第28話 パドリック

「幸福な魂はなんていうか……良いものなんだ。地球の魂の記憶は幸福なものが多い、そのために研究の対象とされてきた」

「地球よりずっと進んだ文明なのに、幸福度が低いって不思議だな? それは、例えば獣座衛門がいってた料理とか音楽の文化が発展してないのと何か関係があるのかな?」

「娯楽の差異だな。しかしそれは問題じゃない。宇宙にも面白いものはある。だからこそ私も長年不思議だった。いよいよ遠くから人間文明を観察するだけでは飽き足らず、俺自ら地球へと降り立つ羽目になった。地球服を着てな」

「なんだよそれ」

「宇宙服の逆だから地球服だ。ある種の成果と、それに伴う確信を得た」

「じゃあ、獣座衛門はもういつでも故郷の星に帰れるってこと?」

「そういうことになる」


 おかしい。俺の考えていた仮説と矛盾するじゃないか。小野田は何らかの理由でロボットハウスに留まってる。それは魂の研究が滞っているからのように思えた。けど、彼は目的を達成してる。彼をロボットハウスに縛り付けるものはまた別にあるってことなのかな。


「それにしても、……遠路はるばるこんな星までご苦労なことだな」

「?」


 小野田は不思議そうな顔をしていた。俺はいう。


「いや……だって、早い話が人間観察したいがために地球に来たんだろ? とてもじゃないけど利口な宇宙人のやることじゃないと思ったんだよ」

「一理ある……しかしリュウタはひとつ誤解をしてる。だからおかしなことになる」

「え?」


 突然、小野田は一本の触手で窓の外を指し示した。

 なんだよ、まさかお前の家は火星だとかいうんじゃないだろうな。俺はどきどきしながら窓の外を見た。ゾッとして目を見張る。俺の想像は半分当たってて半分はずれていた。悪い意味で裏切られたんだ。


「俺はあそこからきたんだ」


 そういって、小野田は不気味に笑い声をあげた。

 ロボットハウスの窓から地球の背後に過ぎる巨大な未知の構造物が現れた。例えばガラスのコップを背後から照らすように、宇宙空間に太陽の光を受けてくっきりと透明の構造物の輪郭が浮かび上がったんだ。地球の十倍はありそうな無機質な角張った構造物がふっと宙に漂っている。地球と”アレ”との距離はロボットハウスと同じくらいだ。俺の目に狂いはない。あんなものがいつの間にあったんだろう。あまりの大きさに現実のものとは思えない。背筋が凍りつく。俺は弾かれたようにキッチンへと向かった。しっかりと窓からあの構造物を視界に捉えたまま、ジェイコブに連絡する。呆れたように小野田がいう。


「無理だよ、人間達のテクノロジーじゃ視認できないようにしてる。あれが現時点で見えてるのはリュウタだけだ」

「!?」


 俺は受話器を下ろして通信を諦めた。ぼうっと窓の外を見る。でかい、とてつもなく。嘘みたいにでかい。俺はふるえが止まらなかった。ガチガチと歯が鳴る。至る箇所が角ばっていたりする。なんだ、人間の作るそれと、大差ないんじゃないか。でもある部分に関しては異様におかしい構造になってたり、それこそ宇宙の物理学でしか説明できないような奇妙な構造をしていた。俺の稚拙な語彙力じゃ殆ど説明できないんだ。


「あ……あれは、いつの間に?」

「ウフフフフフ、いつの間に? ずっとあったよ。三万年前。まだ人類が誕生するはるか昔からずっとあそこにあった。俺もあそこから来た。距離にして日本からイギリスくらいの距離。そう考えたらものすごく近いだろ? 別に大変なことなんて何もないんだ」


 俺は開いた口が塞がらなかった。疑問符ばかり脳裏を過ぎって、それがうまく口から言葉になって出てこない。そんな俺に呆れた様子の小野田がいう。


「ま……あんまり深く考えるなよ、頭が沸騰するぞ?」


 小野田は続けていう。


「現実と夢の境界線は曖昧だ。君は目で見ているからそこにあると錯覚しているんだろう? 君の脳に何者かが干渉できれば、今、見ているものは錯覚だ。もし全人類の脳に干渉する術があったとする。そうしたら、たとえそれが存在しなくともそれは事実として存在するとしか言いようが無いんじゃないか? 人間の知覚なんて所詮その程度のものだ。考えてもみたまえ。たった六つの感覚器しかない人間。まだ君達が見下す下等動物の方がずっと多様で高度で感覚器を持ってるぞ。人間とはすなわちその程度でしかないのだ。大いなる存在に脅かされることは簡単。大いなる存在の前では何者も無意味だ」


 小野田は時として気持ちが高ぶると、かしこまった口調になる。普通、人間心理からしたら正反対だ。意識して俺に警戒心を与えないよう砕けた口調を取り繕っているに違いない。そうは言わないまでも、人当たり良い宇宙人を装うため心がけてるのか。



 * * *



 俺はジェイコブに連絡していた。


「ハハハハ、少年! どうした!」


 ジェイコブはいつになく陽気だった。俺はいう。


「なあジェイコブ、またひとつ新しいことを知ったんだ。獣座衛門は魂の研究のために地球にやって来たんだって」

「へぇ! それは初耳だ! どういうことなんだ少年! 教えてくれよ!」

「う……うん。魂の幸福の構造を解き明かすために調査をしてたんだ」

「それはおかしい。我々は宇宙人に降伏するつもりなんてさらさらないからな!」

「違うんだよジェイコブ。降伏じゃなくて幸福。幸せの方……ま、いいや。とにかく、宇宙人はでかいプラントにいる。地球にすごく近い距離だ。ロボットハウスからも目視できるぐらい近い。そこからずっと人間を監視してた。何千年、何万年も前からな。だから宇宙人はずっとそばにいた」

「へぇ! リュウタ! それはすごいことだ!」

「うん、そうだ。すごいことだろ? これってジェイコブなら何かわかると思うんだ」

「……」

「だけれど獣座衛門は地球からは決して見えないっていってた。俺にだけ見えるよう何らかの細工施した……確かにこれじゃあ、具体的じゃないよな……わかったよ、もう少し詳しく聞いてみる…………――」


 ジェイコブとの通信を終えた直後だった。今度はアイリーンからの通信が入った。


「リュウタ!」

「アイリーン……どうしたんだ? 組織のこと何かわかった?」

「ええ……ちょっと気になることがあってね。それで貴方に電話したの。今、高名な大学教授の先生と通話が繋がってる。紹介するわ、先生。例のオペレーター計画の被害者で松本隆太よ。リュウタ、彼はオックスフォード大学教授のミスターパドリック」

「え……ああ、はい。日本語は?」

「オウ、リュウタ。大丈夫だよ。君の方こそ無事かい?」

「ええ……なんとか、はじめまして教授、松本隆太といいます。ちょっと待ってくれアイリーン。先生、少し席を外しててもらえますか?」

「?」


 パドリックと名乗る大学教授は立ち上がったらしく、受話器越しにガタゴトと物音が聞こえてきた。俺はタイミングを見計らっていう。


「どういうことなんだよいきなり! 説明してくれ!」

「どういうこともなにも、この際だから貴方が思ってる疑問をすっかり晴らしてしまいましょうってことよ!」

「……意味がわからない」


 アイリーンはうーん、と受話器越しに逡巡した後に答えた。


「これは貴方の不安因子を払拭すると共に、宇宙人の可能性を完全否定するために用意した試みなの。パドリックは専門分野以外にも広く精通している。世界最高峰の知性よ。貴方がそこで見聞きしたものも全部パドリックに否定してもらおうってわけ」

「誰がそんなことをしろって頼んだんだよ!」


 横暴にも程がある。正直、腹が立っていた。


「いいから。私の言う事を聞きなさいボーイ。それがあなたのためでもあるのよ」


 しばらくしてミスターパドリックが戻ってくる。俺は仕方なしに話の席についた。ミスターパドリックは笑いながらフレンドリーに挨拶してくる。


「ははは、改めてこんにちは。リュウタ。君は一種の洗脳状態に陥ってるのかもしれない」

「洗脳だって?」


 そうしたらアイリーンが話に割り込んでくる。


「アメリカの犯罪ではよくある手口よ。日本のように安全な国じゃ滅多にないだろうけれど、何か暴力を振るわれて精神的トラウマからあなた自身が記憶を改竄してしまった可能性がある」

「馬鹿げてる! いい加減にしてくれよ!」


 俺は素直に怒った。そうしたら、なだめるようにミスターパドリックがいう。


「思い当たる節は、何もないんだね?」

「あたりまえだ! 確かにロボットハウスに来るまでには、宇宙飛行士としてのある程度の訓練と筆記テストを行ったけれど、それが暴力に繋がるとは思えないよ」

「ロボットハウス?」


 ミスターパドリックが不思議そうに言葉を反復する。俺は説明する。


「組織の用意した、宇宙人との面会用の宇宙ステーションだよ。重力装置が稼動してて地球と変わらない居住空間になってる」

「なるほど……聞いたことがあるぞ」


 ミスターパドリックがいうと、アイリーンが驚いたように声をあげた。


「心当たりがあるの?」

「いや、名前だけだが……昔NASAがISSと同時並行で進めていたプロジェクトに、単独で実験用の宇宙ステーションを打ち上げようというものがあった。つまるところ、宇宙開発は金がかかる。そのため宇宙実験スペースを共同で運営しようと発足したのがISSなのだが、宇宙開発とはいわば情報戦だ。この形態では情報が筒抜けで、ある意味では本末転倒。ロボットハウス計画はそのアンチテーゼとして立ち上がった計画なのだ。確かエイムズの研究センターが開発を進めていたらしいが、随分前に頓挫したと聞いたが」

「ということは、エイムズから設計書が流出したってこと?」

「いや……何しろ機密事項だから私の知る由もないことだ。ひとついえるのは、ロボットハウスという名称は確実に存在しているということ」

「ちょっと待ってくれよ! ISSって何?」

「国際宇宙ステーションよ。他には何かない?」

「何かって……うーん。宇宙人は魂の研究をするために地球に来たんだ。数学では魂の正体は突き止められない。目で見て確かめられるものだけを信じるなって」

「面白い話だな、これはまだ公には発表していないことなんだが、この際問題ないか……」

「な……なんです?」

「うむ……私たちの脳に私たちの意識外の何かが干渉していることがわかった。それは、何かの環境物質かもしれないし、はたまた何者かの意思の働きかけなのかもしれない……現代科学ではそこまで明確に判別できないんだよ……いずれにせよ、このことが発覚すれば人類は大混乱に陥るだろう」

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