10.帰省

「それじゃあ、行ってくるな」

「あ、待ってください」

「ん?」


 今日から一週間、実家に帰る。一応息子としては両親に顔を見せに帰るべきだろう。


「これ、御守りです」

「……俺だな」

「蓮也くんですね」

「……遥香はないのか? こういうのって自分の持ってるより……」

「あ、ありますけど……欲しいですか?」

「欲しい」

「わ……かりました、はい」


 そう言うと遥香は一度部屋に戻って、マスコットを手に戻ってきた。


「どうぞ」

「ありがとう。体調に気をつけてな」

「はい。いってらっしゃい」

「いってきます」


 同棲してるわけでも、まして付き合っているわけでもないのにいってらっしゃい。関係は変わらないものだ。






「ただいま」

「蓮也か。おかえり」

「ただいま、父さん」


 家に着くと、父、桐也とうやが出迎えてくれた。予め連絡はしていたので、問題は無い。


「蓮也帰ったの〜?」

「ただいま」

「おかえりなさい」


 その声を聞いた母、凛子りんこも出迎えてくれた。最寄り駅に着いた頃には日が傾いていたので、もう夕飯の準備をしているらしく、凛子はエプロンを身につけていた。


「今日は肉じゃがよ〜」

「よっしゃ」

「昔から肉じゃが好きだからなぁ〜」


 そういえば、遥香に肉じゃがを作ってもらったことはない気がする。実家に帰っても遥香のことばかり考えているので、やはり蓮也は遥香がいなくては生きていけないんだなと実感する。


「……吹っ切れたか?」

「おう。けど、まだ向こうに居させて欲しい」

「それは好きにすればいい。だがまあ、お前の家はここだからな。いつでも帰ってきなさい」

「そうさせてもらうよ」

「そろそろできるからね〜」

「はーい」






「向こうで友達はできた?」

「まあ、数人は」


 晩御飯を食べ、風呂にも入り就寝準備をしていると、凛子がそんなことを聞いてきた。


「それならよかった。あれから自堕落な生活してたから……」

「……それは悪かったと思ってる」

「怒ってるわけじゃないの。でも、食事中も不満そうだったから」

「あー……」


 それは決して飯が不味かったとか、嫌なことがあったとかではなく、ただ、一番好きな味付けが母のものではなく、隣人のクラスメイトのものになっていて、凛子の料理では満足が出来なかったからだ。


「それは悪かった」

「怒ってるわけじゃないの。ただ、胃袋を掴んでる彼女さんでもいるのかなーって」

「っ! げほっ!」

「あら、いるのね」

「……彼女じゃない」

「蓮也が好きな子ねぇ〜」

「……悪いか」

「ううん〜」


 凛子は意味深な笑みを浮かべて両親の寝室へ行った。蓮也は使っていた部屋がそのまま残っているので、そこを使うことになっていた。

 メッセージを確認する。遥香からメッセージが来ていないか、なんて少し期待をしながら見てみるが、そのメッセージは来ていない。

 が、ちょうどそのとき1件のメッセージが来た。


『今夜は冷え込むみたいです、体を暖めて寝てくださいね。おやすみなさい』

『わかった。おやすみ』


 素っ気ない返しだと、我ながら思う。そもそも蓮也のメッセージ履歴なんて、遥香や翔斗たち、あとは両親しかいないので慣れていない。

 それでも、遥香のメッセージは嬉しかった。






 帰省して三日目だ。昨日は家でのんびりと過ごしていたが、今日は散歩にでも行こうと思い、商店街をぶらついていた。


「お、蓮也!ㅤ久しぶりだな!」

「魚見のおっちゃん!ㅤ元気だったか?」

「おう!」


 知り合いももちろん多い。故に、蓮也が髪を伸ばし自堕落な生活を始めた時は、いろんなところから心配の声がきた。

 そうした商店街を抜け、小学校の横を通り過ぎ、中学校へたどり着いた。


「……久しぶりだな」


 もしかしたら会えるかもしれない、と思ってきてみたが、そんなわけも無い。それでも、話ができるなら、彼女と話をしておきたかった。


「……あれ?ㅤ結城?」

「……篠崎」


 篠崎。下の名前は覚えていない。小中学校とクラスの人気者で、蓮也に告白してフラれた人。


「商店街のおじちゃんたちが言ってたの、ほんとだったんだ」

「まあ、たまにはな……」

「……髪、切ったんだね」

「いろいろあってな」


 会話が続かない。なにせ蓮也は名前すら知らないんだ、仲良くお喋りなんてできるわけが無い。

 それでも、篠崎は頑張って会話を続けようとしてくれた。


「私、ちゃんと知ってるよ。結城が変わった理由」

「……そっか」

「ごめんね、見た目だけ見て告白とか」

「いや、気にしてない。むしろ自信が持てた」

「あはは〜なら良かったかな」


 ケラケラと楽しそうに笑っている。その篠崎の笑みには裏なんてなくて、ただ純粋に、やっと蓮也と話せたという感じだ。


「……好きな人でもできたの?」

「そんなにわかりやすいか、俺……」

「どうだろ。でも、あれだけ伸ばしてたのばっさりいったみたいだからさ」

「……まあ、好きな人はいるよ」

「そうなんだ。そっかそっか……」

「なんだよ」

「いーや? もしかしたらまだチャンスが〜とかいう身の程知らずなことも考えてたのになーって。今度は内面までしっかり知ってさ」

「そっか……」


 でも、それでも蓮也が遥香よりも篠崎を好きになることは、きっとないだろう。


「連絡先だけ教えてもらえる?ㅤまた中学のみんなで集まったりするらしいから」

「あー、連絡先教えるのはいいけど、中学のは行かないかな。今が充実しててな」

「そっか。わかった」


 スマホに表示したQRコードを篠崎に見せる。メッセージの登録はこれで大丈夫だ。


「君は、優しい人だね」

「そんなんじゃない。ただ、篠崎を傷つけて申し訳なかっただけだよ」

「……そっか。うん、私はもう行くね」

「わかった。今日は会えてよかった」

「うん。それじゃあ、またね」

「おう、またな」


 篠崎は用事があったらしく、少し早足で去っていった。その足取りが少し軽快なリズムをとっていたのは、きっと気の所為じゃないだろう。


「ありがとう、篠崎」






 初日と同じように晩御飯を食べ、風呂に入ってメッセージを確認すると、今日は二件のメッセージが入っていた。どちらも送り主は遥香だ。


『昨晩は冷え込みましたね……無事ですか?』

『ところで、今日の夜通話でもしませんか?』


 メッセージの内容は、蓮也の心配と今晩、通話しようというもの。もちろん蓮也に断る理由もないし、それ以前に遥香が傍に居ないことで違和感があったのだ。

 気が急いて、通話ボタンを押してしまう。確認もとっていないのにいきなりかけるのはかなり失礼だろう。しかし、遥香は出てくれた。


『もしもし。元気ですか?』


 まだたった三日だけなのに、もう遥香が居ないことを寂しがっている自分がいることに、蓮也は気恥しさを覚える。

 思え返せば、初めて会話をしたのは今から半年も経ってないんだと改めて実感する。そのときは、関わりたくないとも、関わらないとも思っていた。それが、今では遥香がいなくては生きていけないくらい、好きになってしまっている。異性に恋心を抱くのは、少し辛いことなのだと身に染みてわかった。


『……蓮也くん?』

「ああ、ごめん。元気だよ」

『よかったです。考え事ですか?』

「いや、遥香と会ってからまだ短いのに、いろいろあったなって思って」

『まだ四ヶ月くらいですもんね。あまり長い時間とは言えませんが、それでも蓮也くんと過ごしていた時間は楽しかったですよ』

「……そっか。ならよかった」

『……今の、もう会えない感じの言い回しでしたね。ごめんなさい』

「会わないって言われても付きまとうから安心しろ」

『それはちょっと怖いですけど、そうしてください』

「いいのかよ」

『いいんです』


 クスクスと笑う声が聞こえてくる。きっと柔らかい笑みを浮かべているんだろう。脳裏に遥香の顔が浮かぶ。


『……また、一緒にご飯を食べましょうね』

「当たり前だろ」

『そうですね。それでは、蓮也くんの声も聞けたことですし、私は寝ますね』

「おう。おやすみなさい」

『はい。また』


 たった数分のことで蓮也は満たされている。その事実は変わることなんてなく、自然と表情が歪むくらいには幸福感があった。






「蓮也、もし向こうに会いたい人がいるなら早く帰ってもいいんだぞ」

「そうよ、昨日なんてあんなに楽しそうに」

「……聞いてたのか。趣味が悪い」

「聞こえたのよ」


 どうやら、昨晩の遥香とのやり取りを聞いていたらしく、それが桐也たちにはよほど楽しそうに聞こえていたようだ。

 本当は、家族との時間も大切にしなきゃいけないんだろう。だけど、それ以上に遥香に会いたい気持ちが強くなっていた。


「なら、もう帰るよ」

「……急かしてるわけじゃないぞ?」

「わかってる。けど、あっちにも大事な人がいるんだ」

「女の子?」

「……おう」

「そう。わかったわ」


 凛子は生暖かい視線を蓮也に送り、桐也は仕方ないな、などと呟いている。言い出したのが桐也なので反対されても困るのだが、二人とも一足先に帰ることに文句はないみたいだ。






「それじゃあ、また来る」

「今度はその子も連れておいで」

「……嫌がらなかったらな」

「またね」


 桐也たちが駅まで送ってくれたので、あとは電車で帰るだけだ。遥香には一言帰るとだけ伝えると、わかりましたと返ってきたので、もしかしたら晩御飯の準備をしてくれているかもしれない。

 そんな期待をしながら、蓮也は電車へ乗った。

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