子どもたちが火を発見する
後で知ったことだが、ぼくたちのクラスは世界ではじめて火を発見したらしい。ぼくから見れば、この発見は茶番だった。教室にはこれみよがしに虫めがねや金槌やとがった石英が並べられていたし、火の存在は明らかにリークしていた。
火は最初クラスの陰キャのものだった。喪失と獲得。等価交換。人はなにかを失う代わりに何かを得る。かっこいい毛皮を身につけることができなかった者たちが集まって暖を取ると、火は部屋の隅に舞うほこりをきらきらと照らし出した。
火の扱いにもっとも慣れていたのはぼくだった。でも火を発見した頃から、ぼくはますますみんなに嫌われるようになった。けしゴムやうわばきを放り投げて木の枝に引っかけてとれないようにしたり、肩やももの筋肉のところを叩いたり蹴ったりして痛がる様を見て笑うという遊びで、直接いやなことをしてきたのは、竹内君や寺沢君だけだったが、ほかのみんなもぼくに冷たい態度をとるようになっていった。ぼくがはなしかけても「いや別に、こっちの話」とか「あっそ」っというような返事で、あまり関わりを持ちたくなさそうなしらけた感じのふるまいをしていた。
ぼくがはじめて火をみんなに見せたとき、竹内君はすぐに教室から走って出ていってしまった。教室から出たのは竹内君だけだった。
「竹内君、どうしますか?」とぼくは先生にきいた。先生は「連れて帰ってきてくれるかな」といった。火をかかげたまま外にでて、ぼくは竹内君をみつけた。火を近づけてみせると、竹内君は本気でいやがって校門の外にまで逃げた。ぼくは竹内君をおいかけて校門の外に出た。学校の敷地から外に出るなんて、ずいぶん久しぶりだな、と思った。
門をでてすぐのところに風船をもっている人がいた。その人は通信教育の宣伝をしていたみたいで、ぼくと竹内君は風船とチラシをもらった。竹内君が「こんなもんいらないんだけど」といったので、ぼくは爪をたてての竹内君の風船を割った。すると竹内君は教室に戻った。自分のぶんの風船は校門の柵に結びつけてみた。火を近づけると風船はふらふらと揺れるので、ぼくはしばらく火を使って風船を揺らして遊んでいたが、火の先端が少し風船にふれた途端、あっさりと風船は割れてしまった。
気球。
でもそれから数日たつと、火はもはやぼくらのものではなくなった。クラスの陽キャは火をぶんぶん振り回して雑草を焼き切り、自分の力を見せつけるようになった。強いものたちが夕暮れ、単に弱いものを叩く。なにかと引き換えに強くなるんじゃなくて、強さは他人から奪うものだ。ぼくは考えた。このクラスでいじめられないようにするには、とにかく舐められないようにすることが肝心なんじゃないか。いままでで一番大きい火を作ろう。そう思ったぼくは理科室でアルコールを少しずつくすねることにした。
カンカンにアルコールが溜まっていくにつれ、ぼくの人格も少しずつ入れ替わっていった。授業中にコンパスの針でチクチク突っつかれたときは、その場で切れて椅子でぶん殴ってやった。すごく怒りっぽくなったけど、おかげでいじめられることはなくなった。今思いだすと、前はやり返すタイミングを一生懸命探していた。あとちょっとやられたら切れよう、あとちょっとやられたら切れようと思っているうちに、そのタイミングはやってこないのだった。
いじめられることがなくなってからしばらくして、クラスの治安はどんどん悪くなった。暴力性は日に日にましていくように思える。落書きが2階、3階、4階へと侵食をはじめた。勇気を誇示するために、ベランダから身を乗り出して危険な壁に様々な装飾を凝らして自分の名前を書くようなったのだ。先生をおちょくることがステータスになった。みんな授業中に机をドコドコ叩きながら、リズミカルに代わる代わる先生のあだ名を叫ぶのだった。
ある日、ぼくは職員室に呼び出された。
「君はいっつもお昼を一人で食べているね」
「はい」
「いまのクラスはどう? 馴染めそうか」
「はい」
「この学校はあれてるね。私もこんなモデルスクールははじめてだ」
「そうですか」
「今日なんてね、校長先生の似顔絵にびっしり画鋲がさしてあったよ」
「はい」
「君も彼らにずいぶん傷つけられたんじゃないかと思う」
「そんなことはないです」
「あんまり無理をしないで、ここらで少し家に帰ってご両親のところでゆっくり休むのもいいと思うんだけどね」
「戻したいんですか」
「ん?」
「ぼくがいじめれなくなったから、またもとのクラスに戻したいんですか。だれか別のやつを持ってきて、適当ないじめられ役をおいておけば攻撃性が先生に向かうことはなくなると思ってるんですか」
「そんなことは思ってないよ」
先生はそれから形式的な質問をいくつかして、ぼくは家に帰されることになった。
さて、それからどうなっただろう。モデルスクールの外はいじめのない、安全な世界だ。でも残念。生態系において入れ替え可能な部品なんて一つもないんだ。
焦げ臭い。誰かがアルコールを床にぶちまけてマッチを擦ったんだ。ぼくは火の手を止める気なんてない。とことん焼く。
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