Ex6 魔女の森1 魔女は天使の調を歌う

 時系列的に、第二部29話と30話の間の話です。


×××


 勉強などというものは、普段の授業さえちゃんと聞いていれば、平均点以上は普通に取れるようになっているのだ。

 そんな、勉強の出来ない人間からすれば傲慢としか思えないような台詞を、直史は言ったりする。

 なお彼は逆に、わざわざ前日までに勉強することじゃないだろうと、テスト前の五分で教科書のテスト範囲を速読して記憶してしまったりもする。

 もちろん拾い洩れはあるが、単純な暗記課目であれば、これで90点ほどは取れる。


 古文と漢文を含む国語と英語はとりあえず、原文をそのまま読めるようにする。英語のリスニングは少し難しいが、文法などはこれでやはり90点は取れる。

 リスニングにしてもMLBやNBAの解説をそのままの音声で聞けるようになれば、むしろ楽しいぐらいだ。

 国語はそのまま問題ないし、古文と漢文はそのまま読めるようになればいい。

 ただ国語は時々、解釈の問題で間違いとされることはある。その時の主人公の気分を想像するのは、直史にとってはひどく難しい。

 数学だけは少し苦手だが、これはとにかく公式を暗記し、応用問題の数をこなせばいいだけだ。

 理科系と社会科系の教科などは、どうして難しいと思うのかが分からない。


 佐藤直史という少年は、こういう人間である。

「いやおかしいって」

 合同学習に参加しない直史の勉強方を聞いて、ジンでさえそう突っ込む。

「でもお前だって、野球関連のことなら一瞬で記憶したり、判断したり出来るだろ? その集中力を勉強に応用すればいいんだよ」

「いやいやいや」


 効率的という点では、直史は必要以上に勉強をして、学年トップ10を狙ったりしない。

 学校のテストよりは大学入試を想定として、英語や数学、特に国語系に力を注いで地力を増す。

 さらには瑞希に貰った国家試験過去問などについて、今の段階からやっているのだ。


 傍から見たら充分に天才レベルの直史であるが、彼は身近にもっと酷い存在を知っている。

 双子の妹達である。

 彼女たちは基本的に、テストで満点以外を取らない。

 勉強もしない。年度初めに貰った教科書を三日ほどかけて一度読んでしまえば、あとは時々確認するぐらいである。

 今回の中間テストでも、勉強に費やした時間は全教科合わせておよそ20分。

 漢字の書き間違いというひどく初歩的なミス以外は、全問を正解していた。




「つーわけで球技大会な訳だが」

 どういう訳かは分からないが、ジンはそう言った。

 中間テストで勉強漬けになった後、テスト返却までの二日間で、球技大会は行われる。

 ちなみに体育祭と文化祭は秋に、隔年でどちらかが行われる。

 去年の秋は文化祭であり、野球部やその関連者を中心に、男女逆転の演劇などをしてみた。

 女装美人コンテストで直史と岩崎が最後まで争っていたのは、爆笑物の企画であった。直史にとっては珍しく、忘れたい黒歴史である。

 だが彼は、その女装写真を瑞希が大切に持っているのを知らない。


 それはそれとして、球技大会だ。

 直史とジンは卓球を選択し、武史は当然のようにバスケを選択した。

 結局武史は、バスケ部との兼部を辞めた。想像以上に野球部が忙しかったからである。


 そして大人気なく、球技大会では無双をしている。

 ほとんど一人でボールを運び、三人ぐらいのマークも外し、全体の点の半分以上を入れている。相手にだって元バスケ部もいるのだが、そんなことは関係ない。

 ことバスケに関しては女子からの声援は彼が独占していた。

 その様子を見て、またイリヤは五線譜にペンを走らせたりなどしている。


 アレクが参加したのはフットサルである。ただし屋外で行われる。

 サッカーの国から来た人間としてアレクは期待されたのだが、意外と言ってはなんだが、彼の足は器用ではなかった。

 長身を活かして素直にバスケをしていれば、と思ったのはクラスメイトばかりではないだろう。

 そもそもサッカーが得意なら、サッカーをするのがブラジル人なのである。


 他の野球部員も、おおよそは活躍したり活躍しなかったりで、久しぶりに野球以外の競技で体を動かしていた。

 ちなみに野球部以外のメンバーで言えば、瑞希はバレーに出場して一回戦負け、イリヤは卓球で一回戦負け。

 佐藤家の双子はフットサルに出場して、当たり前のように勝ち続けていた。

 いや、キーパーが骨折しそうなシュートをするのは反則ではなかろうか。もう少しだけ空気を読んで欲しい。




 早めに敗退した生徒は、おおよそは他の生徒の応援に回るか、空き教室などでお喋りをしている。

 そんな中には、当然ながら女子のコイバナというものもあったりする。

「佐藤君ってどうしてバスケ部入らなかったの?」

 そんな質問を受けているのは、女子バスケ部一年のホープと目されているオカリナであった。

「どうしてって……」

 この間の試合を見れば、それは分かるだろうに。


 同年代の少女と同じように、男子より先に二次性徴のきたオカリナは、武史を見下ろす期間がずっと長かった。

 チビ。だけどものすごくバスケが上手い。

 三年が卒業してお互いがキャプテンになる頃には、身長も同じぐらいになっていた。

 そして今では、頭半分ぐらい向こうの方が高い。

 並んでみても、違和感がないぐらいに。


「結局さ、プロで食べていけるスポーツなんて、野球とサッカーなんだよね」

 他にも競馬や競輪など、あとは個人競技としてテニスやゴルフもあるが、それらはさすがに方向性が違う。

「武史君って、プロになるぐらい凄いの?」

「う~ん……」

 オカリナ自身はそれほど野球に詳しくないが、父は野球好きである。

 そして弟はサッカーが好きで、母は相撲が好きだ。父が肥満なのは、母の好みだと思っている。


 家庭内スポーツ大戦勃発前にも思えるが、そもそもバスケの中継など少ないため、オカリナは父や弟に付き合うことが多い。

 だからよく知っている。プロでもコンスタントに140km台を投げるのは、それほど多くない。

 もっとも彼女はピッチングの緩急をあまり深く知らないので、そのあたりの価値基準は微妙だが。

「高校一年であのピッチングなんだから、多分プロ選手になれると思う」

 オカリナの友人は体育系が多く、そして体育系は肉食系が多い。(ド偏見)

「すると……将来契約金で一億とか?」

「あ~、少なくともお兄さんの方と、あと二年の白石先輩は、本当にそれぐらいいくと思う」


 このオカリナの判断は、相当に正しい。

 まず直史は、甲子園でノーノーを達成している。そして春の大会でも、参考記録でパーフェクトを達成している。

 現在の現役プロ野球選手でも、ここまで見事な成績を残している者はいない。

 そして大介であるが、彼がセンバツで記録した一大会五ホームラン、また三打席連続ホームランというのは、大会新記録とタイ記録である。

 地方大会の打率七割というのは、ほぼイチロー並だ。

 この二人がプロに行くなら、どこかの球団からは一位指名が入るだろうし、契約金も一億ぐらいにはなるであろう。

 もっともプロになるのは難しいが、プロであり続けるのはもっと難しいのがプロの世界。

 ちょっとした怪我でプロとしては通用しなくなるのが、プロ野球の世界なのだ。


 だからプロなど夢にも思わず、大学進学と国家試験の合格を目指す直史は、違う意味で大変だが堅実である。

 大介の場合は、もう野球にのめりこみすぎているので、今更脱出は不可能だろう。

「佐藤先輩、狙っちゃう?」

「でも白石先輩も、背は小さいけどかっこ可愛くない?」

「二人ともフリーなのかな?」

「あのさ、野球部なら岩崎先輩もかっこよくない?」

「かっこいいけど、どっちがエースなの?」

「新聞ではダブルエースとか言われてたよ」


 春の大会では、直史の失点は0であり、岩崎も自責点は1しかない。

 どちらかと言うと大切な試合は直史が投げているが、登板回数自体は岩崎の方が多い。

 エースが岩崎で、ジョーカーが直史。なんとなくオカリナはそんな認識でいる。正しい。




 そんな空き教室に、てくてくと入ってきたのが一人。

 イリヤだ。

 印象的な髪の色と、ごつごつした骨格。そして今どきの女子高生には珍しいスッピンに、音楽室での噂。

「武史を知らない?」

 彼女はひっそりとだが恐れられている。

 佐藤家の双子を中学時代から知っているオカリナは、むしろあちらの方が怖いのだが、その双子を手なずけているという彼女は、更に異質だ。

「体育館の近くじゃない? まだ勝ち進んでるんだし」

 クラスメイトがそう答えると、イリヤはありがとう、とかすかに微笑んだ。


 そのまま立ち去ろうとしたイリヤに、思わずオカリナは声をかける。

「タケに何か用なの?」

 振り返るイリヤ。その姿が、廊下からの日光の反射で、一瞬白く見える。

 化粧っ気のないイリヤは、普段はあまり美人とは思われていない。

 だが表面を剥ぎ取る特殊な光の下では、その造形はとても美しく見えた。


「新しい曲を作るのに、ちょっとまた聞いてほしいと思って。彼、私の曲でも悪影響を与えないみたいだから」

 彼女が曲を作るのは、既に知られている。もっともプロの作曲家だとまでは知られていない。

「新しい曲って?」

「聞きたい?」

 オカリナは少し踏み込みすぎていた。

 しかしそれに気付かないほど、イリヤの笑みは無邪気であった。

「ちょっと待ってて」


 イリヤは自分の教室から、縦長の背負いケースを持ってきた。

 その中から現れたのは電子ピアノである。


 イリヤはこの学校の中で、無許可でピアノを弾くことを禁止されている。

 正確には自粛である。そしてイリヤはその自粛という言葉の意味を、ちゃんと分かっていた。

 ようするに、この間のようなことさえなければいい、ということだと。


 いそいそとコードをコンセントに挿したイリヤは、軽く指を動かす。

 どうも電子ピアノというのは、指が軽すぎて面白い。

「せっかくだから、日本の曲もちょっと歌ってみましょうか。私はあまり詳しくないんだけど、じゃあ『ガーネット』から」


 キーを下げた音楽が流れ、イリヤのアルトは本来もっと高く澄んだその曲を、低く甘く変えていた。

 控え目に小さな声で歌われたその曲が終わった時、多感な年頃の少女たちは全員が涙を流していた。




 調子に乗ったイリヤは続いて『ロビンソン』などを歌い、リクエストに応えて『紅蓮華』なども歌った。

 日本のここ数年の最近のPOPにはあまり詳しくないイリヤは『Fly Me To The Moon』を歌い終わり『I Will Always Love You』を歌ったところで、教師に見つかって止められた。

 なおこの映像はささやかにyoutube活動をしていた女生徒Aからネットに流され、物の見事にバズった。


 双子がフットサルで優勝したり、武史がバスケで優勝したりと、球技大会ではそれなりのことがあったのだが、全てはイリヤに持っていかれたのだった。

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