SS11.ちょっと変わった一日

「起きて。朝ですよ」


 アラームの代わりに、遥香の声で目を覚ます。遥香の声だと、起きたときに気分がいいのだ。


「ん……おはよう……」

「はい。おはようございます。好きです」

「……急に何。遥香、だよな?」

「そこから疑われるとは思ってもみませんでした。遥香ですよ。お誕生日おめでとうございます、蓮也くん」

「ああ……ちょっと変わった日にしようとしてくれたのか」

「ええ。私になりに」


 いろいろと考えた結果だろう。空回りというわけではないが、こういうことは遥香はあまり慣れていないらしい。

 誕生日の祝い方が意外と難しいことは、蓮也もよく知っている。一般的に難しいというわけではなく、蓮也と遥香だからこそ難しいのだろう。相手が大層なものを欲しがっているわけではないことをわかっていて、でもなにかしてあげたくて。だからといってやりすぎて嫌われるようなことになるのは絶対に嫌だから、お互いいつも不思議なことをしてしまうのだ。


「さて、では」

「ん?」

「誕生日プレゼントくらい準備してますよ。大したものではありませんが、やっぱりなにか形に残るものをあげたかったから」

「サンキュ」


 渡されたのは、小さな箱。それもどこか高級な感じがする箱だ。


「開けてもいいか?」

「ええ、もちろん」


 中には、ストライプ柄のネクタイとボールペン。


「えっと……嬉しいんだけど、これまたどうして?」

「勉強、ずっとしてる。それに、いつの間にかあなたは忙しそうになりました。先生に聞けば、教師になりたいそうで」

「……ごめん。隠してたわけじゃないんだけど」

「あ、怒っているわけではありませんよ」


 またどこかで気を遣っていたのかもしれない。高校のときはなんの目標もなくただ遥香と一緒にいたくて、遥香に見合う人間になるために勉強していただけだった。けれど、その先を何も考えていなかったから。

 だから、ようやく見つけた道くらいは頑張りたかった。遥香がその頑張りに協力してくれることも、それを迷惑だと思わないこともわかっていて、でも言い出せなかった。単に恥ずかしかったのかもしれない。


「ただ、頑張っているあなたを傍で応援したかったな、と思っているだけです。ちょっとだけ、早く教えてくれたらよかったのにと思う気持ちがないわけではありませんが」

「……ん。ありがとう」

「いえいえ。何が必要になるかがよくわからないので、なんとなくネクタイとボールペンくらいは必要かなって思ったので。使わなければ処分してくださって構いません。もっとも、蓮也くんがそんなことをするとは思えませんけど」

「当然。ちゃんと大事にする」

「……使ってね?」

「大事に使うよ」


 頼っていいのはわかっていた。頼るべきなのは今、ようやくわかった。


「さて、朝ごはんの準備はできてます。……朝に渡すのは良くなかったかな。来年はもっとちゃんとしよ」

「そんなことない。嬉しいから」

「蓮也くんの感想はあまりあてになりませんからねぇ?」

「ほんとだって」

「ふふっ、わかりました」


 茶化すような言い方をしてくれている遥香に甘えることにして、蓮也はとりあえず話を切る。でも、教師になろうと思ったきっかけくらいは知っておいてほしいから。


「目玉焼きか。美味そう」

「美味しい卵を買って来たので、きっと美味しいです」

「わざわざそんなこと……ありがとう」

「大好きな人の誕生日をちょっと特別にするための、ちょっとだけの努力です」

「ちょっとだけな」

「ちょっとだけです」


 違うのは卵だけではないだろう。料理は相変わらずほとんど出来ない蓮也だが、なんとなくいつもとは少し違う。


「うお、すごいな」

「一回目はちょっとやらかしてしまいましたが、上手くできたようでよかった」

「火加減?」

「というより、時間ですね」

「じゃあ、遥香の皿の方は」

「失敗した方。でもいいんです。だって……」

「一口だけでも食べろ。あー」

「あーん……ほら。こうなるから、いいんですよ」


 そろそろ遥香も流れが分かってきたらしく、なすがままに口を開いて蓮也の箸に口をつける。


「……えへっ。恥ずかしいね、やっぱり」

「そうだな……慣れない」


 恥ずかしそうにしながら、でもやっぱり嬉しそうに笑う。そんな遥香がたまらなく愛おしいのは、やはり変わらない。


「俺が教師になりたいのってさ、有り体ではあるんだけど、ちゃんと高校生してほしいからなんだよな」

「……なるほど?」


 唐突に話し始めて、そのうえわかりにくい表現になってしまったかもしれない。別に遠回しに言ったつもりでもないが。


「俺も、遥香も。高校のときに変わったからさ。俺はまあ、前よりは逃げなくなったし。遥香も明るくなった。それに、お互いに生涯大切にしたい人にも出会えた」

「そんな環境を作ってあげたい、と」

「そういうこと。本当にこんなことしてくれる教師なんてなかなかいないし、やろうと思っていても出来ることじゃない。そもそも、俺たちにはあんまり先生って関わってこなかったけど、それでもさ。自分が変われたからこそ、大事なときに塞ぎ込んだりしないようにしてやりたいんだ」


 言っていても恥ずかしくなってきて、視線を下げてしまう。

 高校に限らず教師は様々だ。生徒に寄り添うということができる人もいれば、できない人もいて。やろうと思っても生徒と考えていることが合わなかったり、そもそも生徒のことなんて考えていない人もいる。

 その中で、蓮也は成し遂げたいことが見えている。


「ふふっ、あなたらしい。応援させていただきますよ、当然」

「……ありがとな」

「まずは私以外にも素直になるところから始めないといけませんね?」

「……善処はするよ」

「まあ、なんだかんだで時間はありますから、ゆっくりいきましょう」

「ん、そうする」

「まずは誕生日をしっかり祝われることも大切ですよー?」

「はいはい」


 本当に、遥香のことを好きになれて良かったと心から思った。






 昼食を食べてから、ソファーに寝転がる。蓮也の頭の下には、遥香の膝があった。


「こういうときに胸でも押し付けるのが正しい誘惑の仕方なのでしょうか」

「正しい誘惑とは。そんなことしなくていいよ」

「私の胸では不服だと?」

「そうは言ってないけど……これ、どう答えても俺が不利」

「気づいてしまいましたか。褒めてもセクハラですからねぇ」

「遥香、ちょっと意地悪になったよな。あとは、ちょっと変態になった」

「その扱いは少々酷すぎるのでは……?」

「冗談だよ」


 遥香がこういうことを言い出すようになったのは、おそらく蓮也のせいだろう。遥香が変わったというよりは蓮也があまりにも手を出さなすぎたのが原因だ。


「こうしてのんびり過ごす誕生日というのも、蓮也くんにとっては悪くないんですか」

「遥香はこういうの嫌か?」

「嫌、とまでは言いませんが。でもいつも蓮也くんがなにかしようと必死になってくれるのが嬉しいというか、楽しいというか。誕生日だなーって思えます」

「俺の事をなんだと思ってるんだ」

「うるさいです。人が照れてるのを楽しむような人に言われたくないです」

「それは、遥香が可愛いから」

「うるさいです」


 わしゃわしゃと頭を撫でられる。怒っているのかと思いきや楽しそうで、その様子も結局のところ可愛らしい。子どもだと言ったら怒るから言わないが、いたずらをしているときの子どもみたいだ。


「なににやついてるんですか」

「別に。楽しいなと思ってさ」

「それなら、よかったですが」

「なんか不満があるのか?」

「いえ、私が不満を言う日ではないので。でも、もうちょっとなにかしてあげたかったなー、とか思いまして。実はもうお風呂に入るくらいしか残っていなくて」

「まあ、俺はそれも結構楽しみだぞ?」

「えっ」

「ん?」

「……楽しみにされても、なにもできることはないのですが」

「いいよ別に。ただ一緒にいれたら、それで」


 正直なところ、蓮也は誕生日なんてどうだっていいのだ。結局は蓮也も遥香と同じで、遥香が自分のためになにかをしてくれようとしていること自体が嬉しいのだ。


「まあ、なんだっていいですが。あなたが楽しいならそれで」

「ありがとな」

「それ、私の台詞ですよ。こういうときに日頃の感謝を述べるのは祝う方です」

「そっか。でも、ありがとう。俺が言いたいだけだから気にすんな」

「はい。どういたしまして」


 ただそれだけ言って、それからしばらく蓮也と遥香はその体制のまま眠ってしまった。






 夕食を食べて、食器を洗って。今日はずっと任せきりにしてしまっていたので、食器は洗わせてもらった。もっとも、遥香はずっと不満そうにしていたが。


「さて、と」

「今日はもうあと五時間くらいで終わってしまいますが、本当にもうして欲しいこととかないんですか?」

「ん、特にない。今日はいろいろと楽しかった」

「そうですか。なら、よかった」


 遥香の隣に座って、抱き寄せた。ふわりと甘い香りがする髪にそっと触れる。


「ん、なんです? くすぐったいです」

「サラサラ」

「えっ? いやまあ、そうでしょうけど。これでも結構ちゃんと手入れしてますから」

「あー……そりゃそうか」

「どうしたんです?」

「いや……まあ、さ。せっかく一緒に入るんだから、洗わせてもらおうかと思……」

「是非! お願いします!」

「お、おう……そっか」


 女の子は身体にむやみに触れられるのが嫌なものかと思っていたが、遥香はそうではないらしい。もちろん、それは相手が蓮也だからというのが大きいのはわかっているが。


「そうと決まれば行きましょう! 早く!」

「……楽しそうだな」

「あ……えへへ。ごめんなさい」


 恥ずかしそうにはにかむ遥香がとんでもなく可愛くて、思わず頭を撫でてしまう。


「んじゃまあ、行こう」

「はい。にしても、今日はすんなり受け入れてくれますね?」

「内心めちゃくちゃ緊張してるって話、聞きたいか?」

「ふふっ、ならよかったです」

「なんで嬉しそうなんだよ」


 そろそろ慣れなければいけないと思っているが、やはりこういうときは緊張してしまう。だが、慣れてしまうのもそれはそれで少し違う気がしてならない。

 脱衣所で服を脱いでいる間も、遥香は楽しそうだった。蓮也とて楽しくないわけではないのだが。


「もう。そろそろ慣れてくださいよ」

「それは多分無理」

「蓮也くんらしいと言いますかなんと言いますか。まあ、いいんですがね」

「しばらくは大目に見てくれ」

「しばらくですよー?」


 茶化す遥香も、実は少しくらい恥ずかしかったりしないだろうか、と思う。蓮也だけがこの状況に緊張しているのであれば、なんだか情けなくなってくるから。

 遥香が座ったすぐ後ろに座る。遥香からシャンプーを受け取って、シャワーの水を優しく遥香にかける。

 シャンプーは当然ながら遥香の髪の香りの同じで、それがまた蓮也の思考やら何やらを鈍らせてしまう。


「んっ……ふふっ、くすぐったいですね」

「ごめん」

「いえいえ。あなたにこうやって触れてもらっているだけで、私は十分幸せですから」

「それなら、いいけど……なんか不満があったら言ってくれ」

「はい。わかりました」


 なるべく優しく、髪を傷つけないように洗う。遥香の方はというと、ずっと鼻歌を歌って楽しそうにしている。ただ髪を洗っているというだけでこれなのだから、蓮也はまた照れてしまいそうになる。


「蓮也くんの体は私が洗ってあげますね」

「俺の体なんか触っても楽しくないぞ」

「別にそうべたべた触るつもりもありませんが……嫌でしょう、触られるの」

「別に、遥香だったら嫌じゃない」

「……そんな恥ずかしいことをよくさらっと言えますよね」

「遥香にだけは言われたくないけど」

「まあ、確かに私も言えませんね」


 こういう距離感が嬉しくて、でもまだほんの少しだけ遠い。あくまで他人だから気も遣ってしまうし、嫌われることがないとわかっていても、嫌われたくないと思ってしまう。

 いつか、そういうのも全部なくなってもまだ遥香の傍にいられたらいいな、と。そう思った。

 遥香の髪を洗って、蓮也の体を洗ってもらって。ときどき遥香の柔らかさに飛び退いてしまったりもしつつ、なんだかんだで笑い合う。

 そうして、二人で入るには少しばかり狭い湯船に浸かる。蓮也の足の間に遥香が座る形になっているのだが、以前一緒に入った時よりも随分と遠慮がちになっていた。


「お、重くないですか……? 大丈夫ですか……?」

「全然大丈夫。前はそんなの気にしてなかったのに」

「前は……その、蓮也くんを……そういう気にさせることに必死で」

「……ん。これからは、まあ。頑張るから」

「あ、あまり頑張られるとそれはそれで困りますが……その、ほどほどに手を出してください」


 確かに、消極的でありすぎるのは考えものだとは蓮也自身も思っていたことだ。他ならぬ遥香が望むのなら、もう少しくらい積極的になってみてもいいだろう。

 そんなことを考えながら、遥香を抱きしめてキスをする。


「んっ……ほどほどだってばぁ……」

「誕生日」

「そう言われると弱いですね……でも、お風呂は駄目」

「……はーい」

「……キスなら、いいよ。何回でも」

「じゃあ遠慮なく」

「あ、ちょ……」

 

 何かを言おうとした遥香の口を半ば無理やり塞ぐ。恥ずかしそうにしながらも受け入れてくれるのが可愛くて、何度も何度もキスをした。

 それから蓮也たちはのぼせるまでキスをしていた。



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 蓮也くん、お誕生日おめでとうございます。あえて今回夕食についての話はしなかったので、なんだったのかな、と想像してみてください。僕はオムライスだと思います。

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