ink

エリー.ファー

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 黒く塗りつぶしてしまいたい、という願いがある。

 それは誰にでもあると思っていた。

 気が付けば、それは私だけであった。

 いや。

 最初からそうなのかもしれない。

 成長とともになくなるような願いというよりは、当然のように、皆その願いを持っていない。

 そういう事なのだと思う。

 俺は友達が少ない。

 驚くほど少ない。

 そのせいで、そんなことも分からない。

 友達がない理由はおそらく、この願いのせいだろう。

 誰か人を見てしまうと、黒く塗りつぶしたくなるのだ。別に、黒であればなんでもいい、黒土を塗りたくってもいいし、黒いペンキを頭から浴びせてもいい、ボールペンで塗り潰してもいい。

 なんだっていいのだ。

 生き物を黒く塗りつぶしたい。

 そういう思いの元、生きている。

 ある日のことだ。

 俺は自分が幽閉されていることに気が付いた。いわゆる牢屋である。

 分からないではない。

 異常者なのだろうから、そうやって普通の人たちと触れ合えるような機会を作ってしまったら、余り良くないと考えたのだろう。この願いがなかったとしたら俺も、そうするべきだと思う。

 もちろん、俺にはその願いがある訳だから、ここから出たいと考える。

 しかし。

 何故今までそのように考えなかったのか、自分に対して疑問を投げかけてみたが答えは出ない。外に出ることと誰かを黒く塗りつぶすことはほぼ同義の悩みであるはずだというのに。

 俺は俺のこともまだよく分かっていない。

 鼠色の壁と天井である。

 鉄格子がある。

 錆びついている。

 そう言えば、俺は今までどうやって生活していたのだろう。トイレもないし、布団もない、食事もどこから出されているのか分からない。

 分からないのに。

 どうやって命をつなげてきたのか。

 俺は黒く塗りつぶしたいという願いだけで、自分の心臓を動かしてきたというのか。

 そんな、バカな。

 あり得ない。

 少しだけ不安になる。

 過去を振り返っているのに。

 白しかない。

 黒がないのだ。

 何も書かれていないからこその純白、書きすぎて気持ち悪いくらいに何度も何度も文字が重ねられて、黒く塗りつぶされたようなそんな光景がない。

 その寂しさ。

 何かで埋めてしまいたい。

 とにかく、何もかも自分の持っているすべてで埋めてしまいたい。

 自分の頭の中にあるあるべき姿との乖離が怖い。恐ろしくて仕方ない。

 なるほど。

 そういうことか。

 俺はそれが怖くて黒く塗りつぶしたいのだ。

 そうすればもう書けないし、人に見られても何もしていない、何も築いていない、何も成していないと思われなくて済む。

 良かった、本当に良かった。

 ということになる。

 外でバイクの音がする。

 道路に面したところにいるのだろうか。

 先ほどは烏の鳴き声がした。

 いや。

 烏はどこにでもいる生き物か。

 とにかく場所を知りたい。

 そうすればどうにかなるかもしれない、という思いを持ってどうにかならなくとも希望の中で生きることができる。

 一つ、確かなことがある。

 俺は今、何かを黒く塗りつぶしたい。

 自分自身に脅迫されていると言ってもいい。

 牢屋の外に広がる景色は分からないが、きっと余白で満ちている。

 だからこそ俺がいるのだ。俺が生きているという意味はそこにあるのだ。

 黒く、黒く塗りつぶさなければならない。

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