第二章. 娘は勇者! パパは聖女!?

020. 木原純夏

 目覚ましの電子音に叩き起こされる。その不快さに表情を歪めながらも右手でアラームをストップ。上半身を起こし、ううんと背を伸ばす。

 

 目をこすりつつも立ち上がり、がらがらとガラス戸を引いて居間へと移動。

 

「ふあ……おはよ。母さん」


 あくびをしながら朝の挨拶をするが、返事は無い。そういえば今日は早出だったと言っていた。ちゃぶ台の上にはラップで包んだ朝ごはん、それと昼用のお弁当がある。

 

 線香の臭い。


 今日も母は甲斐甲斐しく手を合わせていたらしい。そんな事をしても喜ぶ者はいないというのに。小さな仏壇の前にある写真の中では、憎たらしいほど顔のいい男がダブルピースをキメていた。


 朝食を食べ、ごちそうさまをした後、制服に着替える。白を基調としたブレザーにスカートだ。壁にかけられた鏡を見ながら髪を整え、格好に問題ない事を確認。スマホとカバン、玄関のカギを持てば準備完了だ。

 

「行ってきます」


 返事する者は誰もいないのだが、ついついクセで言ってしまう。玄関を閉め、階段を降り、道路に降りる。

 

 二、三歩ほど進み、ふと「カギ閉めたかな?」と思いアパートの二階部分を眺める。……いや、閉めたはずだ。まあ泥棒が入ったとしても取る物はロクに無いのだが。

 

 歩きながらイヤホンを耳にはめ、携帯のミュージックプレイヤーを起動。日本語とドイツ語が交互に耳に流れる。学校まで早歩きでも三十分以上かかるのだから、その間何もしないのは勿体ない。

 

 

 

 単語を覚えながらも道を歩いていると、ようやく学園の姿が見えてくる。非常に立派な建物だった。


 私立星爛セイラン学園。

 

 名門中の名門であり、旧華族や大企業経営者の子息、あるいは子女が数多く所属している学園だ。

 

 最近立て直された校舎は新しく、デザインも今風で、校内も綺麗に保たれている。地価が高いにもかかわらず敷地面積は相当に広く、各種部活動が余裕をもって活動できるだけの施設も存在する。高額な授業料と寄付金。そのお陰で学園の財政は豊かであり、学ぶための最高の環境が用意されているのだ。


 正直、今の彼女には不釣り合いな場所だ。しかし、とある理由から星爛学園へと入学する事を決めたのだ。

 

 返済不要の奨学金。かなりの成果を求められるものの、彼女にとってはそう難しく無い。現に、入学した当初より学年一位の座は誰にも譲っていない。

 

 警備員のいる門をくぐり、敷地内へと入る。

 

 周りでは友人同士と思わしき生徒たちが挨拶を交わしあい、和気あいあいとしていた。……が、彼女が来た途端、その一部が静まってしまう。

 

 濡れたような艶を持つ長い黒髪に、珍しい黄金の瞳。女性らしさを感じさせつつもバランスよく整った体。百人に聞けば百人全員が美人と評するだろう。

 

 木原キハラ純花スミカ

 

 学園内でその名を知らぬ者はいない。美しき少女として。あるいは才女として。故に彼女に注目する人間は多く、ただ歩くだけでも多くの視線を集めていた。

 

 が、話しかける者は誰もいない。凛々しいというより近づき難い雰囲気のせいだろう。見惚れる、あるいは疎ましそうな視線だけが送られていた。

 

 それらを無視し、教室へと入る。挨拶は無い。純花もしないし、周りもしない。

 

 無言で席に座り、本を取り出す。有象無象の関心よりも学業が大事なのだ。今はまだ二年生だが、大学入試やその先の就職を考えると一つでも多くの知識を得ておきたい。

 

 周囲にもそういった勉学に励む人物は数人いる。彼女と同じ奨学生組だ。

 

 だが、そういった境遇の者は……

 

「おいおい。また勉強かよ。ちょっとはクラスに溶け込めよな」

「俺らとも話してくれよ。なあガリ勉くん」


 前の方の席で、一人の生徒が囲まれている。囲んでいる者は髪を染めたりピアスをしたりと、あまり品のいいとはいえない格好の者たちだ。

 

「ご、ごめん。予習しなくちゃいけないから……」

「はー? 別にいらなくねえ? 頭いいんだからそれくらい余裕だろ」

 

 絡まれた者はまごつきながらも穏便に切り抜けようとしているが、そういった空気を読む者たちではない。というより読んだ上で無視しているのだろう。

 

 多くの学校と同じく、ここでもクラスカーストというものは存在する。

 

 しかし、その基準は特殊。性格、容姿、能力……そういうものも関係なくは無いが、何よりも重視されるのは――親の社会的地位。

 

 富裕層が集まるこの学園でも豊かさの程度はまちまちであり、大企業経営者から中小企業の小金持ちまで多種多様だ。当然、社会的影響力が大きければ大きいほどクラスカーストは高いと言っていい。

 

 その中でも最底辺が彼ら奨学生組だ。

 

 星爛学園は偏差値の高い部類ではあるが、それでも随一という訳ではない。偏差値の高さだけなら優れた高校は他にもたくさんある。名門校としてそれはよろしくない。故に、奨学金というものをエサに優秀な若者を集めていた。家柄や貧富を問わずに。

 

 しかし、そういった人間を気に食わない者たちは一定数存在する。出自を理由に、『あのような輩はこの学園に相応しくない』などと考え排除しようとするのだ。あの品の悪い者たちもそういった考えなのだろう。

 

 絡まれた生徒は視線を泳がせて助けを求める。が、誰も助けない。同じ奨学生組は彼の二の舞になりたくないし、他の者にとっては助けるメリットが無い。あの品の悪い――不良と仮称するが、不良たちに歯向かうのはまだいい。が、その上に存在する者は別だ。

 

「おっはよー!」

「うーっす」

「おはようございますー」


 三人の女生徒が教室へ入ってくる。彼女らがこのクラス……いや、学内におけるトップカーストのうちの三人である。

 

 エンタメ系大企業グループ会長の孫で、その可愛らしい容姿でモデルデビューしている少女、タチバナ 百合華ユリカ

 

 オリンピック選手を多数輩出する家系に生まれ、自身も空手で全国一位というスポーツウーマン、早乙女サトオメ 勝美カツミ

 

 旧華族の一族で、柔和な雰囲気なれど高貴さも併せ持つ女性、近衛コノエ 京子キョウコ

 

 出自のみならず、自身も優秀かつ見目麗しい三人の少女たち。当然の如く学内での人気も高い為、ミーハーな者たちは彼女らを含めた六人を指して”六卿ロード”と呼んでいたりもする。

 

 奨学生組を助けないのは、彼女らのうち一人がガチガチの家柄主義だからだ。変な仏心を出して目を付けられたくはない。他の二人はそこまで気にしていないようだが、特に何も言わず黙認しているので、彼女らに倣うのが賢い選択である。

 

 故に、助けられるとしたら同じ地位の者だけだ。

 

「諸君、おはよう」

「……おはよう」

「おはよー!」


 しばらくして入ってきた三人の男子生徒。彼らが六卿の残り三人だ。

 

 旧財閥の頃から続く皇グループ、その次期当主として期待されるスメラギ 大雅タイガ

 

 元武家の剣術家で、剣道では全国二位の不動フドウ タケル

 

 一代にして世界的企業を立ち上げた草壁家の長男、草壁クサカベ 彩人アヤト

 

「ん? 何してんの?」


 そのうちの一人、彩人がニコニコしながら不良に話しかける。

 

「お、おお、彩人くん。いや、俺らは……」

「その……そう! 友達になりたかったんだよ! クラスメイトとして、なあ!」

「お、おう!」


 少し焦りながらも返事を返す不良たちに、彩人は笑顔のままに言った。


「ふーん。でもさ、今は浩一くん勉強してるんでしょ? 邪魔は良くないんじゃない? ね!」

「そ、そうだよな! ごめんな浩一くん! 勉強の邪魔しちゃって!」


 そそくさと去っていく不良たち。浩一という名の生徒はほっとした表情になり、小声でお礼を言った。


「あ、ありがとう彩人くん」

「いいよ。勉強頑張ってね」

「う、うん……!」


 さわやかな顔をして歩き去る。金髪でいつもニコニコしている軽薄そうな雰囲気の彩人だが、正義感が強いらしく、ああいった行為にはそれとなく注意するのだ。この学園では珍しく誰とでも仲良くしようとするので、彼を慕う者は多い。

 

 その中には同じ六卿ロードの女性も含まれており、百合華が「彩人くーん!」とテンションを上げながら駆け寄っている。

 

「おはよ! 木原さん!」


 が、彼が先に声をかけたのは純花だった。どうやら彼の仲良くしたい範囲には純花も含まれるようで、毎日のように話しかけてくるのだ。


 ちらりと目を向け「おはよ」と返す。続けて何かを喋ろうとする彼だが、それを無視し、視線を手元の本に戻す。あちらの意思はどうあれ、こちらは馴れ合いより学業が優先なのだ。

 

 今日も相手にされない事を理解し、肩を落としながら去っていく彩人。彼の友人らしき者が呆れつつも慰めている。


 教室中から敵意の視線。彩人を袖にしたのが気に食わないのだろう。特に百合華のものなど憎悪を感じるほどであった。


 少しだけうざったく感じ、ちらりと一瞥。すると百合華は怯えるような表情を見せ、目を背けてしまう。

 

 そんな凍った空気の中、始業のチャイムが鳴り、中年の男が入ってきた。

 

「お、おはようございます。み、皆さん、宜しければ席について下さい」


 ぺこぺことへりくだりながらお願いする男。担任の教師だ。白髪交じりの髪に、野暮ったい四角の眼鏡。スーツ姿できちんとした身なりだが、その気弱そうな雰囲気からどこかだらしなく見えてしまう。

 

 生徒たちが着席したのを確認した教師は出席を取り始める。その間も純花は学習を継続。日和見主義な教師なので特に注意もされない。そういう意味だと良い教師に当たったと言える。

 

「……以上です。それじゃこれから連絡事項を……ん?」

「えっ、な、何よこれ!?」

「誰だよ! 変なイタズラしやがって!」


 何やら辺りが騒がしい。少しだけ気になり視線を本から離すと――教室の床が光っている?

 

 異変を感じて立ち上がり、この場を離れようとする。しかし次の瞬間、目がくらむような閃光が放たれ、反射的に目をつぶってしまう。

 

 周囲から音が無くなり、代わりに誰かの声が聞こえてくる。いや、聞こえるというよりは脳内に直接入ってくるような感じだった。

 

『……あ…………仕方な………………せめて、祝福を………………』

 

 女性の声。少なくとも知っている声では無い。壊れたラジオのようにとぎれとぎれで、内容はよく分からないが……。

 

 しばらくして、光が収まったのをまぶたの裏で感じる。少しずつ目を開くと――

 

「…………え?」


 そこは教室ではなかった。石造りの大きな広間。周囲には神官のような法衣を身に着けた者たち。

 

「……は?」

「何? 何なの一体?」

「ちょ、ここどこだよ!」


 混乱の声を上げる生徒たち。対し、神官たちは喜びの声を上げている。何が何だか分からない。

 

 ――ふと、名前を呼ばれた気がする。

 

 そちらを向くと、桃色の髪をした少女がいた。自分を見て驚いている様子だが、知ってる顔ではない。あのような奇抜な髪色なら忘れようもないので、呼ばれたのは気のせいだろう。

 

 そうしていると神官の中から金髪の優しそうな女性が前に出てくる。そして笑顔のままに言った。

 

「ようこそお越しくださいました。勇者様方」

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