後宮妃の管理人 しきみ彰「番外編 寵臣夫婦の、休暇の過ごし方」
番外編 寵臣夫婦の、休暇の過ごし方
夏の四大華祭事である桔梗祭も終わり、よく晴れた日のこと。
後宮妃の管理人たる
市井に出るのも久々ね〜。
後宮の業務で手がいっぱいだったこともあり、最近は全く出てきていなかった。貴族の妻になったのも、気楽に外出ができなくなった理由の一つだろう。
なので今回は息抜きと市場調査を理由に、外へと繰り出したのだが。
優蘭は、満面の笑顔をたたえたまま自身のとなりを見る。
着ている衣こそ少し質が落ちているし、いつもより身軽に
なのに妙に着こなしがこなれていて、優蘭は内心顔をひくつかせた。
「……あの、皓月様」
「はい、なんでしょう?」
「……どうして私の護衛に、皓月様がついてきていらっしゃるのです?」
桔梗祭の折、優蘭は確かに「一人では絶対に出歩かない」という約束を皓月とした。庶民のときの感覚のまま一人で出歩き、危険な目にあったからだ。
なのでそれ以降、外に出るのならば腕の立つ従者を必ずつけることになったのだが。
約束後の初外出が夫と同伴とは、これいかに。
すると皓月は、目を瞬かせながら言う。
「わたしもお休みをいただけましたので、せっかくですし優蘭さんと一緒に休暇を過ごしたいなと思いまして」
「………………え」
「…………だめでしたか?」
少しだけ残念そうな顔をして、皓月が目を伏せる。
その顔を見た優蘭は、内心慌てた。なので外面では冷静を装いつつ、首を横に振る。
「そんなことは全く! ただ、皓月様自らがいらっしゃるなんて私何かしたかなーとドキドキしてしまっただけです!」
「そうでしたか。なら良かったです」
花が綻ぶように笑みを浮かべる夫に、心臓がドギマギする。顔が良いって恐ろしいなと改めて思った。笑うだけでこの威力とは。
優蘭は、小さく跳ねる心臓を宥める。
そして自身の気を宥めるべく、市井への目を向けた。
「と、とりあえず、行きましょうか」
「はい」
優蘭が皓月を引き連れ向かったのは、都・
その中でも
「安いよ安いよー!」
「これは最近西のほうで流行っているもんでさぁ」
「これ、美味しいよーお一ついかが?」
活気に満ち溢れた声が、立ち並ぶ店のあちこちから聞こえてくる。馴染み深い声に、なんだか妙に安心した。
数ヶ月前まで、私もこっちの立場だったのよねー。
それが一変、貴族の仲間入りを果たした挙句、貴族の姫君たち相手に商いだけでなく他の方法でも仕事をすることになるとは。世の中分からないものだ。
そう思いながらも、優蘭の目は本気だ。じい、と軒先に出ている商品を眺め、選別していく。
思わず無言になると、横からにゅっと皓月が顔を出した。
「何か気になるものでもありましたか?」
ヒェッ。
思わず悲鳴が口からこぼれそうになる。集中しすぎて、完全に皓月の存在を視界から消していた。
バクバクとうるさい心臓を眺めつつ、優蘭は笑みを浮かべる。
「そうですね。あの果実、西のものなのですが、お妃様方の水菓子に良さそうかな、と」
「はい」
「あとあの店の綾絹、光の加減で模様が浮き上がって見えますよね。あれ、昨年はなかったんですよ。なので今年入ってきたもの、つまり流行になり得るのではないかなーと。まあ思っておりました」
それを聞いた皓月が、目を瞬かせる。
「……ご自身の買い物をしに来たのではないのですか?」
「え? まさか」
自身の物を買おうにも既に物が揃いすぎていて、購買意欲すら湧かないのが現状だ。一体いつ用意しているのやら、と感心するばかりである。
すると、皓月がますます首を傾げた。
「……なら何故、こちらにいらしたのですか? まさか……我が家での生活が嫌に……?」
「いやいやいや。そんなことは全くありませんよ⁉︎ 純粋な市場調査ですよ市場調査っ」
なので、そんな捨て犬のような目でこちらを見ないでほしい。罪悪感が刺激される。
しかしそのとき、優蘭はようやく皓月に自身の目的を話していないな、と感じた。
優蘭は改めて口を開いた。
「最近はあまり市井に出向けていなかったので、どんなものが今流行っているのか確認するためにきたんですよ」
「なるほど、そうだったのですね」
「はい。市井には市井の流行があります。玉石混合ですけどね。ただその中には、後宮の女性たちにも受け入れられそうなものがあったりします。まあつまり、私が持つ商品知識を増やすための、勉強のようなものですね」
そう言えば、皓月はくすっと笑った。
「優蘭さんは休日まで、お仕事のばかり考えているんですね」
…………………………ハッ。確かに⁉︎
「……その顔を見るに、無意識だったのですか?」
「おっしゃる通りです。かんっぜんに無意識でした」
「優蘭さんらしいですね」
何がおかしいのか、皓月はしきりに笑いっぱなしだった。
「優蘭さんらしいのはとても良いと思うのですが、ただ休日にあまり仕事ばかりしていますと、怒られますよ」
「どなたに?」
「我が家の侍女頭、
「へぇ?」
優蘭は全く予想がつかず、首を傾げた。優蘭が見る限りだと、彼女は確かに優秀でてきぱきと仕事をする有能な侍女だが、あまり叱ってくる印象がなかったからだ。
「わたしも休日に仕事をしていて、よく怒られます」
「まさかの経験談……」
「恐ろしいので、怒らせないのが一番かと。……まあ、ですので」
そう言い、皓月は優蘭の手を握ってくる。
「表向きは、逢引ということにしましょう?」
「え、あ……は、い」
「ではとりあえず、あの青果店から見に行きましょうか」
*
一軒目、青果店。
「おう、新婚さんかい? いいねー何にする?」
「あ、はい。今の時期のおすすめは何かあります?」
「おすすめなー。今の時期なら、桃や桜桃だね。変わり種なら
「菴羅か……いいかもしれない……」
「菴羅ってなんでしょう?」
「南のほうでは一般的な果実です。楕円形で、橙色の果肉を持っています。独特な風味があって、甘くて美味しいですよ」
「おうおう、奥さん博識だね。今なら安くしておくよ?」
「……桃と桜桃と一緒に、まとめ買いするなら?」
「……こんくらいだ」
「……菴羅、あまり買っていく方がいないのではありませんか? もう少しまけてくれるなら、これくらい買いますけど」
「…………」
「…………」
「……分かったよ、負けだ。これでどうだ!」
「乗った!」
「毎度あり!」
二軒目、装飾店。
「いらっしゃいませー。おお、これはこれは、新婚でしょうか? 仲睦まじいご様子で」
「え、あ、はい。どうも……?」
「店主。彼女に似合いそうな、今年入った商品などありますか?」
「そうですね……こちらはいかがでしょう? 鼈甲に真珠をあしらった、扇型の簪です。
「そうですか、和宮皇国で……」
「和宮皇国の装飾技術は、繊細で緻密ですからね。それが本当ならば、さぞかしお高いのでしょう」
「おっしゃる通りです奥様。お値段は……こんな感じに」
「……わあ」
「ですが、奥方様に大変よく似合うと思います。ご主人様、いかがでしょうか?」
「……ええ、はい。そうですね。似合いますし、せっかくなのでお買い上げしたいところなのですが……これ、言うほど高くないですよね?」
「……え」
「価値が高いとされる本鼈甲はもっと透き通っていて、琥珀のような黄色をしています。ですがこちらは、褐色部分が多い様子。つまり、品質的にはそこまででもありません」
「ですね。そしてこの真珠は、偽物ですね。本物はもう少し形が歪で、こうも粒が揃っていません」
「はい、おっしゃる通りです。……めぼしいものはなさそうですから、出ましょうか」
三軒目、服飾店。
「いらっしゃいませ。……これはこれは、仲睦まじいご夫婦ですね。奥方様の反物をご覧に?」
「はい。今年入った新作を見せていただいでいいですか?」
「もちろんです。普段使いされる形ですか?」
「はい」
「でしたら……わたくしとしましては、紋紗がおすすめですね。紗は生地が薄手で夏に扱うのに適した生地です。その中でも紋紗は地模様が美しく、刺繍とはまた違った趣がある生地になりますね。和宮皇国ではよく使われているものですが、こちらに渡ったのは最近です。かなり真新しいかと」
「ほう……これは見事ですね。この模様は……月下美人でしょうか。刺繍では出せない美しさがあります」
「そうなのです。さすがご主人様、お目が高い!」
「お値段はいかほどでしょうか?」
「こちらになります」
「なるほど……それではこちらを一反ください」
「ありがとうございます!」
「⁉︎」
*
とまぁ、様々なところを周り。荷物は付いてきていた従者に、先に屋敷に送ってもらってから。
二人は露店で売っている串焼きや饅頭などを買い、遅めの昼餉をとっていた。
昼餉といっても、あとはもう帰るだけなので腹ごなし程度のものだ。
優蘭は店にでも入って食べようかと思ったのだが、皓月が食べ歩きをしたいと満面の笑みで言ってきたためだ。
その張本人は今、優蘭の横で美味しそうに串焼きにかぶりついている。
肉だね入り饅頭を口にしながら、優蘭は釈然としない面持ちで呟いた。
「……最後の買い物、必要でした?」
「あの紋紗ですか? もちろん」
まさかの即答……だと……。
まあ、買う分にはいい。皓月の給料から支払われているものなのだし。
ただ、納得いかないのが二点。
何故値切らなかったのかということと、買ったものが何故優蘭の衣を仕立てるための反物なのかということだ。
「買うなら値切りましょうよ」
「あの反物でしたら、あれくらいの額で十分すぎるくらい安いですよ?」
ぐぬぬ。価値が分かっているからこその、値切り交渉なしってわけか……。
それならば仕方ないと思う。それが皓月の価値観なのだし。
ただ、もう一つのほうがちょっと納得いかない。
「……というより、何故私のものを買うのです!」
「迷惑でしたか?」
「そ、そんなことはありませんが……皓月様はけろっとしておられますけど、もう十二分にいただいてますからね⁉︎」
そう、そうなのだ。優蘭が今持っている私物のほとんどは、皓月が買って仕立ててくれたものなのだ。なのでこれ以上もらうのは、なんだか申し訳ない気がする。
「わたしが好きで買っているんですから、優蘭さんは気にしなくていいのですよ」
「ですが……」
「ただ、一回は袖を通していただけると嬉しいです。優蘭さんこれを着た姿、見てみたいので」
そんなキラキラした眼差しで見ないで欲しいわ……。
こう、胸がきゅっとなって苦しくなるのだ。困る。とても困る。
そのせいで首を横に振りづらくなり、優蘭は渋々頷いた。
「……まあ、着ますけれど。もちろん、作っていただいたのなら着ますけれどっ。期待はしないでくださいね⁉︎」
「はい!」
完全に期待してるやつ! 期待しているやつよね⁉︎
皓月の中での優蘭は、一体どうなっているのだろうか。勘弁して欲しい。
恥ずかしくなり、一心不乱に饅頭を食べる。そうしたら、ぐいっと手を引かれた。
「危ないです」
「わっ」
逆側から走ってきていた男性と、どうやらぶつかりそうになっていたらしい。皓月が繋いでいた手を引いてくれなければ、おそらく後ろに飛ばされていただろう。
「あ、ありがとうございます……」
「いえいえ、どういたしまして」
「……というより、ずっと手を繋いでいますけどこれ必要です?」
「必要です。繋いでないと、わたしが迷子になりますよ?」
確かに、皓月様最初の方人波に流されてたわ……。
今ではひょいひょいと避けているが、やはりこういう人混みは慣れていないようだった。
うーん、じゃあ仕方ないかしら……?
そう思っていると、手の繋ぎ方が何やら変わる。指を絡めるような繋ぎ方だ。
それを指摘するより先に、皓月が口を開いた。
「今日はとっても楽しかったですね」
「え? あ、そうですね。色々なものを買えましたし、私も市場調査ができて満足です」
「値切り交渉をしているときの優蘭さんは、活き活きしてましたね〜」
「……それを言うならば、質の悪い簪出されたときの皓月様、活き活きしてましたよ」
「いやいや、あんなもの出されたら、あれくらいしたくなりません?」
「……確かに」
皓月が嬉しそうな顔をする。
「優蘭さんも同じ気持ちだったんですね。嬉しいです」
見上げた顔が、あまりにも嬉しそうで。眩しくて。
優蘭は思わず、何もないところで転けそうになった。
「だ、大丈夫ですか⁉︎」
「だ、大丈夫、です……っ」
皓月が引き上げてくれたおかげでなんとかなったが、正直なところ今それどころではない。
どうして、そういう顔で、そういう発言をするのかしら……!
言えない。口が裂けても言えない。
笑った顔があまりにも綺麗で、見惚れてしまったから転けそうになった、など。
とてもではないが、言えそうになかった。
最後の最後で放り込んだ饅頭の味は、よく分からなかった。
――そんな、寵臣夫婦の平和な休日。
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