小舟

 七夕文書(AB5001N_20140707_145030.pdf)のリークにより長瀞事件が再び注目されはじめているというが、おそらく一時の流行を超えるものになることはないだろう。

 第一、私には多くの人が七夕文書のなにを問題視しているのかすらわからない。

 現に死者まで出ている災害に関して寄せられた情報であればそれを記録して整理するのはあたりまえのことであり、仮に「河童が実在するはずがないから」という理由で「河童」という語の含まれている証言を逐一排除していたのなら、それこそその根拠を示せという話になる。

 リークがなされたという事実そのものに対する批判に至っては報道機関が自らジャーナリズムを否定する暴挙であり、まっとうな意味での批判とはいえない。

 この騒動の副産物として、河童現象を再考する機会が与えられたことは、どちらかといえば喜ばしい。しかし、事件をめぐるこの一連から実りを得ることはあまり期待できない。師匠(妖怪ハンター)もそう思っているから私にお鉢を回してきたのではないか。

 インタビューはコミュニティ・センター八階の会議室で行う。待ち合わせ場所も同じ。直行。午前中の最初の枠。お年寄りはだいたい早起きだからしようがない。

 エレベーターが古びていて雨漏りのような染みがありすこし不安だったが部屋は清潔そうだった。

 一般にインタビュー調査ではインタビューイとの信頼関係を構築することが必要。そのためには、なにを知りたいのか、なぜ知りたいのかを明確にし、インタビューイの不安を取り除き、その調査にある価値を提示する必要がある。そんなことはわかっている。

 最後の河童譚と称される長瀞事件だが、いまなお河童に本当らしさを感じることができる人がどれほどいるだろう。目撃されたのが河童ではなく宇宙人だったら長瀞事件の受容のされかたはどうなっていたか。未確認動物だった場合はどうか。私が興味を持つのはそのような問題であり、河童が古くから調査対象にされてきたから引き続き河童の一次情報を集めようという態度は怠慢と思える。

 その河童の外見は資料によって異なり、赤茶けた毛が生えているとしたもの、亀のような甲羅があるとしたもの、石のような肌だとしたものがある。これは長瀞氏の語りが当初から混乱していたことを示すのではないか。今日のこのインタビューが単なる混乱の一例にならないことを見積もるのは現実的な態度だろうか。

 いわば事件の証拠として扱われたために多くの資料に一貫して登場する軟膏は動物の脂が多く含まれていたものだったらしく、腐ってひどい匂いを発して処分されたという。写真で見た金属製の容器には確かに三本線の傷があり、そのキャプションには「河童の爪痕?」とあった。

 質問項目をでっち上げる。アイスブレイクの後、本題に入るときは例えばこんなふうに切り出そう。いろいろ大変でしたね。大変だったと思いますが。

 録音をきらう人もいるらしいが、長瀞氏は快諾。その場合でもメモは必要。身振り手振りや表情。(私の)印象。主観は客観を妨げるものではない。

 おぼえているのは流された人の顔だけです。指を当て、眉をハの字に釣り上げて口と目を大きく開ける長瀞氏。私は泣きそうになった。なぜだろう。河童現象は貴重な民俗である以前に悲しい災害であることを何度思い出しても忘れてしまう。あんなに怖い顔は見たことがない。

 雨がどこから降っているのかわからなくなるくらいの雨。独特の比喩。

 嫌いだった人も死んでしまうとかわいそうな気がする。

 小さな鍵。小豆飯はもち米を使わずうるち米で炊く。石のテーブルに載っていた。河童に憑かれた女はエロになるという噂があった。後で確認する。

 防災放送はビルにこだましてまったく聞き取れなかった。

 腕はまったく抵抗なくちぎれ、網から逃れる。

 軟膏は頬や二の腕などの柔らかい部分にできた傷に塗られたもの。新鮮なときははっかたばこのようなにおいだった。

 トイレ休憩。

 顕微鏡で見ると結晶が見えた。聞きそびれてしまったが規則的な形という意味だろうか。ていうか理科の先生だったのか。

 指が細くて長いこと。指の間に鳥の水かきのような金色の膜があること。歯が白いこと。舌が長いこと。

 のどがかわいているのに水気のないお菓子を食べた。

 ほんの少しだけ屋根が開いて灰がほこりっぽい床。はだかで河童が渦に浮かんでいる。水玉模様のカラー写真が印刷された古新聞。そのときは汚らしく思えた。

 集中するとかえって声が小さくなる癖があるようだ。ファンの音がじゃま。

 接がれなかった腕。人差し指が立っている。ぼくは待っていた。あなたは来た。

 照明のスイッチを切って施錠。お礼を言って解散。

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短編集 阿部2 @abetwo

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