第5話 お兄ちゃんの彼女さんになんて絶対に負けないんだから!

「あ~あ、ゆみちゃん失敗しちゃったねえ」


 家に取り残されて呆然としていた私に、誰かが声をかける。

 声の方を見ると、窓ガラスの前に一羽の烏が止まっている。


「もしかしてお父さん……?」

「そうだよ、もしもの時のお父さんだ。何か大変なことになった時の為にこっそり様子を見ていたんだ」


 烏はカラカラと私を嘲笑う。


「放っといて……」

「何故失敗したかは知りたくないのかい? 負けっぱなしでいいのかい?」

「お父さん、口聞かないよ」


 苛立ちに任せて八つ当たりしてしまったが、ここで少し考える必要が出てきた。

 このまま惨めにうずくまっていれば私は只の敗北者だ。これでも私は魔法使いの娘である。で、あればそれ相応の誇りというものが有る。例え負けたとしても、それを潔く認め、次の戦いに生かす姿勢を保つ義務がある。お兄ちゃんに相応しいレディーになる為に、私は成長する必要がある。


「やっぱり教えて」

「ではこれは授業料として貰っておこう。君には少し早かったようだ」


 私の手の中の惚れ薬がパッと消える。


「君が今回知るべきは二つだ。真実は時として人間に耐え難いものである。耐え難い真実を直視して得るものが魔法の力である。この二つだね」

「具体的に言えよ……」

「第一に適当に渡された得体の知れない薬の性能試験を先に終わらせるべきだった。第二に人間の秘められた欲求なんて醜いに決まっているんだから、それを明らかにする過程で起きるトラブルを想定すべきだった。良い勉強になったね、ゆみちゃん」

「……ッ! か、つ、くぅ~!」

「そうだねぇムカつくねぇ。だがこれで君は同じ失敗を二度しなくなった。それに、渡された薬の使い方や失敗した後のリカバリーは結構頑張っていたし、ゆみちゃん、魔女っ子の才能はあるよ。後継者が優秀でお父さんはとても嬉しいな」

「 嬉 し く な い ! ! 」


 喚く私を見て窓の向こうの烏が嬉しそうに翼を羽ばたかせている。


「そもそもなんでゆみが惚れ薬使ったのにお兄ちゃんはあの女選んだの!」

「ゆみちゃんだっていくら飢えても毒りんごは食べたくないだろう?」

「は????????????????」


 誰が毒りんごですって? 今、こいつ、この男!


「今回は只の人間であるお兄ちゃんの方がよほど正しく世界を見ていた訳だ。彼女の性癖は捻じくれてても実害は無いし、子供に手を出すと犯罪者だからね。彼は自分にできる最善の選択をして、君は負けた。さあ、ゆみちゃん本日の敗北の感想は?」

「次は勝つ! あと今日は家に帰らないから!」


 それを聞くと烏は満足そうにうなずき、飛び立って何処かに消える。

 懐のスマホにLINEの通知が入る。お父さんからだ。今晩は私の好きなビーフシチューを作ると言っている。ご機嫌取りできてるつもりか? ケーキをホールで買ってこい。玩具スクイーズじゃなくて本物だぞ?

 私は普段お兄ちゃんとお姉ちゃんが使っているであろうベッドに思い切り身体を投げ出す。今晩はお兄ちゃんの家に泊まっていきますと伝えて、私はふて寝を開始した。


     *


 その日の晩。私はお兄ちゃんの家にお泊りすることになった。普段ならばワクワクドキドキものだったが、今日はそういう気分ではない。


「あの香水が今回のトラブルの原因な訳だ。叔父さんが買ってきた外国の香水をゆみが使ったところ、思ったよりも作用が強かった。そうだね」

「……そうです」


 お兄ちゃんが珍しく怒っている。


「だが香水の効果が短時間だけで済んで良かったな……これ以上あんな変な騒動が起きたらどうしようかと……。ほら、ゆみ、他に謝ることは?」

「はい……お姉ちゃんにいきなり使ってごめんなさい……」

「えっ、私!? あ~、あ~~……アッアッ、うーん……?」


 お姉さんの目が泳ぐ。時間経過で一応正気に戻っているが、記憶は失われていないようだ。ニコニコと笑いながらも額のあたりにわずかに汗が滲んでいる。


「ああ、いや、その、私も……その、ちょっと、そういうのに憧れちゃう気持ちは分かりますし? なんていうか、あんまりゆみちゃんを責める気になれないっていうか! あ~記憶が曖昧なんですよね~困ったなあ~むしろその間にもし迷惑とかかけちゃってたらごめんなさい! ゆみちゃんは可愛い妹なんだから、先輩もあんまり厳しくしなくても良いんじゃないかな~って思うんですよね。ゆみちゃんの悪戯はたしかに悪いことだったかもしれないですね。けどそういう子供っぽさも人間が成長していくに当たって必要な一部だと思うんですよね。私、小学校の先生になりたかったのでそういうものと向き合っていきたいと思うんですよ~。私にとってもゆみちゃんは先輩の妹さんで、もう私のお友達ですから」


 面白ぇ女だ。


「アップルパイをホールで買ってきちゃったの。食べきれないからゆみちゃんにも一緒に食べてほしいなあ~?」


 ふーん、ますます面白ぇ女じゃねえの。毒入りか? 眠ってる間に私にどんなことをするつもりだ?


「なあ。俺が居ない間に君たちに起きた出来事について、俺も向き合いたいんだが」

「お、乙女の秘密ですよ先輩。ねぇ、ゆみちゃん」


 こっち見るな。爛々と輝く瞳で見ないで怖いから……。半ば圧力に負ける形で私も頷く。我ながらだいぶこわばった笑みを浮かべていることだろう。


「う、うん……秘密だよ、お兄ちゃん……」

「そうです。心の距離が縮まったんです。胸の内をさらけ出して……ね?」

「……うんっ!」


 一方的に地獄のような異常性癖を見せつけられたんだけど見なかったことにしよう。させてください。十一歳にはあまりにきつい真実です。ねえ、お兄ちゃんはこの女と向き合ってるの? この女の抱えた闇も含めて向き合ってるの? やだ、考えたくない。


「二人がそう言うのならば俺も配慮しよう。とりあえず、ゆみは明日にでも叔父さんに怒られてきなさい」

「ご、ごめんなさい……」

「……ただ、泊まっていくなら今日はゆっくりしていけ。アップルパイだけじゃなくて、お風呂上がりの冷たいアイスも用意しておく。ゆみのお母さんが好きだったろ?」

「お兄ちゃん……」

「ここ最近、あんまり構ってやれなくて悪かったな。お前が来てくれるの、実は嬉しいんだよ」


 お兄ちゃんは何時もそうだ。

 人の気も知らないで優しいことばかり言う。

 お姉さん相手にもそうだ。都合の良いことばかり、こっちの気分が良くなることばかり言って、大事なところはいつの間にかはぐらかす。


「私もゆみちゃんが遊びに来てくれるのを楽しみにしていますから。外出自粛期間が終わったら、お兄ちゃんも一緒に何処かお外で遊びましょうね?」

「うん……それなら、まあ、良いかな。デートだね……デートだもん」

「デート。良いですね。先輩、デートのなんたるか見せつけてあげましょうよ先輩。カップルとして清く正しくキラキラしたデート!」

「望むところだが両手に花ではな。俺が叔父さんに怒られそうだ」

「うふふ……じゃあそのデートは」


 とっくにバレバレだけどパパは何も言わないだろう。

 お兄ちゃんは絶対に私に振り向かないから。


「パパには内緒にしてあげる」


 けれど私は諦めない。

 きっとずっと、諦めない。

 少なくとも、私がこうして恋に恋する子供のうちは。

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