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ビーズログ文庫

ヒロイン不在の悪役令嬢は婚約破棄してワンコ系従者と逃亡する/柊 一葉

※こちらはビーズログ文庫「ヒロイン不在の悪役令嬢は婚約破棄してワンコ系従者と逃亡する」の書き下ろしショートストーリーです。


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【エピソード0 悪役令嬢、従者に出会う】




『この子はシド。おまえのじゅうしゃこうだ』


 ヴィアラが五さいを迎えてすぐのころ、シドがマーカス公爵家にやってきた。ヴィアラの父に挨拶あいさつうながされても、彼は目をらし身をこわらせたままだ。

『ちょっと人見知りだけれど、まぁそのうちなんとかなるよ』

 苦笑いをする父は、何かを必死に取りつくろうようなふんだった。それをあやしいと思ったヴィアラは、疑いの目を向ける。

『お父様、何かおかしいわ』

『え? そんなことはないよ!?』

 ここで彼女は、シドの容姿に着目した。やわらかな黒かみは、ちょっとみだれているけれどつやがあって手触りがよさそうだ。大きな目は所在なさげにせられていて、その雰囲気はまるで子犬のようだった。

 そう、子犬みたいに可愛かわいらしい。


『お父様、まさか……』


 一週間ほど前、ヴィアラは父に可愛い犬がしいとねだった。これまで、娘のおねだりを断ったことがない父は、そのときも困ったように笑いながら『なんとかするよ』と言った。

 でもその後、「ヴィアラが犬におそわれたらどうするんだ」となやみ始め、犬を手に入れてくることはなかった。

 そこでこの少年の登場となれば、ヴィアラにもその理由がわかる。

『子犬みたいに可愛いからって、誘拐ゆうかいしてきたの!? すぐに返してきて!』

 すると、これまで黙っていたシドがびくりとかたふるわせた。


『やだ……、戻りたくない』


 シドはふるふると首を振る。

『あなた、家に帰りたくないの? ここにいる方がいいってこと?』

 そう尋ねると、彼はこくんと小さくうなずいた。

『あのね、ヴィアラ。誘拐してきたわけじゃないんだよ? 彼は今八歳なんだけれど、勉強もほうもろくに教えてもらっていなくて、あまりいい扱いを受けていなかったようなんだ。くわしく説明するのはヴィアラが大きくなってからにしようと思うんだが、とにかくシドはうちで預かることになったんだよ。これはへいも許可してくれた決定事項なんだ』

 しんと静まり返る部屋。シドは、変わらず目を合わせようとしない。

 幼心に「この子は行く当てがないんだわ」と思ったヴィアラは、とても尊大な態度で彼に手を差し伸べた。


『いいわ。そういうことなら、私があなたと一緒いっしょにいてあげる』


 ここでシドは初めてヴィアラを真正面から見て、自分をしいたげないかどうか不安げな目で確認し始めた。

 ヴィアラはにっこりと笑うと、彼の手を強引につかんで部屋を飛び出す。

『邸(やしき)の中を案内してあげるね!』

 まずは厨房ちゅうぼうでお菓子をもらって、お勉強中のお兄様の部屋へ行って、一緒にお菓子を食べるの。ヴィアラはそんなことを考えていた。



 出会いから約十一年。ヴィアラは十六歳になり、シドは立派な従者けんえいに成長した。

 あと一カ月もすれば、ローゼリア学園の入学式が行われ、彼女は悪役令嬢れいじょう(?)としての第一歩を踏み出すことになる。

「何を見ているんですか? お嬢」

 温かい部屋で、魔法で作った写真をながめるヴィアラのそばにシドがやってきた。彼は、せんの先にある写真を見てまゆを寄せる。

「うわぁ、随分ずいぶんと昔のものを引っ張り出しましたね」

 それは、シドが魔法学院に入学したときの写真だった。シドは十一歳、ヴィアラは八歳で、二人ともまだ子どもっぽくて可愛らしい。

「ふふっ、シドったら本当に可愛いかったわ~。りょう生活が嫌だって、寂しがって」

 ヴィアラが冗談じょうだんめかしてそう言うと、彼はあははと明るく笑った。

「そんなこともありましたね~。寮は飯がまずいって聞いてたんで嫌でした」

「そんな理由!?」

「飯は大事ですよ? あぁ、それにお嬢を野放しにできないっていうのもありました」

「失礼ね!」

 結局、シドは最初の一年だけ寮生活をして、後の三年はマーカス公爵家から通っていた。

 シドが従者をしながらどうの修行にもはげみ、今ではスピネルの称号まで手に入れることができたのは、才能以上に地道な努力があったからだとヴィアラは思う。


「本当に、大きくなったわね」


 彼の成長を思えば、胸がじんとなる。ヴィアラはまるで保護者のような気分だった。

(人見知りで、弱々しい子犬みたいだったシドがこんなに立派になって……。これからも、シドと一緒にいたい。ずっとそばにいてほしい)

 彼がれてくれた紅茶を一口飲むと、完璧かんぺきにヴィアラ好みの味わいだった。


「ねぇ、もしもよ? もしも婚約こんやく解消できなかったら、一緒にどこかへ逃げてくれる?」


 王太子候補が逃亡するなど、前代未聞の大事件になる。第一、魔術で婚約の契約を結んでいる以上、逃げてもすぐに見つかるから現実的には逃亡など不可能だ。

 けれど、逃げ道が欲しかったヴィアラはついシドに尋ねてしまう。

 彼は一瞬いっしゅんだけ目を丸くした後、おだやかな微笑ほほえみで答えた。


「いっそ、うんと遠くまで逃げましょうか? どんなところがいいですか?」

「そうね、海がれいなところがいいわ!」


 パァッと表情をかがやかせるヴィアラを見て、シドはさらに笑みを深めた。そしてすぐに、『海ならネレイスですかね、サンゴしょうが有名だし』と言い、いくつか候補を挙げていく。

 イーサンの護衛として訪れた場所を中心に、シドはヴィアラが気に入りそうな場所について話した。

「お嬢、ほかにも希望はありますか?」

 何気ない日常のやりとり。このときからシドの頭の中には、逃亡先として幾つもの場所がリストアップされていたことをヴィアラは知らない。

 

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