連れ子の姉と暮らす生活が気が気でない

加藤ともか

第一部 高校一年生編

第一話 気が気でない日々の始まり

第一話 気が気でない日々の始まり ①

 僕には『きょうだい』と呼べる存在が無い。

 当たり前だ、だって僕は一人っ子なのだから。生まれてから半年前まで、僕は父さんと母さんの三人暮らしだった。半年前に母さんは乳癌にゅうがんで亡くなり、半年前から昨日までは父さんと二人暮らしだった。そう、昨日までは……


「ふぅ……。ちょっと休まないとなぁ」

 引っ越し作業の進捗しんちょく状況は六十パーセントくらいか。これくらいやったなら、一旦休憩きゅうけいを取っても良いな。

 僕は段ボールで狭くなった部屋を出て、廊下ろうかを歩き、階段をくだり、一階のリビングルームへ入る。

「おい、作業は終わったか?」

「いや、ちょっと休憩……って、岩崎いわさきさんっ……!」

 僕は『彼女』がこちらを振り向いた刹那せつな咄嗟とっさに目を逸らした。

 ブラが薄らと透けて見える薄手の白Tシャツに、下半身はパンティ丸出しの、目を疑うような破廉恥はれんちな格好をしていたのだ。

「もう姉弟きょうだいなのだからその呼び方はやめろ。『奈緒なお』と呼べと言っただろ?」

「わ、分かってるけど、その格好……。目のやり場に困る! やめて!!」

「この格好は楽だからな。外に出ない日はいつもこうだ」

 そんな事言われると頭の中でこの格好で休日を過ごす岩崎さん、もとい奈緒の姿を想像し……ダメだ、邪念じゃねんを振り切って物申せ、僕!

「そんな破廉恥な姿、他人たにんに見せちゃダメでしょうが!」

他人たにん? お前は俺の弟だ」

「弟と言ってもねぇ……」

「互いの親との養子ようし縁組えんぐみは済んでいるだろう。それが姉弟で無ければ、何だ?」

「だ、だけど……」

「何だお前、俺に文句あるのか? 言ってみろ、何が言いたいか!」

 奈緒は読んでいたラノベを置いて立ち上がり、僕の前に来てむなぐらを掴んできた! 奈緒はキレるといつもこうだ。短気たんきで、粗暴そぼうな奴だからな。

「そっ……そのっ……ふっ…服を……」

 見上げてみると中々の威圧感いあつかんだ。八センチの身長差も相まって、すごく高圧的こうあつてき見下みおろしているように見えるっ!!

「服なら着ているだろ? 何が問題だ」

「そ……そうじゃなくて……ブラが透けない服を……それとズボン……」

「もう一度言ってみろ、俺にどうして欲しい」

「ブラが透けない服と……ズボンを着て……!」

「…………ああ、分かった」

 奈緒は若干じゃっかんトーンダウンして、ゆっくりと僕から手を離した。

「中学時代のジャージを着てくる。それで良いか?」

「そうだよ、最初からそう言ってくれれば良かったのに……」

「悪かったな。想像に至らなかった」

「大丈夫、分かってくれれば。じゃあ、着てきてよ」

「ああ」

 奈緒は僕から離れ、リビングルームを出た。僕は大きなため息をついた。本当に困った人だよ。すっごく暴力的で、言葉遣いが悪すぎる。最後は素直に謝ってくれるのだけど。


 さてと、改めて休憩にするか、休憩……。

 冷蔵庫の中、冷やしていたペットボトルの麦茶を取り出す。それをガブッと飲んでやる。

 フワーッ、生き返るな……。やっぱり水分を取らないと身体が干からびてしまう。さあて、ソファにでも座ってゆっくり休もうかな……。

「約束通りジャージを着てきたぞ」

 奈緒がリビングルームに戻ってきた。中学時代のジャージを着ている。ブラは、ブラは透けてない!

 だけど……奈緒を象徴するとも言っても過言ではない、いつわらざる天然茶髪のロングヘアは、芋臭い青いジャージとの補色効果でより一層の輝きを見せてくれた。雪の如き純白じゅんぱく柔肌やわはだも、白Tシャツを着ている時よりも際だって見える。寧ろこっちの方が、さっきよりもあでやかかも……。

 僕は恍惚こうこつとして、奈緒を見つめ……てはならない! ダメだ、ダメ! 早くここから去らねば……。

「奈緒、僕は二階に行く。引っ越しの作業を再開するよ」

「もう再開するのか? もっと休んでいたらどうだ」

「いや……早くやらないと暮らせないから、さっさとやらないと」

「ああ、分かった」

 嘘なんだけどね、嘘。本当はもっと休憩するつもりだ。

 何故部屋に戻るって? だって、もう……奈緒に見とれて、気が気でないのだから。

 僕は引っ越しの作業をしている途中の部屋に戻った。真新しい二段ベッドの下段――奈緒と部屋を共有するに当たり、僕が下段に寝ると決めた――で寝転がりながら、スマホをボチボチいじる。


(ああ、奈緒……いとしの奈緒……)

 僕の頭は奈緒で一杯だ。だって、だって……好きなんだもの。

 僕が奈緒と出会ったのは三年前、僕が中学一年生、奈緒が中学二年生の頃。

 入ったばかりの中学校に馴染なじめず、気に病んでいた僕は図書室で運命的な出会いを果たした。

 図書室の片隅で本を読んでいた、とんでもなく美しい少女。僕は彼女に一目惚れしてしまい、つい話しかけてしまった。

 茶髪でピアスを着けていた俺っ娘だったから、一瞬、僕の苦手なタイプ、要するにヤンキーかと思って警戒けいかいしていたけれども……そんな事は無かった。奈緒にはどういう訳か友達がいなかったから、僕が唯一の友達になった。

 それ以来、僕と奈緒は歳の差なんてものともせずに、親しい友達として付き合ってきたけど…………肝心かんじんな事に踏み出せずにいた。それは愛の告白、奈緒に対してはっきりと『好き』と伝えられなかった。

 だって……嫌われるのが怖かったから。『好き』と言って、結果的に嫌われたら一緒にいられなくなってしまう。友達のままなら、踏み込んだ距離感にはならずとも、一緒にいられる。だから僕は……僕は選んだんだ、恋人にはならず、友達でいると。後悔こうかいは……はっきり言って、している。

 …………その奈緒が、まさか僕の姉になるなんて、思いもしなかった。ほぼ同じ時期に、片親かたおやを亡くした者同士ではあったけれども。

 それで確実に言えるのは……奈緒との恋が更に難しくなったという事だ。僕は姉に恋しているという事になる。それはつまりこう言う事だ。シスコン!

 姉と弟は結婚できない。養子同士でも、多分そうだった筈だ。つまり、僕は奈緒が好きだけど、奈緒と結ばれる事は無いんだ。畜生ちくしょう、運命を呪いたい。ああっ、あああっ!!


「颯太、お前、作業を再開したのでは無かったのか?」

「奈緒っ?」

 奈緒が部屋に入ってきた。

 この部屋は僕と奈緒と共有だから、奈緒が突然入ってきても文句は言えまい。

「そっちこそ何しに来たの?」

 一応聞いてみた。

「これを取りに来た。ただそれだけだ」

 奈緒は僕の机の横にある、奈緒の机の引き出しから何かを取り出し、それを見せつけてきた。

「スルメ? 渋いもの食べるね」

「渋い? そうでも無いと思うが。最高の魚なんだよ、スルメと言うのは」

「最高の魚か……。僕も食べたいな」

「なら自分で買え。言えば分けて貰えると思ったか?」

「べっ、別に思ってねぇから!」

「何だお前……」

 奈緒は白けた眼で吐き捨てて、部屋から出た。

 さてと、僕は引っ越しの作業を再開せねば。段ボールはまだまだ沢山残っている。全部片付けて、すっきりさせよう……。


 僕はそれから二時間くらい時間をかけて、引っ越しの作業を終わらせていった。

 今まで住んでいたアパートから持ち込んだ机や本棚ほんだなに、僕の様々な私物、例えばスマホの充電器じゅうでんきだの、漫画まんがだのを押し込んでいく。その作業が終わったら、リビングルームへ行く。

「あっ、颯太そうた君。作業は終わったかな?」

 テーブルチェアに座ってコーヒーを飲みながら話しかけてくるのはもう一人の姉、優奈ゆうな。高校を出たばかりの浪人生ろうにんせいだ。

「はい。それよりも、奈緒はどこにいるのですか?」

「奈緒? 奈緒ならトイレに入っているよ」

「えっ? 奈緒もトイレに入るんですか?」

「君は奈緒を何だと思っているの?」

「い、いえ……何でも」

「ああ、そう。座ったら?」

 僕は優奈の向かい側のテーブルチェアに座った。

 改めて見てみると、奈緒に劣らず綺麗きれいな人だ。童顔どうがん愛嬌あいきょうがあって、でも背が高くて巨乳きょにゅうと、抜群ばつぐんのプロポーションを誇る。多分、全体的なスタイルは奈緒よりも良いな。でも、何故だろう。『綺麗』とは思うけど、胸がときめかない……。

「颯太君、あたし達、もう姉弟なんだから、敬語けいごじゃなくてため口で話そうよ」

「えっ、ため口で? 良い……の?」

 そう言われても、中々受け入れられないものだな。奈緒も『先輩せんぱい』と呼ばず、ため口で話すよう要求していたけれど、最初は受け入れられなかった。姉弟になるまで『岩崎さん』と呼んだのは、抵抗ていこう受容じゅよう狭間はざまで揺れ動いた結果の妥協だきょう産物さんぶつだったりする。

「うん。話して、ため口で」

「わ……分かった。それで、浪人している……ようだけど、どこの大学目指しているの?」

「ここだよ、ママの母校」

 優奈はスマホで、大学のホームページを見せてくれた。国立の外国語大学だった。

「ここで韓国語を学んで、翻訳家ほんやくかを目指しているんだ」

「おおっ、すごいなぁ。頑張がんばって」

「てへへへっ。合格の為に血のにじむような努力をしているんだ」

「嘘教えるな、馬鹿姉貴が」

 ドアの方から聞き覚えのある声がした。

 ドアの方を振り向けば、そこに奈緒がいた。

「なっ、奈緒……っ! 話聞いていたの? 地獄耳じごくみみだなぁ」

 優奈は立ち上がって、奈緒に対して物申す。

「何が血のにじむような努力だ。部屋にこももってずっとゲームしていたくせに」

「ちょっと、ちょっと!! 根拠を言ってよ」

「音が部屋から漏れていた。丸聞こえだったぞ」

幻聴げんちょうでも聞こえたんじゃ無いの? ちゃんとイヤホンしていたから!」

「ああ、やっぱりそうなんだな」

「……………………」

 墓穴ぼけつを掘った優奈は、青ざめた顔をして、何も言わずに去って行った。

「…………ねえ、優奈さんって勉強してないの?」

 僕は奈緒に聞く。

「姉貴はなまくせが激しいからな。しかも妄言もうげんはなはだしい。そもそも、韓国語を学ぶなんて、浪人が決まった三月に急に言い出したものだ」

「ええっ?」

「韓国のドラマにハマったら、じゃあ韓国語をやりたいと突然言い出した。今まではやれインド哲学てつがくだの、やれ経営学けいえいがくだの、やれドイツ語だの……。やりたいと主張する分野がコロコロ変わっていたからな。またすぐ変わるわ」

「うわぁっ……」

「おまけに、滑り止めで受かった大学には行きたくないと駄々をこねて浪人させて貰った。そのせいでババアが……」

「ババア? 自分の母親の事をババアなんて言って良いの?」

「ああはいはい、母さん。母さんが、姉貴が勉強に集中できるようにと俺とお前で部屋を共有しろと言い出した。部屋は余っていないから、お陰で俺はお前と一緒の部屋だ。プライバシーも糞もあったものじゃない。まあ、着替えだけは姉貴の部屋に置かせて貰ったが」

「ああ、そうなんだ……」

 グッジョブ、優奈。優奈が浪人してくれたお陰で、僕は奈緒と一緒の部屋になれた。これは幸せだなぁ……。

 だがそのせいで気が気でない思いをしているのもまた事実。好きな人と、付き合っていないのに同棲どうせいしている状態で、すごく気まずいのだもの。

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