48.ドライブ

 三日目の朝である。昨日はわりと早く開放されたようで、朝早くから遥香は蓮也の部屋へと来ていた。今は少しだけ復習を手伝ってもらっている。


「計算ミス、多いですよ」

「そこなんだよな」

「一つ一つ丁寧にやれば、蓮也くんなら出来ますよ。頑張りましょう」

「おう。やる気出てきた」

「単純ですね……」

「悪いか?」

「いえ? 私が応援してやる気になるなら、いくらでも応援しますよ」


 それはありがたい話だと思いながら、再び教材に目を向ける。普段、一人ならそろそろやめている頃だろうが、今日は遥香も一緒ということで長く続いている。


「頑張りましょうと言っておいてなんですが、一度休憩を挟んだ方がいいかと」

「まだ大丈夫だけど」

「せっかく実家に戻ってるんですから、お二人とゆっくり話でもしてみては?」

「……まあ、あの人たちが話したいのは多分俺じゃないけどな」


 両親が話したいのはおそらく、というか確実に遥香だ。蓮也も両親に愛されている自覚はあるが、それ以上にこんなにも可愛い遥香に興味が湧くのは当然の話だ。別にそれが嫌な訳でもないし、むしろ遥香もこっちに馴染んでくれているのは嬉しい。


「私と話がしたいのはきっと、普段の蓮也くんを知りたいからですよ。本当に心配なのは蓮也くんです」

「そうなのかもな」

「きっとそうですよ」


 もしかしたらそうかもしれない。事実、蓮也は両親に心配をかけまくっているわけだから、そうだとしても仕方ない。


「まあ、なんだっていいか」

「あ、そうやって話を終わらせる。蓮也くん、たまにやりますよね」

「こればっかりは俺たちが考えててもわかることじゃないし、別にいいだろ?」

「……たしかに」


 思いの外素直に納得してくれたので、そこで話を終わらせる。

 教材を閉じて、椅子から立ち上がる。なかなかに長時間座っていたから、パキポキと身体中が愉快な音を鳴らすが、気になる痛みはない。


「大丈夫ですか?」

「おう」

「ところで、今日はどうしますか? 明日には蓮也くんは帰りますよね」

「結局遥香は残るのか?」

「私の意思というより、むしろ凛子さんがしばらくいなさいって……ふふっ、いい人ですよね」

「ただ遥香を手離したくないだけだと思うけど」

「それは蓮也くんでしょうに」

「まあ、それはそうなんだが」


 というか、蓮也の場合は離せと言われようが何をしようが離すつもりは無いが。

 それはそうと、たしかに今日はやることを全く決めていない。


「蓮也、いる?」

「どうかした?」

「遥香ちゃんも一緒にドライブでもどうだって、桐也さんが……って、遥香ちゃんもいたのね」

「おはようございます」


 凛子は軽快なノックをして、部屋へと入ってくる。遥香を見て驚いたような顔をして、そして何かを察したような表情になる。


「多分誤解」

「やっぱり?」

「おう。で、ドライブってどういうことだ?」


 隣で遥香はきょとんとしていたので、話を元に戻す。


「ああ、そうそう。せっかく来てくれたんだから、山の方にも連れていこうって話になって。遥香ちゃんさえよければだけど」

「はい! もちろん行きます!」

「あらそう? なら、桐也さんにも伝えてくるわね」


 なんとなく、いつもよりも遥香が乗り気なのが気になったが、とりあえず遥香が行くということなので、蓮也も準備をすることにした。






「……なんか、随分と大荷物だな」

「なんでも、バーベキューをするそうで。楽しみですね、家族でバーベキュー」

「そうだな」


 厳密に言うと家族ではないのだが、そこはどうだっていい。ただ、蓮也を含めて家族と言ってくれるのは嬉しいことだ。

 と、そんなことを考えていると、桐也が一人でかなり重そうなものを運ぼうとしているのだ。


「持つから」

「お、蓮也。頼めるか?」

「任せろ」


 案外持ってみるとそこまで重くはなく、蓮也一人でも十分持てる程度の重量だったので、そのまま車の中へと運び入れる。


「おお……」

「そんなに重くないぞ?」

「いいんです。かっこいいです」

「そういうもんなのか」

「そうです。そういうもんですよ」


 荷物を適当に準備して、車に乗り込む。桐也が運転席、凛子が助手席に座り、蓮也と遥香は後部座席へと座った。


「結構ガタガタしてるから、シートベルトしといた方がいいかもよ?」

「そうですね」

「危ないからしとけ」

「わかりました」


 遥香に言った手前、蓮也もシートベルトを装着する。

 アクセルを踏まれた車は当然ながら前へと進み出し、ガタガタとした道へも進んでいく。


「なんだか、楽しいですね」

「それはよかった」

「ええ、はい。よかったです」

「いつでも遊びに来ればいいからな?」

「ふふっ、そうさせてもらいます。お二人共温かい人で、ほんとに楽しくて……」


 事情があったにせよ、遥香は家族の温かさなんてものは知らない。遥香にとって、ついこの間までは橘花だけが唯一の家族だったのだろう。その遥香を蓮也の両親が受け入れてくれたこと、そして遥香も両親を良く思っていることは蓮也も嬉しい。


「こっちこそ、遥香ちゃんが来てくれて賑やかだったわよ?」

「そんな……私なんて、蓮也くんがいないと……」

「そんなことはない」

「あります。あるんです」

「……なんか、遥香って妙なところで頑固だよな」

「ははっ、蓮也と同じだな」

「俺はいつだってすな……」

「そんなことを言える口はこれですか?」


 言いながら、遥香は蓮也の口の端に指を当てて伸ばしたり縮めたりを繰り返す。どうやら、蓮也はあまり素直とは言わせてくれないらしい。


「悪かった」

「わかればよろしいです」

「俺って、結構素直な方だと思ってたんだけどな……」

「まだ言いますか……」


 また遥香に口元をこねくりまわされるのも嫌ではないが、これ以上はやめておいた。

 山に差し掛かったようで、窓の外は木々が生い茂っている。


「綺麗……」

「じゃないだろ……」

「そうですか? 私は好きですが」

「まあ、俺もこの辺りは好きだけど」


 危ないから一人で来ることこそ無かったものの、蓮也もこの辺りの緑は心地が良くて好きだ。一人で暮らし始めてからは当然ながら来ることが無くなっていた。


「歩いていく?」

「いいんですか?」

「ええ、怪我しないならだけど」

「それは……ね?」

「……おう。任せろ」


 『蓮也くんが守ってくれますから』とでも言わんばかりに蓮也に視線を送ってくるので、そう両親に伝える。

 車が止まり、遥香は車から出る。それに合わせて、蓮也も車から荷物を持って降りる。


「それは?」

「水分」

「ああ、たしかに少し暑いですね」


 そう言って、遥香は手でぱたぱたと顔を扇ぐ。あまり風は来てないようだが、その仕草はとても可愛らしい。

 と、そんなことを思っていると遥香が怪訝そうに蓮也を見つめてくる。


「なにニヤついてるんですか」

「ニヤついてたか?」

「はい、かなり」

「いや、可愛いなって」

「はいはい。またそういうのですか」

「お」


 珍しく照れた様子はない。蓮也は遥香を照れさせるとか、そういう目的があったわけではないが、それでも遥香に成長されてしまうとそれが見れなくなるので、少しだけ惜しい。

 しかし、それはほんの一瞬の話で、すたすたと歩き出した遥香はやはり耳まで赤い。


「照れてるだろ」

「なんですか、文句ありますか!」

「ごめんごめん」

「あ、いえ。いいんです。私が勝手に照れ……てませんが」

「遥香って嘘つくの下手だよな」

「蓮也くんなんて嫌いです」

「……嘘だよな?」

「さぁ?」


 嘘だとはわかっているものの、嫌いと言われると正直かなり辛い。こればっかりは蓮也が悪いのでなんとも言えないのだが。


「……なーんて」

「知ってるけどやめてほしい」

「ふふっ、わかりました。大好きですよ」

「……あー、そうだな。俺も大好きだ」

「ふふっ、知ってます」


 しばらく、隣に並んで山道を進む。遥香の様子を気にかけながら歩いていくと、案外直ぐに桐也たちへと追いついた。


「あ、遥香ちゃーん!」

「準備は出来てるぞ」

「はい!」


 楽しそうに遥香は走っていって、すぐに立ち止まる。なにかあったのかと思えば、遥香は戻ってきて蓮也の手を掴む。


「早く行きましょうよ」

「……おう」


 その笑顔が、いつもより少しだけ無邪気な笑顔が見ることが出来て、蓮也は連れてきてよかったな、なんてことを考えるのだった。

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