主文
拝啓
穏やかな日差しがふりそそぐ今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
この度めでたく第一志望の大学に合格されたこと、心よりお祝い申し上げます。
思えばあなたと初めて会ったのは、私の入寮の日でした。
寮に向かって歩いている途中に急に雨が降ってきて、私が大荷物の中から折り畳み傘を出そうと四苦八苦しているところに声をかけてくださったのがあなたでした。
傘を差しだしてにっこりと微笑むあなたを生涯忘れることはないでしょう。
親切に部屋まで送ってくださって、引っ越しまでお手伝いしてくださったところであなたと同室だと聞いたときは舞い上がってしまいました。
私は運命など信じるたちではないのですが、あの時ばかりは自分の幸運に恐れすら抱きました。
そういえば、2人部屋で相方がまだ来ていないのにも関わらず、あなたが棚も机もきっちり1人分スペースをあけて使っていたことを思い出しました。
あなたのそういうところが私は大好きです。
それからというもの、あなたと毎日同じ部屋で寝食をともにしましたね。
寮はあるのに食堂がないので自炊するしかない、というおかしなシステムに私は心から感謝しました。
2人で本当に色々な料理を作りました。
髪を耳にかけながらスープの味見をするあなたをよこしまな目で見ていたことをここに白状します、でもきっとあなたなら笑って許してくれるのでしょう。
料理している時間も好きでしたが、2人で買い出しに行く時間はもっと好きでした。寮を出てすぐのところにある商店街で、くだらない話をしながらあれこれ買い物をしましたね。
商店街といえば、夜中にこっそり寮を抜け出してラーメンを食べに行ったこともありました。ラーメン屋のおっちゃんに慣れた感じで口止めするあなたを見て、前のルームメイトとも一緒に来たんだろうな、と少し寂しく思いました。
お風呂に入った後、あなたが髪を乾かさないので私がよく乾かしていましたね。
人のことはよく気が付くのにどうして自分にはそんなに無頓着になれるのですか。春から1人暮らしされると伺ったので私はとても心配です。もっと自分を大切になさってください。
お風呂から上がったあとは、よく私の勉強をみてくださいましたね。
私の分からないところを全部魔法の様に解決していくあなたの頭の中は一体どうなっているのでしょうか。
たまにあなたの横顔に見とれて、大事なところをすっかり聞き逃したりしていました。そのたびにあなたは優しく笑ってもう一度教えてくださいましたね。
他にも寮生活の幸せな思い出はここに書ききれないくらいたくさんありますが、このへんにしておきましょう。
そういえば、私が一年生の時の冬に、私が一か月ほど入院していた時期がありました。私が一年生の時だから、あなたは二年生ですね。
確か、教室の窓から飛び降りようとした同級生を助けようとして逆に私だけ落ちてしまったのでした。
我ながら鈍くさいな、こんなにあっけなく人生は終わるのかと思いながら落っこちていった気がします。
怪我自体は軽かったのですが、飛び降りようとしていた同級生の子には泣きながら謝られてしまいました。成績が落ちて彼氏にも振られて、やけになってしまったのだと彼女は言っていました。私はベッドの上で、ただ静かに聞いていました。
私が死んでいても、彼女は葬式でこんな風に大袈裟になくのだろうかと思いました。
そのあと担任がやってきました。
担任はまず私の怪我が軽くて良かったと言いました。早く治して戻って来るように、とも言いました。それから、私が疲れるだろうから生徒の面会は禁止したと言いました。私の怪我の原因になった同級生は特例だったそうです。
担任なりに気を遣ってくれたのでしょうが、私の話は聞いてくれませんでした。
そうしてやっと私が寮に帰ると、あなたは何も言わずに私をそっと抱きしめてくれましたね。私を抱きしめたままあなたは泣いていました。こんな風に静かに泣く人だということを、この時まで私は知りませんでした。
二度とあなたを泣かせるようなことはしないと、私は心に決めました。
あなたの卒業式の日は、抜けるような青空でした。満開の桜が散り始めていましたが、散っていく桜が卒業にぴったりだと私は思いました。
この分だと入学式まで持たないだろう、散ってしまっては新入生がかわいそうだと心配するあなたは本当に優しいと思いました。そういえば結局あの日、あなたは一度も泣きませんでしたね。
この学校の伝統として、ルームメイトの先輩が卒業するときに何でもいいから1つプレゼントを渡す、というのがあります。
私は漆塗りのしおりをプレゼントしました。あなたは読書家なので、本を読むたびに私を思い出してくれればいいと思ったからです。そんな欲にまみれたプレゼントだったのに、あなたはとても喜んでくれましたね。
最後にひとつ、私にとって印象深かった思い出を書かせてください。
あれは確か去年の5月のことで、私は2年、あなたは3年生になっていました。
2人でどこか遠くに行こうといって、あてもなく自転車を漕いで海まで行きましたね。見晴らしのいい展望台で自転車を降りて、自販機で飲み物を買って、ベンチに座って飲みました。
私は汗だくになっているというのにあなたは涼しい顔をしていましたね。
風になびく黒髪と白い肌、吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳。
あのときのあなたはどこか人間離れした美しさを
このままずっといられたらいいのに。私は本気でそう思いました。
それと同時に、いつかこの気持ちにけりをつける日がきたら、墓場はここにしよう、とも思いました。こんな気持ちをあなたに押し付けることはできないし、かといって自分で墓場まで持っていくには少し重すぎるので。
熱烈にあなたに焦がれている最中にこんなことを考えられるのだから、人間の心は不思議なものですね。
あなたに恋する私とは今日でお別れです。
さよなら、あなたを大好きな私。
さよなら、私が大好きなあなた。
敬具
4月27日
嵯峨京子
有馬美琴様
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