第32話◇暴走聖女




 英雄の紋章は人間の成長限界を取っ払う。

 このことからも分かる通り、才能を与えてくれるわけじゃない。


 【軍神】は最初から頭が良かったし、【剣聖】は剣の腕が立ち、【魔弾】は弓の名手だった。

 【賢者】は魔法の研究家で、【聖女】は治療院とかいうところで働いていたらしい。


 つまり俺が万能の【勇者】に選ばれてしまったのは、生来の才が大きく関係している。

 紋章に目覚めなかったら、器用貧乏というか、多方面にそこそこの適性を見せる大人に成長したのではないか。


 まぁ、とにかく。

 紋章は才能の限界点を取っ払うだけで、とんでもない才能を授けるわけじゃない。


 だから重要なのは、努力なのだ。

 頑張らなければ、それも効率よく正しく努力せねば、上手く成長出来ない。


 本来、【聖女】は治癒特化。

 傷を癒やすことにおいて奇跡的な力を発揮するが、戦闘能力は無い。


 だが当代の【聖女】マリーは違う。


「ヒモ……ヒモ……ですか。ふっ、ふふふっ、『わたしが養ってあげる、レインくんは何もしなくていいんだからね?』と淫魔の如き声で囁き、わたくしのレインちゃんを堕落させたのですね……許すまじ……全力を以って浄化にあたらねばなりませんね……」


 まず、魔力。

 これは治癒魔法を使用し続けたことで魔力の生成能力がどんどん成長した。

 俺や【賢者】も同じように、魔力を酷使することで限界値を上げていった。


「まずはレインちゃんを悪夢から救わなければ。そうです、彼は魔の囁きに侵されつつありながら、英雄としての使命も続行したのです。強い子なのです。きっと何度か聖なる愛の拳を叩き込めば目を覚ましてくれる筈」


 そして、肝心の治癒魔法。

 治癒魔法は時を巻いて戻しているわけではなく、人間の治癒能力を極端に活性化させるもの。


 並の治癒魔法だと、無理な治癒で対象の生命力を削ったり、衰弱させたりしてしまうことがある。


 しかし俺と【聖女】の場合、生命力自体を魔力で活性化させながら対象を治癒する。

 このおかげで瀕死の者を一瞬で治しても問題ないのだが……別の問題が生じた。


 マリーが気づいてしまったことだ。

 自分の魔法は生命力の活性化が出来るのだから、それを上手く使えば戦えるのでは? と。


 家が火事に遭った家庭で、倒れてきた棚の下敷きになった我が子を救おうとした母の話がある。


 彼女は華奢で力が弱かったのだが、なんと我が子を救わんとする思い一つで棚を持ち上げ、子供を救出して無事脱出したのだとか。

 しかしそのあとで腰を抜かしてしまい、しばらく体調を崩したそうだ。


 こういった話は戦場でもよく聞く。

 危機的状況において、生命力の割り振りを無意識に行い、超人的な力を発揮する。


 聖女は膨大な魔力で全身に生命力を行き渡らせ、己を強化。

 仮に怪我をしても、即座に治癒可能。


 結果出来上がったのは、不死身の治癒魔法使いにして、怪力を誇る拳闘家だった。


「お姉ちゃんが助けてあげるからね」


 マリーの姿が消えた――違う。

 そう錯覚するほどに速いのだ。


 しかし俺は【勇者】。

 真正面から自分を狙う拳など、防げないわけがない。

 咄嗟にミカを抜き、マリーの拳を聖剣の腹で受け止める。


『……!!! こ、この女本気なんだけど……!?』


 俺とミカは耐えられたが、地面はそうはいかない。

 俺の靴が地面に半ば沈む。


「レインちゃん。やっぱりお姉ちゃんのことが大好きなんだね。嬉しいですよ」


 ミカで斬ることも出来たが、俺は受け止めることを選んだ。

 マリーもそれに気づいている。


「なんとか帰ってもらえないか」


「一緒に帰るんだよ?」


「……はぁ」


「……そんな露骨にため息を吐くなんて、傷つきました。うぅ……」


 そう言いながら反対側の拳が俺の腹に迫る。

 俺は風魔法で上空へと避難し、『重力属性』でマリーに圧力を掛ける。

 彼女が俺の魔法に耐えられず、膝をつく。


「んっ……」


 治るとはいえ、あんまり血が出るような怪我は追わせたくない。


『ふふふ、手伝うわよレイン。瘴土に赤い花を散らしてやろうじゃない!』


 悪い魔族みたいな発言をする聖剣だった。

 難しいな。これがなんとか王なら倒してお終いなのだが。


「マリー、なんで来たんだ。あんたが俺に勝てるわけないのに」


「な、なんで……? そ、それはレインちゃんを正義の道へと戻すために……」


「だから、勝てないのにどうやって連れ戻すつもりだったんだよ」


「そ、それは……そんなの……」


 【軍神】が俺を放置しているのは、以前より効率的に悪い魔族を狩っているのだと分かっているからだろう。

 放置していても英雄として機能するなら構わないってわけだ。


 【聖女】が何をするか分からないやつだとはいえ、ここまでのことを本当に実行するとは。

 考えというか、感情というか、よく分からなかった。


 しかしマリーは、ふるふると肩を揺らしながら、重力魔法の中で背を伸ばす。

 尋常ではない魔力を纏い、生命力を活性化させることで抗っているのか。


「そんなの……――寂しいからに決まってるでしょう……!?」


 マリーが、強引に拳を振るった。

 とんでもない魔力が迸る。


 俺はミカに魔力を流し、飛んできた魔力を弾いた。

 力を空へ逃せば良かったのだが、咄嗟のことにそんな余裕はなく。


 結果、なんか遠くの山までマリーの魔力が届き、三角形の尖った部分が消えてしまう。

 遠くの山がプリンみたいな形になってしまった。


 なんで一番戦闘能力が低いはずの【聖女】がこんなとんでもない技を持っているのか。

 いや、今はそれよりも


「さ、寂しい……?」


 そういえばさっきもそんなことを言っていたか。


 俺が魔法学院に体験入学した帰り、チビ達も寂しかったとか言っていた。

 あいつらは夜ベッドに潜り込んでくるくらいだったが、マリーだとこうなるのか。


「そうですよ……! レインちゃんもそうでしょう……!?」


「え、いや、別に……」


 素の返答をしたら、マリーの顔が絶望に染まる。


「なっ……そんな……レインちゃんはまだまだお姉ちゃん離れの出来ていない可愛いレインちゃんの筈……」


 人間関係に関わるアドバイスをもらえるのは珍しいので、ちゃんと聞いていただけだ。

 他のやつはそのあたり適当だったから……。


 あとマリーをお姉ちゃんと呼んだことは一度もない。


「か、かくなる上は――! ――聖拳せいけん制裁」


 マリーの拳に再び魔力が集まる。

 先程のとは違い、魔力がどんどん拳に溜まっていく。


「げっ」


 前にこいつがこれを使ったのは、美しい女性を海に引き込んで食い殺す悪い魔族を討伐する任務の時。

 確か海が割れて、しばらく戻らなかった。


 俺を殺すつもりはないだろうから、自分の全力攻撃で俺の魔力を削ろうということだろう。

 こちらとしては、また来られては困るから納得した上で帰ってほしいのだが。


 話を聞いてもらうためにも、まず向こうを戦えない状態にする他ない、か。

 俺はミカを鞘に収め、地上に下りる。重力魔法も解いた。


『なっ、お馬鹿っ。高所の利を捨てて更には相棒を仕舞うとは何事!?』


「いや、同じ条件で倒そうかと」


 拳に魔力を集める。

 自分の力を聖なるものとは思わないが、マリーと同じような技だ。


「愛の奇跡を見せてあげます」


「いや暴力だろ」


「参ります」


 俺たちは同時に地を蹴り、互いの拳を激突させた。


 衝撃で周囲の地面が捲れ上がり、【勇者】と【聖女】の膨大な魔力によって瘴気までもが吹き飛び、世界を暗くしていた雲までもが掻き消え、そして――。


「うぅ……」


 聖女がその場でよろめく。

 俺の勝ちだ。


 彼女の魔力はほとんど残っていない。

 対して、俺の方にはまだ余力がある。


 ……やっぱり、俺は人類から離脱した時よりも強くなっている。

 マリーの計算では、きっと俺の魔力を削りきれる筈だったのだろう。


 ともかく、これでひとまず彼女は戦闘不能。

 あとはなんとか会話で、説得を――。


「レインさま!」


 エレノアが、転移でやってきてしまった。

 彼女が運んだのは自分だけではない。


「れ、レインは友人だ。【聖女】とはいえ、無体は許されない」


 魔王の息子フリップが。


「勇者くんをいじめちゃだめだよ……!」


 フリップの妹、ミュリが。


「そ、そそそ、そうよ! もうレインくんは仲間なんだから、奪うってんなら相手になるわよっ!?」


 学院で決闘したジュラルが。


『ヒモのレインよ、力を貸そう』


 白狐まで。


 その背中にはチビ達が乗っている。先頭は狐耳のウルだ。

 みんな口々に俺を連れていかないでくれと叫んでいる。


 ミュリの護衛であるレジー、教師のルート、情報官のヴィヴィ達はエレノアと共に警戒心を剥き出しにマリーを睨んでいた。


 メイドのフェリスまで。


「我らの国でレインさまは幸せに過ごされています。その邪魔をするならば、英雄とて容赦はしません」


 みんなを代表して、エレノアが言う。


『み、みんな……レインのために……っ』


 ミカが感動している。


 俺も気持ちは嬉しい。本当だ。こう、胸が温かくなる。


 でも、ごめん。


 もう、勝ったんだ……。




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