第8話 強豪の実力

 一年生で140kmを出せる投手の価値とは。

 単純にスピードだけなら、全国を見渡せばそれなりにいる。

 だが投手として通用するとなると、変化球は一つは欲しいし、ある程度の制球力もいる。

 何より投手にとって必要なのは、性格であるとジンなどは思っている。


 精神力ではない。性格だ。


 野球は投手が投げるところからゲームが始まる。そしておおよそ試合の勝敗は、両チームの投手の出来による。

 その責任の重さを、軽く考える無神経さであったり、乗り越える強靭さであったり、または他人のせいにする傲慢さが必要である。

 岩崎の場合はある程度のプライド、無神経さ、傲慢さが混在しているだろう。

 精神力としては、意外と弱気になる部分があるため、予めそこはケアしておかなければならない。


 そんな岩崎は強豪の四番を打ち取り、その後初のヒットを許すなど、丁度いい緊張感の中で集中していた。

 三回も八番と九番を打ち取り、二巡目の一番打者。

 初回はあっさりと手を出して凡退してくれたが、そんな幸運は一度きりのつもりでいた方がいい。


 岩崎はストレートを見せ球に、変化球を低めに集める。

 調子によって制球力にかなりの差が出てくるのだが、今日は当たり、もしくは大当たりの日だ。

 粘られたが内野ゴロに打ち取り、序盤の三回を終えた。




 勇名館を率いる古賀監督は、いまいち乗り切れない自軍に内心で苛立っていた。

(あの程度の速球なら、別に打ちあぐねることもないだろうに。一年生にしてはたいしたものだが……)

 古賀監督は白富東のオーダーを、とにかく先制するためのものだと見ていた。


 ここまでの二試合、クローザーであった一年生投手を先発に。シニアでは聞いたことのある名前だったし、おそらく彼で行けるところまでは行くつもりなのだろう。

 初回にホームランはあったが、あんなのは二度も起こるようなものではない。

 それにシニアは投球回制限がある。また夏から春までの受験シーズン、強豪高校の打線のレベル。おそらくもつのは打順二巡目、五回までと見ていた。

 だから攻撃に関してはあせることはない。

 しかし手を拱いているわけにもいかない。


 高校野球というものは、勢いで平凡な高校が強豪を破ってしまうことがある。

 だが、それには必ず理由があるのだ。その前兆を見逃してはならない。

(相手投手の調子はいいようだが、球数はそれなりに投げさせている。気持ちよく投げさせないためには、まずランナーを出さないとな)

 攻撃はそれでいいとして、守備はどうだろうか。

 エース吉村は温存しているが、県大会までに間があくことを考えれば、別に疲労のことは考えなくてもいいだろう。故障以来古賀もそうだが、吉村自身が気をつけるようになっていた。

 初回にスリーランなどを食らったが、さすがにあれは想定外だ。三番の一年生は先ほども安打を打ったが、あの体格でそうそう長打がでるはずもない。

 事前に調べた情報でも長打になったのはライン際を抜いていったものだけだ。

 ここは夏に向けて、投手陣に経験を積ませたいのだ。もちろんシードは取りにいくが、ぎりぎりまで見定めたい。

 千葉県で甲子園に行くのには、計算出来るピッチャーが一人では足りない。




 後のことを考える勇名館古賀監督に対して、白富東の頭脳ジンは、シンプルに考えていた。

 このチームはまだ枠組みさえ出来ていない。二度勝てたのは最低限整っていた守備と、相手に恵まれていたからだ。

 甲子園を狙うにしても、そもそも戦力が足りていない。今の戦力では夏の大会で甲子園に出るのは無理だ。

 だが、ある程度の実績を残しておく必要はある。それが来年以降につながる。


 自分たちのように、野球強豪校から特待生で招かれるほどではないが、ほどほどに野球が上手くて頭のいい人材がいたとする。

 その目の前に、県下有数の公立進学校でありながら、野球もそこそこ強い高校が出てきたらどうだろうか。

 それなりの実力はある。強豪校でも活躍出来るかもしれない。ただ野球に全てを捧げる覚悟はない。

 そんな、素質がある程度あって、頭がいい。野球バカにはなれない小賢しさを持つ。そういったメンバーを集めれば、戦術次第で甲子園に辿り着けるのでは?

 ジンの考えは甘く、自分に都合がいいものだった。しかしある程度の勝算はある。

 それに岩崎とシニアのメンバーに、ある程度の素質がある新入生が集まれば、千葉の強豪となることまでは難しくない。

 そこから有名大学に行くには、野球推薦がなくても進学校のカリキュラムがあれば充分だ。

 ジンはそんな、あくまでも自分のために進路を決めた。


 だが他のメンバーの将来に関しても、ある程度の勝算は立ててある。

 白富東の進学率は高く、学校推薦で行ける国公立大学も多い。私立では普通に早慶あたりに何人か行ける。

 野球で食べていけない人間にとっては、それは安全弁にも思えるだろう。

 それを選ばずに野球に人生を捧げる覚悟を持ったシニアのメンバーは、野球強豪校に特待生で進学した。

 ジンは自分の将来を第一に考えるが、そのために誰かを犠牲にしようとしているわけではないのだ。




 春の大会は関東大会までの大会であり、甲子園に行けるものではない。

 だがここで優秀な結果を出しておけば、夏の大会でシード権が得られる。

 岩崎の消耗を考えると、夏に強い学校に当たる可能性は少しでも少なく、そして戦う回数もまた少ない方がいい。

 それにそもそも高校野球のレベルを体感するために、夏の前に戦っておく必要はあるのだ。


 ある程度の可能性をもって白富東を選択したジンであったが、拾い物があった。それも、二つも。

 なんでこれが知られていないんだという小さな巨人と、異質ながらも極めてピッチャーらしいピッチャー。

 選手層の薄さは覚悟していたが、計算出来るメンバーが二人もいた。

 いや、計算以上だろうか。


 大介は言うまでもない。たとえあの身長であったとしても、機会さえあれば強豪校から特待生で勧誘が来ただろう。

 今まで埋もれていたのは、大介にとっては不運であり、ジンにとっては幸運であった。

 それと直史。今のところはまだ異常に器用な投手に過ぎないが、その精神性と肉体の潜在能力は、かなりのもののはずなのだ。

 あの身長、あの変化球のスピード、あの制球力。

 コントロール無視で投げた場合、そこそこのスピードが出ていたが、あれでさえまだ遅い。

 ちゃんとした指導を受けていなかったからだろうが、あの身長と肩の強さを考えれば、もう少し筋肉を付けたら岩崎以上のスピードを手に入れるかもしれない。

 もっとも本人は、あまりスピードには拘っていないが。


 ピッチャーは我が強い。それは、良い意味でも悪い意味でもある。

 直史は強打者と勝負したがるピッチャーではないが、求めるものがないわけではない。

 むしろ自分の一球一球の球に拘っている。


 バッティングピッチャーを務める時、直史が制球を乱したことは一度もない。

 指示されたところへ平然と投げ続ける、いくら打たれても折れないメンタルを持っている。

 ピッチングには拘っているようであるが、まさか左投げで練習をさせてくれるほど器用だとは信じられなかった。

 直史の思考は、極めてシンプルだ。

 全ては勝利のために。

 自分のピッチングがどうだとか、強打者との真っ向勝負だとか、そんなものは全く求めていない。

 佐藤直史は、ただ勝利に飢えている。




 勇名館の先発から追加点は奪えず、四回の表も終わる。

 四回の裏、勇名館の打者は、コンパクトなスイングを続ける。


 一発長打などという慢心はなく、ひたすら粘る。

 格下相手にこういった手段が取れるところが、チームとして意思が統一されているということだ。

 だが岩崎も強豪校に善戦し、まだ失点を与えていないという緊張感からか、制球が乱れたりすることもない。

 バントの動作などをしてダッシュをさせられても、変に苛立ったりはしない。

 成長している。間違いなく。


 岩崎はシニア時代、全国大会に進出したチームの二番手投手であった。

 甲子園に合わせてか、ピッチャーの肉体を守ろうとしない高校野球と違って、シニアには厳密な投球制限がある。

 どれだけすごいピッチャーがいても、一人で全国に行くのは至難であるのだ。

 だから岩崎も強豪校のエース並とは言われていたし、本人もその自負があった。

 それなのに野球強豪校に進学しなかったのは、その全国大会において、彼が負け投手となったからだった。


 まだ可能性を諦めるのは早い。ジンもそう思ったが、岩崎のメンタルはあの大会の後、かなり脆くなっていた。

 そこにジンがつけこむように、受験勉強を教えた。

 強制したわけではないが、誘導したことは間違いない。岩崎にも特待生とは言わなくても推薦の話は来ていたのだが、その道は選ばなかった。


 野球で進学しても、果たして将来はどうなるのか。

 ジンのように、選手としてではなく野球関係者として食べていくと考えていないのなら、その将来性はあまりにも無謀である。

 上に進めば進むほど、岩崎レベルのピッチャーは、どんどんと出てくるのだ。


 だが今日の岩崎は好投を続ける。

 ジンの知る中でも、これほど調子が良かったことはない。

 まあその良いリズムを作っているのは守備だ。

「ふんっ!」

 四番黒田の剛腕から生み出されたバットの回転力が、打球を引っ張る。

 普通なら三遊間真っ二つのそのコース。

 野生の獣のように飛び出した大介が、そのライナーをキャッチする。


 溜め息が出る。敵からも、味方からも。

 大介が初回にホームランを放ち、そしてこの守備である。

 身長が低いことをマイナス点だと考えても、彼の守備範囲は平均的なそれより1.5倍は広いように思える。そして膝をついた状態で、上半身だけの力でもファーストにストライク送球を行える。

 鋭い打球をこの試合でも、既に何度もアウトにしている。


 投球や打撃は調子の波があるが、最も安定して実力が発揮されるのは守備である。

 好投を守備に助けられると、ピッチャーの調子は上がっていく。

 そしてもちろん相手には、プレッシャーを与えていくのだ。

(凄いってよりは、人間離れしてて気持ち悪いぐらいだ)

 ひどいことを考えながらも、ジンは大介の守備力をあてにしてリードをしている。

「ナイピ」

「おうよ」

 グラブをぶつけ合う岩崎と大介の間には、信頼関係のようなものが芽生え始めている。




 五回の表も白富東は三者凡退。

 そして五回裏、強打の先頭打者を四球で出してしまったところに、送りバントが成功。

 一死二塁。ここでまたジンはタイムをかける。

「ちょっと球が浮いてきてるな」

「余裕ある相手じゃないからな」

 勇名館ベンチを見つめるバッテリーだが、七番打者の先発投手に対して、古賀監督は代打を出してきた。

「あちらさん、あせってるな」

 どこか得意げな岩崎に対して、ジンは現実的だ。

「つーか、あいつ打撃極振りの代打専門選手だよ。ちなみに代打専門は、まだ二枚いる」

 どこまで選手層が厚いのか。少なくとも白富東とは比べ物にならない。


 野球の試合において、与えてもいい失点と、与えてはいけない失点というのは、確実に存在する。

 簡単に言えば、相手を乗せる失点はいけない。逆にアウト一つを取るために、一点を覚悟する場合もある。

「一番ダメなのは、塁に出して掻き回されることだけど、幸いランナーに足はないしな」

「で、どうする? 勝負か?」

 ここで塁を埋めることに、岩崎は異論はない。次も下位打線であるし、併殺はかけやすくなる。

「無理に勝負することはないと、普通なら言いたいんだけどなあ」

 敵のベンチの前で、代打要員がバットを振っている。


 ここで敬遠をしても、八番打者にも代打を出してくる可能性はある。

 強豪がこんなに早く札を切ってくるのかとも思うが、九番打者は捕手であり、そちらに専念するために打順を下げているだけであり、打率は悪くない。

「ピッチャーに代打を出したんだから、次からは吉村が出てくる。つまりここからうちが得点出来るのは、楽観的に見ても一点だろ」

「初回の三点がありがたいな。でもまだ五回かよ」

 岩崎の弱気の虫が出そうになっている。あと一度は確実にクリーンナップに回ってくるのだ。

 だが単打に抑えれば問題はない。

「攻めていこう。ただ、ウイニングショットはボール球を振らせる」

 ジンの言葉に岩崎は頷いた。


 初球、アウトローへのストレート。やや威力が落ちていたボールが、ここに来て甦る。

 次の回あたりで交代かな、と薄情なことを考えながらも、ジンはそのボールに満足した。

 だがジンが満足するボールでも、振ってくるのが強豪校の代打要員である。

 ライト方向に放たれた打球は、当たりが良すぎて二塁ランナーがホームに帰ってくることを許さない。

 一死一・三塁。このパターンから点が入る可能性は極めて高い。

 理想は内野ゴロを打たせてゲッツーだが、向こうもそれを防ぐ程度の打撃は持っている。


 ここは一点をやってでもアウト一つを確実に取る。

 それはそれでいいというか、それしかないのであるが、問題は今後も似たような状況の時、同じ選択を出来るかということだ。

 八番打者に代打を出して流れを変えてくるのかと思ったら、そのまま打席に立つ。

 そしてバントの構えである。スクイズだ。少なくともそう思わせようとしている。

(スクイズ? なんだか嫌な感じだな……)

 八番打者は打率は低いが、体格的に見ても当たれば飛びそうなのだ。実際に以前の記録では上位に入っていたこともある。決定力不足なのか。あるいは調子を落としているのか。

(強攻してもうちの守備力だと、ゲッツー崩れの間に一点は入りそうだけど……外野フライでタッチアップは出来るか?)

 三塁ランナーの足は遅いと言っても、勇名館の平均と比べてそうなだけで、鈍足とまでは言えない。


 ジンは色々と考えるが、受身での考えであることは認識している。

(八番は足が速くて守備の上手い外野。ゲッツーはかなり甘い期待だよな)

 立ち上がったジンは指示を出す。

「ワンナウト優先! 二塁か一塁な!」

 出来れば点が入っても二塁でアウトを取りたいが。


 バントの姿勢の打者に対して、内野は定位置、外野はやや下がる。

 スクイズを決められるなら、それはもう仕方がない。ここからヒッティングに変えられて外野を抜けたら、一塁ランナーまで帰ってくるかもしれない。

 その場合は二点が入る上にアウトカウントも増えず、塁に俊足走者を残すこととなる。

(低めに、強く)

(おっしゃ)

 初球はバットが引かれる。三塁ランナーは本塁を窺っているが、殺気は感じない。

 二球目もまた、バットが引かれた。ここはストライク。

(選択肢が多いよなあ。高めにつり球で)

(よしよし)


 浮いた球ではあるが、力の入ったストレート。

 バットを引いた打者は、それに対してフルスイングしてきた。打球はライトへ。

(距離は充分か? いや、定位置だ)

 前進してくるライト。それに対して三塁ランナーはタッチアップ体勢。

「バックホーム!」

 キャッチしたと同時に、三塁ランナーが発進。

 ライトの送球は中継なしにホームまで返ってくるが、やや逸れている。

(獲れる!)

 そう欲をかいたのが悪かったのか、ジンのミットの中でボールが暴れる。

 右手でそれを防ぎ、突っ込んできたランナーにタッチ。クロスプレイ。

「ぐっ!」

 右手に痛み。だが審判の手は高く上がる。

「アウト!」

 一塁ランナーはこの隙に二塁へ走っていたが、これでスリーアウトだ。

 ほっと立ち上がったジンは、審判の視線に気付いた。

「げ……」

 交錯した時に接触したのか、おそらくスパイクの歯で、ジンの右手の甲には長い傷が刻まれていた。 

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