第11話 交渉

 マリネは気をつかってお茶を出してくれたが、道具屋は交渉に向いた空間とはあまり言えない。

 彼女が扱う道具はほとんどが古道具であり、用途不明の茶けた機械だとか、用途不明の白んだ磁器だとか、そんなものが並んでいる。なんとなく乾燥した、パサパサした空気が漂っている。日光をさえぎるように作ってあるから、薄暗くもあった。


 その店の片隅に置かれた小さなテーブルを挟んで、グリエとラビオリは向かい合っていた。グリエは不安そうに肩を狭め、ラビオリは堂々と胸を張っている。


「話はだいたい、聞かせてもらいました」

「盗み聞きかよ。趣味が悪いぜ」

 マリネの頭の上にセージが乗ると、ようやくラビオリより目線が高くなる。セージは相手より高い位置で話す効果をよく知っていた。


「聞くつもりはありませんでしたの。でも、たまたまマリネさんに用事があって店まで来たら、話が聞こえてきてしまって」

「で、その指輪が何か、わかってるのか?」

「『王の指輪』なんですって?」

 ラビオリは指をぴんと立てて、銀の指輪を明かりにかざす。魔法のランタン特有の緑がかった光に照らされて、指輪は冷たく光った。


「エルフの王セージェリオンの記録はあまり残されていません。でも、エルフを統べる指輪を持っていたことはよく知られています」

「そうだ。でも、それを持っていればエルフの遺跡を好きにできるなんてことはない。エルフの魔力に反応するように仕掛けがしてある」

「まあ、それはそれは」

 伸ばした手を今度は引き寄せ、自分の胸の前で指輪をなでてみせる。


「それでは、あなたにとっては銀貨五十枚どころではない価値がありますのね」

 細く整えられた眉が緩やかに曲線を描いている。余裕の証拠だ。


「その指輪はもともとセージのものなんだよ」

 グリエがぐっと身を乗り出した。

「返してあげて。それがないと、セージがすっごく困るの」


「そうはいきません」

 ぴしゃりと言い放つラビオリ。

「本来の持ち主がまだ生きていることを知っていたなら、もちろんわたくしにも責任があります。しかし、わたくしがこの指輪を買ったのはたまたまです。知らずに買ったものを、正当な手続きを経ずにお返しするわけにはいきません」


「マリネぇ」

 涙目で助けを求めるグリエ。しかし、マリネも視線を伏せる。

「ラビオリが正しいよ。ボクがお金を返すって言っても、ラビオリが商品を返したくないなら、一度成立した売買は取り消せない」


 セージはしっぽ族らが話している間、こめかみあたりを揉みながら考えをまとめていた。


 余裕綽々のラビオリは、椅子を尻尾で払うようにゆっくりと振っている。


「お前が指輪を買ったのは、俺と会った後だろ。それに、グリエがマリネに何かを売ったことも知ってた。グリエが何を売ったのか、直接聞かなくても見当をつけてたんじゃないか? そして、グリエがどうせトラブルを起こすだろうから……」

「どうせって何さ」

「……それを見越して、指輪を買った。違うか?」


「言いがかりですわ。わたくしはたまたまこの指輪を気に入って買ったんです」

 あくまで正当な取引だったことを主張するラビオリ。当たり前だが、マリネも自分が行った取引が不正だったとは言えない。


 セージの味方は、いまやグリエだけだ。


「じゃあ、どうしたら返してくれるの!」

「マリネさんにお返しするつもりはありません。でも、グリエさんが銀貨百枚で買い取るとおっしゃるなら、譲ってさしあげますわよ」

「そんなお金があたしにないことは知ってるでしょ」

「今月の利息もいただいてないくらいですものね」

 ふっと、ラビオリはわざとらしくほほ笑んだ。


「あら、ではわたくしからの借金を増額してはいかが? そうですわね、五年ほど私の言うことをなんでも聞くと約束したら、先にこの指輪を渡してもよろしくてよ」

「なんでもって、たとえば?」

 冷や汗を浮かべて聞くグリエ。ラビオリはますます笑みを深くした。


「わたくしもエルフの遺跡に興味が出てきましたから、冒険の手伝いや……夜はわたくしの体を洗わせたり、抱き枕代わりに……」

 今にも舌なめずりをはじめそうだ。グリエの背中に、ぞぞぞっと何かが走った。


「最初からそれが狙いかよ」

 あきれたようにセージつぶやく。すると、ラビオリは視線をしっぽ族から妖精へ移した。


「あなたも一緒にわたくしのペットになるなら、三年にしてさしあげますわ」

「おい、なんで二年分しか減額しないんだ?」

「サイズの差ですわ」

「しっぽ族より俺の方が価値がある」

「そういう問題じゃないってば」

 グリエは両手で頭の上のセージの口をふさいだ。ついでに体も大部分がつかまれている。


「言いなりになんてならない。お金は……ちゃんと返すつもりだけど」

「信用できませんわね」


「ほんとだもん。とにかく」

 自分で言っておきながら自信なさげに視線を外しつつ、グリエはうなった。

「あたしは奴隷じゃない。冒険のために雇いたいってだけならともかく、ラビオリの世話なんて」


「あら、フラれてしまいました」

 やれやれ、と大きく息を吐き出し、ラビオリは肩をすくめた。

「交渉は決裂です。残念ですわ」

 と言いつつも、ラビオリの表情は明らかに愉悦を浮かべていた。グリエやセージが困っているのが楽しくて仕方ない、という顔だ。


「……」

「そんな目をしても、これはもうわたくしのものです」

 睨みつけるセージにそう告げて、すらりとした足を伸ばして、椅子から立ち上がる。ラビオリは手と尻尾を振って見せた。


「では、ごきげんよう」


 🌳


「今度は、いなくなったな」

 セージが店の外を覗き、ラビオリの姿がないことを確かめる。さっきの表情からすれば、勝利の愉悦に浸っているところだろう。


「できるかどうか分からない嫌がらせのために銀貨五十枚とは、気合の入れ方が違うな」

 セージには現代の銀貨がどれほどの価値のものかは分かっていないが、少なくともグリエにとっては相当な大金のはずだ。


 ある意味で、セージは感服していた。ラビオリは勝利のためなら、自分の利益を度外視するタイプだ。

(敵に回すと厄介だ。利益を提示しても説得できないなら、別の方法を考えないと)


 薄暗い店のなかで、ふたりのしっぽ族が下を向いていた。赤い髪のグリエは憤懣やるかたなし、という表情で怒りを露わにし、青い髪のマリネは居心地悪そうに尻尾を垂れさせている。


「うう、なんでよりによってラビオリに……」

 くしゃくしゃと赤い髪を掻いて、グリエがうなる。そのまま床を転げまわりそうだ。よほど悔しいらしい。


「ぼ、ボクは、ほしいって言われたから売っただけで……」

 マリネは視線を左右へ振って、言い訳じみた言葉を繰り返す。なんだかんだ言っても、ラビオリは譲るつもりだと踏んでいたのだ。マリネだって、彼女とは知らぬ仲ではない。だけど、グリエとの関係はマリネが思ったよりこじれていたようだ。


「これであきらめるわけにはいかねえぞ」

 ラビオリに(厚かましさで)負けている場合ではない。セージはカウンターの上に降りて、二人をそれぞれ指さした。


「ラビオリさんは一度口にしたことを曲げたりしませんよ。本当に銀貨百枚を用意するか、グリエが言いなりにならないと」

「そんな。あたしはやだよ。ラビオリって、勝手なんだもん」

「勝手さじゃグリエといい勝負だよ」

 自分を平気で棚上げするグリエの悪癖を指摘していてもしかたない。セージは次の手に向けて、まずはマリネを標的に策を巡らせる。


「お前たちが俺から指輪を盗んだってことを忘れるなよ」

「あの時は、そんなに大事なものだって知らなかったんです」


 にやりと、妖精の口元に笑みが浮かんだ。

(やっぱり、しっぽ族は扱いやすい)


 マリネから望む言葉を引き出すため、大げさに両手で頭を抱える。

「あーあ、あの指輪があれば、俺はこんなに苦労しなかったのに」

「そりゃあ、ボクだって取り返すのに協力したいですけど」

「今の言葉、忘れるなよ」

 マリネからがっちり言質をとって、セージはさらに笑みを深めた。


「何か、考えがあるの?」

 グリエは思わず聞いた。セージが、あの試験で「秘策」を披露した時と同じ顔をしていたからだ。


「あの女の話で気になるところがある。うまくそこにつけ込めば……」

 小さな妖精は、体に見合わない大きな計画を立てながらうなずいた。

「取り返せるはずだ。俺の指輪をな」

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