第87話 黄昏

「ですから、これは帝国、ひいては魔法文明そのものの危機なのです」


 最後通牒。ドーベックが一方的に設定した期限まであと数時間という時に、内務卿は本業に勤しんでいた。つまり、旧イェンス家所領で『次』の伯爵位を得るべく行われている子爵らによる闘争を仲裁、ないし一時停止させ、自分の指揮下に引き入れることであった。


「しかしねぇ……我々とて男爵や騎士・武士らを養わねばならんのだから」

「黒病の対処だってある。内務卿側でどうにかしてくれるのか」


 イェンス家は、その当主自体は酒乱で知られていたが、その部下である領内統治機構や騎士団、子爵・男爵といった貴族連中は冷静にして理知的で、端的に言って有能であった。

 ここで帝国の貴族制度を概観すると、公爵・侯爵・伯爵は自らの領地を皇帝から安堵され、子爵・男爵は前記三位の指揮命令下で実際の事務・統治を行うという形式を取っている。

 ややこしいのが、これらの貴族制度は中央、つまり皇帝の権威によって布告された明文規則によるものと、下からの権威、つまり慣習・慣例によって成立しているものがあるという点だ。

 例えば、今回のように災害や戦争、その他不慮の事情によって上三位の統治が不可能になった場合、指揮命令に依らず貴族らは自らの所掌を担任して土地の価値を維持・増進すること。とする勅令と、上三位の統治が不可能になった場合には、その後継については合議又は最高位者を基本とするが、実力による簒奪・及び所掌・所領の占有変更を妨げない。とする慣例と、貴族同士の直接の交戦は禁止し、何人も各安堵地統治機構の所在する都市内に於いて如何なる実力も闘争手段として用いてはならない。とする勅令と……といった具合に、兎に角複雑にして怪奇複雑怪奇なルールがそこら中に散らばっていて、結果として権力空白地域が出来たらそこを埋めるように権力が流れ込み、その流れとは即ち暴力である――という『自然かな?』とツッコミたくなるような状態が漫然と放置されてきたのである。


 この課題に対処するために設けられたのが『内務卿』であるから、その複雑さとか、絶妙なバランスとか、名誉とか、そういった事情は重々承知していた。


「もう明日。明日にでも、彼らは、ドーベックは、西へと進出します」

「彼らだって魔法は使えんのだろう? 帝国内秩序に対する敵――皇帝陛下に反逆する叛徒である。ということなら、それこそ内務卿、あなたの所掌ではないか」

「仰る通りです。しかし――「知っての通り。伯爵亡き今、我々は次代を誰とすべきか。そのことで手一杯なのです。お引き取り願えませんか」「それに1日になっても動いていないと聞く。我らが城から出ないと言え、盲人とお思いか?」

「内務卿。あなたが帝国直轄地を増やしたいと願っていることを我らが知らぬとでも? カタリナ公爵も実際には帝国直轄地では無いかという噂も――「ならば何故! 我々政府は公爵と紛争になっているのか!」「「知らぬわ!」」


 概ね三コの群を成して闘争を繰り返している。というリアムの見立ては正しかったが、リアムは前述したような摩訶不思議な帝国内の権力事情について正確な理解をすることは出来ていなかったから、てっきり子・男爵ら同士の関係は険悪なものであると考えていた。

 実際には、慣習によって武力闘争はしているが、その頭同士の仲はそれほど邪険では無く、寧ろ同僚的、家族的な共同体内での役割分担、一種の祭り、ないし試合、ゲームとして庁外での武力・権力闘争を楽しんでいる節さえあった。


 それは一種、内輪の中でやる麻雀的温かさと馴れ合いを以て行われていた。一点、それが賭け麻雀であるという点を除けば、正しく当時の爵領庁内は事実上巨大な雀荘と化していたと言って良い。


 そのような環境中で、あの・・大商人にして大魔法使い、カタリナ公爵の手勢と戦え?


 内務卿は、大いに嫌われていた。


 無論、爵領庁内にはドーベックの実体を概ね正しく把握している『プレイヤー』も居たが、まだ先の話だろうと。そのような確信があった。


 兎も角、平野内に手を出さなければ、そのうち大穴が吹いて、綺麗さっぱり無くなる。だから暫く放置しておいてやれば大丈夫。


 皮肉なことに、内務卿の『封じ込め政策』は、内務卿自身にとって不都合となるレベルで成功していた。

 それは、そもそもドーベックが、「我々は決して、牌や駒では無い、自由にして独立した意思を持つ、市民である」という、当時としては極めて侵略的・・・執念・・に基づいて建国された国家外敵であるという正確な評価を妨げた。


 内務卿の施策は全く間違っておらず、寧ろ彼は極めて有能だった。

 だって、ゲームそのものが変わってしまうのだ。麻雀をやっていると思ったら牌自らがプレイヤーとして名乗りを挙げるような事態を、彼は、彼の世界観では、到底理解することは出来なかったし、彼はそれを心から恐れた。


 当時の内務卿の理解を現代日本人に分かりやすく説明するとすれば、牌が自ら相互に連絡して高速に局を無視して移動し、九倍役満を作ってくるようなモノで、そもそものルールが崩壊してしまう。というような理解をしていた。或いは、自らの身体の一部が独立して其々の細胞が別の生物として生存し、『本体』を襲ってきて、その脳髄を破壊しても、新たな神経系を成立させて尚噛みついてくるという、悪夢的理解を――そしてそれは、ドーベックが行おうとしている統治・政治機構のコペルニクス的転回と国家市民軍の戦闘様式の概観として概ね正しい理解を――していた。


 後世の歴史は、『信じ難い程の怠惰と腐敗』と評価することもあるが、中立な歴史は、当時帝国が取っていた秘密主義的権威主義と、商政の分断、そして当時のドーベックもまた、帝国政府と貴族制度その他を正しく理解していなかったことを以て『五十歩百歩』という評価をする。



****



プライムドーベックプライムドーベック、こちらマーシャル行動部隊。感明送れ」

マーシャル行動部隊プライムドーベック感よし感こちらの感明如何か

プライムドーベックマーシャル行動部隊、そちらの感明よし。おわり」


 擬装網を基調として、厳重な対空偽装が為され、かつ翼竜の常用航路からも外れた林内。

 元は無線技師だった特殊部隊員が無線通信の確立を確認したのを報告した後、部隊長が元帥Marshalに報告を挙げる。


「閣下、部隊は準備を完了しました。ご一存により、いつでも化学攻撃を発動できます」

「了解」


 12月2日。一方的にして唐突に行われた最後通牒の翌日。

 国家市民軍特殊部隊は飛来騎と離陸騎とが落ち着いた後、陣地を占領させている迫撃砲の周りに弾薬を集積し、無線通信の確立をチェックした後、最終的な決心を迎えている。

 化学防護装備越しでは元帥の苦悩とか葛藤とか、逡巡とか、今更リアムが直面しているそれらを計り知ることは出来なくて、ただ、ぐぐもった「行動開始」という、防毒面越しの命令が部隊に理解された。


プライムドーベックマーシャル行動部隊、所定の行動を開始する、送れ」

プライムドーベック了解。ご武運を。終わり」


81軽迫撃砲小隊、射撃命令。点目標射撃。目標、爵領庁中央Aアルファーの棟。座標、7899―1778。観測者FO3、方位角 5400、射角 1162。評定弾瞬発1発。指命」

「準備よし」

「撃て」


 今回『評定弾』として持ち込まれた、GB―1と同等の弾道性能を発揮し、着弾観測を容易ならしめるため曳光するようにした特別仕様の発煙発光弾が、砲手の保持半装填を外れて砲身内を重力に従い落下、弾底部の信管を砲身後端の撃針が突き、爆轟。それを受けて砲弾後部に取り付けられたC型の発射薬が燃焼し、発射ガスを生成、砲弾を砲身外へと押しやりつつ、その一部は砲弾の側を漏れて砲口から漏れ出、周囲に閃光を浴びせ――ここまでの処理が迫撃砲という道具の中で機械的にして自然に、自動的に行われるが、人の感覚器官ではパン、という発射音の後、砲口が光ったとしか認識できない。

 尤も、その一瞬後、一身に発射ガスを受け、初速秒速230mを付与された砲弾が飛翔を開始したことは、動体視力の良い者であれば何かが飛び出たという形で視覚的に認知することはできる。


 兎も角、それは飛翔して着弾し、爵領庁中央庁舎から北東にズレた位置に着弾して濃煙と閃光を放ったから、「遠し、7右、左へ7、引け100」という射撃要求がFOから出て、次いでもう1発が爵領庁から西にズレた位置に着弾。「3左、右へ3」という射撃要求が出、迫撃砲小隊はとうとう所望の射撃諸元を得る。

 元帥の命令効力射発動によって、砲手は赤色の弾体に黄緑の色帯――サリンメチルフルオロホスフィン酸イソプロピルを意味する標示がされた迫撃砲弾GB―1を手渡され、夕焼け黄昏の中、1コ小隊4門の迫撃砲が閃光の一瞬後にそれを吐き出した。

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