第24話 就寝

「ちょっとトイレに行って来る」


 俺はそう捨て置いてトイレへ向かった。トイレの入り口を閉める。便座に座る。


「……!」


 振動を感じてびっくりする。便座がバイブしている。視線を落す。このロボットハウスの不便で奇妙な電話機だった。また誰かが連絡してきたのか。もうたくさんだった。誰でもいい、これ以上俺を混乱させないでくれ。俺は震える手で通信機に手を伸ばす。


「……はい?」


 耳元に受話器を当てる。


「ピピ……ピピピピピピ……ピピ」

「……!」


 ごくりと息を飲む。受話器の先は完全な静寂の世界だった。そこにモールス信号のような点滅音が繰り返し聞こえてくる。俺は開きかけた口を慌てて塞いだ。途中に起伏の乏しいノイズ交じりの男性の声が聞こえてくる。俺が咄嗟に思い出したのは、ウィルスに感染したノートパソコンの警告ガイダンスだ。相手は人じゃない。咄嗟にそう思った。


 それほどまでに現実離れしている。じっとりと汗ばむ。こんなの尋常じゃない。


 その時、俺はハッと思い出してポケットに手を伸ばす。物々しい重さを感じる。さっきジェイコブにも使ったポータブルゲーム機とトーカマンのゲームソフトだった。

 俺はごくりと生唾を飲み込む。

 警告ガイダンスのような通信はまだ続いている。電源を入れてトーカマンを近づける。トーカマンは地球のあらゆる言語を収録した優れものだ。もし相手が地球の言語なら、トーカマンは日本語に翻訳できるはずだった。俺の予想は的中する。まもなく、その不気味な音は言語となってトーカマンから吐き出された。


――ワタシハ ゲムギリオ アナタハ ダレ――


 ゲムギリオ? なんなんだそれは。言葉の文脈から見て、それは自己紹介以外のなにものでもない。本当にあってるのか。この翻訳あってるのかよ。俺は応答するかどうか悩んだ。そしてふと思う。獣座衛門に相談するべきか迷った。あの言葉を思い出す――人間側の事情を、俺達宇宙人に解決させようとするなよ――


 そもそもこいつも宇宙人なんじゃないか。ありえる話だった。こんな不気味な名前の人間が地球上にいるもんか。と、思って考え直す。翻訳ができたってことは、地球上のどこかの言語なのは確かだ。恐怖に強張る気持ちをぐっと堪えて、相手に返答する。


――俺は松本隆太です――


「これで……大丈夫かな?」


 大丈夫なわけ、ないよな。これじゃあただ俺の名前を自己紹介しただけじゃないか。にもかかわらず返答はすぐに返って来る。


――ピーッ……ガガガガ――トオクニイル オソルベキケイカク ノ イッタン ジンルイ ハ メツボウ スル イマノママデハ キョウリョクヲヨウセイスル――


 なんだよ。なんなんだよこれ。どうすりゃあいいんだよ。


――ジキ ワカル――ガガガ ピーッ ガガガガガガガガ――ウチュウジン ト コウシン キボウ ヨクカンガエテ―― ――――ブツッ!――


 そうして、謎の受信は終わってしまった。


「なんだったんだよ……今の」


 俺はトイレから出た。そして今日最後のジェイコブへの報告をするつもりだった。



 * * *



「なあジェイコブ、獣座衛門ってさ、どこで会ったんだ?」

「うふふふふ。地球はダイヤモンドさ。銀河も宇宙も関係あるかよ」

「? どういうこと?」

「なあ少年。それより教えてくれよ。君は何かを隠してないか?」


 俺は意表を衝かれてゾッとしてしまう。


「隠してる? ははは、やだな。隠してなんてないよ」

「なるほど。それは初耳だ! どういうことなんだ少年! 教えてくれよ!」

「初耳もなにも、俺は何も隠してないってことだよ……必要なことは全部伝えてる。あれだ、ジェイコブだって言ってたじゃないか、宇宙人から聞いたことを俺なりに咀嚼して必要なことだけ伝えろって、ようするにそういうことじゃないか?」

「ハハハハ!」

「うん……ようするに、俺の質問には答えられないってことなんだな?」

「ずるいぞ少年。教えてくれよ。私たちは待ちぼうけかよ」

「わかったよ、わかったって……あれだろ? 質問があるならまず俺の方から話せってことだろ? 獣座衛門は……すごく協力的なんだ。拍子抜けするほどに。やっぱりどう考えたってジェイコブや他のオペレーターたちが書き残してるように凶悪な宇宙人とはどうしても思えないんだよ……騙されてるのかもしれない。それでもさ。なぁ? ジェイコブ」

「……」


 ジェイコブは不気味なほど何も答えない。俺は沈黙に耐え切れなくなっていう。


「わかったよ。また聞き込みを続ける。今日報告をしたやつを抜いて残り二つだ。それで問題ないんだろ? お役ゴメンだ。そしたら俺を地球に、……帰してくれるんだよな?」


 俺はしばらく反応を待ったけど、諦めて今日一日の報告を終えて、通信を切った。



 * * *



 その時俺は、就寝の準備をしてから獣座衛門とETの続きを見ていた。もう何度目にもなる映画鑑賞だ。


「そろそろ寝ようぜ、リュウタ」獣座衛門が照明スイッチに手をかける。

「あんまり根詰めるなよ……頭が沸騰するぞ? そうさ、どうにかなるぜ」


 そして、俺の返答も聞かずに、部屋の明りがパチッと消灯する。

 部屋は真っ暗になる。いつにも増して不気味に思えた。六畳間の畳に敷いた布団に潜り込む。暗澹たる気持ちになる。真っ暗になった部屋で、俺は思わず問いかける。


「……なぁ獣座衛門。チャールズ・ロペスに、いったい何を話したんだ?」


 ごそごそと音がした。そして、笑い声が聞こえてくる。


「ウフフフフフ。チャールズ・ロペス? さぁな。この家に来た連中は大勢いた。誰に何を話したかなんて覚えちゃいないさ」


 そうしたら、獣座衛門はいうんだ。


「ウフフフフ。深淵が怖いか。隆太」

「!」

「人間は視覚に頼りすぎている。俺は闇が好きだ。深い安らぎも闇の中にある……」

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