少年の気持ち 1
「任務完了っと」
森の中で、少年と女が身の丈の優に倍はある熊の面影を残したマモノの首を落とし、お互いに獲物をしまう。
「全く、たまたま近くにいるから行けって、人使い粗すぎると思うんだよね」
男は中華服を着た女に向かって、愚痴を垂れる。
「まあまあ、気にしない気にしない。そんなこと言ってると、私みたいにちゃんとしたお姉さんになれないよ。これも大事な修行なの。わかったー? ダンちゃん」
女はダンの背中を悪戯っぽく叩いている。ダンは鞘に仕舞ったままの刀を女に振るい、グレーの髪を揺らしながら頭を搔く。
「ダンちゃんって、やめろ。ダン! ダンだぞ! チビ隊長」
「あー! チビって言った! 自分だって男の団員の中じゃ、ちっちゃい方の癖に」
ダンの額に筋が入り、刀を持つ左手に力が入る。彼の目は中華服の女を見据え、今にも食って掛かろうとしていた。
それを見た女も服の余らせた袖を回しながら、少し笑って口を開く。
「じゃあ、グレス隊長に言っちゃおうかなー。ダンが私の事チビって言いました、って。私、隊長なのになー。君は副隊長のはずなんだけど。今謝れば、許してあげないこともないようなー。」
どうだろう? と言うと、ダンは悔しそうに、刀にかけた右手を外し左手の力を抜く。
「ごめんなさーい。デライ支援隊隊長ー。護衛隊副隊長の立場でチ! ビ! とか言ってすみませんでしたー」
心の一つも籠っていない、教科書のような棒読みで答える。
デライは「本当に若造ってムカつくー! そんなんだから副隊長止まりなんだよー」と溢す。
そして、もう夜も深くなってきたので、近くの街にでも泊まって休んでから帰ろうか、とダンに伝え、歩き出す。二人は未だ山彦のように言い合いを続ける。
街に着くと少しだけ驚いた。
お世辞にも栄えているとは言えない。家々が所々崩れているのが目に留まり、そこらで人が何人も横になって眠っている。
その人々も痩せこけ、碌な食事を取っていないことが分かる。何より異質であるのが、中央には誰が見ても「立派だ」というであろう邸宅が建っている事だ。
二人は顔を見合わせると、先程より少し緊張の糸を張る。デライは「クソッタレな趣味だな」と吐き捨てた。
「中央に近づくのは面倒くさそうだ。どこか泊めてくれそうな場所、とは言ってもこの感じだと見つからないか。という訳でおめでとう。ダン。今日は野宿です! か弱い女の子である私の為に、安全で快適そうな場所を探してきなさい」
ダンを指さし、腰に手を当て、デライが高らかに宣言する。
「何が女の子だ。もう三十路じゃねぇか。っと、畏まりました! 行ってまいります!」呟いた瞬間、なぜかダンの首筋にひんやりとした刃物の感触がした。一目散にこの場から立ち去るため走り出した。後ろを振り返ると、先程までダンが立っていた場所に一筋の大きな斬撃の跡があった。
それから数分、全力で逃げ続けたダンは当初の目的を思い出す。
そうだ。寝る場所を探さないと。
前方に出した左足を突っ張り急停止する。辺りを見回すと、人が居そうな家はあるのだが、余所者はお断りです、といった空気を感じる。
厳しそうだ、もう少し見て回らないと。辺りをしらみつぶしに見て回り、何処か開けた場所はないか探す。
「そうなんだ。この辺りに落ちてたんだね。ありがとう」
路地裏から女の子の声が聞こえた。
「お、ラッキー。街の人発見!」
声のする方に駆け出していくと、ダンの胸ほどに小さい女の子だった。
「あった! これで明日は食事にありつけそうだよ。いつもありがとうね」
見ると不思議でならなかった。まず夜にこんな小さい子供が外にいるのもおかしいのだが、なによりそこには少女しかいない。
「あの子、誰と喋ってんだ?」
少年が何度目を擦ろうが見えるのは、少女が一人だけだった。
そのはずだが話していた。明らかに誰かと会話をしていたのだ。
自分の聞き間違えを疑うが、仮にも、自分は世界に名を馳せる「真理の旅団」の護衛隊副隊長だ。あんな小さい子供に惑わされるほど柔やわな鍛え方はしていない。
壁の影から様子を伺いながら、ダンの中で様々な仮説が浮かぶ。
——透明人間になる能力のヤツと話してんのか?
いや、違うな。
それだとわざわざ、あの女の子が外に出てくる意味が分からない。透明人間一人で事足りるだろう。
それじゃあ、逆か?
透明にする能力。いや、それなら尚更、外に出なくてもいいじゃないか。となると——
「誰! そこにいるの?」
少女が、急にこちらに気が付き警戒している。
よく気が付いたな、一応この服、任意で気配を認識しにくく出来るはずなんだけど。バレてしまえば考えても仕方がないので、ゆっくりと姿を壁から見せる。
「隠れ見るような形になって申し訳ない。あの、聞きたい事が有るんだが、いいかな?」
子供相手には、優しく笑顔で恐怖心を与えないように。何度か訓練も行い、孤児院の子供たちと遊んでいることで、子供のツボは熟知している。唇を舐め、声をかけようと息を吸う。
「え? 子供?」
——子供? 誰が? 辺りを見回すがこの場には二人しか見当たらない——
「俺が?」
「うん」
少女のあまりの即答に、ダンは生唾を飲む。
「ゴッホ、ゴッホ、ゴホ!」
思い切り唾液が軌道に入り込んでしまい、盛大に咳き込む。あまりに唐突の出来事であったので、ショックで動けなかった。次第に息も落ち着き、少女の方を見ると、そこには誰もいなかった。
「逃げられた」
胸を軽く叩きながら、力なく呟く。
すると後ろから「逃げられたじゃねぇよ」と蛇のように静かに、デライが立っていた。
振り向いた瞬間、鼻に衝撃を感じ意識が切れた。
「どこに行っていたんだい? シナイ。危ないよ」
ヨシュアは今しがた、小屋に帰ってきたシナイに尋ねる。
「財布が落ちてたって聞いたから、誰かに取られる前に取りに行ってきたの」
そう膝の上に座り、鼻高らかに言うシナイに
「ありがとう。それでもこんな時間だと危ないから、出来れば次はしないでね。もしもの時に僕じゃ助けに行けないから」
と頭を撫でる。
「そういえば、その時に死霊と話しているところ、見られちゃった」
少し節目になりながら腕を抱く。それで? とヨシュアがその腕を上からそっと抱きしめる。
「なんか、子供だった。私よりも年は上だろうけど、なんか、聞きたい事が有るって言ってた。隠れてたから怖くて逃げたけど。話しかけてきたの」
その感情は知っているが、ヨシュアではない人からそれを向けられるのは怖かった。いなくなってしまう気がして、大事な人が。
「そうか。話しかけられたのかい。それはもしかすると、友達になってくれるかもしれないな。また会えるといいね」
そういう訳じゃないんだよ、と彼の胸に顔をうずめる。
「早く起きろ」
脳天を金槌で殴られたかのような衝撃を受け、跳ね起きる。
「あれ?」
視界は、昨日の最後の記憶である裏路地ではなかった。
「ダンが遊んでるから、自分で寝床見つけました」
明らかに、機嫌の悪いデライが立っていた。
「それじゃあ、そろそろ帰んの?」
デライは表情を変え目線を厳しくすると、低いトーンでダンに言う。
「いや、少しここに滞在する。調べたいことが出来た。ちょっと匂うな。ここ」
ダンにも少しはわかるが、きっとこの女は既にある程度の情報まで掴んでいるのだろう。
二人の腹の虫がほぼ同時に鳴る。
顔を見合わせ「とりあえず飯だな」と珍しく意見が一致し、歩き出す。
市場に出向き、思い思いに買い物をする。結局、荷物持ちは男の仕事になってしまうが。パンをかじりながらデライに昨晩の話をする。
「そういえば昨日、不思議な女の子にあったんだよ。俺よりずっと小さい子でさ、一人だったのに誰かと話してた。しかも俺が隠れてたのも気が付いてたし、それにこの街にいるのに、心が綺麗だった」
デライは少し思い出したように黙る。昨晩聞いた話では、ここらに死霊と話せることで、死神扱いをされている子供がいると聞いた。
ダンにどんな見た目なんだ、と伺うと、丁度、目の前に年の離れた男女の二人組が歩いているのが見える。
ダンは、その女の子を指刺すと、
「ほら、あの二人組の女の子みたいにちっちゃくて、くすんだ金髪の髪の長い女の子。ってあの子!」
唐突にダンが走り出す。
「おい! 昨日のヤツ! 見つけたぞ、この野郎!」
と叫び、わき目も振らず。
女の子は、それを見ると、怯えたように背を向けて逃げようとする。しかし、次の瞬間にはダンに捕まってしまい、少しだけ震えている。
「お前に、どうしても言いたかったんだけどな、俺は子供じゃねえぞ。立派な十七歳だ! 分かったか?」
少女の顔を引き攣った笑顔で見つめながら言うと、脳天に拳骨が落ちてきた。
「分かったか? じゃねぇだろ。お前女の子に何してんだ? 怖がってるじゃねえか。今すぐ離れて土下座しろ、あの子と私に。分かったか?」
あまりの剣幕に、はい、ごめんなさい、女の子から離れると頭を下げる。そしてデライに向いた時、少し疑問に思い
「なんで、お前にも謝らなくちゃならないんだよ!」
犬のように吠え出す。なんとなくに決まってるだろう、と当たり前のように告げ、女の子の元に行く。
「ごめんね、怖がらせちゃって。うちの馬鹿が迷惑かけたね。大丈夫かい?」
女の子はそれを見て、横の男の陰に隠れてしまう。
男は少し笑うと「ほらほら、返事してあげなさい。シナイ」少女を促している。少女は男の服を掴みながら、首を縦に振る。
デライはそれを見ると、二コリと笑いかけ、良かった。ありがとう、優しく告げる。それを見る男は少し嬉しそうに、しゃがんだ私を見ている。
「もしかして、昨日話していた人かな? それじゃあシナイのお友達?」
悪戯っぽくシナイに語り掛けると、違うよ、言いながら首を、横に大きく何度も振っている。
「シナイちゃんって言うのね。可愛い名前だ」
デライが言うと、シナイは目を見て呆けていた。男は嬉しそうだ。それを見てデライは立ち上がる。
「可愛い女の子だな。連れが迷惑をかけた。私の名前はデライ・クライフ。そんで後ろのチビ助が、ダンって言うんだ。旅の途中でこの街に寄ったんだけど、少しだけ滞在することになってね、良かったらよろしく頼むよ」
男は、気にしなくていい、いつもに比べれば迷惑ではないさ、告げた顔は何処か暗い。男の名前はヨシュアと言い、シナイと一緒に過ごしていると。刹那、気が付いてしまった。
——君、目が——
立ち上がった後に握手を求めたのだが、差し出した手に男は見向きもしなかった。それどころか先程から、目線が変わっていない。
虚空に差し出した手を強く握る。その手を降ろし見上げると、ヨシュアは笑顔のまま。
「そうか。この街にいるんだね。それなら、シナイと仲良くしてやって欲しい。この子、生きてる友達が少ないんだ」
その瞬間、シナイが掴んだままの服を、何度も引っ張りながら首を振り続けている。ヨシュアが言ったことに驚き、困惑しているのだろうか。先程より少女は小さく映った。
「分かった、仲良くするよ」
そう言うと、後ろに向かって
「仲良くするよねー、ダン」
名前を呼ばれたダンは、犬のように急にこちらに走り寄り、返事をする。名前を呼んだ瞬間だけ、ダンの周りの空気が薄くなった気がした。
ヨシュアは、ありがとう、そう言って二人に、良かったら家で話さないか、と提案する。あまり、綺麗でないので嫌なら構わない、と言うが、デライには彼らが、この街の現状を表しているように感じられ、快諾した。
元より、何処でも寝れるようには訓練しているが。シナイはヨシュアに何か耳打ちしている。それを聞いたヨシュアは、少し困った顔をして二人に言う。
「すまない、どうしてもこの子が聞かなくて。ダン君が持ってる物を分けてくれないと嫌だ。なんて言って駄々をこねているんだ。構わないかな?」
デライは、女の子のしたたかさに感心して笑う。
「丁度、買い過ぎて二人じゃ食べきれない、と思ってたから、助かるよ」
少しだけダンが何か言いたそうな顔をしているが、デライの前では無力だった。シナイは少し笑顔になって、ヨシュアの手を引いていく。
四人は、至る所がボロボロと今にも崩れそうな、家畜小屋に着いた。人が住むには体中が痛くなるだろう。臭いもいいモノとは言えない。
そこに入っていくと、干し草と水瓶、その他は生活に足りうる訳がない程ものがあった。
ダンを見ると、少し悲しそうだ。
彼は普通の家庭で育っているからな。許容しがたいだろう。そう思いながら、地面に座り込む。
「すまないね、こんなところで」
そう言う、ヨシュアにシナイは首を振っている。その姿がまるで、兄弟のように見えた。
ヨシュアに聞いた話では、この街は中央の領主が重税を強いているおかげで、見る見るうちに廃れていったという。
それでも、彼はこの街が守られているのは、領主や兵士たちのお陰だと、感謝しているよ、なんて言って二人で笑う。食事を取りながら話を続ける。シナイは、久しぶりのまともな食事だったのだろう。話などに興味も示さずに一心不乱に乱暴に食事をし、満足そうに笑う。
「ありがとう、教えてくれて。それで、君たちの事を聞かせてもらえたりするかな?」
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