れない獣道に行き当たった。ここからは徒歩だ。


 あの頃と何も変わらないなと、わずかな感慨を抱いた。以前、一緒に歩いた友はもういない。


 幸い、手に負えない魔物とは遭遇しなかった。ただ、シェーラが外を歩き慣れていないことを計算に入れ忘れていた。


「いっ――」


 振り返ると、シェーラがその場に屈み込んでいた。足を押さえて顔を顰めている。


「どうしたの?」


「ちょっと、足を……」


「見せて」


 靴を脱がせると、足首がわずかに赤く腫れていた。足を少し動かしてみると彼女がビクリと跳ねた。


「痛い?」


「ええ……けれど、大丈夫よ。これくらい、なんともないわ」


 強がって見せるものの、その表情は険しく余裕がない。


 アリスは屈んだまま彼女に背を向けた。


「乗って」


「で、でも……」


「悪化したら困るから」


 シェーラは躊躇う素振りを見せたが、最終的には頷いた。


 背後からゴクリと唾を飲む音が聞こえる。肩に手がかかり、「えいっ」というかけ声とともに背中に衝撃が襲ってきた。


 シェーラが飛び乗ってきたのだ。


 当然、勢いなど想定していなかったため、シェーラごと前に転んだ。


「ご、ごめんなさい!」


「うぅ……どうして飛び乗るんだよ!」


「だって、男の子に背負ってもらうなんて恥ずかしいもの。思い切らないと無理よ」


 アホ毛をぴょんぴょんさせて赤面するシェーラ。


 そんな大層なことではないだろうと言いそうになったが思いとどまった。話が長くなりそうだ。


 アリスは馬乗りになっているシェーラに言う。


「起きるから掴まってて」


「へ? ――きゃっ」


 シェーラを背負ったまま立ち上がった。悲鳴を上げる彼女は言うとおりに掴まってくれたものの、その場所が悪い。両腕で首をがっちり絞めにきていた。腕をタップすると彼女は慌てて腕を解いた。


「殺す気なの?」


「ほ、本当にごめんなさい!」


 おっちょこちょいにも限度がある。


 歩き始めてすぐに、アリスは自らの選択ミスに気がついた。


 背中に当たる柔らかい二つの物体。彼女の熱と脈打つ心臓の音が背中越しに伝わってくる。先ほどから鳥のさえずりや木々の葉擦れに意識を集中させようとしているのに、背中の方が気になってしまう。極めつけは耳にかかるシェーラの吐息だ。湿り気を帯びた温い風が妙に艶めかしい。


 意識していることを知られると気まずいので、背負うのを止めたいと言い出せない。仮に止めたところで残された選択肢は抱っこだ。通常の抱っこは胸が当たるので論外。お姫様抱っこは顔が異様に近くなるので恥ずかしい。


 うん。耐えるしかない。


「ね、ねえ……」


「な、なにかな」


「どうしたの? そんなに慌てて」


「なんでもないよ」


 シェーラが顔を覗き込んでこようとするので、アリスは慌てて顔を背けた。彼女が前のめりになると胸が余計に強く押しつけられる。


「そう? それならいいけれど」


「それで、なに?」


「え? あ、その……」


 とても言いにくそうなシェーラの様子に、嫌な予感がした。意識していることがバレたのかもしれない。


 冷や汗を浮かべるアリスの内心をよそに、シェーラは口を開いた。


「……重かったら、降ろしていいわよ」


 どうやら見当違いだったらしい。安堵したせいで、ついつい本音が漏れる。


「いや、これくらいなら問題ないよ」


「……それって重いってこと?」


「ん? 普通じゃないかな。気にしなくて――いっ! なにするんだよ!」


「別に! 目的地はまだ? 早く降りたいのだけれど!」


 足を痛めたというから背負ってやっているのにこの態度。抓られた耳たぶが地味に痛い。挙げ句の果てに暴れ始めたので始末に負えない。いっそここで捨ててしまおうか。


 だが、この程度でアリスは負けない。伊達に三年間、運び屋をやっていない。数々の少女たちによって鍛え上げられた鋼の意思でシェーラを背負い直す。


 暴れ疲れたのか、子供っぽい行動に恥じらいを覚えたのか、シェーラはほどなくして鎮まった。アリスはシェーラが怒り出した理由に思い当たる節がないので心底安堵した。


 それからしばらく歩くと水の音が聞こえ始めた。わずかに温度が下がる。目的地はもうすぐだ。

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