第18話


▼▼▼


それは薄汚れた廃屋だった。

しかしどうにも不自然だ。人が入れば数分後には方向感覚がおかしくなりそうな樹海の中、忽然と人工物が存在している。大昔に建てられ、捨てられたものが今でも残っているのか。しかしそれにしては樹海の蔦が絡まっていないのは不自然だ。

そう、まるで廃屋として建てられたような違和感。


そんな廃屋の扉がゆっくりと開かれ、舞い上がる埃と共にボサボサの白髪の女性が現れる。白衣を身にまとい、全身を白に染め上げている女性は顔色の悪そうな顔でフラフラと外に出て、森の中に入っていく。


「あれは失敗だったな。魔力操作の問題かな。でも魔力濃度は高まっていた。となれば器が原因か。でも傷つけたくないな。大切な身体だ。じゃあ今度は魔力濃度を上げ過ぎないギリギリ。理性を失わず、正気を保ちながらも高い魔力濃度を持たせるギリギリのラインを目指す。そのためには…」


視線を下げ、親指の爪を噛みながらぶつぶつと考え事を漏らす。

そんな彼女の背後にゆっくりと魔物が忍び寄る。大きな体躯で静かな足音、赤色の体毛、鋭い牙と爪を持つ巨大な狼。ワイバーンと同等のランクを持つそれは、静寂の中で背後から白衣の女性に飛び掛かる。

しかし、不幸にも、狼には彼女の言葉は理解できなかった。


「歩いてるとさ、こうして罠にかかってくれるんだよね。

砂糖を放置すると虫が寄ってくるみたいに簡単にさ。まぁでも、私は砂糖のように甘くは無いけどね」


バシュッ!と水がはじける音がした。

飛び掛かった狼は全身から血を噴き出して彼女の横に落ちて滑る。

原因は見えなかった。まるでそれが自然の摂理かと思うほど、当たり前に、あっけなく狼の巨大な体躯が爆ぜた。


「狼か、本当は猿型の魔物が良かったけど、しょうがないね」


白衣の女性は白い細腕で巨大な狼を引きずっていく。


「今度は失敗しないでくれよ」


白衣の女性はフラフラと、あの廃屋へと戻っていく。



▼▼▼


白い街の中を緑色の馬車が通る。

メルメリア教会のシンボルカラーでもある緑色に染められた馬車に乗るのはティア、フリア、そして何故か文彦である。

名目はティアの護衛だが、ティアの本心としてはいつ何時にも冷静でいられる文彦の存在は心強かったのだろう。

馬車に揺られながら座るティアの顔は何時になく緊張している。


「ティア、大丈夫なの?」


「少し緊張してますけど、大丈夫です」


「そうは見えないけどねぇ」


ティアは生まれた時から聖女であるための教育を受けてきた。しかし聖女の性質上、無暗に人前に出られないため学んだことを生かすことは少ない。そのため、場数は圧倒的に足りていないのだ。


「貴方も何か励ましなさいよ」


フリアは我関せずと本を読んでいる文彦を睨む。

文彦に励ましを期待する方がどうかと思うが、文彦は本を閉じてティアを見る。

ティアは見つめられて少しだけ頬を赤く染めながら、文彦の言葉を期待して待つ。


「ふむ、そうだな。

人間なのだから、緊張するのは当たり前。それに対して、“聖女なのだから失敗するな”というのもその通りだし、“聖女と言えども仕方がないだろう”というのもその通りだ。結局他人からの評価に絶対的な正解は無く、正解を下せるとしたら自分だけだ。

反省も後悔も全てが終わった後にやるのだから、今は流れていく時間に身を任せるだけでいい」


励ましかどうかもわからない言葉にフリアは溜息を吐くが、ティアは目を輝かせて頷いている。そして、吹っ切れたように笑顔になったティアは、緊張しながらも再び本を開いた文彦の隣に座って一緒に読み始める。


緊張はある。けれどそれによって何時もの調子を崩す必要はない。

後悔も反省も、全ては終わってからでいい。


馬車は大勢の観衆に見守られながらアルビオン領主の館に入っていく。




▼▼▼


「緊張で死にそうだ」


玄関の前に立つアーバンクル・レナード・アルビオンは目の前の扉を見ながら冷や汗を流しつつポケットに忍ばせた胃薬を口の中に振り込む。


「大丈夫ですよ。アーバンクル様はやるときにはやる男です」


「それ、裏を返せばやらない時にはやらない男だよね。領主としては失格だと思うんだけど…」


「…」


「何か言ってくれないかなッ!!」


相変わらず冷静なレイカの冗談にアーバンクルの気持ちも和らぐ。

恐らくレイカなりの気遣いだったのだろう。でなければもう一粒胃薬を飲む破目になる。


そんなことを言い合っていると部下の一人から聖女の到着を知らされる。少ししてガチャリと扉が開かれる。


「お初にお目にかかります。

私は王都、メルメリア教会の聖女。ティア・マドレーニアです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


「私はアルビオン領主、アーバンクル・レナード・アルビオンです。

本日は遥々遠い王都から辺境の地までお越しいただき、ありがとうございます。メルメリア教会の聖女様にお会いできて光栄にございます」


アーバンクルとティアは一切の緊張を顔に見せる事無く挨拶を交わす。


「それでは、早速ですが、ワイバーン件について話し合いましょう」


アーバンクルはニコリと笑いながら聖女とフリア、文彦を客間に案内する。相変わらず文彦は小説の文字から目を離さない。フリアは文彦の失礼な態度にぶん殴りたくなったが、領主の目の前で恥を晒したくもなかったのでスルーを決め込むことにする。


客間は領主のものにしてはシンプルな部屋だったが、テーブルの上に置かれている黒い壺や壁に掛けられた茶縁の絵画は地味にも思えるが、知る人が見ればわかる高級品ばかりだ。


恐らくはこれで相手の技量を測ったりしているのだろう。お貴族様は大変である。

ティアはまだ物の価値がわかるほど目が肥えていないが、部屋の作りの意図はわかっているため、無知を悟らせないように、如何にもわかっているような顔で部屋を見渡す。


両者がソファーに腰を下ろし、アーバンクルの背後にレイカ、ティアの背後にフリアと文彦が控えると、ようやく対談が始まる。


フリアが両者の対談を見つめ、文彦は文字から目を離さない中、レイカは対談ではなくティアの背後、文彦に目を向ける。


(隣の少女は噂に聞く空操の乙女でしょうが、あの男は誰でしょうか)


奇妙な格好で本を呼んでいる男。

魔術的な技量も純粋な戦闘能力もなさそうである。だが、能力もない男を背後に控えさせることはあり得ない。


(まさか、聖女も凌ぐほどの実力者。聖女様とアーバンクル様の対談を影ながら見守り、アドバイスする者。

流石、メルメイア教会の聖女様です。優秀な人材を豊富に抱えているようですね)


レイカは感心したように小さく頷く。


残念、ただの阿呆である。

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