お飾り王妃になったので、こっそり働きに出ることにしました/富樫聖夜

※こちらはビーズログ文庫「お飾り王妃になったので、こっそり働きに出ることにしました」の書き下ろしショートストーリーです。


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タイトル『うちの妹は少しおかしいかもしれない』


 リンダローネはロウワン国の第一王女だ。

 容姿端麗であるのはもちろん、生まれながらにして『豊穣ほうじょう』のギフトを持ち、兄王子には劣るものの魔法だって使える。

 国民はみな聡明で美しい第一王女を「ロウワンの宝珠」と呼び、尊んでいた。

 そのリンダローネがこよなく愛しているのが妹の第二王女、ロイスリーネである。

 

 ***


 是非にと請われて謁見を終えたリンダローネは自室に帰るやいなや、侍女に命じた。

「さっき謁見したリードル伯爵の領地への視察は後回しにするように伝えてちょうだい。ふ……ふふ。私の前でロイスリーネを『無能』だなんて言うとは、いい度胸だこと」

 完全に目が据わっている主を見て、リンダローネ付きの侍女エーメはやれやれとため息をついた。同僚に目配せして、宰相にリンダローネの言葉を伝えるように手配すると、荒々しい動作でソファに腰を下ろした主に声をかける。

「リードル伯爵というと、ロウワンでも辺境の方に領地を持っている貴族ですね。きっと普段は領地にいて、リンダローネ様がロイスリーネ様をこよなく可愛がっていることを知らないのでしょう」

 城に出入りしている貴族なら誰でも知っていることだ。リンダローネがロイスリーネを溺愛していることを。

 ロイスリーネをこよなく愛しているのはリンダローネだけではない。兄王子のヒューバートも国王夫妻も末娘を可愛がっていることは、誰でも知っている。

「調べもしないで陳情に来るなんて、どこまで愚かなのかしら。わざわざ私を褒めるために妹を引き合いに出してこき下ろすとは」

 もっとも、そのリードル伯爵はロイスリーネの悪口を言ったとたん、リンダローネのよそいきの笑顔が消えたこと、周囲にいる事務官や侍従、それに護衛の兵士たちの自分を見る目が冷たくなったことで、失言を悟ったらしい。慌てて言いつくろっていたが、もう遅かった。

 おそらくリンダローネの言葉を待つまでもなく、リードル伯爵領への視察はどんどん後回しにされ、彼自身も今後の登城が許可されることはないだろう。

 エーメは彼女自身が淹れたお茶を、そっとリンダローネに差し出した。

「もうこの城でリンダローネ様がリードル伯爵に会うこともないでしょう。視察の時は……なんとなく伯爵は隠居させられているような気がしますわ」

『豊穣』のギフトを持つリンダローネの元へは、各地の貴族から視察の陳情が舞い込んでくる。視察ついでに彼女のギフトで領地を豊かにしてもらいたいがためだ。リンダローネは王女としてできるだけ応えているが、依頼は後を絶たない。

「視察……ね。人の欲は限りがないのかしらね」

 リンダローネはエーメの用意したお茶を受け取り、ふうっとため息をついた。

「ロウワンはここ十六年もの間、天候にも恵まれ、天災にも遭っていない。毎年豊作が続いているわ。それなのに、さらなる『豊穣』を求めようとする」

「人とはそういうものですわ。失ってみないと、どれだけ自分が恵まれていたか分からないのです」

「ギフトのことだって同じよ。ロイスリーネがギフトを持ってないと知るやいなや『期待外れ』だなんて。お母様の血筋はギフト製造機ではないし、ギフトを持たずに生まれている親族がほとんどなのに。……だいたい、ロウワンは他国に比べて魔力持ちやギフトを持って生まれる人が多いというのに、これ以上何を求めるというのかしら?」

 ギフト持ちとして生まれたリンダローネは、周囲の大きすぎる期待に辟易(へきえき)していた。彼女の力は草木や土に働きかけて生育をうながす類のものだ。広範囲には使えないし、永続的に豊穣が続くわけでもない。

 皆が期待するほどすごい力ではないのだ。

 ――すごいというのは、本当はロイスリーネの持つ不可思議な能力の方だわ。

『期待外れ』だの『無能』だの陰で言われているロイスリーネだが、リンダローネは妹が「普通」ではないことを知っている。



 ロイスリーネがまだ幼い頃、リンダローネは行く先々でその身を狙われていた。彼女が『豊穣』のギフトを持っていると、諸外国に広まったためだ。

 誘拐騒ぎも日常茶飯事だったし、異能を認めないクロイツ派からは命を狙われていた。

 ――あれは、姉妹そろって公務で孤児院を訪れた時だったかしら?

 リンダローネを誘拐しようとした一団が、孤児院を襲撃した。もちろん、護衛の兵は必死に守ってくれたが、隙をつかれてリンダローネは誘拐犯に捕まえられそうになった。

『お姉さまっ!』

『ロイスリーネ、来ちゃダメ!』

 近くにいたロイスリーネが必死に姉を庇おうとする。彼らの目的はあくまでギフト持ちであるリンダローネであり、ギフトを持たないロイスリーネは邪魔なだけだった。

『逃げて! ロイスリーネ!』

 襲撃犯の一人が剣を抜いたのを見て、リンダローネは悲鳴をあげた。彼らはロイスリーネを傷つけようとしていた。

 大事な妹が自分のせいで殺されてしまう……!

 この時、まだ自身も子どもでしかなかったリンダローネは、悲鳴をあげるだけでなすすべもなかった。

 だが次の瞬間、不思議なことが起こった。

 ロイスリーネに向けられていた剣が瞬く間に砂になって崩れていく。それはロイスリーネを傷つけようとした男だけではなく、リンダローネを捕まえようとしていた男たちの武器も同じだった。彼らが手にしてした剣や弓など、すべてが砂と化していたのだ。

 この不可思議な現象に、リンダローネと誘拐犯たち、どちらがより驚いただろう。唖然としているうちに武器がなくなり抵抗できなくなった誘拐犯たちは警備の兵たちに次々と捕縛されていった。

『今の、お姉さまの魔法よね。すごいすごい!』

 一人、ロイスリーネだけが無邪気な目をリンダローネに向けてはしゃいだ声を上げていた。

 もちろん、リンダローネは何もしていない。とっさに魔法を使うことすら思い浮かばなかったのだ。

 けれどロイスリーネはなぜかリンダローネが魔法を使って誘拐犯を撃退したのだと思い込んでいて、周囲もそれが真実だと納得していた。

『さすがリンダローネ殿下だ』

『とっさに魔法を使ってご自分と妹君を守るなんて。なんてすばらしい方なんだ』

 ――私じゃないわよーーーー!?

 ならばさっきの現象はなんなのか、説明できないリンダローネは「自分じゃない」と言い出せないまま、すべてはうやむやになった。

 ――私じゃない。では、あの場でそんなことができたのは……。

『お姉さま、守って下さってありがとうございます。さすがお姉さまですっ』

 目をきらきらさせて見上げてくるロイスリーネを見つめて、リンダローネはごくりと喉を鳴らす。

 ――ロイスリーネが……?

 どうやら自分の妹が普通ではないと、リンダローネはこの時初めて気づいたのだった。

 


『お姉様、正しい道はたぶんこっちです』

 下町で迷いかけたリンダローネの手を引いてロイスリーネは笑う。

『なぜ分かるのかですか? うーんと、勘です。でもどういうわけかこっちが正しいって分かるんです』

 カードゲームは百戦百連勝。リンダローネがロイスリーネに勝てたことは一度もない。

『単なる勘ですって。こっちを引けばいいカードが引けるってどういうわけか分かるんですよねぇ』

 厳重に魔法で封印されているはずの宝物庫に、ただ一人簡単に入ることができるロイスリーネ。

『この部屋は魔法で封印されている? だったら封印が壊れていたんじゃ? だって私でも簡単に入れたんですよ?』

 リンダローネの危機にロイスリーネが居合わせると、必ず犯人側が何かのアクシデントに見舞われて失敗する。

『今のお姉様の魔法ですよね? やっぱりすごいなぁ、お姉様は。私なんて何の力もなくて……』

 魔法なんてリンダローネは使っていない。やったのはロイスリーネの持つ何かの「力」だ。

 

 ――私の可愛い妹は少しおかしいようだわ。笑えるくらい、自分の能力には鈍感で無頓着だなんて。

 

 

 いつだったか、リンダローネは兄のヒューバートに尋ねたことがある。

「ねえ、お兄様も気づいているのでしょう? ロイスリーネの持つ何かの力……ううん、ギフトのこと」

 ヒューバートは苦笑いを浮かべて頷いた。

「もちろんさ。あの子は……言葉にできないけど、普通じゃないよね。父上や母上は何か知っているみたいだけど、ロイスリーネにギフトはないって公言しているから……」

「公にできないギフトってことなのね」

 兄の言いたいことを察してリンダローネは頷いた。

「ああ。たぶんそうだと思う。問題は、あの子自身はまったく自覚していないってことだ。ギフトか何か知らないけど、無意識に使っている。制御できていないんだ」

「普通は自分のギフトが何なのか、どうやって使うのか、分かるものなのにね」

 リンダローネは物心ついた時から自分の中に『豊穣』のギフトがあることを知っていた。それをどうやって使えばいいのかということも、自然と理解していた。

 ――ギフトを持っている者はそれが当たり前だけど、制御できないギフトなんて……。

 不意に何かが頭の中で引っ掛かり、リンダローネは眉を寄せた。

「自分ではどうすることもできず、無意識で使い続けるギフト……」

 該当するギフトに思い当たり、リンダローネはハッなってヒューバートを見た。ヒューバートは勘のいい妹に困ったように笑うと、彼女の口を手でそっと塞いだ。

「だめだよ、リンダローネ。それは口にしてはいけない。仲のいい侍女にもだ。これは僕ら家族だけの秘密だ」

 リンダローネは無言で頷いた。

 おそらくヒューバートはとっくにロイスリーネのギフトの正体に気づいていたのだろう。

 ――「神の愛し子」。

 神に愛され、ただ存在するだけでその地に繁栄をもたらす稀有けうなギフト。だが、それは同時に戦乱を呼ぶギフトでもある。

 過去に存在した「神の愛し子」のギフトを持つ者は、自分を巡って戦争が起こることに絶望して例外なく自ら命を絶っている。

 ――私の大事な妹をそんな目に遭わせるものですか。

「あの子はギフトなんて知らないまま、普通の幸せな人生を送るの。そうでしょう? お兄様」

「その通りだとも」

 兄妹はそっくり同じ緑色の目を見合わせて、頷いた。

 

 

 ――普通の幸せな人生ねぇ。果たして大国の王妃になることが普通と言えるのかしら?

 リンダローネはお茶を口に運びながら心の中で呟く。

 ロイスリーネは半年前、望まれて大国ルベイラに輿入れした。小国の王女から大国の王妃になった。

 あっと驚く転身だ。

 ――まさか大国の王がロイスリーネを見初めるとは思わなかったけれど……いえ、そうでもないかしら?

 ルベイラ国王ジークハルトは、王太子時代に一度だけロウワンを訪れたことがある。その時、彼の案内係をつとめたのが、ロイスリーネだった。

 ヒューバートの話では打ち解けて接していたようなので、あの時に何か通じるものがあったのかもしれない。

 あまりに遠い国への輿入れに、ヒューバートとリンダローネは反対したのだが、大国からの要請を断ることもできず、力及ばなかった。

「……あの子は元気にやっているかしら……」

 ぽつりと呟くと、エーメが微笑んだ。

「ロイスリーネ様ならきっと大丈夫です。傍付きのエマもしっかりした娘ですし」

「……そうね、エマもいるし、あの子のことだから、どんな境遇でもなんとかやっていけるわよね」

 ロイスリーネ自身も案外しっかりちゃっかりした性格なので、どうにかしているだろう。

 ――心配なのは、あっちでも色々無自覚にやらかしているんじゃないかってことだわ。

 魔法で封印されているはずの宝物庫を開けたり、誰も知らない通路を発見したり、賊を無効化したり……。

 ――いえ、王妃になったのだもの、そんなことをやる必要もないわよね。

 にわかに不安が押し寄せてきたが、リンダローネはそれを振り払った。

 ……実のところ、リンダローネの心配は当たっている。ロイスリーネはお飾り王妃になっていて、離宮から秘密の通路を使って街に出てウェイトレスをしたり、自分の命を狙っている相手を捜したり、夫ではなくうさぎを毎晩でたりしているのだから。

 だが、遠く離れているリンダローネがそれを知るよしもない。

「なんにせよ、あの子が元気ならそれでいいわ」


 あの日からリンダローネはロイスリーネのギフトについて口にしたことはない。それが大事な妹を守ることにも繋がっていると分かっているからだ。

 ――きっとあの子は幸せになれる。だって神様に愛されているのだもの。

 遠い空の下で、リンダローネは妹の幸せを祈るのだった。

 

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