SS23.夏の終わりに
「寝ちゃ駄目ですよ」
「眠いんだけど……まだ駄目か……?」
「駄目です……ほら! あと十分ですから!」
「んー……」
眠い目をこする蓮也に、遥香は珍しく駄々をこねる。時間は午後十一時五十分、もう十分もすれば日が変わってしまうような時間だ。それでも、遥香がここまで待ってほしいというのならば蓮也は待たざるを得ない。
「寝ないでくださいよぉ……お願いですよぉ……」
「わかったわかった。寝ないから。起きてるよ」
「よかったです」
なんだかんだ遥香ももう眠いことが蓮也にも伝わってくる。
時計の針は進み続ける。日が変わる時間に一体何がしたいのか、蓮也には検討もつかなかった。ただ、遥香がどうしても――いつもよりも子どもみたいな駄々のこね方をしてでも――起きていてほしいというのは十分に伝わってきた。
時計の針が、日が変わる時間を指した。
「お誕生日おめでとうございます!」
「……ああ」
「えぇ!?」
驚いたような表情で声をあげる遥香に、蓮也は苦笑を返す。
「また忘れてたな。誕生日か」
「そうですよ。最近はずっと特別騒がしい日、というものもなかったので忘れているかなって」
「ああ、忘れてたよ。祝ってくれてありがとう」
「大層なものは準備していませんが。プレゼントというより、もはや私の趣味みたいなものな気もしますけど。いりますか……?」
「ほしいな」
「そですか」
遥香が手元の紙袋から取り出したのは、少し大きめのグラスだった。
「私は飲みたいとはもう言いませんが、たまにはあなたがお酒を飲んで、私に愚痴を聞かせる日があってもいいかな、なんて思って」
「遥香が疲れるだけだけどなぁ」
「私はあなたの話が聞けるだけで十分なのですが」
さらっと言った遥香は、グラスをくるくると回して蓮也によく見せる。綺麗な細工がされており、酒を飲む機会でなくとも使いたいグラスになっていた。
「すごいでしょう」
「綺麗だな」
「……実はこれ、私が作ったんですよ?」
「マジか」
「とは言っても、職人さんに付きっきりで教えてもらいながら、ですが」
わざわざそうやって遥香が手間をかけてくれることが、蓮也にとってはただただ嬉しかった。
適当な飲み物を注いで、遥香の軽く乾杯をする。
「なんかないんですか? やってほしいこと、やりたいこと」
「そうだな……あ」
「あ、珍しく思いついたんですね」
特別さはいらない。ただ、遥香と二人でしたいことだった。
終電もなくなった時間。蓮也たちは公園で二人、花火をしていた。
「あなたから子どもっぽいことを言われるとは思ってもみませんでした」
「かっこ悪いかな」
「いえいえ」
ぱちぱちと火花が飛び散る。子どもの頃は綺麗だと思っていたものも、今ではなんとも思わないようになってしまった。
それでも遥香にとっては目新しいものなようで、少しだけ目を輝かせて炎を見ていた。
「あっ……短いものですね」
「そうだな」
別に花火をしたかったことに理由はない。ただ、ほんの少しだけでも夏の思い出と呼べるようなものがほしかっただけ。誕生日を祝ってくれた遥香の笑顔が見たかっただけかもしれない。
結局、蓮也にとっての誕生日プレゼントなんて遥香さえいればいいのだ。
「次は……これなんてどうでしょう?」
「線香花火か」
「あ、これがそれなんですね。聞いたことはあります」
「こっち持って」
線香花火を手渡すと、遥香の方も蓮也に無言で線香花火を押し付けてくる。一緒にやりたいらしい。
火をつける。ぱちぱちと小さな火花が鮮やかに散る。ぱちぱちと火花を散らして、やがて小さな火の玉となった線香花火を二人で見つめる。
「地味になりましたね」
「そうだな」
「でも、見ていてとても落ち着きます。不思議ですね」
ぼんやりと火の玉を見つめる遥香は、心なしか少しだけ寂しそうに見えた。
「誕生日を祝えてない、とか思ってるな」
「当たり前です。まあ、まだ日が変わってすぐですけど」
「ずっと覚えてるんだ。遥香としてきたこと、全部」
高校二年のとき、寂しそうだった遥香を遊園地に連れて行ったこと。蓮也と遥香の半同棲生活が始まったこと。いつの間にか互いに好きになっていたこと。小さな思い出も、全部覚えている。蓮也だけではなく、遥香も。
「そういう思い出は、ずっと覚えてるんだ。多分、死ぬまで」
「そう、ですね。思い出というか、もう記憶に刻まれているような」
「だから。いつか、何年かしたときにさ、あのときの俺の誕生日ってなにしたっけって言えたらいいなって。忘れられる思い出もほしいと思ったんだ」
「……ふふっ、不思議なことを言いますね」
線香花火の火が落ちた。蓮也の火がほんの少しだけ先に落ちた。
「帰ろう」
「ええ」
いつか、この日を思い出せたらいいな、と。蓮也と遥香は互いの顔を見合って笑った。
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