悪役令嬢は躊躇する
蒼衣 翼
第1話 冬のバラ
公爵令嬢ローズ・メイ・グリーンガーデンは、自慢の庭を眺めながらテラスでのお茶のひとときを楽しんだ。
季節はまだ冬だが、王都はめったに雪が降らないので、常緑の庭の木々が青々と生気を放っている。
この日のように春を先取りしたかのような暖かさの日には、テラスに出てお茶を飲める程度には王都の気候は穏やかだ。
「あの辺りに、冬バラを植えていたと思うのだけど、あまり目立たないわね」
ほうと息を吐き出しながらローズは言った。
「花が少し小さいうえに葉が大きいせいで、埋もれてしまうようです。庭師が苦労していました。ただ蕾は多くついているので、そろそろ見頃になるとのことです」
答えたのは傍に控えている家令見習いの少年だ。
名をイツキ・マーチ・グリーンレイクと言う。
「しかし、可憐な冬バラはお嬢様にはお似合いにはならないと思いますよ。何しろ悪役令嬢なのですから、やはり豪華な大輪のバラこそが相応しいかと」
「お前はほんと、そんな世迷い事ばっかり」
「いや、本当に俺、じゃない私は別の世界から転生して来たんですって。そこで見た乙女ゲームのキャラクターとして、お嬢様のお名前も、リリア様のお名前も、ピアニー様のお名前も全部一致していたんです。間違いありません」
「あなたの夢の話はともかくとして」
「夢じゃないですよ?」
「我が家の忠実な家令としては、そろそろ日が陰って冷えて来たことに何かあってもいいのではなくって?」
ローズは飲みきった紅茶のカップをソーサーに戻すと、憂鬱そうに庭を見る。
初夏には天上の花園のごとしと言われるグリーンガーデン邸のバラの庭も、冬には退屈な緑の茂みに過ぎない。
しかもところどころ葉を落とした蔓が寂しくアーチに巻き付いている。
やはり冬には冬向きの庭でお茶を楽しむほうがいいようだとローズは思った。
だが、彼女自身が庭師に頼んで冬バラを植えてもらったのだから、主としてはその出来を確かめる義務がある。
「お嬢様こちらを」
まだ見習いの家令は大きなストールをローズに着せかけた。
二十点、いや大まけにまけて四十点か。
名高いグリーンガーデン公爵家の王都の館付きの家令としてまだまだ修行中のイツキは、家令修行よりも前世で見たという乙女ゲームなるものが気になるようだった。
(リリーも可哀想に)
そう思って、いやと、思い直した。
ローズの妹リリアは、イツキのそういうおバカなところも好きなのだと言うだろう。
そのことを考えると頭痛がするローズだった。
「そろそろ部屋に戻りますわ」
「お嬢様、あと一時間ほどで学園の制服の採寸の時間です」
「ええ、覚えています」
「とうとう始まるんですね、十二の秘宝と楽園の扉の物語が!」
イツキが息を弾ませてやや興奮気味に語る。
もう何度も聞かされたローズはややうんざりとした顔で言った。
「まだでしょう。物語が始まるのはリリアが学園に入学してから。今年入学するのはわたくしですよ」
「あ、申し訳ありません。つい興奮してしまって」
実はイツキはローズよりも一つ年上なのだが、ゲームが実現するかどうかを自分の目で見たいとか言って、入学を一年遅らせていた。
筋金入りのバカだ。
「あなたのほうの採寸は済んでいるの?」
「俺は兄貴のお下がりを譲ってもらうんで」
「わ・た・し」
「あ! 失礼しました! 私は兄の制服を着るので大丈夫です」
確かにグリーンレイク家の兄弟は皆体格が似ているが、いくら男爵家と言ってもお下がりを着るというのは少々問題がある。
何しろグリーンレイク家は男爵と言えどもグリーンガーデン公爵家の分家であり、領地の一つを任せている代官でもあるのだ。グリーンレイク家の醜聞はグリーンガーデン家の醜聞でもあった。
「我が家の未来の家令がお下がりを着ていると言われるのは我が家の恥です。あなたも採寸して新しく作りなさい。そもそもグリーンレイク家はそんなに財政が逼迫していないはずですよ」
「そうなんですけど、面倒くさいというか、もったいないというか」
ローズは頭を抱えた。
何がどうなったのか知らないが、グリーンレイク家の一家は庶民的な気質で、ちょっとした贅沢にも気後れするという有様なのだ。
「外国の血が入りすぎたのかしら?」
グリーンレイク家は代々外国から嫁を迎える当主が多く、さらには別種族の嫁さえいた。
家令見習いとしてローズに仕えているイツキがこの国では珍しい黒髪黒目なのもその影響であるようだった。
本人は異世界からの転生のせいだと頑なに信じているようだが。
「とにかくあなたの制服は新しく作らせますから」
「はい! お嬢様」
こんな男だが、実はローズの妹のリリアの片思いの相手なのだ。
もし妹がイツキと結婚したら義理の弟になってしまう。
(私が頑張ってこの男をまともにしなければ!)
ローズは強く決意する。
その当の本人が「ローズ様が悪役令嬢として破滅しないように頑張らなければ!」と強く決意しているとは思いもせずに。
もうすぐ波乱の学園生活の幕が上がる。
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