15.最終日

 夏休み最終日の朝、蓮也が目覚めると、部屋には既に遥香がいた。


「うるさくしてごめんなさい。昨日散らかしたまま帰ってしまったので」

「……ちょっと待ってくれ、どうやって入った?」

「蓮也くんから借りた鍵を返してなかったので、それで」

「ああ……」


 そういえば昨日、公園に散歩に行くときに渡したまま返してもらっていない。それで入ったのなら安心だ。無断で入っていたのには少し驚いたが、遥香ならば問題も特にない。


「まあ、それはそのまま持っててくれたら助かる」

「はい? それでは蓮也くんの鍵は……」

「いやさすがにスペアくらいあるから。まあ、遥香は日中こっちの部屋にいることも多いんだから、持ってていい。いいって言い方はおかしいか。持ってて欲しい」

「わかりました。この鍵はなくさないように気をつけます」

「その鍵じゃなくても無くすなよ?」

「……そうですね。頑張ります」


 妙な間が蓮也を不安にさせる。遥香は完璧な人間だという錯覚させるほどなんでも出来るので、基本的なことは全てできると思い込んでいた。


「……遥香って物、なくしやすい?」

「……小物はよくなくなります。整理整頓などはしっかり出来てるはずなんですが」


 意外な弱点だった。というより、蓮也が初めて見つけた遥香の弱点だった。


「大事なものはなくさないので、大丈夫だと思います」

「うちの鍵よりも大事なものはあると思うぞ」

「そんなことは……蓮也くんの家の鍵も大切です」

「まあ、遥香がそう言うならいいけど」

「はい!」


 なぜ遥香にとってそこまで大事なものなのかもわからないが、確かに他人の家の鍵をなくす訳にはいかない。遥香にはなくさないように善処してもらわないと困る。


「ところで、夏休み最終日ですね」

「そうだな。なんか、あっという間に過ぎたなぁ」

「ふふっ、そうですね。でも、楽しかったです」

「そうだな」


 例年より楽しく夏休みを過ごすことが出来た。それは環境が少し変わったとか、そういう理由じゃなく一重に遥香のおかげだろう。


「ありがとな」

「こちらこそ、いつもありがとうございます」

「まあ俺はなんも出来てないけど」

「そんなことありませんよ? 蓮也くんはなんだか、歳の近いお兄ちゃんみたいで安心できます」

「お兄ちゃん、か」


 やはりというべきか、恋愛感情は持たれていないらしい。それもお兄ちゃんとなると、恋愛感情には程遠い気がする。


「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない。それで、最終日だしなんかするか?」

「のんびり過ごせばいいかと。特にやることもありませんし」


 確かに、無理をして時間を潰す必要もない。2人の意見が一致して今日はのんびりと過ごすことにしようとした。

 のんびりとは言ったがせっかくなので少し散らかってきた自室の片付けでもしようと思い蓮也が部屋に戻ろうとすると、遥香が思い出したように蓮也に伝える。


「今の今まで忘れてたんですが、今日はお祭りがあるそうですよ」

「人が多いのはなぁ……」

「同感です。一人なら行きたくないですね」


 一人なら。この言葉に妙に力がこもっているように感じたのは、遥香の表情を見ればわかる。つまり、一緒に行きたいということだろう。遥香は視線で察してくださいと言わんばかりに訴えかけてくる。


「えっと……俺と、か?」

「蓮也くんとです」

「あのな、傍から見たらどう見えると思う?」

「兄妹……?」

「違うだろうな。似てなさすぎる」

「なら、恋人?」

「そんなところだろうな」

「蓮也くんはそう見られるのは嫌、ですか?」

「嫌じゃないけど……」


 嫌なわけが無い。隠し撮りなんかをされていたら気分はあまり良くないが、周りから見てカップルと思われるのは悪い気はしない。しかし、蓮也が隣に立っていると評価が下がるのは遥香の方だろう。


「私は蓮也くん以外とは行きたくないです」

「天宮とかは?」

「行きません。絶対、蓮也くん以外とは行きませんから」

「なんでそこでそんなに頑固なんだよ…」


 どうしても蓮也と夏祭りに行きたいらしい遥香は、珍しく強気な姿勢だった。決して蓮也は夏祭りに行きたくない訳では無いので了承する。


「まあ、行くけどな」

「私の勝ちですね」

「元から行かないとは行ってないぞ?」

「確かに。なんかずるいですね」

「ずるいか?ㅤまあ、とりあえず適当に準備はしないとな」

「そうですね。何時くらいにしますか?」

「花火とかもあがるから…遅くても七時前には出よう」

「なんだかんだ乗り気ですね?」

「当然。行くなら楽しむだろ」

「ふふっ、そうですね」


 遥香はいつにも増して楽しそうににこにことしている。そのにこにこの理由が蓮也と夏祭りに行けるということが気恥ずかしくなった。






「すごいな……」


 びっくりさせたいので、先に言っててくださいと言われたので、蓮也は先に来ていた。既にかなりの人がいて、出店もかなりの量だ。引っ越してきた去年は来ていないが、聞いていた以上に規模が大きい。

 それにしても、遥香が見当たらない。着いてから少し時間が経っているので、心配になってくる。そんな心配はただの懸念で、それからすぐに浴衣を着て、下駄を履いた遥香は現れた。


「ど、どうでしょうか……?」

「……」

「変……でしょうか?」

「変……」

「着替えてきます!」

「じゃない。変なわけない。すごく綺麗だ」

「……ほんとですか?」

「ほんとだ。まさか浴衣を来てくるとは思ってなかったから、驚いた」

「びっくりさせたいので、と言いましたが?」

「びっくりさせられた」

「それなら良かったです」


 上機嫌な遥香は、自分がどれほど綺麗なのかを知らないかのように無邪気にはにかむ。こういう不意打ちには相変わらず蓮也は弱くて、またいつものように視線を逸らす。しかし、浴衣姿を見てもらいたいのか、遥香はそんなことはお構い無しに引っ付いてくる。それでも蓮也が目を逸らし続けるので、遥香は少しむくれながらも蓮也から離れる。


「なんで見てくれないんですか」

「心臓に悪いから」

「それは大変ですね」

「比喩だぞ?」

「知ってます。言い換えればドキドキしてるということなので許します」


 その通りなのだが、改めて言われると恥ずかしい。

 やはり少し浮かれているのか、遥香はいつもよりも幼い子どものようなテンションだった。


「蓮也くん!ㅤ早く行きましょう!」

「はいはい」


 そんな遥香を知っているのも蓮也だけだと思うと、少しだけ嬉しくて、同時に少しだけ悲しくなった。

 遥香がこんなにもはしゃいでいるのは、きっと友人とこんな風に夏祭りに遊びに来るなんてことがなかったからだろう。美人で大人びていて冷静で、でも可愛らしくて何考えてるかもわからないときもあって。それにこんなに無邪気な笑顔だって見せるのだ。そして、蓮也も少し前までは遥香を一人にさせていたのかと思うと、胸がきゅっと締め付けられる。


「蓮也くん?ㅤ顔色が悪いですが…体調が悪いなら帰りましょう」

「大丈夫だ。どっか見たいところでもあるか?」

「あ、それなら……」


 だからせめて。今日くらいは蓮也が遥香を甘やかしてもいいだろう。

 しばらく周りをきょろきょろと確認して、「あれです」と遥香が指さしたのは射的屋だった。並んでいるのは若いカップルで、その後ろに並ぶのは気が引けた。が、半ば遥香の勢いに押されてカップル後ろに並ぶ。


「……手は、繋ぐべきですかね」

「なんでだよ」

「人が多いから、はぐれてしまうかもしれません」

「……かもな。じゃあ、はい」


 羞恥に身を焦がしながら蓮也が出した手を、遥香が握り返す。はぐれるから、というのは先日の温泉街で蓮也が言ったので、誤魔化すことも出来なかった。


「……本当に恋人みたい」

「言うなよ。結構ドキドキしてんだから」

「ふふっ、意外とピュアなんですね?」

「うっせ。悪いか」

「いいえ? そんなところも好きですよ」

「……そうかよ」


 茶化すわけでもなく素直にそう告げるのだから余計困る。好かれるのはもちろん嬉しいが、恥ずかしげもなくそういうことを言われると、蓮也としては些か悔しいような気がしなくもない。

 そんなことを考えていると、前のカップルが退いて蓮也たちの順番になる。


「頑張れ」

「はい!」


 コルクガンを構えて撃つ。その姿自体はすごく様になっているのだが、撃ったものはかすりもせず外れていく。


「当たりませんね」

「貸してみろ。どれだ?」

「あれです」

「わかった」


 遥香が指さしたのは、土台に固定されたうさぎのキーホルダー。蓮也は身を乗り出すわけでもなく、ただコルクガンを構えてい撃つ。すると、コルクは見事にうさぎへ命中して倒れる。


「よし」

「……ずるいです」

「なにがだよ。慣れたらできるようになるってこんなの」

「そういう事じゃないです。ただ構えてるだけだったのにかっこいいとか、反則です」

「普通に構えてただけなんだけど…まあいいか。たまにはかっこつけさせろ」


 そう言うと遥香は何かを呟いたが、あまりにか細い声だったので蓮也の耳には届かなかった。

 それからしばらくうろついて、気がつけば花火があがる数分前になっていた。


「そろそろ場所探すか」

「まずはかき氷が食べたいです」

「暑いしな。買いに行くか」

「はい」


 2人で並んで歩く。だんだん花火の場所取りを始めたのか、人の数は少なくなっていく。


「味どうする?」

「ブルーハワイにします」

「わかった」


 2人分のかき氷を受け取って遥香に手渡す。さすがに繋いでいた手も離して、次に花火を見る場所を探す。

 

「そういえば、人が来なさそうなところを知ってます」

「ん? 引っ越してきてここに来たことが?」

「前に一度悠月ちゃんに教えてもらいました。そこなら静かだから、一人になりたい時なんかはよく行くそうです」

「へぇ。まあ情報源が天宮なら問題ないか」

「私だと問題があるような言い方ですね」

「そんなことは言ってない」


 遥香に連れられて、立ち並ぶ屋台の裏手の雑木林に入る。一応、人が歩ける程度の道が整備されているが、下駄を履いている遥香は歩きにくそうにしていて、なにより怪我をして欲しくないので一度立ち止まる。


「悪い、かき氷持っててくれ。落とすなよ」

「えっ? は、はい……きゃっ!?」


 蓮也は遥香をゆっくりと抱えあげる。遥香は驚いたような表情をするが、じたばたと暴れたりはせずただ恥ずかしそうに顔を赤らめている。


「慣れない靴でこんな道歩いてたら、怪我するぞ」

「……はい。ありがとうございます」

「素直でよろしい」


 抵抗したり、反論したりはしてこなかったので、遥香に道を教えてもらいながらそのまま歩く。遥香は蓮也の肩に回した手に持っているかき氷を落とさないように気をつけているのか、手先のかき氷を見つめている。

 蓮也が思っていた以上に遥香は軽くて細く、少し力を加えれば折れてしまうんじゃないかとも思えてしまう。


「重くないですか?」

「重い」

「うっ……痩せます……」

「冗談だからやめてくれ。これ以上軽くなったら逆に心配になる」

「そんなに軽いですか?」

「だいぶ軽い。軽すぎて心配になるくらいには軽いぞ」


 遥香相手だから冗談も言えるが、蓮也とてデリカシーというものはある。他にはこんな冗談は言わないだろう。


「あ、ここです。降ろしてくれて大丈夫ですよ」

「わかった」


 抱えあげたときと同じように、ゆっくりと降ろす。持っているかき氷を落とさないように遥香もゆっくりと降り、蓮也に持っていたかき氷の一方を手渡す。


「確かに人はいないな。落ち着いて見れそうだ」

「そうですね」


 遥香の様子が少しおかしいが、恐らく抱えあげられたのが恥ずかしかったのだろう。抱えた蓮也の方も恥ずかしかったので、そこは特に言及しない。


「かき氷のシロップって同じ味なんですよね」

「らしいな。まあでも、おいしいと思えるなら同じ味でも別に構わないだろ」

「それもそうですけど、少し気になります。蓮也くん、目を閉じてください」

「俺が試すのかよ」

「はい」


 遥香に言われた通り目を閉じる。が、何もしてこない。しばらく目を閉じて待っていると、なにかが口に、ではなく頬に触れる。それは生暖かくて柔らかい、少なくともかき氷ではない感触だった。


「遥香?」

「ご、ごめんなさい! 目は開けてませんよね?」

「大丈夫、開けてない。どうした?」

「い、いえ……あ、あーん」


 言われて口を開ける。蓮也の口に入れられたのは、今度こそ冷たいかき氷だった。


「……わからないな」

「け、検証終了ですね」


 そのとき、空の上でドーン、と大きな音が鳴った。目を開けてみると、大きな花火が空に広がっていた。


「すごいな」

「綺麗ですね……」

「そうだな」


 2人で並んで花火を見る。ふと隣にいる遥香を見ると、花火の光の加減からか、顔がとても赤いように見えた。

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