海の音のように歌ったら

@hisoku

第1話海の音のように歌ったら

あぁ、そうか、これは夢だ。

目覚めた瞬間そう思った。

懐かしい、いつかの夕焼け空の隠れ家の中、

優しい潮の香りに海の見える小さな隠れ家の朱い温かい光が差す中で双子の兄、汐宇ユウが歌っていた。

低くてやわらかい声が私を包む。


緑の海よどうか優しく歌っておくれ

懐かしい故郷に届くように

赤い光よ照らしておくれ

僕の涙が分からないように

真実を知る星よ、どうかー


ギターに合わせて歌う汐宇は優しく笑ってる。

あいつは昔からよく笑ってた、私が下手くそに合わせて歌っても、微笑んでギターを弾いてくれた。

いつも一緒で、私と汐宇はまるで二人で一つみたいだった。

この夢でいつも私はこう言う。

「ねぇ、どこにいるの。」

音もなく泣きながらかつての汐宇を見る。

私を見ながらあの子は、困ったように、 やっぱり笑っていた。


 目覚めると涙で頬がカピカピになっていて、涙が張り付く感覚が気持ち悪かった。

「久しぶりにこんな夢見たな…。」

きっと、この潮の匂いのせいだ。

10年前、2010年の夏に失踪した双子の兄。

優しくて、大好きだった、よく二人っきりで秘密の演奏会をした。

(どうして…急に消えたのよ、)

何も言わずに、誰にも、私にさえ言わないで。

(生きているのか、死んでいるのか、それすらも分からないなんて…。)

汐宇が消えてから今年でちょうど10年が経つ。

桜は散り、葉が青々しい夏。

2020年、この年に私は住み慣れた故郷を出て、都会の大学へと進学する。

その前に、汐宇ユウの失踪の手がかりを知りたかった。

ずっと家では汐宇の話はご法度で、何一つとして情報はない、あてもない。

でもこのまま、何もかもがあやふやなままでは嫌だったのだ。

引越しの準備も全て終わって、私は久しぶりに昔、私達家族が住んでいた海が近くにある小さな町に来ていた。

「…もう、8時、そろそろ準備しないと、か。」

昨日の晩にこの町についた為、この宿を見つけ、就寝するまでに大分時間がかかってしまったので、正直まだ眠い。

そもそも私はあまり朝は得意ではないんだ。

体を無理やり起こし、朝の準備を始める。

最後に汐宇と柄が合わせになっているペンダントを手に取った。

銀の長方形に兎が上を見つめている模様は汐宇の月のペンダントと合わせると兎が月見しているようになる。

私はこの兎に長く月見をさせられていないのだ。

兎を手で握ると銀の冷たい感触がした。


「うわぁっ」

バタンとドアを開けると男の人と思い切りぶつかった。鼻が痛い。

「ご、めんなさい!」

はっと見たら、同い年くらいだろうか。

高い位置にある色素の薄い髪が揺れている。

いてて、とその人はいいながらこちらを見て切れ長の目をぐっと見開いた。

「え、君……し、汐夏?」

次は私が目を見開いた。

朝日奈汐夏、確かにそれは私の名前だ。

でも、私の目の前の人のことなぞ全く知らない。

「えっ…と、すみません、どこかであったことが?」

そう言うと不思議そうに見られた。

まるで私が変みたい。

「………本当に、覚えてないの?」

少し悲しそうに言う見知らぬ人になんだが申し訳なくなってくるけど知らないものは知らないし思い出せない。

「すみません…えっと、もしかしたら人違いとかでは?」

右目の下に黒子はあるけど、それ以外は特別何かが目立っているわけでもなく、平々凡々だ。汐宇の場合は同じような顔とはいえ男ということでまだ線の細い小綺麗な顔として目に止まるが、私の場合なら誰かに間違われたというのもあり得ると思った。

でも、この人は今、汐夏と言った。

名前まで当てられるとなると人違いとは言い難いかもしれない。

当の本人を見上げると悲しそうに、でも少し怒ったような顔をしていた。

「そ…っか、でも、帰ってきたんだ。」

そう言って俯いてしまった。

心は少し痛むがこの人に今声をかける言葉を私は持ち合わせていない。ごめんなさい、と小さく、軽く言って去ろうとすると待ってと声をかけられた。

振り向くと小さい紙切れに何やらを書いて渡される。

「もし、万が一思い出したら…。」

そう言い残して反対の方にさっさと行ってしまった。なんだんだ、いったい。

紙を見ると殴り書きに住所が書いてあった。

「…いや、何がなんでも怪しすぎるでしょ。」

なんとなく無造作にジーンズのポケットに突っ込んで、私もこの宿を足早に後にした。

外は潮の香りに満ちている。


 そういえばさっきの人、名前聞いてないぞ。

なんて思いながら、とりあえず夢にまで見た秘密の隠れ家まで向かう。

道は私が思い描いていた風景とは違っていて時の流れを感じた。

田んぼに畑の匂い、少し行くと商店街に住宅地、潮の匂いと遠くに感じる海だけが変わらなかった。

慣れない道を歩いたからか喉が渇く。

飲み物を買えそうなところを探すと駄菓子屋を見つけそこへ立ち寄った。

昔ながらの駄菓子屋の中、緑、青、黄色のゼリーにグミ、お煎餅、当たりつきのチョコレート。子供の小さなご馳走だ。

少し楽しくなりながら小さめの冷蔵庫からビンのジュースを取り出して、お会計に向かう。

「すみませーん」

はいはい、と言って出てきたのは背中の丸まったおばあさんだった。

台にコトンとジュースを置く。

「これください…あっ。あと、この飴も1つ。」

横にあった紐付きの飴、買うつもりは無かったのだけど、つい欲しくなってしまう。

「はいよ、……あ、れま。あなたもしかして汐夏ちゃんじゃないかい?」

「………え?」

なんだかデジャヴなシチュエーション。

おばあさんのほうをみると小さい目をまん丸にしてこちらを見ていた。

「あぁ、なつかしいねぇ、よくお母さんと来てこの紐飴買って行ってた子が、まぁ、大きくなって…。」

ここに来ていた?私が、母と?

「…あっ、それ、多分汐宇の方じゃないでしょうか。」

汐宇が母と一緒にここへ来ていたのかもしれない。性別は違うが双子だ。小さい頃なら尚更間違えていたとしてもおかしくない。

だけど、その後おばあさんが言った事に私は固まった。

「汐宇…?聞いたことがない名前ねぇ、汐夏ちゃんのお友達だったかい?」

「…私の、双子の兄、です。」

少し、おかしいと思った。

少なくとも私にこのおばあさんの記憶はない。でも、もしおばあさんがを知っていたとしたら、汐宇のことを少しは知っているはずだ。私はずっと汐宇のそばにいたから。

「え、双子?そんなことはないさね、だって汐夏ちゃん」

だったじゃない。

その瞬間えっ。と言う声と共に目を見開いた。戦慄、震慄、身の毛がよだつ。

おばあさんの勘違いなら、それでいい。

でも、なんだか嫌な予感がじわじわと肌に纏わりついて離れない。冷たい汗がその肌を伝っていく。

頭の奥で人の声みたいな波の音が聞こえた気がした。

 

 ただただ確信が欲しくて、私達が通っていた幼稚園、小学校へと走った、先生なら誰か一人でも汐宇を覚えていると思ったのだ。

でもそこで私は愚かにも初めて気がついた。気づいてしまった。

誰一人として私はここにいた時の頃のの記憶を持っていないことに。

先生、友人、近所の人。

誰一人としてわたしは知らない。どうして?

10歳までの記憶はある、汐宇との思い出も。幼稚園に通ってたという記憶も、小学校の入学式の記憶も。でもそこに人はいない。

なんだかとても、気持ち悪かった。

ふらふらと知っているはずの町を歩くが違和感は取れなくてー。

堪らず、よろよろと空に屈する様に道の端っこに座り込んだ。

「これは、どういうこと?………怖い。」

私が知らない町は私を知っているのに、そこに汐宇はいない。いや…この町にいた私は、本当になのか?

潮の匂いが鼻腔にこびり付いて吐きそうだった。まるで朝とは大違いだ。朝…。

(朝会った人は、何を言っていた?)

『………本当に、覚えてないの?』

悲しそうなのに、少し怒った様にして言った私を知っているという男。

『もし、万が一思い出したら…。』

そう言って渡された紙を取り出すと、殴り書きされた住所。それをスマホで調べると、そこはなんと、汐宇と私の隠れ家だった。


 潮の香りのする隠れ家への道は迷わなかった。記憶通りにその家はあり、海が見え、潮は鼻にこびりつき、夕焼けが朱く照らす、人里離れた崖の上。

近くまで行くとギターの音色が風になって聞こえて来た。扉は開けっぱなしに、朝に会った男が弾いているのが見えた。

音に誘われる様にして近づくと男は海を見ながら話し出す。

「…10年前、友人がここで消えた。ギターが上手くて、良く笑うやつだった…。」

ギターを置いた腕に、夕焼けは真っ赤な影を落としていく。

「良くここで秘密の演奏会をした…楽しかった…だけど、俺は10年前、約束した時間に行けなかった。夜遅くに出掛けていたことが母親にバレてしまったんだ。その日愚かな俺は友人を待たせたまま次の日謝ろうと温かいベッドで一人眠った。………その日、深夜に大雨が降った。」

ゆっくりとこちらを向いた。

夕焼けが沈んでいく、やっと見えた表情は辛そうに、悲しそうに、でも、怯えているようだった。

「馬鹿な俺は朝にその事を知り、後悔した。あいつのことだ、ずっと、約束通りに待っていたのではないかと…。朝になってここへ駆け込んだ、無我夢中に、嫌な予感は、していたんだ。」

私は黙ってその話を聞いていた。

音もなく立ち上がった男の色素の薄い目が見つめる。

「約束のこの場所に、汐宇はいなかった。」

「………その代わりに私がいた。」

汐宇の友人は私の目を見たまま頷く。

頭の中で、海の音が響いてる。

「……この世界は汐宇を忘れ、その代わりに、汐宇の双子の妹だという君を受け入れた。約束を破った俺だけを残して。」

視界が眩む。私は今泣いているのだろうか。

夕焼けは名残だけを残して海に消えた。

「あれから夢で汐宇を見る。…なぁ、お前はいったい、誰なんだ?」

光をなくした空の下で、茶色の目に私は月を見た。風にのって、歌が聞こえる。

夢みたいに合わせて歌えば、海は私を返してくれるのだろうかー。
















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