45.海

 次はどこへ行こうかという話になったとき、真っ先にあがった海に来ている。場所は去年翔斗たちと一緒に来たところだ。今年は例年以上に人が大勢集まっていて、なおかつ去年来たときよりも日差しが強い。


「あっつ……」

「まあまあ。もう少しの辛抱ですから、多分」


 昼過ぎになるにも関わらず、男女共に更衣室は入れないほどの行列ができていて、多くの人が日差しの中待たされていた。蓮也と遥香もその一組である。


「今更だけど」

「はい?」

「遥香って、肌綺麗だよな」

「……そういうの、水着着てる時に言って欲しいですね。ありがとうございます」


 文句をつけながらも、若干照れているのがわかる。こういうところは妙に素直さに欠けるところがある。


「暑い……」

「帽子、貸しましょうか?」

「いらない。焼けるぞ」


 遥香は白のワンピースに麦わら帽子をかぶって、いかにも夏らしい清楚な着こなしだ。ちなみに、麦わら帽子はわざわざこの日のために準備をしたらしく、電車に乗っているときも大切そうに抱えていた。

 そうこうしていると、列が崩れていって、蓮也たちが入れるようになる。


「それでは、また後で」

「おう」


 それぞれ更衣室へ向かう。

 蓮也はそれほど準備に手間取らなかったので、すぐに着替えて混雑した更衣室から抜け出す。しかし、これだけ人が多いと少し離れただけで遥香が心配になる。

 そんな心配はただの懸念で、パーカーを羽織った遥香がすぐに更衣室から出てきた。


「泳ぐときは脱ぎますから、安心してください」

「別にそんな心配はしてない。恥ずかしいなら無理に脱がなくていいからな?」

「恥ずかしいとかじゃなくて……一応、よく見ればわかるので」

「……あー……」


 遥香があまりにも楽しそうなので忘れてしまっていた、ナイフの刺傷。テープで保護をしているらしいが、やはりよく見ればわかるらしい。蓮也はそれほど凝視したことはないが。


「でも、蓮也くんにちゃんと水着は見てほしいから」

「そっか」

「さて……では、行きましょうか」


 遥香は蓮也の腕にぴったりと引っ付いて歩き出す。こういうときの遥香は楽しそうににこにことしているので、隣で見ていても気分がいい。


「えい」

「冷たっ!? やったな?」

「きゃっ!」


 遥香が水をかけてきたので、蓮也も水をかけ返す。熱が体にこもっていたので、ちょうどいい冷たさだ。

 しばらくそうして水をかけあっていると、周囲の視線に気づく。生温かい、居心地の悪くなる視線だ。


「……泳ぐか」

「そうしましょう……」


 遥香は俯いたままパーカーを脱ぐ。


「あ、これどうしましょう」

「持っとくよ」

「あー……そうですね、お願いします」


 当然ながら荷物はだいたいコインロッカーに入れていて、二人で来ているのでパーカーをそのまま置いておくのも怖い。蓮也は泳ぐのが特別好きというわけではないので、遥香が楽しければそれでいい。


「ちゃんと見ててくださいね? 溺れたら助けてくださいよ?」

「去年の夏を思い返す限り、遥香が溺れることはなさそうだけどな」

「まあ、溺れませんけど。そういうときは、助けてやるって言ってくれればいいんです」

「そういうキャラじゃない」

「……たしかに。うーん……」


 唸りながら遥香は少しずつ海水に浸かっていく。そして、息を大きく吸い込んで泳ぎだした。

 遥香は蓮也とは打って変わって、泳ぐのが好きならしい。あっという間に見えない距離まで行ってしまった。見ててくださいと言われたが、物理的に見えない。

 と、見えなくなった遥香を探していると、視界の端に水しぶきがあがる。誰かが遊んでいるんだろう、と思ったのだが、どうやら違う。


「溺れてないか……!?」


 明らかにもがいている。おそらく、小さい子どもだろう。

 とりあえず息を吸い込んで、潜る。蓮也は好きではないが、泳げないわけではない。

 遥香ほど綺麗なフォームではないので多少時間はかかってしまったが、どうにか子どもの元へ辿り着くことはできた。


「大丈夫か!」

「だ、だいじょーぶ!」


 どこがだ、と心の中でツッコミを入れながら、子どもを下から抱えあげる。が、抱えあげた途端、蓮也の体が沈んでいく。蓮也は泳ぐことは出来ても、他人を抱えながら浮くことは出来ないらしい。

 なんてどうでもいい分析をしているうちに、蓮也の体はどんどん沈んでいく。まずい。

 もがいていると、水中から手が伸びて子どもを抱えあげられる。直後に、綺麗な黒髪が出てきた。


「大丈夫ですかっ!」

「あ、ああ。大丈夫だ」


 どうやら、蓮也の姿を見て慌てて戻ってきたらしい。若干息が切れているので、相当急いだのだろう。


「パーカー持ったまま泳ぐからですよ」

「ごめん、つい」

「つい、ね。まったく」


 といいつつも、遥香の顔は嬉しそうだ。子どもを抱えたまま、遥香は浜辺の方へと足をバタバタさせて進んでいく。


「器用だな」

「慣れれば簡単ですよ。あなたも大丈夫ですか?」

「うん! お姉ちゃんもお兄ちゃんもありがとー」

「いえいえ、構いませんよ。ですが、海には危険がいっぱいなので、気をつけて遊んでくださいね」

「お母さんたちはいるか?」

「あっち!」


 指を指す方向を見ると、女性が慌てて近づいてきていた。蓮也たちもその女性に向かって進む。


「本当に申し訳ありません」

「いえいえ!」

「ただ、ちゃんと目を離さないでいてあげてください」

「はい……」


 子どもを親へと預け、蓮也たちは立ち去る。後ろから「ありがとー!」という声が聞こえてきたからか、遥香は嬉しそうだ。


「目を離さないでいてあげてください、ですか?」

「……ごめん」


 嬉しそうにしていたのは一瞬で、遥香は途端に不満そうな顔になる。たしかに、見ててくださいと言われたのに見ていなかった。というより、見えなかった。


「まあ、冗談ですが。溺れている子をほっとく方が幻滅しますよ」

「そっか」

「たーだ。無理したのは怒ってますけどね。蓮也くんが怪我でもしたらどうするんですか。慣れないことはしないで、私を呼んでください」


 呼んでも聞こえなかっただろ、と言おうとしてやめる。遥香の表情は真剣そのもので、さっきの行動の迅速さといい、本気で蓮也が心配だったのだろう。彼女にここまで心配されてしまうのは些か情けない気がするが、その気持ちは素直に嬉しい。


「さて、せっかくですし二人で遊びましょうよ」

「そうだな」






 しばらく遊んで、日が暮れてきた。ビーチの人もかなり少なくなってきて、静かになっていく。

 そんな中、蓮也と遥香は岩場に座ってのんびりと夕日を眺めていた。

 ことん、と。遥香が蓮也に体を預けてくる。


「眠いです」

「家に帰ってから寝ろよ? ここじゃ風邪ひく」

「風邪ですか。蓮也くんの看病つきなら魅力的ですね」

「それだけの為に風邪ひこうとするな。あと、勉強の時間もあるから付きっきりは無理だぞ」

「たしかに。あと三ヶ月は頑張ります」

「半年耐えてくれ」


 蓮也たちの志望校は私立の大学だ。推薦入試なら例年一月に入る前には合否が出る。遥香は以前指定校云々の話をされたので、もう少し早いのかもしれない。


「水平線に夕日が沈んでいくのって、綺麗ですよね」

「そうだな。でも……」


 お前の方が綺麗だぞ、と。そう伝えるつもりだったのに口ごもってしまう。その所為で、ものすごく居心地の悪い沈黙が訪れる。


「……お前の方が綺麗だ」

「だいぶ間がありましたね」

「こういうのは恥ずかしい」


 遥香がケラケラ笑うので少し恥ずかしさを覚えながらも、言えたことに満足する。


「……来年も、一緒に、ね?」

「おう」


 まだこれからどうなるかもわからないのに来年のことを約束してくれることが、ただ嬉しかった。

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