ラストオーダー・とあるシェフ

 男は毎日、幸せだった。幸せな家族、幸せな食卓、幸せな日々。父、母、妹が居て、囲まれて、囲んで、一緒に食事をするのは何よりも大好きだった。


「おかあさんのごはんは、どうしてこんなにおいしいの?」


 ある時、少年だった男は尋ねた。


「それはね、おかあさんが××達のことを想って作っているからよ」


 料理を食べながら、男は更に聞いた。


「あのね。みんなでごはんをたべるとね、むねがポカポカするんだ。たのしいんだ。どうしてなの?」


 それはね、と母は優しく微笑んだ。


「心から愛する人達と一緒に食べているからよ」


 そんな時、パシャリという音と共に光が差した。食事中だというのにカメラが趣味の父は男と母の問答の様子をフィルムに収めたのだ。パパ行儀が悪い~、と妹は唇を窄めて言う。父は苦笑いを浮かべながらも、そんな妹の姿も含めて写真を撮り続けていた。

 母の言葉を聞いて男は思った。大好きな人達と一緒に囲む食卓がこれほど美味しいのならば、その大好きな人達は〝いったいどんな味がするのだろう〟と。初めのうちはそう思っただけで口には出さなかった。けれども、月日を重ねるたびに男の考えは深く、欲し、求め、気づいた。

 自覚したが最後、今度は何を食べても満足しなくなった。例えそれが大好きな人達と囲む食卓であっても。何かを食べれば確かに空腹は満たされるが心は満たされない。あの時、感じていた幸せを味わえないのだ。しかし、人が人を食べるだなんてことは異端であり決して犯してはいけない罪だ。自身を律し、言い聞かせ、ひたすらに我慢を繰り返していた。

 想いが募る日々は続いていく。

 ある日、家族がだれも居ない時、父親のパソコンを使ってある事を調べた。それは「食人文化」についてで、古くからそういった文化があると知っていたが様々な記事を読み終える度に男は心底悲しんだ。そういった類の記事の名前にはすべて「事件」と記されていたのだ。男が読みたいのは〝事件〟ではない。無差別に人を食べたいわけではないのだ。〝愛した人を食べたい〟のだ。だというのに、記事を読む限り男と似た想いを抱いて人を食べた人間はいないと知り、ただただ残念だという気持ちに駆られた。失望したと同時に、男はパソコンの電源をコンセントごと抜いて落とした。

 男が十九歳を迎えて数日――飢えは、とうとう限界に達した。ついに禁忌を犯したのだ。

 休日の穏やかな昼下がり、買い物に出かけた父と母を見送った後、男はすぐさま台所へ向かった。日頃から男が丁寧に磨いていた包丁を片手に、妹の居るリビングへ静かに歩を進める。ソファの上でだらしなくくつろぎ、テレビの漫才番組を観て笑っている妹を眼下に捉えた。どうしたの? と笑いすぎて流れでた涙を手の甲で拭った妹の心臓を一刺しした。体重を乗せれば骨は砕けずぶずぶと刃は体の中へ沈んでいく。妹がこと切れるまでに時間はかからなかった。何が起こったのか理解できていない表情のまま生を終えた妹を抱き上げ風呂場へ。包丁を抜くと血が噴出し、男の肌を汚した。昔、父親と魚釣りをした際に教わったことを思い出し、大きな血管がある場所を切って血抜きを行った。

 妹の血抜き作業をしている最中、忘れ物をしたらしい母が返ってきた。だから――背後から襲って首を切って殺害した。母の帰りがあまりに遅いものだから、車の中で待っていた父が痺れを切らして家に戻って来た。母の変わり果てた姿を見て悲鳴を上げそうになったところを、父が大切にしていたゴルフクラブを使って撲殺した。父には大変申し訳ないことをしたと思う。二人のように、痛くないように下拵えができなかったから。

 三人分の血抜き作業を風呂場で行った後、妹は生肉のまま刺身に、母はソテーに、父はスープにした。食べきれない分の肉は小分けにして冷蔵と冷凍庫に入れて保存した。心から愛した家族はこの世の何よりも美味しく、まさに天にも昇る気分だった。飢餓にも似た心の飢えは満たされたが、程なくして、寂しさを感じ始めた。食事は「人と一緒」にするものだ。「大好きな人」「心から愛した人」と一緒にするもの。しかし、愛した人は最高の食材。最高のスパイス。最高の料理。

 愛した人達を共に食べる仲間が欲しい。「人食い」をする仲間が――男は料理に舌鼓を打ちながら、ぽろぽろと涙をこぼした。

 だから、探すことにした。

 同じ気持ちを、同じ感性を、同じく愛しい人を食べる喜びを分かり合える仲間を、男は探し始めた。

 家族を綺麗に食べつくした後、男は必要なものだけを持ち姿を消した。幸い近所付き合いはあまりなかった為、男と、男の家族が姿を消したことに気づかれなかった。

 成長した男は料理人になった。愛しい食材をきちんと捌けるように、下働きしていた際に世話になった一流の料理人達も認める程の技量を手にしていた。その間も、どこかに自分と同じ者が居るはずだと時間を見つけては懸命に探し続けていた。インターネットの匿名掲示板を使って調べたりもしたが、反応してくれる人達はどこまで〝本当〟なのかはわからなかった。

 一度だけ、すこぶる気の合う者と出会えた。何度か掲示板でやり取りをした後、連絡先を交換し、ある日、最寄りの駅で会う約束をした。その者も幼い頃、男と同じ気持ちになったという。けれども愛しい者達を食すまわけにはいかず、ずっと飢餓状態を味わっていると言う。待ち合わせの場所に現れたのは、髪の明るい若い男だった。ハンドルネームを互いに告げて軽く世間話をし、相手が予約していた居酒屋へ向かう。席に着き、注文を終え、さっそく本題を切り出すと男は大きく笑った。


「いやいや、あんなのただの冗談だから。あんたの話が面白くて合わせただけだよ」


 その言葉に男の熱は瞬時に冷め、自身の思いを秘め隠し、適当に話を合わせて早々とその場を解散した。それ以降、連絡を取っていない。

 やはり居ない、現れない、同意されない。焦燥感と虚無感、そして――絶え間ない更なる孤独を感じた。

 それでも男は諦めなかった。諦めずに下働きを続け、半ば無理をしてではあるが店を持つまでになったのだ。もしかしたら自身と同じ人間が客として来てくれるかもしれないと淡い期待を抱いて。

 男は独立し、小さいながらも自分の店を出した。古い洋館をリノベーションした店はリーズナブルな値段と味の美味さで口コミを中心に評判となった。店を開ける前に必ずテーブルマナーを記した手紙を一つ一つ手書きし、料理を出す前に添えた。一日の終わりにはノートに客の特徴と提供したメニュー、料理に使った食材を残した。連日、客足の絶えない人気店にまで登りつめた為、一人では賄いきれず大学生の青年をアルバイトに雇った。端正な顔立ちをした青年は一見モデルか何かと見間違え、取っつき難いかと思いきや、人懐っこい笑みを浮かべてあどけなさがあった。ホールを任された青年の働きは素晴らしく、てきぱきと客の接客を行ってくれ、男は料理に専念する事が出来た。青年のお陰で作った料理の写真を提供する前に撮れるようになった。

 青年は誰に対しても分け隔てしない性格だった。今まで一人だった男も、青年に対しては徐々にだが心を開き始めていた。だから――自分の気持ちを、考えを、孤独をすべて打ち明けてみようかと考えた。だが、過去のことを思い出してとどまった。


「――……、シェフ!」

「っ!? あ、ああ。君か」


 いつの間にか厨房に戻って来ていた青年に声を掛けられ我に返る。そうだ、今は料理を作っている最中だった。新しい皿に料理を盛り付けると青年に渡す。銀色のカートに同色のカトラリーと、受け取った料理をのせてせっせと動く。厨房を出る間際、一度足を止めて振り返った。


「料理、お客さんが美味しいって言っていましたよ」

「……ありがとう」

「最近、何か良く悩んでるように見えるんですけど……僕で良ければ話、いつでも聞きますからね!」


 そう言い残して青年は足早に厨房を後にした。笑顔で言われたものだから、男の胸に何かがちくりと刺さった。話を聞いてもらおうか、否、しかし――……結局、その日に打ち明けることはしなかった。

 ほどなくして、青年から彼女を紹介された。給料も入ったばかりだし、美味しい料理をごちそうして欲しいとせがまれ連れて来たのだと言う。青年曰く、実は将来結婚も考えている、と厨房で密かに教えてもらった。彼女は大人しい感じのおっとりとした女性だった。青年と同い年らしいが、慣れていない化粧と顔立ちの所為で随分と幼く見えた。実は高校生なのでは? と冗談交じりに言うと、青年は急いで否定し、彼女の方は若く見られたのが嬉しかったのか、喜んでいた。

 店の雰囲気と料理の味、そして冗談の通じる良いシェフだと彼女の中で認識されたらしく、青年がアルバイト中でも彼女は友人達を連れて度々足を運んでくれるようになった。いつもすみません、と青年は厨房で謝っていたが、絶対に逃がすなよ~? と釘を刺すと照れ臭そうに笑っていた。

 ある日、彼女から直接店に電話がかかりプライベートな相談があった。それは、三日後に迎える青年の誕生日祝いとして店を予約したい、という内容だった。もちろん、男は快く了承する。その日はたまたま他の予約等も入っていなかった為、二人だけの貸し切りにすると伝えた。ありがとう! と礼を言う彼女の声は本当に喜んでいて、こちらまで笑みがこぼれる程だった。幸せそうな声音。いつも見ている微笑み合う二人の姿――ふと、男はあることを思いついた。

 愛しい人を食べれば、青年も自分と同じ気持ちになるのではないか? と。

 深く、息を呑む。電話を切ろうとした彼女を呼び止め、予約した当日は早い時間に来て欲しいと伝えた。二人で誕生日の飾りつけをしようと提案すると、わかりました! と彼女は元気よく返事をして終話した。

 そして――誕生日の当日。彼女は約束通り、予約時間より早く店に来てくれた。青年には夜の19時頃に店に来るように伝えてあると言う。料理はお任せだと言ってくれたので準備は既に終えていた。後は〝最高の食材〟を加えれば完成する。店内の飾りつけを終えるなり、どんな料理を準備してくれているのかと彼女に問われ、厨房に連れて行った。鍋の中をのぞいてごらん、とコンロの上にある寸胴鍋を指さす。彼女は足取り軽やかに言われた通りに鍋の前に立ち、蓋を開けて中を覗き込む。


「鍋の中、何も入ってませんけど……」


 振り返った彼女の背中に、丁寧に研いだ愛用の包丁で心臓のある付近めがけて一刺しした。鍋を倒さないように上半身を羽交い絞めにし、力を込めて刃を押し込む。綺麗に掃除された厨房の床は彼女の血がしたたり落ち汚していく。


「なん……で……、」


 しばらくすると力が抜け、重力に従い膝から崩れ落ちる。床の上に倒れた彼女を見下ろし、さっそく最後の仕上げに取り掛かった。

 丹精に下拵えをし、丁寧に、鼻歌を一つ歌いながら料理を仕上げていく。

 そうして――最高の料理が完成した。

青年が来るまでにまだ時間はあるため、汚れた服を着替え、厨房の床を掃除し、痕跡を一切消しきる。ふうっと一息ついたのも束の間で、予約の時間となり青年は店にやって来た。


「すみません、今日はお世話になります! ……あれ? 彼女、まだ来てないんですか?」


 青年は不思議そうに問いかけてくる。


「ああ――厨房に居るよ」


 これから青年が幸せな表情を浮かべるであろうことを想像して、男は続ける。


「君のために、私とともに料理を作ってくれているんだ。だから、早く席についてくれ。最後に顔を出すと彼女も言っていたから」


 そう告げると青年は照れ臭そうにしながらも急いで用意された席に着いた。店内を彩る飾りを見回しそわそわとしている青年に、ごゆっくりとお楽しみください、と告げて男はさっそく用意していたフルコースを順番に出していく。出された料理を、青年はとても嬉しそうに、それでいて幸せそうに頬張った。


「ああ、美味しい!」


 青年の笑顔に男も喜んだ。嗚呼、やはり人は〝愛しい人を食すと幸福な気持ちになれる〟と改めて思った。自分が常々抱いていた感情は可笑しなものではなく、ごく普通の感情だったのだ。飢餓にも似た渇きは青年の笑顔と言葉にどんどんと満たされていく。【ソルベ】を出し、男は銀色のカートを押して厨房に戻る。そんな男の後を、カトラリーを置いて青年はこっそりと付いて行った。


「――えっ」


 彼女の姿は何処にもない。ただ、まな板の上に見覚えのある〝顔〟があった。首から下のない、頭だけになったそれは青白く、瞼を閉じている。

 まな板の上にあるのは、先程まで自分の為に料理を作ってくれていると思っていた彼女の頭だった。

 悲鳴を上げ、恐怖の色を出し、その場に尻もちつく。男は包丁を持ったまま後ずさりする青年のもとへ歩み寄った。


「美味しかったかい?」

「なにっ、なにが……っ」

「美味しかっただろう? 君の〝愛しい人〟は」


 男が何をしたのか、彼女が本当はどうなったのか、青年は全てを理解したらしく、慌てて口元を抑えるもこみ上げてくるものに耐えきれずその場に吐き出した。消化しきれていない為、胃液とともにほとんどそのままの状態で咀嚼して食べたモノが出てきた。肩で呼吸しながらも、必死に胃の中のモノをすべて吐き出そうとする青年の姿を見て男は察した。

 同じ気持ちにならなかった残念な人間だ――、と。

 それなら、何時か来店する〝お客様〟の為の食材になってもらおう。包丁を振り上げ、躊躇いなく青年に向かって振り下ろした。

 すべてが空回りし、再び虚無感に駆られた男は血濡れた姿のまま何も考えずにふらふらとした足取りで二階へと向かった。ベランダに出て夜風にあたり、深呼吸を一つ。空を仰ぐと、星屑の大海の中に美しい満月が浮かんでいた。


「嗚呼、神様――どうか仲間と出会えますように。仲間と一緒に食卓を囲みたい。愛しい人を食す仲間が欲しい……私の願いは、ただそれだけです」


 もう二度と、幸福な食卓を囲むことはないのか。

 もう二度と、心の満たされる食卓を持つことはできないのか。

 焦燥感と絶望のはざまに立たされた男は、膝をつき包丁をその場に置くと胸元で手を組んで祈りを捧げる。頬に一筋の涙が伝った時、一筋の眩い光を見た気がした。


『おまエは随分と面白イことヲしているナ』


 脳裏に直接、声が語り掛けて来た。驚いて瞬きをした刹那、男は見てしまった。

 仲間とともに囲む、夢にまで見た【幸せな食卓】を――。

 嗚呼、まさにこれを望んでいた。自分が願っていた食卓が、目の前に広がっている。腕を伸ばしたと同時に、男の意識は遠のき、二度と〝現実世界〟へ帰ることはなかった。


「ソレ」は単独で面白い生物はいないかと探していた。空から様々な生物を眺め記録する。けれども、この地球(ほし)は実に詰まらない生物の集まりだった。やれ世界が平和でありますように、やれあの国は万死に値するだの、やれ明日を生き残れますようにだの、やれ会社が学校に行きたくない等――どれもこれも記録に残す価値もない事柄ばかりだと常々思っていた。今日もどのみち面白いものはないだろうと高を括り眺めていると、偶然、小さな島国の小さな街の寂れた家から空を眺め祈っている小さな男を見つけた。


「嗚呼、神様――どうか仲間と出会えますように。仲間と一緒に食卓を囲みたい。愛しい人を食す仲間が欲しい……私の願いは、ただそれだけです」


 ただの人間ではあるものの、何やら影を背負っているのが見て取れる。集中して男の脳内を覗くなり、「ソレ」は運命と巡り会えた心持になった。切望する声に興味をそそられた。覗いた男の記憶に興奮した。先程起こした言動を読み取った記憶から再生して震えた。

 だから、「ソレ」は男に取り付くことを決めた。

 男の思考を読み取ると、人間には【カニバリズム】といった同族を食べる行いがあるらしい。しかもそれは、言葉では言い表せないくらいの幸福を得られるそうだ。実際に人は愛するモノを食すと幸せになるのだろうか、この男のように飢餓状態を満たすことができるのだろうか――興味は尽きない。

 この男の体を使って実験をしてみよう。

 レストランの名前を「マモン」と変え、来店した客に「食人」をさせる。彼らは本当に〝幸せになるのだろうか〟。食材となる人間が揃うまでは「ソレ」の力を使い、人を呼び寄せた。波長の合ったモノには眠りにつかせ悪夢ゆめを見せた。店〝らしさ〟を演出させる為、厨房で死んでいた青年を元にして客(えもの)に見せた。感情の表現は不要と判断し、姿と声だけを再現させた。ただの人形にすぎないが。

 そうして――「ソレ」は男の体を使って実験を始める。

 初めのうちは幻覚で料理を出していたが、食材が揃ってからは男の知識と技術を活かして〝本物の料理〟を提供した。幻覚うそではあるものの、愛しいモノを食したと気づいた人々は発狂した。だが、一定数は支配している男のように愛するモノを食して幸せな気持ちとなっている。幸せな気持ちになったモノは「偽物」ではなく「本物」を求め、自らの手で愛しいモノのもとへ行き、食し始めたではないか。


「たダの人間モ、このヨうにナるのカ」


 しかし、時には勘の鋭いモノも居る。そのモノ達には次に来るであろう実験素材達の為の糧になってもらうため、実験用の捕獲ではなく食される為にこちらへ引きずり込んだ。

 人間とは、男と女、同性、家族、または親と子、子と親。互いが互いを想い、思い、愛し、最上の縁で繋がったものの、その心の内を互いに知り得ない。肉欲と独占欲、もしくはそのどちらかでしかないと踏んでいたのに、人間とはかくも面白い生物だと気づかされた。

 興味が肥大化していった「ソレ」――神話生物・ラムは男のような人種を集めて標本として持ち帰り研究する決心をしたのだった――。

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