44.最後の夏休み

 七月の半ばになって、高校最後の夏休み、遥香と出会ってから二度目の夏休みになる。勉強や、予備校の夏期講習の時間もあるのであまり時間を取りすぎるわけにもいかないのだが、それでも楽しみである。


「さて、夏休みですが」

「そうだな」

「どこに行きますか!」


 テンションが高い。どうやら楽しみなのは蓮也だけではないらしい。


「いろいろありますよね〜海も山もそうですし、水族館や遊園地も。どうしますか?」

「いつになくテンションが高いな」

「だ、だって。せっかく二人で過ごせるから……」

「……そう、だな」


 可愛い。去年の遥香なら、こんな顔は見せてくれなかっただろうし、こんなことも言わなかったはずだ。クリスマスに勇気を出してよかった。


「遥香はどこがいい?」

「決めかねてます。蓮也くんが行きたいところと相談しつつ決めようかと思いまして。ほら、八月の半ばは講習あるんですよね?」

「せっかくの夏休みなのに悪いな」


 そう言うと、遥香は首を横に振る。


「頑張ってくれるのは、嬉しいですから」

「……そっか」

「なので、遊べるときは精一杯遊びましょうね」

「そうするか」


 これは、遥香なりの気遣いなのだろう。もちろん、遥香も寂しかったと言っていたので、二人で遊びに行くことが出来るのは嬉しいのだろうが、それ以上に蓮也の息抜きというのが大きな目的なのだとわかる。


「どうしましょうか、迷いますよね〜」

「準備がいるから、山や海は後の方にしとこう」

「ですね。となると、観光地やテーマパークでしょうか?」

「それこそ、水族館とかいいんじゃないか?」

「水族館!」

「なんかテンション変だぞ」


 やはり遊び慣れていない遥香は、こういう話になると急に幼くなる。それ自体は全然構わないのだが。


「近くの水族館といったら、確かペンギンがいましたよね!」

「この暑い中大丈夫なのか……?」

「フンボルトペンギンさんは温帯生息で、暑さにも負けないそうですよ」

「ペンギンさん」

「はい?」

「いや、なんでもない」


 ペンギンはペンギンなのにフンボルトペンギンには敬称がつくことが気になってしまった。フンボルトペンギンは何か違うのだろうか? なんてことを考えてみる。

 考えていることを知ってか知らずか、遥香は蓮也の顔を覗き込んで来る。


「どうした?」

「そっちこそどうしたんですか。急にぼーっとして」

「えっと、どうしてフンボルトペンギンさんなんだ?」

「……忘れてください」


 聞いてみると、顔を真っ赤にしてソファーに顔を埋める。やはり、耳まで赤いのでその行動は無意味なのだが。


「昔、ペンギンが主役の絵本があって。そのペンギンさん……じゃない、ペンギンが可愛かったのでつい、ペンギンさんと呼んでしまうことがあるんです。それだけです。なので、忘れてください」

「可愛いな」

「うるさいです!」


 ぽすぽすと叩いてくる。加減はしているのだろう、全く痛くはない。

 結局それからしばらく話し合って、明日、水族館へ行くことにした。理由は準備に手間がかからないことと、遥香がペンギンさんを見に行きたいからだ。ちなみに、途中からは隠すことなくペンギンさんと呼んでいた。






「待ち合わせ、か」


 今日、突然待ち合わせをすることになった。蓮也も待ち合わせというシチュエーションに少しだけ憧れがあったので、なんの問題もない。こういうときは、少しだけ早く来るのが彼氏としてのマナーだろう。

 集合は十時。今はまだ八時過ぎで、水族館までは時間がかかってしまっても、一時間はかからない。だから、余計な緊張が蓮也を焦らせる。

 服はどうだとか、身だしなみは整っているかとか、そんなことを考える。


「……大丈夫だよな?」


 遥香の隣に立つ以上は、蓮也もそれなりの格好はつく状況でなければならない。もう蓮也の彼女で、手放すつもりもさらさらないのだが、それでも遥香は可愛い。つまり、諦めさせるくらいでなければいけないということだ。







 そうして自分にプレッシャーをかけ続けてはや一時間、九時。そろそろ家を出ないと間に合わない時間になった。

 去年の誕生日に悠月から貰った腕時計をつける。別の女子から貰ったものを付けられるのは嫌かと以前聞いたが、「悠月ちゃんのなら大丈夫ですよ。ちゃんと信頼してますし、なによりセンスが良いので、彼女は」とのことだった。確かに、蓮也自身が見ても似合うとは思う。

 財布の中身はいつもより少しだけ多め。服はいつもより着飾ったものを着ようとして、やっぱりやめた。遥香や翔斗たちと遊園地に行った、いつもとあまり変わらない服にしておいた。格好良く、なんて考えていたのに、だ。


「迷走しすぎだろ、俺……」


 初デートというわけでもなければ、特別変わった場所へ行くわけでもないのに、妙に緊張してしまう。それはきっと、遥香が蓮也を楽しませようとしてくれているのと同じように、蓮也も遥香を楽しませたいからなんだろうが、それでこんなにも変なことをしてしまっているのだから情けない。


「やっべ」


 そんなことをしている間に、時間がギリギリになってしまった。






 十時の十五分前、まだ遥香は来ていない。

 しばらくまたそわそわしていると、十時になる。周りを見渡してみると、遥香が手を振って駆け寄ってくる。


「待ちましたか?」

「いや、全然」

「そうですか」


 満足そうににこにことしている。どうやらこのやり取りをしてみたかったらしい。


「じゃあ、行くか」

「はい!」


 手を出すと、その手を遥香が握る。予めチケットの準備はしているので、そのまま受付を通る。

 まずは、遥香が見たがっていたペンギンのエリアへと足を向ける。


「晩御飯は魚にしましょうか」

「やめてくれ」

「ふふっ、冗談ですよ」


 水族館のトンネル水槽の中でそれはタチの悪い冗談だ。確かに、数匹美味しそうなのがいないわけでもないが、やはり綺麗な魚の方が多いので、食べたくない。


「美味しそうですね」

「可愛いとかにしとけ」

「ふふっ、綺麗ですよね。カラフルですが、他に食べられたりしないんでしょうか?」

「……さっきから魚を食うことの話しかしてないぞ」


 大きい魚と小さい魚が同じように入れられているので気になる気持ちはわかる。が、今はそこに疑問を持つべきではない。


「ペンギン以外に興味無いな?」

「いえ、蓮也くんと、あとマンボウにも興味がありますよ」

「マンボウいるのか」

「去年からいるそうですよ」

「それは楽しみだな」


 マンボウを飼育するのは困難で、水族館では飼いたくても買えないという話は聞いたことがある。実際、蓮也はマンボウを見たことは無い。というか、ペンギンも見たこともないし、そもそも地元には大きな水族館がない。


「マンボウって簡単に死んじゃうんですよね」

「さっきから話が暗いんだけど」

「違います。マンボウは一人になると死んじゃいますけど、私は蓮也くんがいるなら安心ですねっていう話だったんです」

「そうなのか。マンボウ弱いな」

「今の話でマンボウの方に持っていきますか……いや、いいんですよ、楽しんでくれるなら」

「俺が遥香を離すわけないから、当たり前だろ」

「……もう……馬鹿」


 そういいつつ、遥香は蓮也の手をしっかりと握りなおす。心做しか手が熱い。

 しばらく泳いでいる魚を見ながら歩いていると、ペンギンのいるエリアについた。フロア自体の温度を下げているらしく、少しだけ肌寒い。

 隣を見ると、遥香は寒そうに体を抱えていたので、体を抱き寄せる。時期が時期なので上着を持ち合わせていないので、このくらいしか出来ない。


「ありがとうございます」

「寒いなら無理するなよ。ペンギンさん見たら戻ろう」

「……馬鹿にしてるんですか?」

「してない。可愛いとは思ってるけど」

「やっぱり馬鹿にしてますよね?」


 本当に蓮也は馬鹿にしているわけではない。ただ、可愛らしくて少し子どもっぽいなと思っているだけであって。

 ペンギンの姿を見つけると、目を輝かせてペンギンの元へと向かっていった。


「わぁ〜」

「多いな」

「可愛いですねっ!」

「そ、うだな……」


 お前が一番可愛いぞ、なんて切り返しができればよかったのに。そんなことを考えながらペンギンと遥香を眺めた。






 二人はそれからもしばらく水族館を歩いて回り、一時前になり小腹が空いてきたところで、最後にマンボウを見て出ることにした。


「どこでしょうか」

「出口付近だってさ。普通にルートの出口に向かえば大丈夫だ」

「そうなんですね」


 出口まではそう距離はないので、すぐにマンボウは見えてくるはずだ。

 しかし、先程から遥香の格好になにか違和感を感じる。ペンギンを見ていた時はそんな違和感はなかった。


「水族館って、楽しいですね」

「そうだな」

「次はどこへ行きましょうか?」

「海とか、あとはちょっとした旅行とかか?」

「楽しみですね」

「楽しむからな」

「ふふっ、そうですね」


 楽しそうに笑う。そうこうしているうちにマンボウとルートの出口が見えてくる。

 しかし、隣で楽しそうにしていた遥香は青ざめていた。


「どうした?」

「……ネックレス、落としました」


 言われて気がついた。違和感の正体は身につけていたネックレスがないことだ。


「探すぞ」

「えっ、でも……」

「ペンギンのところまではあった」


 その言葉を聞いて希望が見えたのか、遥香の顔は少し明るくなる。

 順路を逆に向かって歩く。遥香の身につけていたネックレスは以前蓮也があげたもので、銀色の物だ。目立つものではないが、落ちていれば目には入る。が、見当たらない。途中、職員にも聞いて回ったが、そんな落し物はなかったとのことだった。

 しばらくの間探し回って、とりあえず受付まで戻ってきた。各ルートの合流地点でもあるので、人がかなり多い。


「また買うから」

「そういうことじゃないんです。ただ、蓮也くんが初めてくれたプレゼントだから……」

「……そっか。それだけ大事にしてくれてただけでも嬉しいぞ?」

「でも……私、やっぱりもうちょっとだけ探してきます」


 何気なく蓮也が贈ったネックレスは、遥香にとってとても大切なものになっていたらしい。それがただ蓮也は嬉しくて、同時に蓮也もネックレスを探し出そうという気持ちにさせた。


「お、いたいた」

「翔斗!?」

「これ、月宮のだろ?」

「なんか光ってたから拾ってみたら、見覚えのあるネックレスだったからさ。もしかしたらこの辺にいるかもって。一応メッセージ送ってたんだけど」

「……あ、ほんとです。来てます」

「無駄足だったのか……」


 偶然居合わせたらしい翔斗たちがネックレスを拾ってくれていた。こんな偶然が本当にあるのかは甚だ疑問だが、それよりもネックレスが見つかったことの方が大きい。


「よかったな」

「本当に……本当によかった……」


 ギュッとネックレスを握りしめる遥香を見て、蓮也もほっと息をつく。そして、こんなにも大切にしてくれることがただただ嬉しいのだった。

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