14.誕生日会

 八月三十日、夏休み最終日の前日ということもあってか、妙に遥香がそわそわしていた。課題は終わったと言っていたし、何か別の要因があるのだろう。

 そんなことよりも、蓮也は遥香がしばらく寝不足のようなのが心配だった。


「ほんと、無理しなくていいからな?」

「無理なんてしてませんよ。本当に大丈夫ですから」

「それならいいんだけどさ」


 態度や行動なんかはいつもと変わらない。けれど、雰囲気がいつもとは違うような気がしてならない。

 蓮也にはその理由すらもわからないのだが。


「〜〜♪」


 最近の遥香は、よく鼻歌を口ずさむ。いい事でもあったんだろうか。


「遥香、今日なんかあったか?」

「えっ!?ㅤい、いえ?ㅤ別に?ㅤなんでもありませんよ?」

「……ほんとうは?」

「何もないって言ってるじゃないですか!?」

「お、おう……ごめん……」

「あ、いえ……怒ってはいません。ごめんなさい」


 やはり、様子がおかしい。遥香が蓮也に隠さないといけないようなことをするとは思えないが、さすがにここまで違うと居心地も悪い。


「ふぅ……」

「昼飯?」

「晩御飯です」

「早いな……」


 見ると、アルミホイルに包まれた何かが置いてあった。中身がなにかはわからない。


「……散歩にでも行きませんか? 部屋にいてばかりでも疲れますし」

「遥香が行きたいなら俺はついてくけど」

「私が行きたいのでついて来てください」

「おう」

「あ、先に行っててください。すぐに行きます」

「わかった。鍵、ここに置いとくから」

「はい」






 少し遅れて来た遥香は、以前蓮也が贈ったネックレスを付けていた。どうやら、わざわざ部屋にまで取りに行っていたらしい。


「お待たせしました」

「どこ行く?」

「どこへでも」

「その回答は困るな」


 結局蓮也たちは、公園までぶらぶらと歩くことにした。

 夏の蒸し暑さが実際できる陽気で、黙って歩いていると蝉の声がうるさく聞こえる。


「暑いですね……」

「だな。でも、たまにはこういうのもいいんじゃないか?」

「蓮也くんとなら、どこでもいいですよ」

「お、おう……」


 そういう不意打ちは、やっぱりずるい。そんなことを思いつつ隣の遥香を見ると、緑で溢れた街路樹を眺めていた。


「……落ち着くな」

「そうですね。ですが……」

「ん?」


 何かを言おうとして、やめる。そこでやめられると、蓮也は気になって仕方ない。


「なんだよ」

「え、えっと……その……れ、れんやくんの……」

「俺の?」

「や、やっぱりなんでもないです!ㅤ忘れてください!」

「えぇ……」


 モヤモヤが残るが、なぜか遥香の顔が赤いので言及することはしない。うぅ、と言いながら俯く遥香は愛らしく見えて、無性に撫で回したくなる。そして、蓮也はその欲求に負けた。


「……っ!?」

「ごめん、自分に負けた」

「ぁ……」


 頭に一瞬触れ、その手を手を離そうとすると遥香に掴まれ、もう一度頭に戻された。


「い、いいですよ?ㅤ撫でても……」

「……いいのか?」

「蓮也くんなら問題ないです、多分……」

「た、多分って…」


 言いながらも蓮也は、半分照れ隠しで遥香の頭を撫で回す。遥香は恥ずかしそうに顔を赤くしながらも、気持ちいいのか目を細めている。

 しばらく意味もなくそんなことを続けていると、遥香のスマホが鳴る。


「あ……ごめんなさい」

「いや、なんかこっちこそごめん」


 そう言うと遥香は少し離れてひそひそと話し出した。ときどき顔を赤くしたり、あわあわと慌てる様子が見えたので、もしかしたら悠月かもしれない。会話の内容は不明だが。

 しばらくすると蓮也の元へ戻ってきた。心做しか顔が赤い気がする。


「あーごめんな?」

「い、いえ?ㅤその、いいですよ。蓮也くんならいつでも撫でて……」

「いいのか?」

「……蓮也くんが、撫でたいなら。どうぞ」

「ま、まあ……また、心の準備が出来てたら」

「はい……!」


 少し瞳が輝いて見えて、蓮也は居心地が悪くなる。蓮也に撫でられるのが嬉しい、なんてことはありえないのだが、それでも、そういう反応をされると困ってしまう。


「帰るか」

「そうですね」






「「誕生日おめでと」」


 家に入るや否や、2つのクラッカーが鳴らされる。翔斗と悠月だ。ちなみに、リボンなんかは出ないタイプらしく、音だけが鳴った。


「おめでとうございます」


 隣を見ると、遥香が音の小さいクラッカーを鳴らしてくれた。


「……俺の誕生日か、今日」


 中学のときは友達もいなかったし、作ろうともしなかったので、次第に忘れていっていた。蓮也の家は誕生日だからといって特に何かをする訳でもなかったからなおさらだ。


「あんたのことだから忘れてると思った。おめ」

「ほんとは迷ったんだけどなー俺らが入るかどうか」

「なんで?」

「だってよ、月宮と2人だけの方がいいだろ?」

「そんなことは……」


 チラリと隣を見ると、少しだけ俯いている遥香が目に入る。散歩に連れ出したりして、わざわざ時間を作ったんだろうが、遥香と2人で過ごしたかった気持ちがないわけでもない。


「……2人でもいいかもな」

「えっ!?」

「い、いや。なんか、違うよな!ㅤ恋人でもないんだし!」

「い、いえ!ㅤ私一人でも、蓮也くんを精一杯祝いますから!」

「そういう問題じゃないけどな……」


 顔を真っ赤にしながらそんなことを言うので、恥ずかしくなって先程と同様に頭を撫で回す。わっ、と遥香は一瞬驚いたような表情をしたが、それから蓮也に身を任せるようにして体を預けてくる。


「〜〜♪」

「ご機嫌だな」

「そう見えますか?」

「鼻歌まで歌ってるからな」

「ついこの前も全く同じ会話しませんでしたか?」

「したような気もする」


 それだけ遥香との時間が長いのだから、仕方ない。もちろん、蓮也は少しの不満もないし、幸福感でいっぱいなのだが。


「……俺ら、何見せられてんの?」

「わかんない。もうこれあたしら帰ってもよくない?」

「俺もそんな気がするわ」






「てことで、ほい。くれてやる」

「サンキュ……えっ? 時計?」

「そう、時計。どう、センス光ってない?」

「いや、センスはいいけど、これ……」

「値段は気にしない。それと同じくらいあたしは助けられてる」

「いいのか?」

「いいの」

「なら、ありがとう」

「うわ……初手それはキツいって悠月」

「うっさいな。翔斗の誕プレはその辺のお菓子ね」

「おーいいぞ? 俺には悠月っていう最高のプレゼントがそばにいるからな!」

「ちょ、そゆこと言うなし……」


 珍しく悠月がたじろいでいる。悠月にこんな顔をさせられる翔斗に内心少しだけ感心する。


「あ、晩御飯の続き作らないと……」


 隣で微笑みながらその光景を見守っていた遥香は、思い出したようにパタパタと料理を始めた。手伝おうかと蓮也が立とうとすると、「今日の主役は蓮也くんですので」と止められ、代わりに悠月が手伝いに行った。


「んで、まあ俺からはキーケースと……」

「……これは?」

「クラスの連中が撮った月宮と蓮也のデート写真」

「げほっ!」


 唾液が気管に入った。いや、問題はそんな事じゃない。蓮也と遥香はデートなんてしたことは無いが、ただ買い物に行ったり、散歩に出たりするときも一緒だったりする。きっと周りにはそれがデートに見えるんだろう。


「……それは、私も興味がありますね」

「月宮が蓮也の腕に抱きついてる写真とかもあったぞ」

「ちょっと待て、それは本来あっちゃいけないやつだ」


 そもそもこの写真全てがあってはいけないものだが、おそらく遥香が蓮也の腕に抱きついてる写真というのは、先日温泉街へ行った時のものだろう。それがどうしてクラスの連中に撮られてるのか。


「遥香、お前ストーカーとかされてないか?」

「される件数が多すぎるのでわかりませんね。なので、このセキリュティが強めのマンションにしたんですが……」


 確かに、このマンションなら不審な人物はエントランスより先には入ることは出来ない。しかし、マンションに入らなければ危険であることに変わりはない。


「できるだけ外に出るときは誰かと一緒に居てくれよ。最悪、俺でも大丈夫だから」

「さ、最悪じゃなくても蓮也くんと居たいです」

「……そっか。わかった」

「いいんですか!?」

「まあ、ここまで撮られてるんなら俺と遥香が無関係の人間ってのは無理だしな……」

「確かにそうですね。ふふっ……」


 やけに嬉しそうな声が聞こえてきて、少しばかり調子が狂う。遥香が蓮也を信頼してくれているのは、蓮也自身とても嬉しいことなのだが、些か調子が狂わされるのが難点だ。


「まあ、お前が月宮と進展してるみたいでよかったよ」

「進展、してるか?」

「これでしてないなら俺と悠月はとっくに破局してる」

「そうなのか」

「そうだろうよ」






 テーブルには大量の料理が並んでいた。和、洋、中、全てが並んでいる。


「作りすぎていたらごめんなさい」

「いや、4人いるから多分大丈夫だろうけど……昼間からこれを用意してたのか?」

「はい。少し疲れましたが、なんとか」

「……無理はしないでくれよ」

「大丈夫です。好きでやってますから」


 そう言って遥香も食卓につく。いつもは向かい合っているが、今日は隣にいるので少し変な気分である。

 それは遥香も同じようで、明らかに表情が強ばっていた。


「お前ら何してんの?」

「ちょっと緊張したと言いますか……」

「何にだよ。まあいいや」


 いただきます、と翔斗は勢いよく皿に盛られた料理を食べていく。


「うっま!ㅤ店出せるレベルだろこれ!」

「ふふっ、沢山あるのでゆっくり食べて大丈夫ですよ」

「ほんなこほいっへはへうかお!」

「「飲み込んでから喋れ」」


 蓮也と悠月から注意を受け、大人しく翔斗は食べることに専念する。翔斗の勢いでいつの間にか蓮也と遥香の妙な緊張は解けていて、蓮也も料理を食べることにした。


「美味い」

「いつもありがとうございます。作り甲斐がありますよ」

「こっちこそ、いつも美味い飯が食べれて幸せですありがとう」

「いや、ほんと美味しいんだけど……同じ女子高生として勝ち目がないんだけど。家にも欲しいわ遥香」

「あげない」

「えっ?」


 遥香の晩御飯がなくなったら蓮也は何を食べても美味しく感じなくなってしまうし、なにより遥香といる時間が減っしまうだろう。ということで、一言で言うと、遥香が驚いたように蓮也を見ていた。


「あ、いや、違うぞ?」

「はぁ……」

「いやごめん、違わないけど。しばらくは遥香のご飯が食べたいかな、俺は」

「もちろん、作り続けさせてもらいますよ。ということで悠月ちゃん、また蓮也くんの予定が合う時に遊びに来てくださいね」

「はいはい……」


 それくらいなら大丈夫だ。食費の関係上毎日は無理だが、ときどき夕飯を一緒に食べるくらいは全く問題ない。それでもやっぱり、2人の時間は欲しい。

 4人で囲んだ食卓は、2人の食卓とはまた違う楽しさがあった。






「それじゃ、あたしらは帰るね」

「なんか、邪魔して悪かったな!」

「邪魔じゃないから。夜道気をつけてな」

「また、蓮也くんの許可さえあればいつでも来てくださいね」

「なにこの新妻感。なんか納得いかない」

「妻……そんな……」


 その言葉を残して、2人は帰っていった。そこで顔を赤らめられると蓮也としてもどう対応すればいいのかがわからない。


「ふぅ……さて、私からのプレゼントは少し季節はずれですが、いいですか?」

「もらえるだけで嬉しいから」

「……なら、どうぞ」


 遥香からひとつの紙袋を渡される。中を見てみると、マフラーと手袋が入っていた。確かに季節はずれだ。


「や、やっぱり他のがいいですよね。ちょっとだけ待ってく……」

「いやいや、ほんとに嬉しい。ずっと大事にする」

「……大事にしてくれるのはいいですが、ちゃんと使ってくれますか?」

「もちろん。大事に使うよ」

「……それなら、よかったです」


 そっと遥香は微笑む。蓮也が喜ばないとでも思っていたのか、その笑みには心の底からの安堵が見えた。


「蓮也くんは優しいから、きっと何をあげても喜んでくれると思うんですけど、それでも私は蓮也くんが本当に喜んでくれると思うものを探しました」

「……なるほどな。この前聞いてきた質問はそういうことか」

「はい。蓮也くんが人の気持ちがこもったものをしっかり大切にしてくれる人なのは知っていたのですが、それが喜んでもらえるかはわからなくて」

「そっか。ありがとう」


 嬉しくないわけがない。きっと遥香が寝不足気味だった原因はこれらだろう。好きな人が、苦労して編んでくれたマフラーと手袋が嬉しくないなんて、そんなわけがない。

 そんなことを考えていた蓮也は、無意識のうちに遥香のことを見つめていたようで、遥香が恥ずかしそうに蓮也から視線を逸らす。


「な、なんだか恥ずかしいです。ケーキも焼いたので、とってきますね!ㅤ部屋にあるので!」


 逃げるように部屋から立ち去ってしまった。若干の居心地の悪さを覚えながら、もう一度もらったプレゼントを見る。


「今年の冬は、あったかそうだな……」


 まだギリギリ夏休みだというのに、冬のことを考える。そのときは、遥香や翔斗たちも一緒だろう。もっとも、翔斗の場合は補習がなければだが。

 今年は人気者のお隣さんのお陰で、たくさんの思い出ができた。その思い出をもっと増やしていきたいな、なんて蓮也はまったりと考えるのだった。

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