無題 『先輩』
【作品情報】
『先輩』 作者 辰井圭斗
https://kakuyomu.jp/works/1177354054898297405
【紹介文】
私と三人の先輩の話。
初めて読んだとき「いいなぁ」と思ったのです。私の場合、一度こう思ってしまったら、所詮一時的な解に過ぎないとわかってはいても「何故そう思ったのか」という私なりの答えを出さなければ、どうにも気が済まない性分でして。
当初私は殊更美辞麗句に彩られているわけでもない──「美しいでしょう?」「完成度が高いでしょう?」ではなく「美しさ、見出してどうぞ」的な作品のあり方に"良さ"を見出したのではないかと。そう、自己完結していたのですが──。
しばし時間を置いて、改めて読んでみるとどうもそれだけではない気がするなと。
たとえば、贅肉のないスリムな文章こそ正義みたいな風潮あるじゃないですか。風潮と云いますか、物書き道を歩みし者なら知らぬ者などまずいないであろう真理。
だからこそ、他人様の作品に触れていて偶に思うところありません? もし私だったらここはもうちょっと削るかなとか、もうちょっと肉づけするかなとか。自身が過去手掛けた作品も含めて、多分ここ作者は試行錯誤したんだろうなって"痕跡"めいたものを見つけてしまうことってありません?
もちろん、あくまでめいたものなので──そこが事実工夫を凝らした箇所であるかどうかは本人のみぞ知るところなのですが。それでも、読者の経験値問わず"頑張って書いたんだろうな感"が伝わる作品ってあると思うのです。云わずもがな、私はこの感じを好意的なものとして受け入れているのだけれど。
この作品は──何と云いましょうか。そういうのがなかった。
いや、なかったは云い過ぎかもしれない。全く作者の中で推敲が行われなかったということこそ、まずあり得ないだろうし。ただ、強いて言葉にするなら、すごく希薄だった。
スキルとか知識とか頑張って積み重ねた私のこれまでです──ではなくて、生きてゆく過程で自ずと積み重なった私のこれまで──その何でもない断片を「はい」って差し出された感じ。
そこにあるのは、圧倒的なまでの"ただ書きました感"。
物書きってなまじスキルや知識が身についてきたら、読者から「すごい!」「クオリティ高い!」って思われる作品を書きたいところ、少なからずあるじゃないですか。そういう欲はないんですーと口では云っていても、ついつい小ワザ見せたくなるところあるじゃないですか。
そういうところだけを追い求めていくと、いつか文章を書いている理由がぼやけてしまう気がする。多くの人が自分の書いた作品を褒めてくれる! 評価してくれる! えっ、だから何? そういう感覚に陥ってしまう──気がする(書いている理由がわからないと気付くこと自体は良いことだと私は思うけどね)。
だからね、この"ただ書きました感"を忘れちゃいけないなって思った。
この作品に関しては、下から「すごいなぁ」とその才能を見上げているのではなくて、同じ高さにある個性を「ああ、いいなぁ」とただ見つめていたような印象を受ける。それに尽きる。
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