第3話 魔族の襲撃

「そうかしら」


 再び促されたのでアリスはその手を握る。久しく握手などしていなかったので、少々ぎこちない握手となってしまった。それをシェーラがクスクスと笑う。


「女の子と握手するのは初めてかしら?」


「握手自体に慣れていないだけだから」


 会話の主導権を完全に持って行かれた。その上からかわれている。


「どうしてそんな風に振る舞えるんだよ。君はこれから――」


 苛立たしさに任せて口を滑らせてしまい、慌ててつぐむ。


 しかし、シェーラは言葉の続きを汲み取ったのか苦笑した。


「ごめん。今のは忘れ――」


「怖いわよ。死ぬのは怖い。当たり前じゃない」


 恐る恐る彼女の顔を見た。その瞳には確かに恐怖の色が見て取れる。だが、それ以上の何かが宿っていた。


「でもね、恐怖に打ち震えていても未来は変わらない。だから私は戦うって決めたの」


 ああ、とアリスは腑に落ちた。この瞳に見覚えがある。かつて世界を救おうと立ち上がった勇者――悪魔に負け、それでも希望を捨てなかった男と同じ目をしている。まるでアレックスと対峙しているかのような錯覚を抱いた。


「私はね。未来に繋げるためにこの命を捧げるの。勇者様が必ず魔王を倒してくれるから」


 確信めいた言葉には不安が欠片も混じっていない。心の底からそう信じているのだろう。


 シェーラは一般人だ。魔王の力を知らないのも無理はない。あれと戦ったことのある者ならば誰だってわかる。


 ――人間は決して魔王には勝てない。


「現れるといいね」


「現れるわ。必ず」


 今までにないタイプだった。何一つ穢れを知ることなく育ってきたかのような清廉さ。


 献上品として選ばれたことに責任感を持っている。彼女なら逃げだそうとしたり、自害を企てたり、はたまたアリスの殺害を謀ったりはしないだろう。魔王城の前で往生際悪く無駄な抵抗もしないはずだ。今回の旅は楽になりそうで、アリスは少しだけ安堵する。


 ようやく会話の主導権を渡してくれたので、旅のルールについて説明を始める。


一、常に周囲を警戒すること


二、手の甲の刻印を絶対に隠さないこと


三、いかなる場合も指示に従うこと


四、一人で行動しないこと


 シェーラはこくこくと頷く。


「そんなの簡単だわ」


「ならいいけど」


「なによ、疑っているの?」


 ルールを守れない少女は多かった。特に三番。悪魔や魔物に襲われてパニックに陥った彼女たちは、まったく言うことを聞かない。それを守りながら戦うのは骨が折れた。


 こればかりは仕方がない。彼女たちは素人だ。


「そんなことないよ。それともう一つ。旅の間、シェーラの望みはできる範囲で叶える。遠慮なく言ってほしい」


 それは贖罪のようなものだった。人々のために命を捧げる少女に、せめてもの餞を。


 いつもならここで怒鳴られる。


 ――なら、今すぐ私を助けてよ!


 たくさんの声が耳にこびりついている。その一つひとつの持ち主を、アリスは鮮明に思い出せた。


 だが、シェーラは違った。


「なら、旅をしたいわ!」


「……は?」


「旅よ、旅! 知らないの? 方々を巡り歩き、その土地の風土を楽しむの。素敵な出会いがあったりして!」


 はしゃぐ姿は年相応の純情少女。今までにないタイプで、アリスは唖然とする。


 瞳をキラキラさせて鼻歌すら歌い出しそうな雰囲気の彼女の望みを叶えてやりたい。だが、気が進まなかった。


「旅は難しいかな。期日は一ヶ月。余裕を持たせたいから、残り時間はもう少し少ない。あまり遠くへは行けないし、旅先でどんな危険が待っているかわからない」


 最悪、魔王城へたどり着く前に命を落とす。ただでさえ外は危険なのに、非戦闘員を連れてとなればさらに危険が増す。


 真剣な表情で黙って聞いていた彼女は、小首を傾げて微笑を浮かべた。


「でも、アリスが守ってくれるのよね? 私、知っているのよ。運び屋って、とーっても強いのでしょう?」


 道中で襲い来る敵と戦わなければならないため、確かに運び屋には強さが求められる。しかし、それにだって限度がある。


「買いかぶりすぎだよ。集団で襲われたら一溜まりもない」


「そうしたらどうするの?」


「もちろん逃げるよ」


「私を置いて?」


「そんなわけないだろ。連れていくよ」


「それなら安心ね」


 シェーラは花のような笑みを浮かべる。心の底から安堵しているようだった。


 連れていくというのは本当だ。しかし、おそらく彼女が考えているような綺麗な理由ではない。


 献上品を見捨てて逃げるなど、運び屋にあってはならないことだ。運び屋はその命に代えてでも献上品を守らなければならない。そうしなければ街が消えてしまう。


 仮に一人で逃げて生き延びたとして、その末路は悲惨なものだ。


 手の甲に刻まれた印を見れば、どの街の運び屋かは知れてしまう。それが消滅した街のものとわかれば信頼を失う。献上品と届けることができず街を消滅させたあげく、のうのうと生き延びている者をいったい誰が信じるだろうか。職に就くことができず、街から追い出され、外で孤独な生涯を歩むことになる。


 アリスは一度だけ、そうなった人物に会ったことがある。彼は実年齢よりもかなり老けていた。げっそりと痩せ細り、深い後悔を背負っていた。彼はアリスに自らの罪を告白すると、ひっそりと自害した。


 一歩間違えば自分もそこに立っていただろう。


 アリスは王都レイストリアの初代運び屋。もう三年が経った。シェーラで二七人目。これまでに二六人もの罪のない少女を犠牲にしてきた。もしも王都が消されてしまったなら、彼女たちが死んだ意味を無為にしてしまう。それだけは何があっても避けなければならない。


 だが。ときどき。自害した彼のことを羨ましく思う。楽になりたいと思う自分がいる。


 どうせ人間は悪魔に勝てない。


 ならいっそ、みんな死んでしまった方が幸せなのではないか。


「前に誰かいるわ」


 シェーラの声にはっとする。思考に埋もれてしまった。彼女には常に警戒しろと言った手前、格好がつかない。ただ、そろそろ来るだろうと思っていたため身体はすぐに動いた。


 アリスは馬車から降りて前方を見据える。


『ヒェッヒェッヒェ。ここで張ってて正解だったぜ』


 トカゲに似た生き物が言った。長い舌を振り回し、口の周りをなめずる。

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