さよならうるわしき恋人

 佑介ゆうすけが死んだ。


 佑介というのは2年前の夏の終わりにわたしの親友主催の合コンで電撃的に出会ったわたしの恋のお相手、つまり彼氏でして。

 こいつは同学年ではあるけれどわたしよりも誕生日が10か月と3日遅いので、つまりわたしのがほんのちょっとではあるけれども年上なわけでして。

 そして奴は年下らしくなんだか柴犬の子供のように愛らしい顔をしてどこか頼りなく、別に姉御肌ってわけでもないわたしはほぼ強制的に奴の世話を焼かされていたわけだ。

 だけどやはりあいつも男なわけで、いざというときはブラピよりも男前な表情を浮かべ、とろけるような甘い言葉をわたしに浴びせてくれる。そして細い割に筋肉質な長い腕で、わたしを強く抱きしめてくれるのだ。

 あまり知られていないけど、実は甘えたがりでどちらかと言えばMのわたしは、そんなあいつに密かに心臓を鷲掴まれたりしていた。


 話を始めに戻しましょう。

 そのわたしの最愛なる彼氏、佑介が、死んだのだ、昨日。

 何で死んだのかはわからない、なんてことには決してなっていなくて、そう、彼の死因は単なる事故死。

 信号のない横断歩道をのんびり渡っていたところを、制限速度より20キロオーバーで走ってきた携帯電話で通話中のトラックと運悪く衝突してしまい、佑介の穢れ無き魂は、あっけなくこの世を去ってしまった。

 そしてこの世に留まってくれたそれなりに穢れている肉体のほうは、さすがに即死というだけあってグロテスクなことになっていたらしい。

 さすがのわたしもそんなおまえには欲情しないから、どうせなら体も一緒にあの世に持って行ってくれたらよかったのに。

 なんてこと思ったところで死んだら体が消えてしまうなんてファンタジーなことは起こらない。もしも起こったのなら大騒ぎになって平々凡々に生きてきたはずのおまえがなぜか死してから有名になるという昔の画家みたいになりそうで困るから、本当に起こらなくてよかったなとも思っている。。

 つまり佑介の体は今もどこかの病院に安置されているわけだ。

 いや、もう家に帰ってきてるのかな、それはまあ、わたしはよく知らない、彼女なのに。

 別に知りたいとも思わない。

 佑介の体はそのうちもんのすごい火力で燃やされて骨とか灰だけになってしまうのだろう。その骨の一部はお墓に入れられて、そのまた一部は佑介のパパさんとママさんが大事に手元に取っておくんだ。

 もしわたしにも渡されたらどうしよう。そんなものはいらないし、人間の骨なんて持っていたって気持ち悪いだけだ。

 だって、生前の面影もないただの抜け殻になった佑介らしきものの体になんて、わたしは興味がないのだ。

 色気のある鎖骨とか、骨ばった手とか、奥二重の目とか、切りすぎた前髪とか、笑った時にできるえくぼとか、わたしを呼ぶ声とか、そんなんにしか興味がないのだ。

 そんなんが好きなのだ、そんなんを愛しているのだ、わたしは。


 いつだったか忘れたけど、佑介がわたしに未来の自分について語っていたことがある。

 わたしはそのとき足の爪を切りながら、買ってきたばかりのファッション雑誌の安くてお洒落なワンピース特集を熱心に読んでいたため、彼のその熱い語りについてはところどころにしか覚えていないのだけれど。

 そのところどころを思い起こしてみた。

 とりあえずカッコいい大人になって、25歳位で可愛いお嫁さんを貰って(その可愛いお嫁さんはもちろんわたし)、30年ローンで縁側のある可愛い家を買って、広い庭で可愛い犬を育てる。そしてのんべんだらりと長い大人の時代を過ごし、おじいちゃんになって(このあたり曖昧)同じくおばあちゃんになったわたしが死ぬ一日前に、その幸せな一生に幕を閉じるのだそうだ。

 なぜわたしが死ぬ一日前に死ぬのかというと、わたしに先に死なれたら寂しいから先に死にたいけれど、でも出来るだけふたり同じ人生を歩みたいから、だからぎりぎり、一日前に死にたいのだ、ってな感じだったと思う。

 だったら同じ日に、同じ時間にまったく一緒に死ねばいいじゃない、なんてことをわたしは言った。

 すると佑介はえくぼをつくって、だってきみにおれの幸せな最期を見ていてほしいんだ、と勝手なことを言い返してきた。

 だったら後から死ぬわたしは誰に看取られりゃいいんだ、核家族化が進む社会で子や孫に看取られるとも限らないし、孤独死しろってことか、ってちょっと憤慨するんだけど、まあ最期くらい不幸でもいいか、それまでが幸せなら、そう思い直す。

 そしておまえのまだまだ先の小さな願い、仕方がないから叶えてやろうかなあって、せっかくわたしが思ってやっていたのに。

 おまえはわたしの見ていないところで、おじいちゃんどころかカッコいい大人にすらなる前に死んでしまうんだから。

 困ったもんだ、わたしは一体どうすればいいんだ。

 決まっている。

 おまえの小さな願い、(それは一部分だけど)、叶えてやればいい。

 わたしが死ぬ一日前に、おまえは死ぬんでしょう。

 つまり、おまえが死んだ次の日に、わたしは死ぬんだ。


 歩いているときに目についたビルだし、暗くて看板がよく見えなかったからここがどこだかよく知らないけれど、とにかくわたしは今、高い建物の屋上に立っている。

 ここに来る途中、路上で怪しげな占い師に声を掛けられた。

 立ち止まって思わせぶりな態度をとってやったら、あなたの前世をお教えしましょう、なんて胡散臭いことを抜かしたので、目の前にあった水晶玉を持ち運びやすいサイズに砕いてあげた。

 そんな悪いことすると来世で幸せになれませんよって占い師がわたしに言ったけど、前世も来世もあったところで覚えてなけりゃ意味ねえよ。

 来世で幸せに? 知るかそんなもん。

 今幸せじゃなけりゃ、なんの意味もねえんだよ。


 屋上の縁に座り、安っぽい柵の間から足を宙に投げ出してみると、空を飛んでいるような気持ちになるかと思ったら案外そうでもなかった。

 下を見ると、車道を車がびゅんびゅん走っていて、手前の歩道も人がびゅんびゅん歩いている。

 地面にぶつかってぐちゃぐちゃになったわたしの姿を見せるだけでも迷惑この上ないのに、ぶつかったりしたらもう謝っても謝りきれないから、飛び降りるのは人がいないのを確認してからにしよう。

 わたしは意外と常識人なのだ。

 空を見る。

 夜の空は空というよりもはや宇宙だ、とわたしは思うのだが、世界中のみなさんはどうなのだろうか、聞くすべもないけれど。

 吸い込まれるような暗闇に、星、星、星、あれは飛行機、星。

 ほら、やっぱりこれは空ではなく宇宙だ。すばらしいじゃないか、空に透けて見える宇宙。

 宇宙飛行士を目指している勉強のできない少年たち、ホラ、夜空と思っていたそれを見上げてごらんよ。これは宇宙だよ、きみたちは知らぬ間に、もう宇宙を飛行していたんだよ。

 わたしたちはみんな、宇宙の中にいたんだよ、驚きだよね、知れてよかったね。

 そしてさようなら、未来あるこどもたちよ。


 心の中で呟いて、わたしは立ち上がる。

 ビルの下は固いアスファルト。

 このビルが何階建てかはよくわからないけれど、これだけ高いから、ここから落ちたら即死だろう。

 佑介と一緒だ。ぶつかった拍子にぐちゃぐちゃになって、死んだことにも気づかないくらいすぐに死ねる。

 待っていてくれ佑介、あの酔っ払いらしき団体さんが通り過ぎたら、おまえのところへ行ってやる。

 寂しがり屋のおまえのことだ、早くわたしに会いたくて仕方ないんでしょう。寂しがり屋はきみのほうだろ、なんて言ったらパンチするからね、まあ合ってるけど。

 うさぎは寂しいと死ぬっていうけど、なんで人間にはその機能がついてないんだろう。

 もしも寂しいだけで死ねるなら、わたしはこんな高いところから飛び降りるなんて苦労、しなくてすむのに。

 

 酔っ払いらしき集団は、真下を通りすぎている最中だ。

 なんなんだあいつら、歩くの遅すぎ。なんでそんなに蛇行しながら進むんだ。酒は飲んでも飲まれるな。

 そんなことを思いながら、柵に置いている左手を見ると、小指についたおもちゃの指輪が目に入った。コンビニで買ったラムネのおまけだったやつだ。プラスチックの、偽物のルビーが付いているやつ。

 佑介から貰ったんだ、これ。

 いつか本物のルビーをきみにあげられたらいいなあ、なんて呟きながら、佑介はわたしの小指にこれをはめた。

 ルビーの指輪なんていらないから可愛いワンピを買ってくれ、ってわたしは言い返した記憶がある。

 その返事に対して困ったように笑う佑介は、天使のように愛らしかった。

 まあ本当に、天使みたいなものになってしまったわけだけど。

 もう一度下をのぞくと、酔っ払いらしき連中はまだふらふら盆踊りみたいなことをしながらわたしの真下にいた。

 本当になんなんだあいつら。おとなってのは本当にダメな人間ばかりだな。

 押しつぶされたいのか、乗っかられたいのか、踏まれたいのか、そういう性癖か。

 おとなってのは本当に変態ばかりだな。佑介よ、若くして死してよかったな。あんなロクでもないもんなるもんじゃない。

 もう知らん、あんなやつら知らん。

 もうこれ以上待てない、落ちてやる。あいつらの脳天に向かって落ちてやる。


 勢いをつけて柵をのぼると、酔っ払いのひとりがわたしに気付いたみたいで声をあげた。

 ちくしょう、酔っ払いのくせになんでそんなに鋭いんだ、気づくなボケ。

 なんか下でわたわたしているけれど、もう遅い、逃げるならとっとと逃げろ。間にあえばの話だけど。

 そんな悪いことをこっそりと思いながら、わたしはビルの屋上から飛び降りた。

 飛び降りる瞬間に頭に浮かんだのは、佑介の恥ずかしそうな笑顔と、優しい声だった。


 世の中、いろんなことを言われているけれど、結果として何が本当かなんてわからない。

 いっぱい勉強しなきゃいけないとか、一生懸命働かなきゃいけないとか、罪を犯しちゃいけないとか、死んじゃいけないとか。

 おとなになればわかるのかなって思っていたけれど、わかっているおとななんていなさそうだから、きっとずっとわからないままなんだ。

 ずっとわからないまま、純粋で未来あるこどもたちは、生きていく中で擦り切れたおとなに洗脳されて、同じように擦り切れたおとなになっていく。

 そんな人生まっぴらごめんだ、なんて思って純粋なまま大きくなってしまった人間は社会からゴミのように弾き出される。

 わたしは擦り切れたおとなにはなりたくないけれど、ゴミにもなりたくないんだよ。わりと体裁を気にするほうだからさあ。

 だから、ねえ、せめて、きみの言うカッコいい大人ってのに、なってみたいと思うよ。


 わたしは生きていた。

 ほぼ死にかけてかろうじて生きている、なんて一番やばい状況になっているわけではなくて、そりゃある程度は打ちつけてしまって痛いけれど、我慢できる程度の痛みで、たぶんそんなに重大なケガはないと思う。

 なんで生きていたかというと、下にいた酔っ払い集団が寄ってたかって落ちてくるわたしを受け止めたからだ。

 わたし以上にダメージを受けていそうな彼らは、一様に笑顔で、よかったなあ、なんて言葉を掛けてくる。

 救急車が来るまでの間地面に寝かされていたわたしは、彼らの言葉に返事はせず、瞼を開ければ勝手に飛び込んでくる夜の空を見ていた。

 何個か星が見えるけれど、佑介はあのどれかになってしまったのだろうか。残念、わたしがもうちょっと背が高かったら届くのに。もっと牛乳飲んどきゃよかった。

 少ない星のなかで、一番強く光っている星に向って手を伸ばす。あれが佑介だと勝手に決め込んで、わたしは心の中で話しかける。

 ごめん佑介、死ねなかったよ。おまえのところに行けなかった、許してくれ。

 そのかわり、おまえの願いを叶えてあげようと思うよ。

 わたしの死ぬ一日前に死にたいってやつじゃなくてさ、別の願い。

 それじゃない、それでもない、そう、それそれ。

 確か、このおもちゃの指輪をくれたとき、言ったよね。

 きみが笑って明日を生きていてくれれば、おれはきっといつまでも幸せなんだ、と。

 恥ずかしそうにそう言うおまえの顔と、優しい声、今さっき思い出したんだ、うん飛ぶ瞬間だよ、あれが走馬灯ってやつかな。

 とにかく思い出したんだって、それ。

 こんなにも苦しくて悲しいのに笑わなきゃいけないなんて地獄かな。おまえはわたしにとんでもない宿命を背負わせてくれたようだ。最低だな。

 でも、わたしは死ねなかったし、正直に言うと飛び降りるの相当怖かったから、もう二度と自分から死のうなんて思わないと思う。

 だから、とりあえず笑いながら生きてみて、おまえの代わりにカッコいい大人になることにする。

 おまえはわたしが天国に行ってから困らないように、そっちで縁側のある庭付き一戸建てと可愛い犬を用意しておけ。

 おまえをことごとく忘れて、おまえよりもイケメンで有能な旦那さまとよろしくやって、そのうちイケてるおばあちゃんになって人生に飽きたころ、おまえに会いに行くからさ。

 寂しがり屋のおまえは、早くわたしに会いたくて泣いちゃうかもしれないけどね。寂しがり屋はきみのほうだろ、なんて言ったら背負い投げするからね、まあ合ってるけど。

 でも大丈夫、人間は寂しいからって死んだりするほど、精密にできてないんだよ。

 ねえ佑介。

「あいしてたよ」

 わたしとおまえの物語は、ハッピーエンドじゃなかった。でもデッドエンドでもないんだ。

 これから先のわたしの人生が、きれいなものになるという保証はない。

 けれど、自信はある。

 それはきっとおまえが、わたしの物語に入り込んでくれたおかげだと、思うんだ。

 うるわしき恋人よ。

 ありがとう、さようなら、そして、また会おう。



【さよならうるわしき恋人】おわり

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